弟の見学会
「……失礼致します。お嬢様、そろそろセイとの打ち合わせの時間でございますが」
ターニャが、気まずい雰囲気が流れる中私に声を掛けてきた。…もうそんな時間、か。ベルンの登場で、ゆっくりできなかった。
「お母様、そろそろ私行きますわ。お母様はごゆっくりなさっていて」
「ええ、そうさせて貰うわ。あ、アイリスちゃん。この馬鹿息子も連れて行って貰えない?」
「………え?」
この馬鹿息子って、ベルンですよね?何で……?
「貴方の仕事ぶり、見せてその馬鹿息子を黙らせてちょうだい。それでも文句を言うようなら叩き出して良いし。ターニャ、その時は宜しくね」
「……畏まりました」
ターニャなら、間違いなくやるだろう。まあ、煩かったら追い出せば良いし…良いか。
「そういうことなら……行きますよ、 ベルン」
「……え?お姉様……ですか……?」
ベルンが私のことを驚いたようにマジマジと見てくる。やっぱり、私の姿を忘れてたのかしら?
「そうですよ。他に誰がいると言うのです。時間がないので、さっさと行きますよ」
すぐさま、書斎に行った。中には、既にセイが待機している。セイは、私の後にくっついて来たベルンの姿を見て眉を顰めていたけれども、すぐに頭を切り替えて私に報告書を出した。
私もまた、それに目を通す。
「…製菓ラインが少し下がっているわね」
「少しずつ、同商品を扱う店が出ていますので。ウチよりも値段を下げて販売をしているようですし」
「……安易に値下げはする必要はありません。消費者は、本当に良い物であれば購入してくださいます」
「原材料を下げさせるという案も出ておりますが…」
「却下です。仕入れ値を見ても、この価格は適正よ。これ以上、下げさせて生産者との関係を悪くさせるよりも、このまま良好な関係を築き、良質な物を仕入れるルートを確保した方が良い筈」
商会を経営する以上、利益は追求しなければならない。けれども、領主として生産者達の利益を圧迫させたくもないのよ。高い値段を吹っかけられているなら兎も角、適正価格だと私は思っているし。
「それより、値段以外に何か原因がないか調べて。他社の商品ラインナップを調べ、ウチの商品をもう一度見直しを。それから、来週から始まるケーキの進捗は?」
「予定通り、来週より始められるよう準備は整っております。バースデーケーキというものの存在をいかに庶民に浸透させるかというところでしたが…元々ケーキ自体は喫茶店のおかげもあり、受け入れられていたため宣伝は順調。現在問い合わせも殺到しているところです」
宣伝の謳い文句は“特別な日を特別なケーキ”で、というもの。誕生日とか、結婚記念日とかね。予約を入れて貰い、幾つかのサンプルから形やクリームを選んで貰い更にデコレーションもオーダーができるというもの。
「それならば良かった。問い合わせ内容を私のところまで持って来てちょうだい」
「それは此方に」
渡された書類を、ざっと読む。
「……内容は、概ね予約方法といつから販売が開始されるかというところね。……これが稼働されれば、少しは製菓ラインの売上も上がるでしょう。それから、在庫の管理はどう?」
「お嬢様の指示の通り、前デザインのものや在庫として残っているものは少しずつ値引きをして売っております」
「そう。…理想は、在庫が出ないようにすることよ。これからも引き続き販売の数字を見て、生産数をギリギリまで落とし込んで。特にシーズン限定物は少なくすることで希少価値が出るぐらいが丁度良いわ」
「畏まりました」
「美容ラインは、相変わらず好調ね。この前のヘアパックは生産が追いついていない状況…か…」
「ええ。どの店舗も売り切れ状態でして……」
「美容品の生産を第一にして。それから、シリーズ展開はどう?」
「其方も、着々と進んでおります。現在蜂蜜シリーズと薔薇シリーズを販売中。次は百合とラベンダーですね」
このシリーズというのは、それぞれ美容液・シャンプー・リンスで例えば蜂蜜シリーズなら蜂蜜、薔薇シリーズなら薔薇が全てに使われているというもの。パッケージや容れ物にも拘っている。
「そう。肌の体質によって向いている物が違うことの宣伝と、肌に合わない場合はすぐに止めるようにという注意喚起を徹底させてね」
「畏まりました」
「後で、全店舗の報告書を私のところに持って来て。会計報告と定期報告両方よ。夜の間に見ておくわ」
心得たと言わんばかりにセイは一礼すると、部屋から出て行った。
……そういえば、 ベルン、静かだわね…と思って振り返ってみれば、予めターニャが口を布で縛っていた。けれども、それも必要なかったんじゃないかなとも思う。なんかずっと目を見開いて呆然としているし。
取ってあげて、という気持ちを込めてターニャを見れば、ターニャはすぐに察して…けれども嫌そうにその布を取った。
「そんな呆けた顔をして、どうしたの?」
「……お姉様が、商会の経営を?」
「私が発案して設立したから、ね」
その会話のすぐ後に、書斎の扉からノック音が聞こえた。
「……どうぞ」
入って来たのは、モネダだった。モネダもまた、ベルンの姿を見て一瞬眉を顰めたもののすぐにいない存在として無視し始める。
「幾つかご相談したいことがございます。ターニャに確認したら、この時間なら大丈夫と伺いまして…」
「大丈夫よ。それで、相談というのは?」
「現在のこの領での物価調査です。ご覧の通り僅かに物価が上がり続けている状態です」
「微々たるものね。徐々に貨幣価値が下がり、物価が上がっているというところでしょう」
「ええ。そこで、いつから金利を上げるかというものですが…」
「私はまだ不要かと。上昇しているといっても微々たるものだし、今はまだ、市井の物価を安定させることが第一。市井の消費が拡大し、商会も銀行からお金を借りて経営を拡大させている風潮。金利を上げてしまえば、折角勢い付いている商会の経営拡大に水を差しかねない」
