悼む
「エド様が、亡くなった……?」
思わず、呆然と呟いた。
政争にエド様は負けたのだ……いつかは、処刑されると思っていた。
けれども唐突なその報せに、驚かざるを得ない。
瞬間、私の頭の中に彼との思い出が思い浮かぶ。
彼に対しては、憎い煩わしいといった負の感情が私の心を占めていたはずなのに……どうしてかしら。
「どうして今思い出すのは、彼との優しい思い出なのかしら……」
「それが、故人を偲ぶってことじゃないのかい?」
自嘲気味に呟いた言葉に反応したのは、メリダだった。
今、私がいるのはテラス。
政務をしていた私に休憩時間を取れと、半ば無理矢理にセバスが私を机から引き剥がした。
そしてメリダから新作のスイーツを受け取っていたときに、ターニャからその報せが入ったのだ。
「例え心底憎んだ相手だったとしても、そいつが死んじまえばその恨みをぶつけることはできないんだ。ぶつけられないその思いを悶々と抱え続けるより、良い思い出にすり替えちまえる方が、遺された者にとってもずっと良いさね」
「そうね。……そうよね」
メリダの言葉は、戸惑う私の心にとてもよく響いた。
私は彼を、かつては確かに愛していた。
周りが、見えなくなるほどに。
そして、それ故に憎んだ。
全てが手の平から零れ落ちたときには、虚しさを感じた。
そして、全てがどうでも良くなった。
時折胸が痛むことはあれど、自分のことでいっぱいいっぱいでそれどころではなかったというのが大きかったのだろう。
自らの周りを落ち着いて見ることができた時には、彼は単なる小煩い障害だった。
私を敵視し、一方的に攻撃をしかけてくる邪魔者。
そのことに怒りを覚えはしたけれども、彼の存在自体は至極どうでも良かった。
そのことに、哀れみの感情すら抱いた。
彼は私を敵視していたけれども、私自身彼がどうでも良いと思っていたのは……過去の憎しみが風化されたからではない。
四方八方から良いように転がされる傀儡に、彼が見えたからだ。
けれども、今となっては……全て遠い昔のこと。
過去は美化されるというが……確かに、そうかもしれない。
感情が色褪せた結果、今はただただ全てが懐かしい。
「お嬢様、もう一つ報告がございますが……宜しいでしょうか?」
感傷に浸っていたところで、ターニャから遠慮がちに声をかけられた。
「え、ええ。ごめんなさい……続けて」
「レティシア第一王女よりお手紙が届いております」
「まあ、レティシア様から?」
そっと渡された手紙を受け取り、私はすぐに中身を検める。
整った、美しい書体だった。
ふと、街中で偶然お会いした彼女を思い出す。
ディーンに良く似た、あのペリドットのような新緑の色をした瞳と眩い金色の髪。
陽だまりが良く似合う、本当に御伽噺のお姫様のような方。
けれどもその印象とは大きく異なる……酷く現実的なその手紙の内容に、私は読み進める内に思わず眉間にシワが寄る。
「……いかがされましたか?」
「今回のアカシア王国との件は、私に一任すると」
ターニャもメリダも驚いたように目を見開いた。
それはそうだろう。
今回の一件、一領主代行が任されるには大き過ぎる案件だ。
それこそ、国家レベルのものなのだから。
「既に国内の各領主には根回しは済ませ、国の方針として整えたとのことよ。……レティシア様がアルフレッド王子の補佐として政務に携わっているとは聞き及んでいたけれども、既に補佐というレベルではないわね。アルフレッド王子の代わりに、完全に取り仕切っているのだわ」
「……それだけ、レティシア様が有能ということでしょうか?でなければ、各領主も従わないかと」
「そうね。随分と、貴族を……国政を掌握しているようね」
「ですが、良かったのでは?ちょうど、カァディルが実権を握った今……交渉を行うのにお嬢様ほどの適任はいないかと」
「買いかぶり過ぎよ」
あれから程なくして、急逝した王に成り代わりカァディル様が政務を執り行うようになったとターニャより受け取っていた。
彼の行動は予想通りであり、時期については予想より少し早かったといったところか。
病により急逝したと国内外に発表しているが……狙いすましたかのようなタイミングで自然とそうなった訳では勿論ない。
第一王子が囚われの身となった時を狙い、カァディル様が前王を屠ったのだ。
本当に、どの国も上はゴタついているのだと思うと笑いがこみ上げてくる。
文化や風習が違えども、人の根幹や根源といったモノはそう変わらないのだと突きつけられたようた気がして。
「でも、そうね。任していただいたからには、領地のために最大限頑張るわ」
「ぶれないねえ、お嬢様は。あくまで領地のためなのかい?」
