笑み
六話目です
「……おやおや、珍しい。貴女の取り乱した様を見ることができるとは……」
ライルとディダの去っていく姿を鬼の形相で見ていた彼女に私は話しかける。
そんな私を、彼女は睨みつけた。
「盗み聞きしないでちょうだい」
「盗み聞きではないですよ。彼ら、私の存在に気づいていたようですし。……尤も、気配だけで私とは特定していないようでしたがね」
彼女の睨みに怯むことはない。彼女の怒りは、私からしたら子猫がじゃれてくる程度のものだ。
それにしても、ライルとディダは有能ですねえ。
一応私の気配を隠すことに関しては、それなりの力量があると自負しているのですが。
「ドルッセンを消した今、有能な戦える者を引き込みたいからと彼のことを調べさせられましたが……なるほどなるほど、単に貴女は彼を勝手に同志と見做していたのですね」
「黙ってちょうだい……!」
魂を削るかのような、心の底からの叫び。
その激しさは、その辺りにいる大の男も怯ませるようなものだった。
この可愛らしい顔からは想像つかないような激しい感情を彼女は秘めている。
我ながら良いニンギョウを作り上げたと思いますよ。
……とはいえ。
「黙りませんよ。……私も困りますからね。一々そんな些事に捕らわれて、動揺されてちゃ。お母様を越え、この国に復讐すると言ったその言葉は、嘘だったんですか?」
ガッと乱暴に彼女の頬を掴んで、彼女を間近で観察するように見つめた。
そんなに簡単に動揺するのは、いただけません。
「……嘘じゃないわ。私は、彼のような腑抜けじゃないもの」
彼女は、私の咎めに少しだけ瞳を揺らした。
「それはそれは、安心しました」
ニコリと笑ってみせると、彼女の頬を放す。
「にしても、ライル君をこちらに引き込めないのなら……もう少し、ドルッセンを生かしておくべきでしたかねえ。ドルッセンを消すのは、随分骨が折れましたから」
「……ドルッセンの利用価値はなくなっていたわ。むしろ、あの女に感化されて余計なことを考えるようになっていたもの。邪魔にしかならない存在を、生かしておく必要はないでしょう?」
「……。安心しましたよ。貴女まで、腑抜けにならなくて」
「それ、何の冗談?全く面白くないわよ」
「失礼致しました」
「……まあ、良いわ。あ、そろそろ仕立て屋が来る時間だわ。今度の会議の為に、とびっきりのドレスを仕立てて貰わないと」
「……今度の、会議?」
覚えのない予定に、私は問い返す。
一応彼女の予定や周りについては全て把握しているつもりでしたが。
「ええ、そうよ。エドワード様が正式に王位に就くための会議」
彼女が無邪気に言った言葉に、頭を抱えたくなった。
何故、そんな大事なことを報告しないのでしょうか。
「即刻延期するよう、前王妃に進言なさい」
「ええ?一体どうしたの、ディヴァン。エドワード様がこの国のトップになるまたとない機会じゃない」
馬鹿な子だ……怒鳴りつけたくなる気持ちを抑えて、私は代わりに息を吐く。
「悔しいことに、未だ第一王子を消すことはできていません。それどころか、こちらが手を尽くしても消息すら掴めていない状況。……不確定要素が多過ぎます」
「落ちぶれた第一王子に、何ができるというの。それに、ねえ……ディヴァン。それは貴方がすべきことを怠ったせいでしょう?……貴方が、何とかしなさい」
……まあ、確かに。
この国で一番一筋縄でいかないのが彼なんですよね。
彼の周りに集まる者たちも、これまた有能な者が揃っている。
先手先手を打って彼の動きを抑えてきましたが、それは長く私に準備期間があったからこそです。
それと、彼は自由に動けない身というのが功を奏したというところでしょうか。
……この国は、本当に馬鹿です。
豊かだからこその、馬鹿なのでしょうか。
最早陰りを見せていた国内の情勢に見て見ぬふりで、僅か十数年で築き上げた豊かさを当たり前のように享受するのみ。
過去の栄光に縋り付いて、前進する様子は見せない。
だからこそ、この国の中枢は徐々に腐っていた。
例えば、人材。
人なんて、いずれ老いて死にます。
新たな人材を育て上げなければ、簡単に国の中枢なんてどうとでもなるんですよね。
戦時の手強いメンツは軒並み老いて死んでいるか第一線を退いているか。
サジタリア伯爵ぐらいじゃないですかね……当時から第一線で活躍し続けているのは。
それにしても異様です。
激務なんですから、第一線を退いて後進に席を譲り顧問や相談役に収まれば良いものを……まあ第三者視点から見て彼の後釜を任せられる人材なんていませんが。
老いた身でよく食らいついてくださいましたが……仕掛けるのに私が気をつけなければならないのはサジタリア伯爵とアンダーソン侯爵とアルメニア公爵。
長い準備期間の間に彼らを集中的に攻撃して後手後手に回させたのですから、あとは簡単なものでした。
第一王子だけが、誤算でしたが。
私の調べに全く上がっていませんでしたから。
否、上がるほどの活躍の場がなかったというのが正しい。
初めから彼に力が集中していれば、私もここまで想定通りに盤面を動かすことはできなかったでしょう。
だというのに、利権やら権威のおかげで彼の手にはろくな駒もなかった。
むしろ、この国こそが彼の邪魔をしてくれた。
全く、この国の無能な奴らに感謝してもしきれません。
彼の対応力を考えると、一旦後手に回されたらすぐに逆転されるような危うさがありますから。
話は逸れましたが、この場面において最も警戒すべきは第一王子。だというのに、私の方では全く情報がありませんし、一体彼は何を企んでいるのやら。
もしも彼が駒や力を手にして仕舞えば最後、盤面は大きく動き出す。
彼のことを考えれば完全な回避は無理でしょうが、できればもう少しそれを先延ばしたい。
「ですが……」
「くどいわ。私は、この国の王妃よ。貴方が望んだ通りに、私はやってみせた。全く……私のことに構ってないで、貴方は貴方のすべきことをしなさい。私はもう、貴方の手なんか借りなくてもどうとでもできるのよ」
だというのに、この娘は……。
ここまでくるのに、自身の力のみで這い上がったと勘違いしているのでしょうかね。
自身の力を勘違いした駒ほど、扱いづらく邪魔なものはない。
「……。畏まりました。それでは、失礼致します」
私は一礼し、部屋を出る。
「……そろそろ切り時か。まあ、良い。既にいなくても計画に支障はない」
ポツリと呟く。
もう、盤面は整ってます。
どう足掻いても、どうしようもないところまで。
ならば、良いでしょう。
使い切った駒に、興味はありません。
己の力を驕るそれならば、尚更。
彼女がいなくとも、もう事態は動き出す。
それならば、このまま彼女も一緒に消えてもらいましょう。
おそらく、第一王子が動けば第二王子もエルリア妃一派も消える。
彼女もそれと共に表舞台から消えて貰えば良い。
そう考え、にこやかな笑みを浮かべると私は次の仕事場に向かいました。