勃発 弐
本日二話目の投稿です
思い出すのは、かつて食糧難から住んでいた領地を捨てアルメリア公爵領に助けを求めて来た民たちの声。
検問所を視察したときに聞いた彼らの叫びが、今尚私の頭にこびりついている。
そしてそれが引き金となって、私の耳には現実には聞こえない東部の民たちの助けを求める声が聞こえてきた気がした。
……臆するな、と私が私を叱咤する。
今この時も、助けを求める民たちがいるのだ。
民の声に耳を塞ぎ、考えることを止めたとき、その犠牲となるのは民たちなのだから。
「……ライル。北部及び南部にいる警備隊を最低限残し、その他は全て集結させて東部に派遣する手はずを! そのまま指揮権をディダに移行。ディダには暴徒を殲滅して貰うわ。ターニャは、ディダにこの指示を早急に伝えるように」
二人は、無言で私の言葉に頷いた。
私はそれを見てから、そっと息を吐いて呼吸を整える。
「領主の最大の責務は、領民の命を守ること。……領民が危機に陥っているのであれば、どんな手を使ってでもそれを阻止しなければならない」
尚も僅かに震えが残る身体に言い聞かせるように、私は言葉を紡いだ。
私の言葉に、動き始めていた三人は一瞬動きを止める。
「これを邪魔する者がいるのであれば徹底的に排除することを、私の全責任を以って許可するわ。非力なこの身は、貴方たちの先頭に立って戦場を駆けることは叶わないけれども……それでも、私の心は貴方たちと常に共にある。そして領主代行として全ての責を背負い、そのあるべき姿を見せてみせましょう」
ピンと、三人は背筋を伸ばした。
「「「畏まりました、お嬢様」」」
そして三人は異口同音で言葉を発すると、すぐに動き始める。
「それから、セバス。各部より二、三人ずつ寄越しなさい。至急の対策チームを設けるわ。今後東部に関わる件については全て、私のところに持ってくるように」
「は、はい!」
セバスは、その後すぐさま動いてくれたようだ。
僅かな時で人員を調整し、私の下にはすぐさま今回の件のための選抜チームが並んでいた。
「……お嬢様、各地の警備隊に伝達完了致しました。これより、東部への移動を開始致します」
「結構。そのまま進めてちょうだい。伝達を受け持つターニャの部下たちとの連携を忘れないように」
「はい」
「セバス。医療ギルドに確認を取り、すぐに医者の手配を。それから、商業ギルドには協力要請を。『大事な港を潰したくなかったら、手伝いなさい』とでも伝えといて」
「か、畏まりました」
「それから、兵站の手配と被害に遭った民への援助は?」
「既に動かし、いつでも出発できるようになっています。……先日の会議で切り詰めるだけ切り詰めたので、確保ができました」
「それは朗報ね。運送の責任者はライルと調整をして。早々に警備隊と合流させ、輸送も警備できるように」
「畏まりました」
屋敷の一角で、何人もの人がバタバタと忙しなく動き回っている。
「た、大変です!」
外から一人、領官が叫びながら入って来た。
今度は一体何だ……と、訝しみつつ続きの言葉を無言で促す。
「東部の港に、突如正体不明の船が押し入り……そのまま武装集団が港を占拠し始めました」
「……どういうことかしら?」
シン……と先ほどまで騒がしかった室内が、静まり返る。
その場に思ったよりも低い私の声が、酷く響いた。
「東部の街が攻められるのは、時間の問題かと……」
続けられた言葉に、誰も彼もが顔を青ざめさせた。
「背後にいるモノは同じかもしれませんね。東部が混乱状態にあるときに狙って襲ってきたのでしょう……今、かの地では指示を出す頭も、その地を守る腕も機能が停止していますから」
ライルの言葉に、私は頷く。
「念のため、ターニャ。部下を一人派遣、その武装集団の、特徴の詳細の報告をするように」
「畏まりした」
……彼の良い返事に、私は一瞬息を吐いた。
常時であれば、不審船を見つけた時点でその対処を行っていた筈だ。
けれども今はその指示を出すべき役場も、それを実行し民を守るため活動する警備隊も全く機能できていない状態だ。
それ故に、簡単にそれを許してしまったのだろう。
「トワイル国とアカシア王国は裏で手を組んでのかもしれないわね」
私の憶測に、更に全員が顔を青ざめさせた。
……私だって、そうだ。
まさかアカシア王国が、アルメリア公爵領を襲って来るだなんて想像もしてなかった。
未だ確たる証拠はないが……それが正解であれば、最悪以外の何物でもない。
