転落
本日投稿二話目です
……ディダが屋敷を出てから、数日が経過した。
「そろそろ東部に辿りついたかしら」
書類を処理しながら、ポツリ呟く。
……私のあの警鐘が、杞憂であれば良いのだけれども。
そんなことを考えていたら、扉からノック音がしてターニャが入ってきた。
「失礼致します、お嬢様。報告があって参りました」
「あら、もうディダから報告が来たのかしら?」
そう問えば、ターニャは珍しく顔を強張らせて首を横に振る。
「いいえ。……ですが、一大事にございます」
彼女の反応に、思わず身構えた。
「……一体、どうしたというの?」
「旧モンロー伯爵領の防衛陣が崩れます……いいえ、既に崩されたかもしれません」
ターニャの言葉に、私は一瞬頭が真っ白になる。
混乱したせいで彼女の言葉を理解するのに、少し時間を必要とした。
理解したところで、息を吐いて気持ちを落ち着かせる。
「……確かなの?」
「旧モンロー伯爵領に潜入させていた部下からの報告です。報告書がこちらに届くまでの時間を考えると、既に突破されていてもおかしくないかと……」
「詳しく聞かせてちょうだい。一体どういう状況でそうなったのかしら? お祖父様の軍は?第二陣は到着したのでしょう?」
「今のところ、師匠……いえ、ガゼル将軍の訃報はどこからも入ってきていません。むしろガゼル将軍の隊は、メッシー男爵及びその私兵と共に少数ながら見事に倍以上の戦力を有する敵と渡り合っております。そのため、第二陣は押され気味であった旧モンロー伯爵領の防衛陣に回されたのですが……」
「それで、負けたと。敵はそんなにモンロー伯爵領のところにまで兵の数を送っていたのかしら?」
「はい。それも、正規の兵士を多く投入しているとか……」
「確か、メッシー男爵領に攻め入っているのは、多くが民兵なのよね? ……もしかして、お祖父様が出陣する場を予測してそうしたのかしら? 戦端が真っ先に開いた場所、それも旧知のメッシー男爵の領地ならば、現れると予測して。そして、数で攻めお祖父様が動けないようにと民兵を多く投入した……」
考えをまとめるように、ブツブツと頭の中で思いついたことをそのまま口にする。
「だから、時間差でモンロー伯爵領を攻撃し始めたのね。それも、正規の軍人をそちらは多く投入して。……でも、ちょっと待って。いくら敵の数が多くとも、第二陣はそれなりの数が揃っていたはずよ? どうして、到着早々やられてしまったの?」
「……モンロー伯爵領の民が、トワイル国に味方をしました」
「何ですって!?」
つい、言葉を荒げてしまった。そして感情のままに、つい飛び上がる。
ドン……! と、机を叩いた音が響いた。
けれども彼女の落ち着き払った様子を見て、次第に私も感情が凪いでいく。
こんな感情的な姿を、間違っても彼女以外には見せられないな……と、そんなことを頭の片隅で考えつつ口を開いた。
「……モンロー伯爵の暴政が、原因?」
私がそう問いかけると、ターニャはおずおずと首を縦に振る。
「既に旧モンロー伯爵領に住んでいた者たちにとって、今回の戦は侵略ではなく解放なのです。モンロー伯爵の領政……タスメリア王国に愛想を尽かしているのです。だから暴動という形で、トワイル国の者たちに彼らは味方をしたのでしょう。また、彼らを煽った存在もあったとのこと」
「ディヴァンとその一味ね?」
「はい。……お嬢さまが、以前仰っていた通りです」
「……私?」
「『世の流れというのは、大河と同じ。水滴一つ一つ異なる方向を行こうとしても、大きな流れに逆らうことはできない』『戦争を忌避する心があろうとも、世論という大きな流れに抗うことはできず、いつの間にか同じ方向を向き、『それしかない』『その方法しかない』と、それまでの考えが塗り替えられる』と、仰っていたではないですか。……恐らく、モンロー伯爵領の領民は、そうだったのでしょう。先が見えず不安と不満という種を蒔かれて。繰り返し煽動という名の養分を与えられ、芽吹いたのが今ということなのでしょう。既に第一王子の手によって生活が改善される目処が立っていても、一度芽吹いたものは早々消すことはできなかった……と」
「そうね……」
本当に、用意周到だこと……と、内心息を吐く。
恐らく、モンロー伯爵と懇意にしている裏側で、既に民衆を煽る手筈を整えて実際に実行していたのだろう。
それにしても……旧モンロー伯爵領から国軍が撤退、防衛陣が後退しているのか。
「……ちょっと待って。このままだとメッシー男爵領は二面方向から攻撃を受けることになるわ」
「ええ。ですが、他領からの援軍は?」
「できると思う? ……恐らく、自領の守りに専念するでしょうね」
メッシー男爵領・旧モンロー伯爵領の周辺領については、いつ自領に敵が来るか分からないのだ……とてもではないが、私兵を他領に回す要請を受けることはないだろう。
何より、旧モンロー伯爵領周辺の領にはその余裕がない。
「……お嬢様、大変です!」
ノック音と共に、扉の向こうから悲鳴めいた声でそのような言葉が発せられた。