楽しそうに笑いながら、メリダが質問してきた。
「ええ、そうよ。私の取る行動は全て、あくまで領地のためだもの。国のためじゃないわ。まあ、国も……というかレティシア様もその点はよく理解されているみたいだけど」
「……どういうことだい?」
「私が領地のためにと行ったことは、巡り巡って王国のためになるのだと。だから、自由にやりなさい……と、手紙に書いてあったわ」
「へえ……お嬢様の力を、あちらさんも認めたってことかい」
「さあ? 私の力というよりかはアルメリア公爵領自体を、じゃないかしら」
ある程度裁量を与えるから、変な気を起こさないでくれ……と。
そんな意図が、透けて見えた。
「まあ、良いわ。カァディル様との会談の調整は整ったかしら?」
「はい」
「ありがとう。引き続き、何かあれば報告してちょうだい」
「畏まりました」
「報告といえば……トワイル国との戦いはどんな様子なのかしら?」
「アルフレッド王子が戦線に入った後、劇的に変化したそうです。その最たるは、旧モンロー伯爵領の領民たちでしょう」
「まあ……まさか、領民たちがタスメリア王国に回帰したと?」
「ええ。彼の演説、力の誇示として物資の差し入れ、それから緻密な軍略に基づいたトワイル国の兵たちへの攻撃……それらが絶妙に重なり合って、複雑に絡み合った民たちの心と戦局を解したのだとか」
「随分と褒めちぎるのね」
「私は現地の者よりの報告をお伝えしているまでです。実際、私への報告文は彼を讃えるばかりで……一瞬、その者が彼の傘下へと寝返り、彼の都合の良いような情報を流させているのではないかと思った程でしたよ」
「まあ……! ふふふ、でもそうではなかったのね」
「ええ。実際戦局は彼の言う通りこちらの優勢となっていますから」
「そう。彼は政務だけではなくて、軍才もあったのかしらね。……一体、どのような演説をしたのか気になるところだわ」
「聞き入ったばかりで、仔細を覚えていない様子でして……申し訳ございません」
「良いのよ、単に気になっただけだから。でも……そう。これでトワイル国との戦争も勝利を収めてくれれば良いのだけれども」
「そうですね……」
「ありがとう、ターニャ」
「恐れ入ります」
そのタイミングで、ターニャは他の使用人に呼ばれて場を離れて行った。
話がひと段落したところで、私はメリダから給仕された菓子を摘む。
「あら……これ、美味しいわね」
口に広がったのは、ほんわりとした優しい甘さだった。
「そいつは良かった。これ、今回前線で戦った警備隊と東部の有志で働く面々に配ろうかと思案していたんだよ」
「へえ……?」
「原価はギリギリまで落としていて、日持ちもするようにしてあるんだ。ほら、人ってさ……必要最低限のものがあれば生きていけるけど、それだけじゃ活力にならないだろう?ちょっとしたご褒美、ちょっとした労い、ちょっとした楽しみ……そういうのがあって、明日も頑張ろうって、悪いことばかりじゃないって思えるんじゃないかってね」
「そうね。……これ、貴女が考えたの?」
「いんや……レシピは私一人で考えたけど、コンセプトはセイと一緒にね」
「良いわね。早速、アズータ商会の資金を使ってちょうだい」
「驚いた……随分、即決するんだね」
「ええ。これは、領主代行としてだけじゃなくて経営者としても良いと思ったのよ。経営が安定しているからこそ、商会として社会に貢献するべきだとね。商会のイメージアップになるし、直接的には何の益が出なかったとしても……それが巡り巡って、何かが実るかもしれないでしょう?」
「巡り巡ってか……そうだね、そうかもしれないね」
自らに刻み込むようにメリダはそう呟いて……そして、晴れやかな良い笑みを私に向けた。
私も、釣られて微笑む。
「というわけで、メリダ。この件については任せたわ。貴女の良いように」
「畏まりました」
仕事の話を交えつつも、午後の楽しいひと時を過ごす。
今回の件の被害者への支援、それから負傷者への手当、それらに伴う資金繰りや備蓄の調整等々……やることはたくさんあったけれども、目処はつきつつあった。
各関連部署より上がってきた報告を照らし合わせ、調整し、採決し、指針を決める。
そこまでは、できたのだ。
今はそれぞれを実行し、過程や結果を見て調整するところなので、これから開催されるアカシア王国との交渉という最も重要で責任の伴う仕事を前に、少しこうして英気を養うことも大切かもしれない。
半ば強引だったとはいえ、セバスには感謝だ……そう、考えていた時のことだった。
「お休みのところ、申し訳ございません。至急、お耳に入れたいことが」
ターニャが血相を変えて戻って来た。