終結
鼻先に剣があるというのに、けれども、彼女は特段驚いた様子を見せなかった。
「……遅い」
代わりに、彼女は一言そう呟いた。
……勿論、それは眼前にいる敵に向けて言った言葉ではない。
「申し訳ありません」
彼女の目の前にいる敵大将に刃を向けている、ライルに対しての言葉だった。
彼の後ろ……彼女たちが突入してきた方角とは別方向には、彼が引き連れて来たアルメリア公爵領警備隊がいる。
「けれども、貴女が速すぎなんです。正直なところ、間に合うかヒヤヒヤしました」
「……でも、やり易かったでしょう?」
「まあ、そうですね。別方向から同時に二隊が突入すれば混乱は更に大きくなりますから。にしても、よく分かりましたね。私が向こうから来る予定だったのを」
「配置を見て、ね。私たちが来る方に比べて、貴方たちが突入した方角は配置されていた人員が少なかったから」
メルリスは彼らの動きを予測し、それを支援すべく動いていた。
彼らの突入のタイミングに合わせ、彼らとは別方向からの突入……それによって、敵方の混乱を深めようとしていたのが狙いだった。
「まあ、貴方たちなら来ると思ってたわ。……来なければ来ないで、私が首を取ろうとも思っていたけれども」
あくまで、主導権はディダとライルが率いるアルメリア公爵領警備隊に。
領地で起こったことは極力自領の面々で解決する……それが望ましいと、メルは考えていて、俺にその心の内を開戦前に明かしていた。
……とはいえ、もし仮にライルの到着が遅くなっていたら、容赦無く自分で片をつけるつもりでもあった。
それは功名心からではなく、早期解決が最も優先されるべきことだと思ってのこと。
敵に増援が来てしまえば、戦力差が更に広がることになる。
それでは、幾ら彼女やアンダーソン侯爵家護衛兵たちの個の力が他を圧倒していたとしても、覆すのが難しくなる……そう、考えてのことだろう。
「……とりあえず、質問をさせてもらおうか」
スッと、鋭い視線をライルが敵の大将と思わしき人物に向ける。
それだけで、男は「ヒィッ……」と叫んでいた。
「お前は、どこの誰だ?」
男は、右に左にと視線を彷徨わせる。
けれども、彼を助けようと動く者はいない。
何故なら、その気骨のある者は既にメルリスまたはライルによって斬り捨てられているからだ。
残りの面々は、気まずそうに視線を彷徨わせ、頑なに視線を合わせようとしない。
そもそもライルが人質とでもいわんばかりに剣を向けている時点で、どうしようもないのだが。
ライルは手に持つ剣を、更に敵の首に近づけた。
ツウ……と、敵の首から紅が一筋落ちる。
『貴殿は、どこの誰かと聞いている。嘘偽りなく答えろ』
隣から、メルが異なる言語で問いかけた。
その言葉に、男が食いつく。
『そ、そなた……アカシア語が分かるのか!』
『多少は。それで、何者だ?』
『わ、我こそはアカシア国第一王子、ジャラール・ベント・アカシアぞ!』
「「え……この男が、第一王子?」」
メルの呟きと、それから通訳を介して会話を聞いていたライルのそれが、奇しくもピッタリと揃った。
二人は隠すことなく当惑した表情を浮かべている。
「嘘ではないでしょうか。普通、第一王子ならそれなりの護衛がつくでしょうし。間違っても、王子一人を来させやしないはず」
「そもそも、第一王子が他国への侵略の尖兵だなんて……聞いたことがないわ」
……それを言うなら、公爵夫人が先陣切って戦場を走り回ることも聞いたことがないが……と俺は一瞬そんなことを思った。
ライルも同じことを考えていたのか、内心苦笑いを浮かべていた。
『お前たち……私に傷でもつけたらどうなるか、分かっているのであろうな?』
