妹の策略
「……さて、と。久々に体を動かしてくるか」
「また軍部の訓練に潜り込むのですか?」
「ああ。折角ガゼル将軍もいることだしな」
ガゼル将軍には、幼い頃から世話になっている。この離宮で訓練をして貰い、今もその伝を使って時折軍部の訓練に参加させて貰っていた。騎士団は兎も角、軍部は街での治安維持活動が主な任務。何より表舞台に立たぬ身であるからこそ可能なことではあるが。
「……お兄様。お身体を動かすのも結構でございますが、その前に頭と手を動かして下さいまし」
はあ、とため息を吐きながら現れたのはレティシア。愛称、レティ。同母妹にして、この国第3位の王位継承権を持つ彼女は、金髪に柔らかなエメラルドグリーンの瞳の何とも愛らしい容姿の少女。朧げながら覚えている母親の面影と同じ容姿だ。
「レティ。もう終わったのか?」
「ええ、お兄様。お兄様が悪だくみと、愛しの君とお会いしている間に」
ニコリと笑う笑顔はとても愛らしいが、その目は笑っていない。そして無言のまま、手に持っていた書類を机に置いた。
「こちらはサービスです。…少し、お金の流れで気になるところがありましたので」
私が出かけている間、実務を行っているのはレティだ。王が病に倒れた今、チマチマと私がやっていた実務は増える一方で、彼女がいなければ外に出る事なんぞな叶わなかっただろう。
悲しいことに、幼い頃から自分の微妙な立ち位置…つまりこの王宮内での勢力争いの渦中にいる現状なのだが…を理解していた彼女は、その頃から貪欲に勉学のみに留まらず執務まで学んでいた。
その実務能力と手腕は、宰相であるアルメニア公爵ですら認めている。
「随分と手際が良くなったものだ。…これなら安心して、今後“も”任せられるな」
「まあ、お兄様。言ってるそばから、次の外出の算段をつけるのは止めてくださいまし」
パラパラと、報告書に目を通す。手をつけ加えるところなぞ、何もない。それどころか、普段方々(ほうぼう)を渡り歩き、それ故に目の届かないようなところを、こうして彼女こそが補ってくれている。
「人務大臣は、第二王子派ですから。こうした小さな案件ですと、どうしても後手に回ってしまいますわね」
「……全くだ」
国を運営する上で、王都の行政機関は7つの部署に分かれている。財務・軍務・法務・外務・人務・教務・工務…そしてそれらを取りまとめるのが宰相であり、その上に王がいる。王族直轄地の運営の他、国としての方針を固めることや各領主との折衝するのが行政機関の仕事だ。
領主の力は絶大で、それ故に国を運営していく中で各領主達との折り合いをつけることに非常に時間がかかってしまう。だからこそ、中央集権化を更に進めていきたいところだが…未だ強大な力を有する貴族がいる為中々前に進まない。
閑話休題。
財務大臣であるサジタリア伯爵・軍務そして外務は私陣営。
対して人事権や民事を取り扱う人務や工務そして教務が第二王子派。
教務とは要するにダリル教側から寄越してきた人材が国政に食い込む為の部署だったのだが、この前の破門騒動で第二王子派が粛清され、教会側も混乱の最中にある為、現在機能をしていない。これを機に、完全に国政から切り離していきたいところだ。
因みに、法務は中立派。宰相であるアルメニア公爵も法務と同じく以前は中立派であったが、これも破門騒動以降で決定的にこちら側と“周りから見なされる”ようになった。
「癒着し、金銭を懐に仕舞い込んだ…か。人事権を有する人務の大臣ともあろう者が…」
「王宮内での椅子取りゲームにご熱心だからこそ仕出かした事でしょう」
着服した資金を自身で使い込む他、賄賂としてばら撒いていた事を、彼女は皮肉げに謳った。
「私と弟で陣取りゲームをしている下で、地位を獲得する為の椅子とりゲームか。…随分とまあ、彼方此方でゲームが始まっているものだ」
「言い得て妙ですわね。…それはそうと、お兄様」
「ん?何だ」
「私も、アルメニア公爵令嬢に会わせてくださいまし」
瞳を輝かせて食い気味に言ってきた彼女の迫力に、若干押された。
「……急に、どうしたんだ?」
それ故か、早々に話を切ろうとすれば良かったものを、態々質問を重ねてしまうという愚行をしてしまった。
