終結
本日七話目の投稿です
その沈黙は、決して長い間ではなかった。
けれども、私には酷くそう思えてならなかった。
重苦しい雰囲気が、場を支配している。
「……良いだろう。これも賠償金の一部だと思えば」
やがてそんな中で、溜息と共に彼が言葉を発した。
思わず安堵の息が漏れそうになるのを、密かに我慢する。
すかさずターニャがまた二枚の書類を手渡し、私と彼がそれぞれサインを入れた。
「そうだな。だが……輸出の制限をかける意味を込めて関税を設定したものまで今回入っていたが?」
「こちら側からも幾つか引き下げを行う品目を出しています。長期的に見れば、双方にとって利のある取り決めだと思いますが?」
「まあな……だが、してやられたよ。貴女との結婚を機に制限を解放しようと思っていたものまで入っていたのだからな。これはつまり、貴女からの返事はそういうことなのか?」
「ええ。せっかく申し入れいただきましたが、断らせていただきます」
「……理由を聞いても?」
「第一に、私が王妃に就くのは荷が重いですわ。その理由は、私以上に貴方様の方がご理解いただいていますでしょう?」
カァディル様は王位を手に入れたけれども、未だそれは盤石ではない。
我が国と異なり第一王子が決定的に仕出かした訳ではないので、未だ彼の地盤が残っているからだ。
他国……アルメリア公爵領からの嫁は自国の発展には有効手だけれども、それ以上に今の彼に必要なのは国内の早急な融和。
それらはターニャの情報を元に私が予測した推測だが……あながち間違ってはいないだろう。
けれども、それを口に出すことはそれこそ内政干渉のため控えた。
……今更かもしれないが。
「ええ、分かっていますよ。分かっていますが、それでも私は貴女を欲しているのですよ。貴女を手に入れるためならば、そのような苦労も厭わない」
彼の目が、私を射抜く。
その視線に、彼が真実私を欲しているということを感じ取った。
それは愛しているというのか、それともただただ便利な女として欲しているのかそれは分からない。
けれども、彼が私を欲しているということは事実なのだ。
何せ、婚約を申し入れたときに彼は既に王位を手に入れることを決意していたはずなのだから。
そして今の状況も既に予見していたとも。
それでも私に婚姻を正式に申し入れたということは、それは彼が私を欲していたからということに他ならない……と。
その考えに辿り着いてから、正直彼と会うのが恐ろしかったのだけれども。
「だとしても……第二に、此度条約を結んだことによって、婚姻による双方の利が薄れましたわ。私どもはこれ以上のモノは難しいですし……勿論、アカシア王国が婚姻に際して、より我が領地に何らかの利を与えてくださるのであれば、話は別ですけれども」
カァディル様は苦笑いを浮かべていた。
どれだけ吹っ掛けるつもりなのだか、と内心考えているのだろう。
否定はしないけれども。
「……まあ良い。これを以って、無事アカシア王国とタスメリア王国の和平交渉は終わりだな」
「ええ。ジャラール様の身柄をお引き渡しますので、よろしくお願い致しますわ。そちらの方をご案内させていただければ良いでしょうか?」
「いいや。屋敷の外に待機している我が国のモノを連れて行ってやってくれ」
「畏まりました」
「……アイリス様。既にこの場は友好を温める私的な会談だと思いますが、いかがかな?」
「ええ、そうですわね。貴国との友好は我が領ひいては我が国にとって非常に良いことですもの」
「私的な場ということで、一つお答えいただけますか?」
「……お答えできることであれば」
「私との婚姻を断る本音は?」
にこやかなその問いかけに、私は一瞬呆ける。
まさかそんなことを聞かれるとは、正直思っていなかった。
言いづらくて口を噤むと、カァディル様はより笑みを深める。
全く分かってはいたけれども、性格が悪いわ。
「ここは私的な場だと先ほど確認しただろう? 何を言われようとも、怒りはしないぞ。……何、惚れた女に婚姻を断られた諦めの悪い男の、最後の悪あがきだと思ってくれ」
「嫌な質問ですわね」
息を吐く。隣では、お母様がにこやかに笑っていた。
「お前とて誰かとの婚姻が必要なのであろう? それが、お前の国の……いいや、どこの国でもそうか。貴族として上に立つものの役目であり、求められていることだろう?私以上に、お前にとって良い相手はいない筈だが?」
「……そうですわね。否定は致しませんわ。我が国には私と年の近い身分の高い者で未婚の者はおりません。貴方様との婚姻を断ったところで、他に良い者がいる訳でもなく、いきつく先は恐らくアルメリア公爵家を出て、どこかで一人商会の経営をしながら暮らしていくという感じでしょうか。……ああ、孤児院のお手伝いも良いですわね」
「アイリスちゃん……」
お母様が心配げな様子で私に声をかけたため、私は笑顔を向けた。
覚悟の上のことだ……元々、エド様に婚約破棄をされて領地に戻ってすぐの頃は、もう誰とも婚姻はできないだろうと思っていたから。
少しずつ状況が変わっていったけれども……結局のところ誰かと結婚しなければ家を出なければならないとは思っている。
私が領地を継ぐことはないし、いずれベルンが領主を継いで誰かと結婚したときに、私がいては邪魔だろうと思ってのことだ。
「けれども、それでも貴方様との婚姻はしません。何故なら、カァディル様……少し、手をお出しになられましたでしょう?アカシア王国が我が領地を襲う前に起きた件で」
「ほう……よく気がついたな」
カァディル様の言葉に、私は笑うに留めた。
第一王子への尋問やターニャからの報告によって組み立てた推測。
確証はなかった上にハッタリかますには少々リスクが高いので、交渉には使わなかったが……やっぱりカァディル様だったのかと私は内心息を吐く。
今回の襲撃の前に起こった、東部の役所や警備隊が襲われ占拠された件……あれを主導したのは、カァディル様だったのだ。
「私の愛する領民や領地を傷つけた方……そのような方に、どうして嫁ぐことができましょうか。婚姻をせずとも、アルメリア公爵家を出ようとも、私は私……ただのアイリスとなった後も私はこの領地のために働き発展に寄与してみせますわ」
ジッと私は彼を見つめた。
彼もまた、私を見つめる。
互いに見つめ合ったまま、私も彼も口を開かない。
まるで互いが互いに瞳の奥底に映る内心を読み取ろうとしているかのようだった。
「……負けたよ。是非今後も良き隣人として、よろしく頼もうか」
やがて彼はそう言いつつ息を吐くと、立ち上がった。
「ええ。こちらこそ、よろしくお願い致します」
扉へと向かう彼を見送るべく私もまたたち上がってそちらに向かう。
「……今回は一旦これにて帰るが、貴女のことは諦めないぞ。貴女が弱った隙をついて、いつでも貴女を攫いに来よう」
そう言って再び、彼は私の手を取る。
「まあ……恐ろしいこと。けれども、それは励みになりますわね。領地を離れずとも生きていけるよう頑張らせていただきますわ」
私の言葉に彼は苦笑を浮かべると、部屋を出て行った。