何せ、アカシア王国は大国。
今港を占拠している二船だとて、単なる先鋒隊でしかない可能性が出てくる。
「……い、いかがいたしましょうか……お嬢様」
この場にいる全ての者たちが、伺うように私を見る。
覚悟はしていたけれども……本当に、重い。
人の生き死にがかかっている裁決を下すというのは、想像以上だ。
けれどもそんな感傷はすぐに彼方にやって、私は考えに没頭する。
正直、考える時間が欲しい。
……けれども、そんな悠長なことを言っていれば東部が危ない。
背後の確認を取りたいけれども、アカシア王国に探りを入れさせてそ報告を待つ時間が惜しい。
勿論、それもさせるけれども。
「……ライル」
「はい」
「貴方自身が隊を引き連れ、ディダと合流なさい」
「ですが……」
ライルにしては珍しく、困惑した感情を露わに顔に浮かべていた。
「一人の戦力も惜しい。それに貴方が率いた方が、隊も本来の力を発揮するでしょう」
「では……貴女様の守りはどうするのですか?」
「私が飛び出さなければ残った警備でも十分守りきれるでしょう。いざとなれば、ターニャもいるわ」
ターニャの名に、ライルは一応納得したようだった。
けれどもその瞳には未だ迷いがある。
「……ライル。貴方は以前私に言ってくれたわね? 『私の想いごと守ってみせる』と」
そう告げれば、彼はハッと顔を上げた。
「申し訳ございません。危うく、私はあの日の誓いを違うところでした。……ターニャ、お嬢様を頼むぞ」
彼の言葉に、ターニャは力強く頷いた。
「……時間が惜しい。すぐにでも支度をして出発を致しますので、これで失礼致します。何か追加の指示は?」
「いいえ。現場での権限は全て貴方に移譲するわ。付随する責は全て私が追うから、貴方は安心して動きたいように動きなさい」
「畏まりました。貴女様の信頼にあった動きをしましょう。では、これにて失礼致します」
そう言って一礼をすると、彼は颯爽とこの場から去って行った。
私は彼の背を見送りつつ、武運を祈る。
「お、お嬢様……。ライルさん、大丈夫でしょうかぁ」
レーメが涙目でそう問いかけてきた。
彼女も、彼とは幼い頃からの付き合いだ……かなり心配しているのだろう。
「大丈夫であるように、私たちは私たちにできることを最大限するのよ」
「ですが……」
「レーメ」
それ以上の問答は不要だとばかりに名を呼んだけれども、彼女は引かない。
「……な、ならば私も彼と共に行かせてください!」
彼女の提案に、私は一瞬唖然とする。
「私ならば、アカシア国語が分かります。それに、あの国の情報もそれなりに書物で蓄えておりますぅ。現れた武装集団との交渉ができれば、きっとお役に立つと思うのです」
「……とても魅力的な提案だけど、レーメ。それは却下だわ」
彼女の提案を、けれども迷うことなく私は却下した。
「ど、どうしててますかぁ……」
ポロポロと、彼女は涙を滲ませる。
「貴女、自分の身も守れないでしょう? そんな貴女が行っても、彼らの足手まといになるだけよ。……分かってちょうだい、レーメ」
あえて厳しい口調で、突き放すように言った。
「申し訳ござきません……」
暫く見つめ合うようにして無言の攻防をしていたけれども、やがてレーメの方が折れた。
「ごめんなさいね、レーメ」
私だとて、できることなら直接赴きたい。
行って、その場でリアルタイムで状況を把握して指示を出したい。
……それができない我が身が、口惜しい。
けれども私には、私にしかできないことが……すべきことがあるのだ。
「……すぐに、国軍への支援要請を出すわ」
「か、畏まりました」
「それから、アカシア王国への親書を」
「で、ですがお嬢様。未だアカシア王国の関与は確定ではありませんが……」
「勿論、今はまだ直接的には伺わないわ。ただ、匂わせるだけよ。……別におかしいことではないでしょう? 私が彼と手紙を交わすのは」
とはいえ親書を書くときには、感情が爆発しないよう注意をしなければ……と、心に刻む。
今のこの心境のまま書けば、相手を詰る言葉だらけになってしまうだろう。
「それは、そうですが……」
「それと、ターニャ。無茶な願いだけど……貴女の部下はアカシア国で情報を探ることはできるかしら?」
「あの、実は……」
私の問いかけに、ターニャが少しだけ言い淀む。
やはり、唐突で無茶な願いだったか……と苦い思いが心に広がったその瞬間。
