複雑な気持ち
「すまん、少し飲ませ過ぎたようでな」
朝方家にお祖父様がいると思ったら、何とライルとディダを送り届けてくれたとのこと。お祖父様はザルらしいから、お祖父様に付き合わされたのなら仕方ないでしょう。
「ターニャ。2人には、たっぷり水を飲むようにさせて」
「畏まりました」
脇に控えていたターニャに指示を出しつつ、私はお祖父様の対面の席に腰を下ろした。
「お祖父様、いくらお祖父様が強いとは言え、飲み過ぎは身体によくありませんわ。お祖父様も少しお酒の量を控えた方が宜しいかと」
「ぬ…」
お祖父様は少し気まずそうに目を逸らした。…お酒大好きだものね。
「それで、昨日はどれだけ飲まれたのですか?」
「騎士団と軍部の奴らと飲んでおってのう。まあ…あまり楽しく飲めなかった故、その後3人で飲み直した」
「まあ…」
原因は最後のそれね。昔から、お祖父様ったら“飲んで限界を覚えろ”とか言って2人を飲みに連れて行っては、2人が前後不覚になって帰って来てたもの。お祖父様は随分2人のことを気に入っているからついつい飲み過ぎてしまう、とその時に仰っていたし。
「……失礼します」
「あら、ターニャ。どうかしたの?」
「ガゼル様のお迎えにと、ルディウス様がいらっしゃってます」
「……何じゃと!」
途端にお祖父様が狼狽えた。あまり見ない光景についつい可笑くて笑ってしまう。
「儂はいないと伝えてくれ」
「……それが……」
言いにくそうにしていたターニャの後ろから、ひょっこりとルディウスが現れた。
「お祖父様、聞きましたよ。また、店中の酒を飲んだとか」
「いや、それは…」
「自重して下さいと、何度お伝えすれば良いんでしょうかね?貴方は、この国で有名人なんです。平時は強いとは言え、飲んだ後に襲われて不覚を取ってしまったなんて事になってしまったら目も当てられません。お願いですから、外では飲み過ぎないように!」
ルディウスの正論に、お祖父様のその大きな体躯はどんどん小さくなったような気がした。ルディウスは、私のお母様のお兄様の息子…つまり、私の従兄弟であり現アンダーソン侯爵家当主嫡男。因みに叔父様であるアンダーソン侯爵は、自分はお祖父様ほど強くないと言って軍部や騎士団には所属せず。ルディウスも、同じくどっちにも所属しないで後継者として色々勉強しているとのこと。具体的に何をしているかは知らないけどね。…とはいえ、流石お祖父様の孫。動きが何処となくライルやディダみたいな武人の動きだし、細身ながら鍛えられた身体つき。
「久しぶり、ルディ」
「久しぶりだね、アイリス。ああ、ごめん。久しぶりの再会だって言うのに、出合頭からこんなんで」
私の2才年上だったから、学園にいた頃は1年間だけ被っていた。けれども、学年が違うとあまり接点ないし、私が学園を追い出された後は言わずもがな…である。
「別に良いのよ。私もお祖父様にはお酒を控えて下さいってお伝えしていたところだもの」
「そっか。アイリスからも言ってくれると、ありがたいかな。僕の諌言は聞いてくれないのに、お祖父様はアイリスの言う事は聞くんだ」
「そんな事ないわよ。あ、ルディもお茶飲まれて行くかしら?」
「折角のお誘いだけど、これから予定があるんだ。さあお祖父様、帰りましょう」
「ぬ……」
「お祖父様、ライルとディダを送り届けてくださって、ありがとうございました。お祖父様もご自宅でごゆるりとお体をお安め下さい」
「ぬぬ…儂はここに残る」
眉間に皺を寄せたかと思えば、お祖父様はそんな事を仰られた。
「何を言っているんですか。さ、帰りますよ」
それをキッパリと切り捨てたルディウス。相変わらず、2人の会話は見ていて面白い。
「アイリス。また今度ゆっくりと話そう」
ルディウスはそんな事を言ってお祖父様を引っ張って行った。あの細い身体の何処にそんな力があるのかしら?なんて思った。
嵐が過ぎ去ったように、一気に場が静まり返る。
「……ターニャ。もう一杯、いただけないかしら?」
「畏まりました」
折角なので、もう少し休もう…と思っていたら、今度はベルンが部屋に入ってきた。
「ご一緒させていただいても、宜しいでしょうか」
「勿論よ。さあ、そこに座って」
私のその言葉の前に、優秀な侍女であるターニャは何処から持ってきたのか茶器をベルンの前に置いている。
「こうしてベルンと話すのも、久しぶりね」
建国記念パーティー以来、殆ど顔を合わせていなかった。私は私で色々してたし、ベルンはお父様に付いて仕事をして忙しそうにしていたからだ。
「ええ、そうですね」
