領地会議
四話目です
私は苦笑いを浮かべつつ領官に言葉を返したタイミングで、モネダがノックと共に入って来た。
彼の顔色は、彼にしては珍しいほどに悪い。
……私も似たようなものだろうが。
正直に言うと、叶うことならばモネダには会いたくなかった。
正確には、モネダとの話し合いの議題に直面したくなかった。
学生の頃、試験の日になると『学校に行きたくない』と思っていたのと同じようなものだ。
……とはいえ、『考えるのが嫌だから後回しにしよう』なんてことが許されるときは、とっくに過ぎてしまっているが。
さあ、彼と共にまた一つ眉間に深い皺を刻もうではないか。
「……席を外しましょうか?」
民部の彼の質問に、私は首を横に振った。
どうせ、今からの話し合いに彼も出席して欲しいと思っていたし。
「お久しぶりですね、お嬢様」
「ええ、そうね」
ははは……と、互いに乾いた笑みが浮かぶ。
「王宮にて、第一王子が勝利を納められたとか。これでやっとアルメリア領に対する嫌がらせが終わるのかと思うと、喜ばしい限りですね」
「ええ、そうね。その件については、モネダの情報に随分助けられたわ。礼を伝えるのが遅くなって大変申し訳ないけれども……本当にありがとう、モネダ」
「いえ、礼には及びません。あの件については商業ギルド時代……」
「……モネダ」
彼の話を遮って、名を呼ぶ。
彼はピクリと僅かに身体を震わせた。
「商業ギルドにいた貴方らしくないわね。……時は金なり、でしょう?」
そう言葉を切り出した瞬間、彼の瞳の色が変わった。
覚悟が、映っていた。
肩にのし掛かる重い責を背負いながら、懸命に前を歩こうとする気概そのものだ。
「今後のことについて、話し合わせていただきたい」
「でしょうね。……ああ、ちょうど良いところに」
会話の途中で、民部の彼が声をかけていたのであろう各部署の面々が揃って部屋に入って来た。
「人数が揃ったことだし、隣の部屋で会議を始めるわよ」
各々が席に着くと、まず農部の領官が資料を配った。
全員が、ざっとそれに一通り目を通す。
「こちらが、現在の領の備蓄及び今回の収穫期に予想される生産高です」
備蓄については、随分と戻っていた。
あの裏帳簿を作ってまで中央を誤魔化した頃に比べればの話だけれども。
それでも、移民を受け入れ彼らに食糧支援を行なった上でのそれなのだから、まずまずといったところだろう。
予算を割いて他国より買い入れを行なった甲斐があったというものだ。
……このまま何事も起こらなければ、次回の収穫で元の数量が回復するぐらいには。
そう、何事も起こらなければの話なのだ。
ああ、頭が痛い。
「……次回の収穫期で、随分の量の収穫が見込めるのね」
報告書を見る限り、前年より二割ほどの増産が見込めている。
「学園での研究結果が功を奏しました。新種の栽培を始めたというのもありますが、農作地をより効果的に使い、かつ作物の栽培を最適化するよう努めた結果です。大規模な災害が収穫前の農地に直撃しない限り、この数字は固いものと見ています」
「工部より報告致しますが、推し進めていた水害対策のための工事完了が見えています。既に重要な部分については完成しており、後は細かな整備のみ……十分機能しえる段階です。数百年に一度の嵐でも直撃しない限り、災害による被害は早々起こらないかと」
工部の言葉に、ほう……と私は息を吐く。
「予定より早いわね? お祖父様の頃より着工していたとはいえ、今回随分手直しを試みたのに」
「はい。ですが、ここ最近住民たちの積極的な協力がございまして。それが大きな要因かと」
「そう……」
領民たちに根回しをしたことが、どうやらここにきて良い方向に向かったようだ。
『何故それが必要なのか、どうしてその制度を稼働させるのか』
やはり、それそのものの意義を知るのと知らないのでは、受け止め方も大きく変わるということだろう。
「同時並行で進めている水路と貯水池については?」
