結露
本日二話目の投稿です
それから、数年後。
私は、ディーンと結婚して幸せな毎日を送っている。
ディーンの正体を知っているのは、家族とレティシア様それから共に働く幼馴染の皆だけ。
表向き、私は平民の男性と結婚したことになっている。
勿論、結婚に漕ぎ着けるまでは色々大変だった。
家族……の反対は全くなかったけれども、主に他の貴族が煩くて。
特にアルメリア公爵家に婿入りを狙っていた次男坊・三男坊を抱える家からは非難轟々の嵐。
レティシア様の協力と、これ以上アルメリア公爵家に力をつけて欲しくないという良識のある貴族が味方となってくれたこと、それから少々の力技で無事漕ぎ着けることができたのだけれども。
そんな訳で結婚式は私たち夫婦と両家の家族という、それはそれはこじんまりとしたものだった。
けれども、それはどうでも良いこと。
大切なことは、彼と結ばれることができた……その一点なのだから。
この結婚を誰よりも喜んでいたのが、他でもない王太后……アイーリャ様だった。
結婚式の途中から号泣して過呼吸となってしまった時には、顔が引き攣るのを隠すことができなかった。
『長年の夢が叶った』と言われたけれども……一体何のことだったのだろうか。……横でディーンは苦笑いしていたが。
領主の仕事も、順調だった。
エド様たちがいた頃のように私を目の敵にして邪魔をする者がいないのだから、それもそうだろう。
夫であるディーンが補佐として働いてくれていることも、大きな要因か。
彼が正式な領主補佐となったことで、仕事がよく回るようになった。
私以外で誰よりも喜んでいたのは、意外にも〈財〉の面々だった。
彼らはディーンの復帰に、泣いて喜んでいた。……若干顔色が青ざめていたけれども。
……とはいえ、勿論何も問題がなかった訳ではない。
どうやら私の人生には、平穏と言う言葉はないらしい。
それでも、私の部下たちは歴戦の猛者たちだ……皆で協力することで、どうにかここまでやってきた。
今ではアルメリア公爵家は、タスメリア王国で最も多くの人口を抱える都市にまで発展している。
学校では最先端の技術が生み出され、それは市場に還元される。
街のそれぞれに学校と病院が設立されていて、領民全員が読み書き計算を使いこなし、病にかかれば病院に行くことが当たり前になった。
市場にはアカシア王国からの珍しい輸入品が立ち並び、訪れた人を楽しませる。
また、アルメリア公爵家はアカシア王国との交流を盛んに行うようになって、向こうの新たな技術を次々と流入していた。
アズータ商会は最早国内屈指の商会として、その規模は五本の指に入るほどにまで成長した。
今はアカシア王国で店舗を展開しようと、色々調整中のところである。
カァディル様とはその事もあって今でも文を交わしているのだけれども……時々、まだ諦めていないだとか、是非アカシア王国に住めだとか随分と激しい勧誘に見舞われる。
勿論、色恋ではなく……完全な引き抜きで。
けれどもそれを見つける度、ディーンが少しムッと機嫌を悪くするのだが……それを可愛いとついつい思ってしまうのは、私だけの秘密。
王都ではレティシア様が女性初の王として、辣腕を振るっている。
その横には、ベルンが。
驚くことに、レティシア様が王位に就いてから二年後二人は結婚した。
当時の衝撃は計り知れないものだった。
ディーンはどうやら予想していたみたいだったけれども。
でも、まさか二人が結婚するとは思いもしなかった。
しかも、何とプロポーズはまさかのレティシア様からだと言うのからより驚きだ。
どこに惚れたのかとそれとなく聞いてみたところ、『感性があったことと、彼の考え方ですわね』と言っていたが……一体どういうところなのか、さっぱり分からなかった。
それ以上聞くと野暮になるかと、追求することはなかったけれども。
「お嬢様、お茶をお持ちしました」
「あら、ターニャ。ダメじゃない! そんな身体で動いちゃ」
時に秘書、時に頼れる凄腕諜報員であるターニャは、現在身重だ。
相手は、なんとディダ。
ターニャの結婚は当時使用人の面々にそれは大きな衝撃が走ったが……相手がディダということで皆納得した。
「このぐらい、大丈夫ですよ。全く動かないよりも、少しは動いた方が良いそうですし」
「そう言って私が妊娠中仕事をしようとしたとき、止めたのは誰だったかしら?」
ジト目で睨めば、ターニャは一瞬目を泳がせて……そして観念する。
「申し訳ございません。こちらを置きましたら、休ませていただきますので」
「そうね、それが良いわ。……とりあえず、そこで一旦休憩しなさい」
私が執務室にある応接用の椅子を指差せば、彼女はそうと分かるほど狼狽えていた。
「ですが……」
「良いから。どうせ今日はもう、来客の予定もないし。これは、領主の命令です。少しだけでも一旦そこで休憩を取りなさい」