ベルンは肯定しつつ、注がれたハーブティーを飲む。口に合ったらしく、僅かに顔を弛めていた。
「もう少しで、貴女も領地にお帰りになるかと思いまして」
「そうね。もう随分と領地を空けてしまったから、流石にそろそろ帰らないと。…最近、ベルンはどうなのかしら?」
「……父に付いて、随分学ばせて貰ってます。今までのんびりさせていただいていた分、取り返さないと」
「別に遊んでいた訳じゃないのだから、良いと思うけど?学生の時にしか、味わえない事は沢山あるもの」
前世ではよく感じてたなあ。学生時代って、本当に貴重な時だったなって。働き始めると、特にそれを感じるわよね。同世代の人が集まって、同じ空間で勉強したり仲良くなったり喧嘩したり……辛いこともあるけれどもそれを含めて輝いていた。青春、って言葉の意味が分かるようになるのは、学生を終えた後だと私は個人的に思う。
「……その貴重な時を、貴女から僕は奪ってしまったんですよね」
「……?」
突然声が小さくなったベルンの言葉を、私は聞き取れなかった。顔色が悪くなったし、何か良くないことなのだというのは分かるけれども。
「……姉さん。僕に、謝ることをお許し下さい」
「突然何を言い出すかと思えば……それは、一体何の謝罪?」
何の謝罪か…なんて聞かなくても、学園追放からの一連の件だというのは察しがつく。
「……それは、貴女を学園から追放した事です」
それでも敢えて聞いたのは、その行為の何に対する謝罪なのかを聞きたかったから。
「学園から追放したこと……それは謝る必要がないわ。あれは私が感情のままに動いた結果…つまり、私の失態だもの」
「以前も、貴方はそう仰っていましたね。けれども、そうではないと僕は思いました。あの時僕もまた、ただただ彼女に好かれたい…その一心で動いていたのですから。それこそ感情で動いて、その後の影響は何も考えずに」
「つまり、貴方は宰相を目指す者として、私に謝罪と言う名の決意表明をしたいということかしら…」
もう、これからは感情に流されて思考を止めません…と言っているように聞こえた。お父様のところで修行をして、そう思ったというところかしら。
「それも、あります。ですが、それだけではありません」
「…他にも何かあるの?」
「僕は彼女に夢中になって、その気持ち故に動いていたというのに、そんな自分の事を棚に上げて、同じく感情で動いた貴女のことを陥れました。貴女にも心があって、だからこそ傷ついた上での行動だったというのに、そんな当たり前のことを汲み取らずに。だから僕は、家族として貴女に謝らなければなりません」
「………」
ベルンの言葉に、私は言葉を失ってしまった。何を今更と思う気持ちと、少しの嬉しさで。
あのエンディングの場面から、私の中でベルンを家族として見れなくなっていた。あの時あの瞬間、彼はユーリ男爵令嬢を選んでいたのだから。
前世の“ワタシ”は、“まあ好きな子の方につくのは仕方ないかな”と冷めた気持ちで頭を切り替えていたのに対して、アイリスであった“私”が“どうして、どうして”と心の中でワタシに訴えるように叫んでいた。“どうして、分かってくれなかったの?”だとか“私はただ、あの人の事が好きだっただけなのに。ベルンまで私を捨てるなんて!”等々。私の気持ちはワタシも私故に分かるし、そんな風に訴え叫ぶ私にワタシは同情した。
正直ドルッセンやヴァンは、そこまで関係がなかったから、私もどうでも良かった。
けれどもエド様とベルンは違う。エド様の事は、婚約者という立場と恋慕の想い故に。そしてベルンは大切な家族故に。だからこそ、2人が彼女を選び、私をいとも簡単に切り捨てたことが私はショックだったのだろう。そして、あんな屈辱を与えられたことも。
大勢の前で、取り押さえられ糾弾される。あの時ワタシの記憶が蘇ってそれどころではなかったから良かったものの、普通だったら恐慌状態に陥るわよ。
だからこそあの時以来、“私”はもう恋はしないと誓った。そして、人に完全な信頼を置いてはならないのだと。だって家族にすら切り捨てられたのだから。そんな風に私の価値観を変えた出来事に加担した彼を、“はいそうです”かと私は許すことはできない。
今この時も、何を今更…と冷めた感情で聞き流す“ワタシ”と弟との和解を望む“私”がせめぎ合っていた。
「……謝罪は、受け入れるわ。でも今すぐ、許すとは言えない」
あの子…ユーリ男爵令嬢なら、こんな時許すと言ってあげるのかしら。そんなしょうもない考えが私の中に浮かぶ。
「それで、僕にとっては十分です」
ベルンは、けれども私の答えに、満足気に微笑んでいた。




