修羅
本日八話目の投稿です
「なるほど、ね。ライルとディダはこう陣を展開したのか……。報告ありがとう、シュレー」
俺からの報告に、メルはニヤリと笑う。
昔からの付き合いがある俺は、この時点で寒気がして姿勢を正した。
「恐らく、明日にでも攻勢に入るつもりなのでしょう。……だからこそ、私たちも、出る」
彼女の言葉に、その場にいた面々からごくりと生唾を飲み込む音がした。
「具体的に、どのように動こうと?」
「まず、私たちは頭を狙う」
そう言った彼女は、笑みを浮かべていた。
彼女の言葉の意味を理解した聞き手側は、けれどもあまりにも軽い口調で、難しいことなど何もないと言わんばかりのその様子に一瞬固まる。
気持ちは分かるぞ、と内心彼らに俺は呟いた。
「……頭、ですか」
その場にいた一人が、思わず確認するように問いかけた。
その問いに、彼女の笑みが深まる。
ここで彼女のその笑みの恐ろしさを知ったらしい皆は、ゾワリと寒気を感じ取ったのか全員漏れなく姿勢を正していた。
美しい顔に浮かぶのは、妖艶な笑み。
けれども、決してその美しさに見惚れる者はいない。
むしろ、開けてはならないパンドラの箱を開けたかのような……深淵を覗き込んでしまったかのような、そんな錯覚すらする。
「そう、敵の大将首。相手は遠い地より来た者たち……頭が消えれば、途端に混乱するでしょう。混乱さえ作れば、ライルとディダも攻め易くなると思わない?」
「……なるほど」
やっとのことで、この場にいた誰よりも彼女を知っている俺が口を開いた。
「ですが、具体的にはどのように?」
「生憎、港に通じる全ての道にアルメリア公爵家側の陣がある。だからまず、この隊を四つに分け、小隊単位で素早くその陣を抜ける。そしてや双方の隊が動き出す前に、突撃する。ここに来る時までのように、各隊全速力でアルメリア公爵側の陣を駆け抜けなさい。そして抜けた後は、すばやく私の元に集まりなさい。その後は、私の後に続くように。……道は、私がこじ開けるわ」
「はっ!」
武者震いをしつつ、俺たちは鋭い声色で返事をしてした。
「貴方と貴方の隊がここ、それで貴方たちの隊はここから……」
次々と、迷いなく彼女は地図を指しつつ指示を出す。
淡々と簡潔に話す内容に、彼らは頷いた。
「……何か、質問は? 無ければ以上、散会」
メルが号令をかけると、各々、その言葉通りに動く。
「……貴方は?シュレー」
「一つ、パークス様より言伝がございまして」
俺の言葉に、メルは首を傾げた。
「隊長……貴女様には、本来の立場というものがあります。だからこそ、作戦開始の前にこれを渡すようにと」
俺が差し出したのは、目元を隠すことができるマスクだった。
黒地のそれは、顔にフィットするような形状になっていて、動いても外れ難そうだ。
「……あの人は、相変わらず色んなことを考えているわね」
彼女はそれを受け取って、付け心地を確認するように付けたり外したりしていた。
……マスクで阻害されると思いきや、全く視界は付ける前と変わらないようだ。
「にしても、どうして直接渡さなかったのかしら?」
「アンダーソン侯爵家に到着して、すぐに出発だったじゃないですか。渡す間も無くさっさと出発しそうだって、パークス様は事前に俺に渡しておいたんですよ」
「……なるほど」
彼女はそう言いつつ、苦笑いを浮かべる。
確かに……今よくよく考えてみれば、アンダーソン侯爵家を離れる前は、正直それどころではなかっただろう。
一刻も早く、アルメリア公爵領へ。
そのために、率いる隊の掌握を早くしなければならない。
……パークス様と話をしている間中、そんなことを考えて焦っていたのではないだろうか。
メルだって、人の子だ……いくら強かろうが、娘のことを思えばそうだったはずだ。
恐らく、この話題を出されても、ろくに聞かずに飛び出していただろう。
「ありがとう。しっかり、受け取ったわ」
「恐れ入ります。……では、これにて失礼致します」
彼女の前から去ろうと歩き出す。
けれども途中、ふと、俺は後ろを振り返った。
彼女は、変わらずそこに佇んでいる。
やがて、腰元に刺してあった剣を手に取っていた。
そし彼女はその刀身を、額に寄せた。
彼女が戦いに出る前にする、おまじないのようなそれ。
かつて共に戦に出た時も、彼女はそれをしていた。
だから、だろう。
今の彼女に、かつての彼女が重なって俺は見えた。
