対峙
本日二話めの投稿です
王城から離れたところにあるここは、見ているだけで鬱々とする雰囲気を醸し出している。
階段を登り続けると、目の前に広がったのは鉄格子に囲まれた部屋だった。
「……こちらですわ、アイリス様」
レティシア様の指した場所には、女性が一人佇んでいた。
彼女の姿を見て、私は一瞬息を飲む。
かつての彼女とは似ても似つかない、全く昔の面影のない彼女の姿に。
げっそりと痩せ細り、髪はボサボサ、肌はボロボロ、そして泣いていたのか真っ赤になっている目でただただぼんやりと宙を見ていた。
「……お久しぶりですわね、ユーリ様」
驚きを声に出さないように配慮しつつ、あえて淡々と声をかける。
「久しぶりね、アイリス様」
鼻で笑うように言いつつ、彼女は私と向き合った。
「……何故、私をお呼びに?」
「別に。ただ、死ぬ前に貴女の姿を見たかっただけ」
彼女の冷めた視線と、笑み。
かつての彼女ならば決して出さなかったであろうそれらは、けれども違和感がない。
むしろ今の彼女の方が、より彼女の内面を出しているように感じられた。
「ご満足いただけましたか?」
私もまた、皮肉げな笑みを浮かべる。
「さあ……思ったより、何も思わないわね」
「まあ。それはそれは……」
呼んでおいて何なんだと思ったけれども、言葉にはしない。
「……ならば、私からも質問させていただいてよろしいでしょうか?」
彼女は肯定も否定もしなかった。
勝手に肯定してくれたものとみなして、言葉を続ける。
「貴女は、エドワード様を愛していましたか?」
「そんなことを聞いてどうするの?」
「単なる興味です」
そう言った瞬間、彼女は笑った。
私を蔑むように見つめながら、大きく口を開けて。
その様は恐ろしく、寒気が背中を伝う。
「何、それ? 自分が愛した人を、利用する目的で近づいた女に取られたことを認めたくないってことかしら?」
急に饒舌になった、彼女。
「もう知っているのでしょう? 私が、トワイル国のために動いていたって。この国を混乱に陥れるために、貴族たちの中でも更に高位の者たちをどんどん陥落させたって」
「ええ、存じておりますわ」
「ねえ、どんな気持ち? 彼、私を庇って亡くなったのよ?愛する人を守るためだって。私、彼に愛されていたのよ? 彼の愛を求めて、強引に婚約したのに愛を得られなかった貴女は、どんな気持ち?悔しい? 憎いでしょう……!」
彼女から放たれる言葉は、攻撃的なそれ。
けれどもそれに傷ついているのは私ではない……彼女自身のような気がした。
「悔しいって……憎いって言いなさいよっ!」
ガシャリ、彼女は鉄格子を掴んだ。
私と彼女が、触れ合うほど近づいた。
「愛している、と言っているようですわね」
私の言葉に、彼女は顔を上げる。
「……はぁ? 何言ってるの」
心底小馬鹿にしたような言葉と声色に、思わず笑った。
「あら、違いましたか? 貴女の先ほどの言葉は、彼を愛していると……私にはそう聞こえましたわよ」
そう言えば、彼女は何も答えなかった。
てっきり、また何か人を小馬鹿にしたようなコトを言って否定するかと思ったのに。……真実が、どうあろうとも。
何も答えない彼女の顔をマジマジと見ていたら、彼女の瞳からは大粒の涙が溢れていた。
……本当に、愛していたのか。
百の言葉よりも、今の彼女のその姿こそがそれが真実だと雄弁に語っていた。
「な、何よそれ……意味が分からないわ」
そう言って、彼女は再び俯いてしまった。
しばらくジッと彼女を見つめたものの、それから動く気配を見せない。
「……悔しいと思うことはありませんわ。私と彼が婚約していたのは既に過去のことですし。あの時、私と彼は道を違いました。その後彼がどうなろうとも、私には預かり知らぬことでございます」
そう言い切れば、彼女は再び顔を上げ、憎々しげに私を睨むつけた。
「それに、エドワード様が選び愛したのは他ならぬ貴女。貴女がどのような思惑であれ、彼は愛する貴女を守ることができたのですもの……本望でしょう。彼の死を悼むことこそあれ、その理由で誰かを憎むことはありませんわ」
