領地へ
『……ついに、トワイル国が兵を挙げたわ。戦争が、始まるの』
お母様の言葉に、私の頭の中は真っ白に染まった。
……だから、だった。
「お母様……それは、本当のことですか?」
そんな、しょうもない質問をしてしまったのは。
お母様は、私のそれに苦笑いを浮かべる。
「そう思うのも仕方のないことだけれどもね。残念ながら、事実よ。トワイル国軍に動きがあったとの報告がお父様のもとに来たわ。お父様は今、王宮に今後の対応を確認しに行っている……いえ、確認ではないわね。出陣するための、準備をしているところだわ。恐らく、明日にでも出発されるでしょう」
「そんなに早く!」
「トワイル国の動きが思ったよりも速いそうよ。出陣が長引けば長引くほど、メッシー男爵への負荷が重くなる。そして、メッシー男爵の守りを抜けられてしまえば、今の西部の諸領の力では領地を守りきることなどできない。あっという間に王都にまで来てしまうわ。だからこそ、急がなければならないのよ。無理でも、押し通すでしょう。お父様なら」
「……なるほど」
私の知らないところで、世界がどんどん進んでいく。
そしてその大きな波は、この国を否が応でも一つの方向へと進ませていく。
私は、頭の中でこれからの自身の動きを考えた。
「お父様は、王都に残るのですか?」
「そうね。宰相だからというのもあるけれども……それより今は、まだ長旅に耐えられるほど回復していないから」
「……そう、ですよね」
「恐らく旦那様のことだから、暫く王宮に籠るでしょう。宰相の役目を全うするために。私が、どんなに止めようとも……」
お母様が、一瞬寂しそうに目を伏せた。
「……お母様……」
「……なんて、愚痴めいたことを言っても仕方ないわよね。そんな旦那様のことを、私は尊敬しているのだもの」
けれども次の瞬間には、気丈にもそう言って微笑んでいた。
「それで、アイリスちゃんはどうするのかしら?」
「……私は、当初の予定通り領地に戻ります」
「あら……」
私の返答が意外だったのか、お母様は目を見張っている。
「王都に皆が残るのであれば、私は領地に帰った方が良いでしょう。ここで私ができることと言えば、情報を集めること。それならばお父様やベルンからでも得ることはできます。未だ多くの業務を領地に残して王都に来ていますし、今回の件で揺らぐ前に領地に戻った方が私にできることは多いでしょう。誰一人決定権を持つ者が領地にいないというのは、この情勢下では不安ですし、不測の事態に備える必要もあるでしょうから」
「……そう。ならば、アイリスちゃん」
私の言葉を柔らかな表情で聞いていたお母様は、けれども口を開いた瞬間、ガラリと変わった。
それは、私が今まで見たことのなかった顔。
怖いほど真剣なそれ。
かつてベルンをアルメリア公爵家でこき下ろした時の怒気も恐ろしかったが、何故か今の方が恐ろしさを感じる。
「アルメリア公爵領はトワイル国より遠く離れた地ですけれども……戦時には何が起こるか分からないもの。仮に争いの火が飛び火するようなことがあれば、必ず母を呼ぶのですよ」
お母様の言葉に、内心首を傾げる。
争いになった時に、お母様を呼ぶ……?
確かにお母様が強いということは、叔母さまから聞いたことがあるし、ルディもそのようなことを言っていたような気がするけれども……正直、お母様が戦場にいるところなど想像できない。
ただ、これ以上問うことはできなかった。
それぐらい、お母様から強いプレッシャーを感じていたからだ。
「……分かりました。必ず、そう致します」
私のその返事に、お母様はやっと緊張を解いてくれたようだった。
私はそのままターニャに支度を命じると、一旦部屋に行って心を落ち着かせる。
……ついに、恐れていた時が来てしまったのか……と。
エド様やマエリア侯爵家そしてその一派は捕縛された。
そして恐らく、既にディーンは急ぎ新体制の構築を行なっていたに違いない。
何せ、彼の一派は身分は高くなくとも有能な人材が集まっているのだから。
むしろ、あの捕縛劇の前より水面下でそれを進めていた可能性すらもある。
けれども国内の平定が完全になされたかといえば……まだ、時間が足りない。
救いといえば、軍がお祖父様を筆頭に強固な結束があったことだろう。
いざという時の暴力装置ですら、さびついて動けないというのは笑うに笑えないだろう。
あのまま、エド様がトップに立ったらそれもどうなっていたかは分からないが。
「……お嬢様。支度が全て完了致しました」
部屋のノック音と共に入って来たターニャが、そう報告をした。
「あら、随分と早いのね?」
「既に準備を進めておりましたので」
……そういえば、元々会議が終わったら帰るつもりだったっけ。
色々な事があり過ぎて、すっかり記憶から抜け落ちているけれども。
「それでは、急ぎ領地に帰るわ。……と、その前に。皆を呼んで」
ターニャは私の言葉に頷くと、即座に動き出した。
ただならぬ事態が起こっているということを、彼女も察しているのだろう。
即座に、私の前には王都に一緒に来てもらっていたライルとディダが集まった。
「……単刀直入に言うわ。戦争が、起こるの。トワイル国との間に」
私の言葉に、全員が目を鋭くさせる。
「私は即領地に戻り、この緊急事態の対応をするわ。……事態は、私が思っていた以上に早く進んでいる」
「……アルメリア公爵領にも、何らかの影響があるとお考えで?」
「ええ、まず間違いなく」
迷うことなく、肯定した。
同時に、ピンとこの場の緊張感が高まった気がする。
今はそれが酷く心地良い。
「勿論、お祖父様の勝利を全力で願っているわ。けれども、何が起こってもおかしくない。……それに直接的な戦いがなくとも、どうしたって影響は出る。戦は人心を恐怖に陥れるのだから」
私の言葉に、三人が頷いた。
「……そんな状況だからこそ、先頭に立つ私が、道を示さなければならない。どんな濁流の中だって立ち続ける姿を見せなければならないの。……全速力で、帰るわよ」
そうして、私たちは即座に領地に帰った。