「工程の半ばです。貯水池については既に稼働できる状態にありますが、水路が未だ網羅しきれていません。ですが、水害対策の工事がひと段落つけば人員をそちらに回すことが可能なので、進捗が早まるかと」
「なるほど……」
「工部の方のお話をお聞きするに、最も懸念するべき災害発生のリスクは随分抑制されているように思えます。食糧支援を続行しても問題ないように思えますが……いかがでしょうか?」
すぐに回答をせず、頭の中を整理する。
現在置かれている状況、それから今後しなければならないことを。
「……先ほど報告してもらったけれども、確認のためにもう一度聞くわね。移住希望の方々への職の斡旋は八割がた完了、先だって当座の食糧の配給は行なっている……間違いないわね?」
私の問いかけに、民部と農部の二人がそれぞれ頷いた。
「であれば、食糧支援は打ち切るわ」
私の言葉はこの場にいる領官たちにとっては意外なものだったのか、彼らは一様に驚いたように目を一瞬丸くしていた。
現在の流通量及び今後の収穫量を勘案すれば、食糧支援の続行は可能だ。
そう、何事もなければの話で。
その真意に気がついたのか……一人また一人と徐々に神妙な面持ちで私の言葉の続きを待ち始める。
「まだ、正式には発表されていないのだけれども……戦争が、始まるのよ」
私の言葉に、モネダを除く全員が息を呑んだ。
モネダは私が王都を出る前に早馬で知らせ、色々情報を収集させていたから既に知っていたので平静を保っている……かと思いきや、顔色はすこぶる宜しくない。
まあ、気持ちは分かるけれども。
「……トワイル国と、ですか」
一人の領官が意を決したように、言葉を発した。
けれどもそれは疑問ではなく彼らの中では既に確定していて、あえてそれを確認するために言葉にしたという感じだった。
肯定するように頷けば、誰もが何かを言いたそうに口を開きかけ……けれども口を噤んだ。
きっと、彼らの頭の中は罵詈雑言の嵐となっているだろう。
表情から伺うに、憤りが九割と安堵が一割といったところか。
タスメリア国の国民として武力行為を二度にも渡って行われているという事実に憤っていることもさることながら、立て込んでいた事件がやっと終結しかけていたところでまたもや厄介ごとを持ち込んでという、領官としての憤りも渦巻いているようだ。
唯一の救いは、トワイル国とアルメリア公爵領が離れているということか。
「それを踏まえて……さあ、今からの話をしましょうか」
殊更力を込めて言葉にすれば、皆姿勢を正す。
シン……と、一瞬静寂の帳が室内を覆ったような気がした。
「……モネダ。商業ギルドの動きは?」
「未だこの情報を掴んでいないようでして、市場の動きは落ち着いています」
「結構。食糧や薬品の独占的な買占めを厳に慎むよう、引き続き目を光らせるように」
「……『暴利取締令』は継続で?」
法部より、質問があがる。
『暴利取締令』とは、暴利を目的とする買占めや売り惜しみの処罰を規定したもの。
かつて日本では米騒動が起こったときに制定されたことがあった……はず。
歴史で軽く勉強しただけなのでそれがどういうものだったのか、細かいところまで知らないが……アルメリア公爵領で施工されているものと目的は同じだ。
災害が起こったことによって、需要が供給量を上回っていた状況だった。
そんな中、それらの品を買い占めるもしくは売り惜しみをすれば、ただでさえ上がっていた市場価格を押し上げることができる。
それを利用して莫大な儲けを叩き出そうとする者が、残念ながら現れるのだ。
ましてや今回は、戦争だ。
戦地で戦う兵士のために国は食糧を確保しなければならないし、そもそも農作地が戦火に巻き込まれれば収穫量自体が減る。
この領地で需給のバランスを取れていたとしても、国全体のバランスが崩れていれば誰かしらが考えるだろう。