言っていて気が大きくなったのか、第一王子と自ら名乗った男は先ほどの悲鳴から一転、不敵笑みを浮かべ始めた。
『……何故、この地を攻めた?』
『陛下がトワイル国と共謀したのだ。戦後、アルメリア公爵領及びその周辺の地をアカシア王国に、それ以外をトワイル国にと。我はその協力の証として、戦に先駆けたのだ』
ライルは、やはりそうだったか……と呟き、顔を歪める。
『あ、そう』
けれどもライルの横にいるメルは、あっさりとそう呟いた。
聞きたいことを聞けたと、もう用済みだと言わんばかりの反応。
「ライル。真偽はともかくこの男が王族の一員であることは間違いないわ。とりあえず首を狩ることは待って、連れて行きましょう。今後あの子が交渉するのには使えるかもしれないわ」
そう彼女が言った後、彼の反応は早かった。
彼は手に持つ剣を振るい、男の足の健を切った。
それと同時に、その場に獣のような叫び声が響き渡る。
「……まさか、これだけのことを仕出かして無傷で返されると思っていたのか? 少しは、人の痛みを知るべきだ」
男の様を見て、ライルがボソリと呟いた。
その言葉に、彼女は楽しげに笑う。
涙を流し、痛みに喘ぐ男を見下ろしながら彼女は口を開く。
『ですって。安心してちょうだい、殺しはしないわ。その高貴な身の上に感謝することね。せいぜい、この地の役に立ちなさい』
ライルは彼の口元に布を押し込み、縛る。そして、彼を担いだ。
「まあ、自分から死ぬような気概がこいつにはないでしょうけど」
「確かに。でも、良いんじゃない?煩かったし」
何でもないことのように、彼女は言葉を返す。
「ですが、何故……彼が本当に王族だと?」
「彼の右中指の指輪。かの国の王族は一人一人シンボルが与えられ、その文様が彫られたものを身につけるのよ。その文様は、見覚えがあるわ。まさか、戦場でも身につけているとはね」
メルの言う通り、男の中指には金色の指輪が嵌められていた。
中央には宝石が嵌め込まれているのではなく、代わりに雄牛の文様が彫られている。
「へえ、なるほど。……それで、メル様。帰りはこちらがいただいても?」
「ええ、もちろん。こちらは支援に徹するわ。……私も、まだ暴れ足りないし」
ボソリと呟かれた最後の言葉に、ライルは苦笑いを浮かべる。
けれどもすぐに表情を戻すと、口を開いた。
「これより、この場の者たちを掃討する! 頭を刈り取れば、敵は烏合の衆だ!」
そして第一王子という頭を抑えられた彼らは、混乱の最中更なる打撃を受ける。
ライル率いるアルメリア公爵領警備隊が、着実に敵を次々と切り捨てる。
危なげなく、かつ無駄なく。
……幼い頃にはアンダーソン侯爵家の訓練に来ていたため、俺は彼の幼少期を知っているが……まあ、大きくなったものだ。
その戦いぶりや采配ぶりは、アンダーソン侯爵家護衛兵を束ねる俺ですら感心するもの。
そしてその後ろで、メルが俺たちに指示を出しつつ掃討戦を開始した。
敵戦線をこじ開けた時が本気でなかったのかと、驚くほどの戦いぶり。
俺ですら、彼女の上限が見えないと驚いたのだ……アルメリア公爵家の警備隊の驚き様は凄まじいものだった。
血飛沫の中を舞、ただただ相手を『壊す』ことに特化したモノのように。
それに遅れを取らぬようにと、俺たちは焚きつけられる。
そうして戦い続け、気がつけばあっという間に、その場にいた者たちの大半が抵抗らしい抵抗もできないままに、あっという間に地に伏していた。
勿論、先に彼らが頭を潰していたからというのもあったが。
それと同時に、守りに徹していたディダも戦線に参加。
……そうして、アルメリア公爵領で起こった戦いは幕を閉じたのだった。