「既にアカシア王国に部下を配置し、情報を探らせています」
まさかの回答に、私は一瞬反応が遅れた。
「……随分と、準備が良いわね?」
「独断ですが……お嬢様のことがございましたので。婚姻の話が出た時に、既にアカシア王、国に幾人か送り込みました。今現在、情報がこちらに回ってくるのを待っているところです」
あの婚約の話が、こう転ぶとは。
……それにしても、ターニャの判断は素晴らしい。
「情報が入ったら、すぐにでも私に報告を」
「勿論です」
「……お嬢様。国軍への支援要請は良いですが、果たしてこの戦局で、こちらに派遣する人員を確保できるのでしょうか」
セバスの問いは、私も危惧していることだった。……とはいえ、出さない手はない。
このままでは、戦力的に圧倒的に不利なのだから。
ただし、それを頼みの綱にしてはならない。
溺れるときに藁を掴んでも、溺れるしかないのだから。
……考えろ。考えろ。
私は、頭を必死で動かす。様々な……案とはいえないような案が、思い浮かんでは消えた。
焦りのせいか、全く頭が回らない。
『どうしよう……』『どうする……』と堂々巡りする様は、思考の迷路に迷い込んだかのようだった。
一瞬、目を瞑りつつ息をゆっくりと吐き、頭の中を空っぽにした。
そうしてから、再び意識を思考の波に委ねる。
今度は迷わないよう、溺れないようにしっかりと問題点や目的を整理しつつ。
『アルメリア公爵領はトワイル国より遠く離れた地ですけれども……戦時には何が起こるか分からないもの。仮に争いの火が飛び火するようなことがあれば、必ず母を呼ぶのですよ』
ふと、お母様の言葉が私の頭の中を過った。
それだ……!と、私は頭の中で浮かんだ案を口にする。
「……お母様を通して、アンダーソン侯爵家に支援を願うわ」
アンダーソン侯爵家の護衛兵たちは、お祖父様に鍛え抜かれた屈強の兵。
全員の練成度合いは、国内屈指だと聞いている。
「ですが、お嬢様。この国では勝手に他領への兵の派遣は禁止されております」
すぐに法部の領官から待ったがかかった。
「お母様を通して、と言ったでしょう? お母様が危ない状況にあるこの領地に帰るのに、多くの護衛を引き連れて来るのは仕方のないことだもの」
それでもかなり黒に近いグレーゾーンだが。
「第一王子には、私から報告しておくわ。事後承諾であれやこれや言われるなら、私が責任を取ります」
ディーンなら何も言わないと思う。
……けれども、もし仮にその周りの者がとやかく言ったのならば、私が責任を取れば良い。
私の身一つで領民が助かるなら、私にとっては最善ではなくとも最良だ。
「私はすぐに諸々の手紙をしたためるわ。その間、皆、逐次情報を集め対処するように!領民を守ること、これは何に置いても優先されるわ」
「はい、畏まりました」
皆に喝を入れたところで、私は宣言通り書斎に戻り手紙をしたためる。
お母様とアンダーソン侯爵家当主である伯父様に、事のあらましと支援の要請を。
アカシア王国へは猛る気持ちを抑えて、当たり障りのない……けれども今回の事件の背後を既に握っていることを匂わせる手紙を。
軍務宛に、事のあらましの説明と支援要請を。
そして最後に、ディーンへの手紙を。
ふと、ディーンへの手紙を書いている最中に手が止まる。
……彼は、どうしているのだろうか。
そう思って……けれども次の瞬間、その疑問が愚問だと自嘲する。
彼もまた、戦っているのだろう。
私と同じく……否、私以上の責任を背負って。
領地に帰ってから、ふとしたときに私は何度も『ディーン』と呼びかけて口を噤むということを繰り返した。
最早習慣となってしまっていた、それ。
苦しい時、辛い時、いつだって彼は側にいてくれた。
……だからこそ、だろう。
彼が側にいてくれればと……彼の側にいたいと、何度思ったことか。
……なんともまあ、弱くなったものだ。
そして、なんともまあ未練がましいことだ。
あの日あの時、私たちは決別したではないか。同じ方向を向いて、けれども違う道を進むと。
そう、選択したではないか。
……今だとて、そうだ。
自分を甘やかして楽な方楽な方へと進めば、今まで苦悩し傷を抱えつつも築き上げてきたモノを、全て崩すことと同じ。
だからこそ、逃げることも、甘えることも……誰よりも私自身が許さない。
私は止まっていた手を動かし、手紙を書く。
『アイリス』の言葉ではなく、『アルメリア公爵領領主代行』としての言葉で。




