心の扉
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「……役に立つのですかね?」
彼が帰った後、ターニャは困惑しつつそう呟いた。
「さあ? 彼がどんな人物だろうと、彼を手中に収められればそれで私の目的はひとまず達したことになる。後は、明日の交渉を成功させるだけ」
私は、彼という人物を思い出して笑う。
「……でも、時が経てば彼も成長するんじゃないかしら」
「何を根拠に……」
「勘よ、勘」
私の答えに、ターニャは苦虫を潰したような表情を浮かべていた。
そんな彼女の反応に、私は笑みを引っ込める。
「彼、弟さんの話の時に少し不満をもらしていたでしょう?戯れに話しを振れば、彼の答えは意外なものばかりだった。国庫のことも、金の廻りも。街を歩けば、エド様とユーリ様を讃えるような声が多いというのに。……飼われてる、なんて面白い表現ね」
「なるほど……」
「……まあ、何より。簡単に懐柔されないところが気に入ったわ」
私が笑ってそう言えば、ターニャは何を言っているんだと言わんばかりに首を傾げた。
「きっと、この先……彼は私の押し付けた恩に見合った仕事をしてくれるでしょう。でも、それだけ。彼はきっと、仕事の付き合いだと割り切って心を許すことはない」
いわゆる、ビジネスライク。彼は対価に見合う仕事をしても、それ以上はない。
「彼は、誰に対しても何に対しても裏切られる可能性を念頭に置いている。本当に裏切られた時のために。…一度裏切られているからこそ、ね。そういうところが、自分と重なったのかもしれないわ」
言ってて、少し悲しくなったけれども。
でも、これは私の本音だ。
彼にもまた、幾重にも重い扉が心にあって。どこまでなら開けられる、どこまでなら心を見せることができると、常に測ってる。
私と、同じ。
だからこそ、彼が警戒心を露わにしていたことに不快感を感じることはなかったし、むしろそれが当たり前だとすんなり受け入れることができた。
共感すら、できた。
……まあ、これから先商会で働くのならば、もう少し腹芸というのも覚えて貰いたいなあ……と思うほど感情が表に出ていたのはいただけなかったが。
けれども、そうして正面から感情をぶつけてきてくれたからこそ、気に入ったというのもあるかもしれない。
同じく商業ギルドにいたモネダはそんな可愛らしいことしないし、セイだって最近は何を考えてるんだか読めないことが多々あるし。
ターニャは私の言葉に少し悲しそうに、目を伏せていた。
少しそんな空気に気まずさを感じつつ、執務室にむかうべく立ち上がった。
ターニャはその物音に我に返ったらしく、私の後を追随してくる。
書斎について、私は執務椅子に座った。
「……ターニャ、何か温かい飲み物を」
「畏まりました」
ターニャがお茶を準備している間に、私は積まれた書類をパラパラと眺める。
明日は件の商会の代表との話し合いをする日だし、今日は少し仕事をセーブしよう。
遅くまでやって倒れてしまえば、元も子もないし。
ふと、書類を捲る手を止めた。
それは、“商業ギルドの取り決め”という資料。
商会の開業は、その代表者が商業ギルドに届けを出し、それが受理されることで店を開くことができる。
その許可書がある限り、店を続けることができる。
仮に商会の会頭が亡くなった場合、通常は許可書も財産の一つとして子に相続される。
ただし、子が幼く商会の勤務経験がない場合、後見人をたてて商会を継続することは可能。
その場合、後見人は商会の切り盛りをしつつ子に商会の経験を積ませ、いずれは子に全権を渡すというのが前提……なのだけれども。
ただ……子が商会を継ぐという申請を商会ギルドに提出しなかった場合、それもまた同じよう受け継ぐ直系尊属がいないものとみなされて、その後見人に自動的に商会の許可書がいくことになる。
あと他者に許可書が渡るのは、代表者が書式を整えて正式に委譲するか、もしくは直系尊属がいなかったときだけ。
逆に許可書を誰にも委譲せず、かつ直系尊属もいない場合、それは即ち店を畳むということ。
……要約すると、そんな内容の書類。
「それにしても、更新が10年以上されていなって……それも凄いわよね」
私が誰に言うでもなく、そう呟いた。
商業ギルドという同じ組織でも、領ごとで取り決めには差異がある。
前述した開業の取り決めについて例を挙げるのであれば、許可書の取り扱いまでは同じ。
ただ、許可書の更新というのがアルメニア公爵領では毎年必要となっている。
誰が代表者なのか、そして代表者には取り扱ってる商品に変わりないか等々、軽く問答をする。
それは新しくできた税金の申告の時に一緒にやっていて、納税・問答この両方を行わないと許可書は更新できない。
それから、違法なものを取り扱ってないか、届け出通りの商いをしているのか、抜き打ち検査をしたり。
ところが、王都の商業ギルドの場合は、代表者が変わったタイミングのみその申告をして許可書を書き換えて終わり。
10年・20年更新がないのがザラにある。
……まあ、王都はそれだけ商会の数があるから仕方ないと言えば仕方ないのかもしれないが。
「失礼致します」
ターニャが私の目の前に、要望通り温かい飲み物を置いた。
「……そういえば、ターニャ。今回も、よく働いてくれたわね。本当に、ありがとう」
ターニャの情報収集能力が凄い、ということを改めてここ2・3日で実感した。
本当に、ターニャは何を目指しているのか……甚だ疑問だ。
「……いえ、当然のことをしたまでです」
労いの言葉に、ターニャは淡々と答える。
けれども、その口元は僅かに弧を描いていた。
「ターニャがここまで頑張ってくれたのだし。私も明日の交渉を頑張らなくてはね」
「お嬢様なら、必ず成し遂げられます」
「ふふふ……ありがとう」