「……その澄ました顔、気に入らないわ」
彼女の言いように、私は思わず苦笑いを浮かべる。
「気に入らない、と言われましても……」
「産まれたときから、地位も、お金も、輝かしい未来も、何でも手に入れていて!たくさんの人に囲まれていて! ……そんな貴女が、私は大っ嫌いなのよ!」
叫びつつ、鉄格子を彼女は揺さぶる ガシャン、ガシャンとそれが悲鳴をあげるように音が鳴った。
「……だから、ことあるごとに私に嫌がらせを?」
「ふん……良い気味だったわね」
楽しそうに、彼女は笑う。黒い笑みだった。
「……そうですか」
そんな理由で私はあんな嫌がらせを受けていたのかと思うと、内心イライラした。
……人によって思い悩むことは、千差万別。
それは分かっているけれども、それでもそれで迷惑を被った身としては釈然としない。
「一体私と貴女、何が違うというの!? 私だって十分他人より顔は整っているし、人を集める力だってある! その証拠に、エド様は私を選んでくれたわ!一体、それなのにどうしてこんなことに……」
彼女のその叫びに、ぶちりと堪忍袋の緒が切れた音がした気がした。
私は近づいた彼女の頰を思いっきり叩くように、手を振り上げる。
……とはいえ、振り下ろした手は鉄格子に阻まれて彼女を叩くことはできなかったけれども。
代わりに思いっきり鉄格子に手が当たってしまって、かなり痛い。
ガシャン……と、私の代わりに鉄格子が悲鳴をあげた。
コイツ何をしているんだ……とでも言うかのような表情を周りがしているのは分かったし、相手のユーリまで呆れたような表情を一瞬浮かべたことで、手以上に心が痛い。
「あのですね……。言わせていただきますが、貴女と私じゃ全然違いますわ!」
「何がよ! 身分が? それとも運だとでも言うの?」
「誰がそんなこと言うものですか。……貴女はね、集めた人を利用するだけなのですよ。私は、彼らを信用していますし信頼していますわ!」
「な、何が違うっていうのよ!」
彼女の言葉に、思わず声をあげて笑った。
どうやらそれが癪に触ったらしく、彼女は益々鋭い視線で私を睨んできた。
「言葉の意味、分かっている? 貴女はただただ相手を利用するだけ。いらなくなれば、自分にとって不都合になれば簡単に切り捨てる。そんな貴女に自分の身を預けたい人なんていませんし、近づいてくる者がいるとすれば、それは逆に貴女を利用しようとする者でしょうね」
その言葉に、彼女はハッとなって急にしおらしくなる。
……どうやら、思い当たることがあるようだ。
「信用は、信じて用いること。信頼は信じて頼ること。いずれにせよ、信じているからこそ任せているのですわ。信じることができる相手とは、それはつまり私にとって必要不可欠な方。何かが起これば、私は彼らを身を呈して守りますわ!だから、私を貴女と一緒になさらないでください」
怒鳴ったせいで、鼻息が自然と荒くなった。
息を整えるために深呼吸をしていると、彼女が口を小さく開く。
「……どうして……」
ポツリ呟いた彼女の言葉は、自分の呼吸の音で聞き取れなかった。
「どうして、貴女は信じることができるの? あんなことがあれば、誰だって人を信じることなんてできなくなるはずよ」
「それは婚約破棄のことかしら? それとも、商会の人間の引き抜きのこと?それとも……」
「全部。けれども、あえて言うなら……婚約破棄かしら。愛した人に糾弾され、その仲間には自分の家族までいたのよ?」
彼女の問いは、何度も自分が自身に問いかけたそれだった。
それを彼女が聞いてきたことが可笑しくて、思わず笑う。
「そうねえ……信じることが怖くなったというのは、事実よ。けれども恐れて壁を作る私に、彼女や昔から仕えてくれている面々が、そんなこと関係ない、どんなことがあっても付いて行くってね、どんどん壁を壊してくれたの」
怖かった。……信じて再び裏切られることが。
それほど、私の心は傷ついていた。