「同じ女人として、政に関わる希少かつ奇特な人材とは是非とも同士として交流を深めたいもの。…というのは建前で、本音としてはお兄様とは憎からぬ仲なので」
「……私と彼女は、お前が思うような仲ではない」
「まあ!そんな事ございませんでしょう?アルメニア公爵家の力を削ぐ絶好の機会を、態々見逃したのですから」
「それは…」
「使える人材だから、というのは無しでしてよ?」
彼女の追求の鋭さと、何を言っても無駄であろうと分かる瞳の輝きに、思わず溜息を吐く。
「………会うと言っても、此処に呼ぶことは出来ない。とは言え、お前は王都からどころか、この宮と王宮以外の場から出たことは殆どなかろう」
「お兄様とルディが一緒ならば安全でしょう」
「…機会があれば、な」
「そうして、私をまた置いて行くのでしょう?全く、酷いわ。ねえ、ルディ?」
「……私の口からは何とも」
突然話を振られたルディは、苦笑いを浮かべていた。私は、といえば…やられたと苦虫を噛む表情を浮かべていたことだろう。
「もう!ルディまでそんな反応なのね」
ルディの言葉に、レティは不満気に口を尖らせる。けれどもやがて溜息を一つ吐き肩を落としたかと思えば、それまでの何処かふざけていた雰囲気から一転、暗い表情に変わった。
その先の言葉を聞きたくない、と思いつつも、それでも私は彼女が口を開くのを黙って見ていた。
「……アイリス様の話は置いておいて。真面目な話、私ももう少し外の空気に触れたいですわ。王族の一員として、市井を周り、その生活をこの目で見てみたいのです」
「お前は、お前自身の立ち位置を理解し、それでもそれを望むのか」
レティの行動範囲は、狭い。この離宮と王宮の限られた場所だけだ。
それは王族の子女だから…という理由だけではない。
彼女は、私達の母親に似過ぎていた。それも、年を追うごとにそれは如実に表れている。
王である父が彼女の育つ姿を見れば、まず間違いなく溺愛すると理解できるほどに。
けれどもだからこそ、王とに会わせる訳にはいかない。彼が彼女を慈しめば慈しむほど、それは彼女の首を絞めることになる可能性があるからだ。
母に良く似たレティ。そんな彼女を慈しむ王の姿を見れば、エルリアにとっては面白くない筈。
ただでさえ、私とレティは彼女にとって邪魔な存在。悪戯に刺激して、直接的な行動を起された時…果たして彼女を守りきることができるのか。私も王も、彼女の側に四十六時いることはできないのに。
何より病的に母を愛する今の父を見れば、父すら信用できない。
…分かっている。これは私のエゴだ。
失うことを恐れて、彼女を閉じ込めて。
もう、母の時と同じように無力であった自分を嘆きたくないだけ。
私も父と同じく病んでいるのかもしれない。こうしてレティを鳥籠に閉じ込めて、失う事への恐怖に蓋を閉じようとしているのだから。
「……分かっています。何か事が起きた時に、私はお荷物以外の何者でもない事を。けれども、それでも私は外の世界を見てみたいのですわ。社交界にすら出る事の叶わぬ身であれば、何を大きな事をとお思いでしょうが」
ジッと、レティを見る。…本当に、大きくなったなと今更ながらそんな事を思う。
「それでも私は、外の世界を見たいのです。あの兄と同じく、見たいものだけを見てこの牙城でぬくぬくと生きていたくはないのですわ」
……閉じ込めておけば、やがて彼女は自ら出て行くであろう。それが、分かるほどに。
寧ろ“態々”こうして交渉しようとしてくれただけ、マシだ。
「分かった」
「……え?」
「市井を共に周るのであろう?私とルディがいる時であれば、良いぞ」
「……ありがとうございます!お兄様」
レティはニッコリと嬉しそうに微笑んだ。
「ならば、さっさと残った書類を終わらせましょう。お兄様も、仕事を溜めずに早々に出かけられるようにしてくださいまし」
「ああ、分かった」
彼女は上機嫌のまま、先ほど彼女が置いた書類の束とは別のそれを持った。私が先ほど終わらせたモノだ。そして彼女はそれを持ったまま、部屋の外に出て行く。
「あ、レティ様。俺が持ちますよ」
その後を追うように、ルディも部屋を出て行った。