……安い領地でモノを調達し、不足し価格が上がっている地で売り捌けば良いのではないか、と。
自由に開かれた市場を目指す身としては、その考えに至ることも致し方ないと思うことはあるけれども……でも、私はこの地を預かる者なのだ。
それでどんどんこの地から食糧が流出してしまうことだけは、避けなければならない。
そもそもで、開戦の知らせを聞いて動揺した民たちがいつ買い込みに走るか分かったものじゃないのだ。
「ええ、勿論。それと、関税も現状の特例措置を維持」
他領への食糧及び物資の流出を懸念し、現在アルメリア公爵領ではいくつかの品目についての輸出は高い関税を設定している。輸入については以前と同じくらい関税を撤廃しているが。
「関税をかける品目については、以前と同じで?」
「ええ……大枠は食料品・薬品関連で。後で財部と農部と確認し、リスト作成を。それを確認し次第、必要な手続きを取るように。……モネダ。現在の品目ごとの物価の動向と、商会の動向は?」
「僅かに物価が上がり始めています。とはいえ消費の動向についてはそのままなので、やはり物の価値自体が上がっているということかと」
「流通量は調整して確保している筈だものね。……やっぱり、皆の意識下には先の懸念があるということか」
「物の価値を下げるには、そのものが潤沢にあるのが一番ですよね。……もしくは、出回る資金の量を減らして貨幣の価値を引き上げてしまうか」
「財部の立場から言わせていただきますが、再度他国からの食糧調達には時間をいただきたい。そう何度も大規模な資金の流出を行えば、他の必要なところに回すことができなくなります」
財部の尤もらしい意見に、私とモネダの顔色は揃って悪化した。
「畑違いの私から案を出すのも難ですが……昔、国が国民に借金をしたという例があります。それを再現してみるのはいかがでしょうか? 物資の購入をすれば在庫は増えますし、資金を集めることによって資金の供給量が減ります」
代案として農部から出た言葉に、けれども私は頷くことができない。
「ああ……債券のことね。簡単に同意することはできないわ。まず、金本位制の今の体制では、発行量に限度があるということ」
今の紙幣は、金兌換券である……つまり、金貨との交換が前提となっている。
そもそもで、通貨の発行は金貨の在庫量に縛られているということ。
つまり、資金が足りないからといって際限なく刷る訳にはいかないという訳だ。
まあ……金本位制だろうが通貨本位制だろうが、ばかすか債券を作成して負債を膨れあがらせれば財政上先は暗いというのには変わりがないか。
「第二に、債券の引き受け先があるのかが不透明。物価が上がる傾向にある今、その抑制のために金利が高まっているのだもの。……第三に、効率的な金融制度を守るためには、健全な財務基盤が必要よ。債券は結局のところ、借用書……未来に返済する義務がある。それを行えるだけの収入が未来にあり、かつ、財務規律が整っていなければ、いずれ借金は雪だるま方式に増えていくだけ。……以上のことから、安易に債券の発行は賛成しかねるわ」
「劇薬のようなものですね。今の状況を鑑みるに、それに口をつける必要はないかと思われますが……いかがでしょうか?」
「この地が戦火に晒されない可能性はゼロではないのですよ。いざという時のために資金を確保しておく必要があるかと思います」
「その調整は、財部の職務だろう? 新たな資金を期待するよりも、他のところを削って戦の備えに当てるべきでは?」
「民の動向も心配です。不安は伝播し、思わぬ行動を起こさせる。食糧の買占めについても一層可能性が高まりますが」
「それは法部での対応の方が合理的かと」
侃々諤々はかくあるべし……各々の職務の視点からの意見が出ては、論議が交わされる。
私一人では到底手が回らなかっただろう。
その日から連日連夜話し合いが行われ、誰もが憔悴するほどの白熱した議論を重ね、そうして今後の方針を定めていった。