……修羅の如き戦をする、かつての彼女を。
次に開いたとき、彼女の瞳に写っていたのは決意の色。そして、覚悟のそれ。
その瞳を彼女は海の方へ向け……暫く睨むようにそれを見つめていた。
まさしく、かつての彼女の眼そのものだった。
明日は、どれだけ魅せられることやら……そう思いつつ、俺は宿舎に帰った。
ピリピリとした程よい緊張感が漂うまま夜を過ごし……そして、その翌日。
朝日が昇る前に、彼女と彼女の後ろに控える俺たちは馬に騎乗していた。
勿論、彼女の顔には昨日渡したマスクが付いている。
「……時は来た。さあ、いざ……勝鬨を上げに行くぞ!」
彼女はそう叫ぶや否や、前へ前へと突進する。
その後に、俺たちが続いた。
「うわっ!」
「い、一体何なんだ?」
途中、アルメリア公爵領の兵たちが、突然現れた俺らを驚いたように見て……訳が分からないまま、けれども身の安全のために道を開ける。
アルメリア公爵領の陣を抜けたすぐ後、彼女は抜刀した。
そして、近くにいた敵兵を、迷いなく一刀のもとに次々と斬り捨てては猛然と駆け抜ける。
敵兵たちは、突然の出来事に反応することもままならない。
その隙を付いて、彼女は容赦なく攻め立てて防衛線を突破すると、どんどん奥へと進む。
混乱の最中、けれども徐々に事態を敵も把握し始める。
「取り囲め!」
「これ以上、進入を許すな!」
そして彼女を取り囲んで殺そうとする者たちを、けれども後に続く兵士たちが斬り倒していった。
俺は敵兵たちを斬り殺しつつも、彼女の戦いざまに魅せられ、つい陶然とする。
彼女のいる場は、まるでそこだけが別世界のようだった。
同じ空間だというのに、違う時が進む場所。
現に、彼女は立ち向かってくる敵兵を次々と鮮やかに斬り倒しているというのに……その速さは、ただただアルメリア公爵領へと向けて駆けていたときと変わらず速い。
まるで敵の存在が障害にもなっていないとでもいうかのように。
圧倒的な戦力差を物ともせず、個の力で覆してしまっているその光景には、最早笑いが込み上げてくる。
まるで、御伽噺の英雄譚を実際に眺めているような心地すらした。
血飛沫が、舞う。
生臭いその紅い光景が、けれども彼女を彩るためのモノにすら思えた。
壮絶で、だからこそ美しい。
彼女のその姿に、後ろで走る者たちは呑まれ……そして鼓舞されていた。
血が、沸き立つのだ。自分ではどうしようもないほどに。
磨いた牙を尖らせ、喉元を噛みちぎれと本能が叫ぶ。
彼女に、遅れをとるな……と。
『……ただ、すぐに吹っ飛ぶと思います。貴女の戦いを、間近で見れば』
まさしく、彼女に言った通りの状況になった。
既に、ここにいる隊員に古参も新参も関係ない。
ただただ彼らは一様に、彼女の戦いざまに息を呑み、焦がれ、そして彼女の後ろにあることが誇りに思えていたのだ。
徐々に走るごとに、負傷者が増えていく。
けれども、足を止める者はいない。
まるでこの状況に酔っているかのように、痛みを忘れ、彼らはただただ彼女の後をついて行った。
「進め! 隊長に遅れるな!隊員は固まり、互いに守りあえ!」
途中、俺が叫ぶ。
その号令に、『おおっ!』と野太い叫び声があちらこちらから聞こえてきた。
彼女と彼女の後ろを付き随う俺たちのその気迫に、敵兵たちすら呑み込まれる。
足を動かそうにも、まるでその場に縫い付けられたように動けないようだった。
まるで、修羅に率いられた鬼の軍団だ……と敵兵の一人がこぼしたのが耳に入る。
それだけ今の俺たちの存在はその場にあって強烈で、尚且つ恐ろしいのだろう。
……そうして彼女たちが駆け抜けた先には、ポッカリと開けた空間があった。
そこには、この状況にそぐわない豪奢な絨毯がひかれ、その上にこれまた豪奢な造りの椅子が置かれていた。
……そこが、身分の高い者のための場だということが一目で分かる。
血に塗れた姿で現れた彼女を見て、その場にいた面々から悲鳴があがった。
彼女はその反応に、けれども眉一つ動かさない。
淡々と真ん中へと進み、途中立ち塞がる者を容赦なく斬り捨て、中央の豪奢に座る男の前に立った。
でっぷりと脂肪が付いたその男は、動く様子を見せない。
否、動けないようだった。
……死神の如く、腕を振るえば死を振りまく彼女の恐ろしさに。
次の瞬間、メルと彼の間に剣が飛び出す。
けれども、彼女は特段驚いた様子を見せなかった。




