出陣
「……奥様、こちらで宜しいでしょうか」
古くからアルメリア公爵家に仕える侍女頭のエルルが、問いかけながら私に衣服を差し出す。
それは、『公爵夫人』としては到底切ることのない簡素で男物のような作りの服だ。
「ええ、結構」
小物を取り外し、ドレスを脱ぐ。
代わりに、エルルが差し出した服を着た。
そして髪を無造作に下で一つに括りつけ、外套を羽織る。
最後に、あの隠し部屋から取ってきた剣を帯剣した。
「……行くのか」
その姿で部屋に入って来た私を見て、旦那様が問いかける。
「ええ」
私も旦那様も、口を開かない。
沈黙が、部屋を支配している。
口を開かない代わりに、私もそして旦那様も互いに見つめ合っていた。
……眼は口ほどに物を言うとはよく言ったものだ。
私には旦那様の言いたくて……けれども決して口にしない言葉が手に取るように伝わってくる。
行かせたくない、けれども決して止めることはできない。
旦那様の眼は、そう言っているようだった。
きっと、旦那様もまた同じだろう。
……離れたく、ないと。
私がいない間に旦那様に何かがあれば、悔やんでも悔やみきれない。
けれども、私は行かなければならない。
私たちの大切なものを守るために。
その葛藤を、旦那様は私が口にせずとも、眼を見て感じ取っていることだろう。
私は私の思いを飲み込むように笑みを浮かべて、口を開いた。
「……恐れないで。私、必ず生きて旦那様のもとに帰って来ますわ。……私が帰って来る場所は、旦那様のもとしかないもの」
まるで自分に言い聞かせるようなその言葉に、旦那様もまた笑った。
「ああ。俺は、お前を信じている。……共に駆けることは叶わないが、俺の心はお前と共にある。お前が背負わねばならぬものは共に背負い、お前の動きを阻むもの全てからお前を守ってみせる……かつてのその誓いは、変わることなどない。存分に、駆けて来い」
「ええ……ええ。行って来ますわ、旦那様」
そうして、私はアンダーソン侯爵家に向かう。
挨拶もそこそこに、すぐに兄であるパークスの前に通された。
「……状況は、アイリスより聞いている」
お兄様が、殊更重々しい口調で話題を切り出す。
「ええ。お兄様、申し訳ないけれども……」
「……お前の娘は、本当に用意周到だな。ウチの兵がアルメリア公爵家に赴く大義名分を作り出し、挙句、既に第一王子には通達済みときた」
お兄様は私の言葉を遮り、苦笑いを浮かべつつそう言った。
「既に、兵は招集してある。だが、多くは出せんぞ」
「それは仕方ないことだわ。……人員は?」
「現役の兵が百名。かつて、お前と共に戦場を駆け抜けた奴らが中心だ」
「なら、大丈夫よ」
お兄様の言葉に、内心安堵する。
それほどの人員を出してもらえるとは、正直考えていなかったからだ。
「だが、私は招集をかけただけで何の命令も出していない。彼らが付き従うかどうかは、お前次第だ」
暗に、『お前は彼らを従わせることができるのか』と……お兄様は問いかけているようだった。
「それで、良いわ。……領主の命令であれば確実に聞くでしょうけれども、あくまで率いるのは私。頭である私が従わすことができなければ、戦場で烏合の衆になりかねない……それを、危惧してのことでしょう?」
けれども、そんなことは予想済み。
というよりも、当たり前のことだと思っていた。
「……相変わらず、戦いのこととなると勘が働くな」
「失礼ね。昔はそうだったけれども……今では公爵夫人として人並みには社交界の中で泳ぐことができているのよ?」
「あそこも、お前にとっては戦場なのだろう?」
「……確かに」
肯定しつつ、私は笑った。
「まあ、良いわ。本当にありがとう、お兄様」
「武運を祈る」
「ええ」
私は上機嫌で書斎を出ると、アンダーソン侯爵家護衛兵が集められた闘技場に向かった。




