姉弟
本日四話目の投稿です
「失礼します、殿下。確認したいことがございまして……。レティシア様?」
室内で漂う雰囲気を感じ取って、一瞬ベルンは身を固まらせる。
「……何やら、お取り込み中のご様子。改めましょうか」
「いいえ、ベルン。そこにいてちょうだい」
退出しようとした彼を止めたのは、レティシアだった。
「ですが……」
「貴方にも、聞いていて欲しいの」
彼女の真剣な声色に、ベルンは困ったような表情を浮かべる。
そんな二人のやりとりを、俺は思案しつつ、観察するように目を細めて眺めていた。
「……そういえば、ベルンは私が紹介する前にレティと会ったことがあると言っていたな?」
「ええ。王太后様への報告を、父の代わりにさせていただきに離宮に参ったときに。あの時は王女殿下とは知らず、失礼致しました」
「無礼なことなど何もなかったと、お伝えしたはずですが?」
レティは苦笑しつつ、ベルンに向かってそう言った。
「……ねえ、ベルン。貴方、アイリス様が公爵領領主代行の地位にいることについて、どう思うかしら?」
次いで出てきた問いに、彼は益々困惑したような表情を浮かべる。
因みに、ベルンは俺がかつてアルメリア公爵領でアイリスの片腕として働いていたことを知らない。
奇跡的に、俺がアルメリア公爵領にいた時にベルンはいなかったからだ。
彼が今困惑しているのは、純粋に、何故今この場でその問いかけがあったのかが理解できないからだろう。
「国政に携わる者としては……彼女が他国へ嫁ぐことは、我が国の損失だと考えています」
「……ほう?」
「身内贔屓のように聞こえるかもしれませんが、姉は優秀です。特に、人を纏め上げ従える力については。……本人は、無自覚でしょうが」
そう言ったベルンは、苦笑いを浮かべていた。
「殿下の下で国政に携わるようになって、よりそう感じるようになりました。私は……例えば国法や国政に関わる各種判例等、幾つかの分野では姉よりも知識を保有していると自負しています」
「……お前の熱心さは、他の者より聞いている。業務時間外も国立図書館や専門家の教えを請いに赴いていると、な。あまりにも鬼気迫る様子で、お前を見かけた者が声がかけられなかったとも言っていたぞ」
実際、ベルンは変わった。
一体いつ眠っているのだろうかという勢いで知識を身につけ、実務にそれを反映させている。
その姿は、アイリスの姿を思い出させる程だった。
最初はベルンを侮っていた奴らも、今ではその名を聞いて震え上がるほど。
「……恐縮です。ですが、それでも姉には届かないのです」
俺の同意に、けれどもベルンは喜色を示すことはなく真剣な表情のままだった。
「実務は知識に基づいて、行われるもの。ある程度知識がなければ、実務はままならない。けれども逆に知識があったとしても、それを有効に使えるかはまた別の話です」
知識は道具の一つだ。
道具を活用することは求められたとしても、その道具自体になる必要はない。
「姉は、自ら見たものや聞いたものを活用する術を理解しているのです。そして、その上で新たなものを創り上げる発想力も凄い」
ベルンの言葉に、内心俺は同意していた。
何せ……弟であるベルンよりも、時を共にしていたのだ。
彼女のその能力は、あるいはベルンよりも俺の方が身近で見てきていたはず。
「何より、姉の周りには有能な人材が集まっています。いつも姉は『人材は宝だ』と言って最大限の支援を行い、環境を整えていますが……そんな彼女だからこそなのでしょう。そして自らに足りないものがあれば、彼らに補わせています。私がどんなに学ぼうとも、所詮一人で学ぶことができる量など、たかが知れています。あらゆる分野のものを一から十まで全て学ぶには時間が圧倒的に足りませんから。ですが、姉の下には一つのものを十知る方たちが、どんどん集まっていて、それが切磋琢磨され続けているのです。……回りくどくなってしまいましたが、私は、知識よりも実務の勘所を見極める力と、有能な人材を引き寄せる魅力が最も重要だと思っています。そしてそれを、彼女は全て満たしているとも。……尤も姉は特定の分野については、随一の知識を保有していると思いますので、その点においても国としては手放すのはいかがかと」
「なるほど、な。ならば、ベルン。お前は彼女の結婚について反対なのか?」
「一概には言えません。……ですが、残って貰いたい。そのためなら、私はアルメリア公爵家の相続権を永久に放棄します」
「……何?」
「彼女の働きがあったからこそ、今のアルメリア公爵領があるのです。領主として相応しいのは、姉です。……きっと、私だけでなく民も同じことを思っているでしょう」
「……配慮にかけた問いですが、あえて聞きます。あなたはそれで、宜しいのですか? 悔しくないのですか?」
レティ自身が言っていた通り、彼女の言葉はベルンに対して侮辱的なそれであった。
この国では、長子相続が基本。
更に言えば、男の長子が家督を継ぐということが常識だ。
女性が家督につくということは殆どなく、例えば男子が生まれず女子のみであった場合や、その男子が次世代を残さず早逝した場合に、次世代の男子が大きくなるまでの繋ぎとして家督を預かるという形のみだ。
男子が健やかに過ごしているというのに、女子が継ぐということはまずない。
それでも女子の方が継ぐのだとしたら、どれほど遠縁まで見渡しても親類いに男子がいなく、かつ、よほどその次期後継者に何らかの問題があったということに他ならないのだ。
仮にベルンが家督を放棄し、アイリスにそれがいったとしたら……ベルンは、口がさない周りの者から『何かしら問題のあった者』だと見做されてしまう。
真実そうでなかったとしても、人々は常識という枷に縛られて決めつけてしまう。
レティの先ほどの問いかけは、暗にそれを示していたのだった。
「ええ、全く。周りの言葉が一体何だと言うのでしょうか。それで民たちに利があるというのであれば、躊躇う必要はない。以上が私の考えでございます」
けれども、ベルンは穏やかな笑みを浮かべてそう言った。