「なるほど…良いことが聞けました」
「もう一度、会議を開いて話し合って。今のを説明した上でそれでも金利を上げたいというのなら、私も納得できるよう説明をお願いね」
「分かりました、ありがとうございます」
「……あの、姉様……」
「何でしょうか?」
「銀行というのは、最近我が領に設立された金融機関ですよね?そのトップの方が何故お姉様に……」
「聞けばなんでも答えが返ってくると?それぐらい、自分で調べればすぐに推測できるでしょうに…貴方のその立ち位置で知らなかったは許されない筈です。本当に、公爵家当主を継ぐつもりはあるのでしょうか」
モネダの物言いに、無礼者と怒鳴りつけるかと思えば、流石に正論だった故かベルンも反論しなかった。
「まあ、今回は特別に質問に答え差し上げましょう。銀行設立の発案者は、貴方のお姉様…アイリス様です。故に私が質問しに来るのも当然のことでしょう。…さて、アイリス様。早速私は今の内容を会議で報告しますが、宜しいでしょうか」
「勿論よ。報告を楽しみにしているわ」
モネダが去った後、入れ代わる様にセバスが入室してきた。
「お嬢様。領政について、今回の会議で纏まった内容を報告させていただきます」
「ええ、待っていたわ。まずは、財務の方の調整はどうなったのかしら?」
「関税を緩和した際の影響に対して、まずは話し合いが進みました。まず、我が領の産物に関して。現在、我が領の主な生産物は穀物・畜産・カカオや幾つかの果物類。カカオ・果物類は他の領では未だ我が領ほど生産ができていない状態ですし、穀物は高等部の研究成果により品種改良が進み現在豊富な備蓄を確保しています。もし仮に関税を緩和しても、極端に衰退するほどではないかと考えられます」
「……そう。逆にメリットは?」
「我が領では、鉄鋼の生産ラインが整っておりません。それらを安く輸入することができるというのは大きなメリットになるかと考えられます。また、現在お嬢様の指示通り海での貿易を活発化させています。中には我が国では生産されていない食品も数多く存在し、それらを国内中に売ることで我が領の商会の利益が上がるかと」
「……分かったわ。先に、所得税の草案についての会議の内容の報告書を私に提出しておいて。どのタイミングで導入していくかは、追って指示を出すから」
「畏まりました」
「それから、民部。戸籍の作成が終わったのであれば、今後は土地の調査をさせて。誰がどの土地を所有しているのか権利関係を明確化させたいの。それに関しても戸籍同様領の正当な資料として今後編纂させ残すものだから、キッチリとさせて」
「はい。現在既に民部の者たちにその知らせを各地の領民達にしております。正式な領の政策の為協力するように、と。実際に調査に移るのも、もう少しで開始させます」
「それは重畳。それから、各地の初等部の稼働率は?」
「随分と増えて来ました。なにせ、無償で通えるのですし。まだ開校になっていない地区もありますから、今後はそれが課題でしょう」
「そこの調整は工部とやって貰いましょう。教科書については?」
「幾つかレベルに分けています。現在、7〜12才の子供達に同一の授業を行っていますが、いずれ年齢ごとに分ける又は習得度によって分けるというので議論が交わされています」
「入学の年齢は、7歳で統一。通常はそのまま1年経てば上の学年に上がる。ただし、入学時及び年度末に試験を開催し、その成績で飛び級を認めるのはどうかしら?」
「早速提案して参ります」
「じゃあ、さっきの所得税の草案についてだけは書類を持ってきてちょうだい。……ああ、そうだ。お母様に、ベルンに仕事を見せてやりなさいと言われたのよね……財務に行くときに一緒に連れて行って、ちょっと各地から上がってくる税の収支報告について纏めるのをやらせておいてちょうだい」
ずっとさっきからギラギラと鋭い目で見られて疲れちゃったのよね。さっさとこの場から、退場いただきたい。それに一応学園では常に座学の成績1位を取っているのだから、計算ぐらいできるでしょう。
「……という訳だから、ベルン。早速行ってちょうだい。……学年1位の秀才ぶりを、遺憾無く発揮してちょうだい」
「……勿論です」
フラリと立ち上がると、そのまま生気のない目をしてセバスについて行った。
……はあ、やっと落ち着いた。
「……良かったのですか?」
ターニャがお茶を淹れながら、私に問いかける。
「何が?」
「あの男を、領政に関わらせてです」
「別に良いわよ。領政は情報統制するつもりないから。セバスも付いているし、変なことにはならない筈。流石に、アズータ商会の方はあまり見せられないけれどもね。それもあってセイは既に公に告知している内容しか議題に出さなかったのだろうし」
自分の弟ながら、私は彼を一切信用していない。だからこそ、商売であるアズータ商会には触れさせられない。…領政は、一部の軍事や機密に関して以外は“見える政治”をモットーに特に情報を秘匿しているわけではないからねえ。
「……それに、これからライルが来るわ。警備隊とはいえ、武力はとってもセンシティブな内容だから。あの弟がうっかり第二王子やその取り巻きにここで話し合っていたことを漏らされても困るから、いなくなって貰うには丁度良い口実だわ」
「そうですね」
コンコン…丁度そのタイミングでノック音が鳴り響く。
「どうぞ」
ご感想、ありがとうございます。
序盤の修正は、もう少し進んで落ち着いたらしていこうかと思います。
皆さんの感想がとても励みになります。質問や疑問もいただいていますが、これから徐々に出てくるのもあるかと思います。
今後ともよろしくお願い致します。