「……畏まりました。それでは、お言葉に甘えさせていただきます」
ターニャが座った後、私は彼女に近づいてそのお腹を撫でる。
「楽しみね、この子に会うのが」
「ええ、そうですわね。この子が生まれ、お嬢よりお許しをいただけるのであれば……先々、この子はお嬢様のお子様方の側仕えにさせたいと思います」
そう言ってターニャは柔らかな笑みを向けつつ、自分のお腹を撫でた。
「それは、本人の希望次第ということで」
苦笑しつつ答えれば、ターニャの目がギラリと光ったような気がする。
「では、お嬢様。お嬢様はお許しくださいますか?」
「え……ええ、まあ。貴女とディダの子どもなら、どんな道を進もうとも信用できるから」
「……光栄です。では、お嬢様がお気に召すように徹底的にしごき鍛え上げますので。楽しみにお待ちくださいませ」
「え、ええ……」
彼女の気迫に押され、つい同意してしまった。
……それから彼女はしばらくそのまま座って休憩して、部屋を出て行った。
「お母様」
それとは入れ違いに、私の子どもが入ってきた。
「まあ……エルピス」
私が産んだ、ディーンとの子ども。
銀糸のような髪と瞳の色は私譲りだけれども、それ以外……顔の造りは全てディーンに似ている男の子だ。
「どうしたの、エルピス。誰かと一緒じゃないの?」
その疑問に答えるように、ちょうど良いタイミングでディーンが入ってきた。
「こら、エルピス。勝手に政務棟を歩き回ってはいけないと、何度も言っているだろう?」
そうエルピスを叱りつける彼の腕には、ようやく首がすわったばかりの長女・ルーチェがいる。
ルーチェはエルピスの真逆で、髪色と瞳がディーン譲りのそれらということ以外は私にソックリだった。
「いらっしゃい、ルーチェ」
彼に向けて手を差し出せば、ルーチェは笑顔で私のもとに飛び込んで来る。
そしてエルピスの頭を撫でた。
「エルピスは本当に政務棟が好きね」
「はい。だって、格好良いですから」
「……格好良い?」
「はい。民の為にと一生懸命働く領官たちの姿が、とても格好良いです。物語に出て来るような超人的な英雄ではありませんが、けれども一人一人が自身の持てる力を出し、それが積み重なって誰かにとっての英雄になる……素敵なことではありませんか?」
我が子ながら、エルピスは早熟な子どもだ。
ディーンもそんな子どもだったというし、中身も彼に似たのかもしれない。
「まあ……では、エルピスは将来彼らのように働きたいと?」
「はい」
そう答えたエルピスの頭を、再び撫でる。
「それは楽しみね。いつか……カッコ良いというだけでなく、この仕事の本当の重みを理解した貴方がここで働くのを、私はとても楽しみにしているわ」
「そうですね、お母様の仰られる通り……今の私では、まだまだここで働きたいという願いは軽い言葉に聞こえてしまうでしょう。ですが、いつか必ず……」
「あら、憧れをダメだとは言っていないわよ? むしろ、それで良いのよ。だって、貴方はまだ子どもなのだから」
そう言うと、エルピスはパチクリと目を瞬いた。
こういう時は、子どもらしい表情が浮かぶ。
「子どもの時の憧れって、特別なの。だってそこには何の打算もないのだもの。純粋にカッコ良いって思えるものを見つけること、それそのものが素晴らしいの。憧れに近づけるよう、まずは努力しなさい。そして、現実にぶつかった時にそれでもその道を進みたいと思うのなら、存分に進めば良いのだし……もしもそこで違う道を進みたいと思ったのなら、そうなさい。仮にそうなったとしても、それまでの貴方の努力は裏切らないわ」
「……はい。頑張ります」
「でも、頑張り過ぎないでね。焦って大人になってしまっては、私が寂しいわ。もう少しだけ、私の可愛いエルピスでいてくれると嬉しい」
そう言うと、エルピスとその後ろにいたディーンが揃って苦笑いを浮かべた。
「エルピス、それからディーン。……親バカと言いたいなら、言って良いわよ」
「そ、そんなことないです……嬉しいです、お母様」
慌てたように、けれども最後の方は照れたように言ったエルピスに思わず頰が緩む。
うちの子、世界一可愛い……とすら。
そんなエルピスを、ディーンが抱き上げた。
「親バカって、悪いことかな? それを言うのなら、私も親バカ……というか家族バカだよ。奥様は知性溢れる世界一綺麗で優しくて愛しい人だと思うし、その奥様が産んだ子どもたちはこの上なく可愛いと思っているよ」
「ディーン……」
「愛しい奥様、折角なので休憩を取って家族水入らずの時間を過ごしませんか?」
「素敵な提案ね、旦那様。……残りの書類で、急を要するものはないし、後で貴方に手伝って貰えればすぐに終わるだろうし……そうね。メリダのお菓子をいただきながら、休みましょうか」
私たちはそれぞれ子どもを抱えながら、寄り添って歩く。
……幸せだと、笑顔を浮かべながら。




