ベルンの旅路 参
突然、ガサリと茂みが動いた音がした。
その瞬間、護衛たちは僕を守るように前に立つ。
けれども、何も現れない。
剣を構えつつ、一人の護衛が茂みに近づく。
「……こ、これは……!」
サッと茂みを掻き分け、その目に映ったものに護衛は声をあげた。
「何があった?」
「こ、子どもです!子どもが、倒れています」
それを聞くやいなや、僕は飛び出す。
確かに幼く痩せこけた少女が倒れていた。
「フォン!モーリのところに戻って、水を取って来い!」
僕は少女を抱きかかえると、後ろで固まっていた護衛に指示を出す。
少女の身体は、驚くほど軽かった。
「大丈夫か!」
呼びかけに、少女は弱々しく目を開く。
けれども、視点があっていない。
「おい……おい!」
懸命に呼びかけるものの、少女は答えることはなかった。
僅かに口を開き、音にならない吐息が漏れ出すばかり。
「持って来ました!」
「水だ! 食べ物もある!」
食べ物を口の前に出すが、けれども少女の口は動かない。
僕は携帯食糧を砕き水をかけてドロドロになったそれを自ら含むと、少女の口に付けた。
驚き、止めようとした護衛たちは……けれども口を噤む。
少女は、コクリと少しだけ嚥下した。
「……おい、しい……」
特別な味付けも何もない、それ。
むしろ保存のためと、味は二の次三の次。
だというのに、少女はまるで特別なごちそうかのように微笑んで言った。
「あり……」
そして少女はそれ以上言葉を言わなかった。
閉じた目の端から僅かに涙が溢れ、頰に伝って落ちる。
「おい……おい……!」
揺さぶり、声をかけても答えることはない。
少女は、息をしていなかった。
必死に以前領地の学園の医療科の授業を受けた時の記憶を辿るが、にわか仕込みの知識ではこんな時の対処が思いつかない。
この場にいるのが、あの領地の者なら……あの学園の者ならば。
否、それ以前にこの子がアルメニア公爵領にいたらこんな目には遭っていなかっただろうに……!
必死に何かできないかと、頭を巡らせるが何もできない。
「ベルン様、その者はもう……」
「何故だ!何故、こんな……幼い子どもが命を落とさなければならない!」
護衛の言葉に、僕は怒鳴る。
激しい感情が、瞳から涙となって溢れ出ていた。
「同じ領地ながら、この領を治める者たちはあんなに肥えているというのに……」
声にならなかった。
モンロー伯爵を思えば……怒りがふつふつと湧き上がった。
浪費、浪費、浪費。
その影に、こんな幼子にまで犠牲を強いている。
悔しくなって唸りながら、少女を強く抱きしめた。
逝くな、と……命を留めたいと。
……一晩中、僕はそこから動かなかった。
ただただ、そのまま冷たくなった少女を抱きしめ続けていた。
「ベルン様……」
朝日が昇った頃、護衛の一人が伺うように声をかける。
声に反応して、僕は彼らに視線を向けた。
「そろそろ、戻りませんと……」
「……。この少女を、弔ってから行きたい」
そう告げると、僕は静かに動き出した。
黙々と穴を掘って少女を埋めると、静かに祈りを捧げる。
『領民のために、仕事をなさい。私を滅し、公に仕えるように』
かつて、領官に姉上が言ったという言葉。
それを、僕は思い出す。
貴族とは、何か。
領とは、国とは……何か。
ぐるぐると、僕の頭の中には先ほどの光景と姉上の言動が巡る。
……そして閉じていた目を開けると懐剣を取り出して自らの髪をその場で切った。
「ベルン様……!」
護衛が驚きに声を上げる中、僕はただただ切り捨てた髪がハラハラと宙に舞っているのを見つめる。
これは葬いであり、決意の表れでだった。
少女を悼む心と、感謝の気持ちと、そして静かな怒りが僕を包む。
「この少女と共に、昨日までの俺は死んだんだ」
そう呟いて踵を返すと、王都に向けてその場を後にした。
帰りの道中は、恐ろしいほど静かに、そして早く進む。
僕も護衛たちもただただ先を急ぐばかりだった。
そして、王都に戻り屋敷に戻ると僕はいの一番に父上の元に向かう。
「……随分、顔つきが変わったな」
父上だけでなく母上も僕を見て息を飲んでいた。
「何を、見て来た?」
「……この世の地獄を、見て来ました 」
父上の問いかけに、静かに……けれども決意を込めて言葉を返した。
その応えと態度に、父上は息を吐く。
「……これを持って、離宮に行って来い」
その言葉に、首を傾げた。
「自分の無力さを痛感したのだろう?何かしたいと……何とかしたいと、心の底から思ったのであろう? そのために、国を変えたいと」
「はい」
父上の問いに、僕は迷いなく肯定した。
「ならば、早く行け」
僕はその書類を受け取ると、すぐさま帰って来たばかりの屋敷を後にした。