けれどもそんな弱いところすら見せることが恐ろしくて、何でもないかのように振舞って。
そんな頑な私を壊してくれたのが……幼馴染の皆とそれからディーンだったのだ。
「今でも人は怖いけれども……信じることって悪くないとも思えるの。信じないで恐れているだけだったら、共に笑う楽しさも、苦しみを分かち合えることも、全部全部忘れたままだった。少し勇気を出せば、世界はとても色鮮やかになるの」
そう言ってターニャに視線を向ければ、ターニャは誇らしげな笑みを浮かべてくれていた。
「でも、また裏切られるかもしれないのよ……?」
「そうね。裏切られることは、あるかもしれないわね。でも、それを恐れてばかりでは前に進むことはできない。恐れてそんな素敵なモノから目を背けるなんて、損でしかないわ。だから、よ。それにこの世界は、無傷のまま生きていけるほど優しくないから。傷ついても、その傷を抱えて生きていくしかないわ」
「……そう」
そう言えば、彼女は笑った。
その笑みはまるで憑き物がおちたようなそれだった。
「やっぱり、貴女のことは大嫌いだわ」
彼女の言葉に、私も笑った。
「私も、貴女のことは嫌いだわ」
「そ。これで好きだと言われたら引くわよ」
「それもそうね」
そう言って、互いに笑い合った。
「ねえ……アイリス。人を『愛する』って、どういうことなのかしら?」
「さあ。それは、人に説明されるものでもないでしょう?けれども、その人が誰よりも特別に思えるのであれば……どんな形であれ、それが愛するということなのではなくて?」
「特別……そうね」
彼女はそう言って、泣きそうな顔で笑った。
「私、馬鹿なの。失って、初めてどれだけ彼が私にとって特別だったのかが分かったの」
「そうね。貴女、馬鹿だわ」
私は、笑った。けれども、今の私も彼女に感化されて泣きそうなそれになっているだろう。
「たくさん、それを伝える機会はあったのに。もう、それを伝える術はないわ。……私も、そう。二人揃って、大馬鹿者ね」
そう言えば、彼女は驚いたように目を丸めた。
「ああ、エド様のことではないわよ? 勿論、彼の死を悼む気持ちはあるけれども」
「……悼んで、いるの? 」
そう問う彼女の声は、震えていた。
「え? エド様のこと?」
問い返せば、彼女は静かに頷いた。
「『例え心底憎んだ相手だったとしても、そいつが死んじまえばその恨みをぶつけることはできないんだ。ぶつけられないその思いを悶々と抱え続けるより、良い思い出にすり替えちまえる方が、遺された者にとってもずっと良いさね』って、私の部下が教えてくれたの。確かに生前は彼のことを心底恨んだし憎んだこともあったけれども、彼との良い思い出も確かにあったのよ。だから今はただただ彼の冥福を祈るわ」
そう言えば、彼女はハラハラとその両の目から涙を流した。
「もう誰も、悼むことはないと思っていたわ。彼を真実愛していたエルリア様もマエリア侯爵も、既に亡いのだもの。そして、私も……」
「……少なくとも、私は悼むわ。それに、貴女が知らないだけで彼の死を悼む人は他にもいるかもしれないわ。人の心は複雑で、決して一面だけではないのだから」
「そう……良かったわ。彼の名が決して蔑みだけで語られるのではなくて」
そう言って、泣きながら安堵の息を吐く彼女の姿を見て、私もまた泣きそうになっていた。
そこまで。……そこまで、彼女は彼を愛していたのかと。
彼の名が『悪』として語られ、そしてそれが定着する……はたまたそのまま風化することを、彼女は恐れたのだ。
自らのこれからよりも、彼の名を惜しむその姿が、愛と呼ばずして何と言うのだろうか。
「アイリス、貴女は帰って。……王女様、全てを話しますわ」
やがて涙が止まった彼女は、凛とした表情でそう言った。
「左様でございますか。……御機嫌よう、ユーリ様」
……これ以上私たちの間で、語り合うことはない。
「御機嫌よう、アイリス様」
ふわり、彼女は微笑む。
その笑みだけは、かつてのそれと同じものだった。
そして私は、その場を後にする。




