ターニャの冒険
三話目です
お嬢様からの密命を受けて、早速私は動き始める。
ユーリ関連の事柄については気をつけるようにとのことだったが、割と普段から危ない橋を渡っているので恐れはない。
……勿論、油断しないようにとは心がけているが。
ミモザ様の婚約関連については、すぐに情報を集めることができた。
ダングレー侯爵家の情報統制がザルという訳ではなかったが、まあ僅かに警備の穴があったおかげ。
問題は、ユーリ関連の情報だった。
彼女の情報は、中々集めることができない。
周到に情報が消され、調べても綺麗過ぎる内容しか出てこないのだ。
……天然そうな可愛らしい彼女の裏側には、どうやら強かな顔が隠されているみたいね。
そんなことを思いつつ溜息を吐くと、人通りの多い路地から一本道を入り、全く人通りのない路地裏へと進んだ。
暗器を構えつつ、先ほどから感じていた気配を確認する。
ユーリ関連のことを調べる際に、いつも感じるそれ。
身体に力を抜き、次の瞬間必要な筋肉に瞬時に力を込め最速で移動する。
視界から消えたことに驚いたのか、それは動かない。
針を更に長くしたような細い棒状の暗器を、それに向けた。
「うわー……ストップ、ストップ。こっちに敵意はないからさ」
かなりの力量を持った相手だったらしい。
自分に向かってくる私のの気配をすぐ様正確に読み取り、私に視線を合わせつつ、敵意がないことを証明するかのように手を上げたのだから。
だからこそ、彼の言葉に従って武器を下ろすことはしない。
その代わりと言ってはなんだけど、動きを止めて、代わりに相手の観察を始めた。
相手は、小さな子どものような背丈の男だった。
街のどこにでもいそうな格好に身を包んでいる。
少しツリ目がちが特徴の、けれども他に特徴らしい特徴がない。
人混みに紛れば、近くに住む子どもだろうと見過ごしてしまいそうなほどだ。
「本当、成長が半端ないな」
武器を向けられている筈の相手は、けれども焦った様子もなく、感心したようにそれでいて呆れたように呟いていた。
「誰のモノかって言うのは、勘弁ね。俺の名前は一応、マイロって言うんだ。あ、一応って付けたのは偽名だからなんだけど、これで通してるからよろしく」
軽い調子で自己紹介を始める始末。
危機感はないのか……それともこんな状況ぐらいでは危機感を感じないのか……恐らく後者だろうと内心息を吐く。
「……何故、私の後を付けていたのですか?」
「君が僕のターゲットの周りを、うろちょろしてたからだよ。一度は調査を止めたっていうのに、何でまた調べ直してるの?」
「……っ! 貴方には関係のないことです」
「大有りだよ。あんまり勝手に動かれて、ターゲットの周りの奴らに警戒されたら敵わないからねえ……。君、どうしたいの?」
「どうしたいとは、どういう意味でしょうか」
「取引といこうじゃないか。僕は、彼女のことについて調べは尽くしている。飼い主にも報告済み。今は彼女に目を光らせて、動きがあったら報告ないし対処をすることになっている。つまり、君にうろちょろされちゃ、こっちとしては困る訳だ。……で、君は彼女に直接の用はなく、ただただ彼女の経歴やら目的を知りたい。そうでしょ?」
彼の問いかけに、私は肯定も否定もしない。
けれどもそんなことに構うことはなく、彼は更に口を開く。
「調べるだけなら、彼女の周りを付いて回る必要もないでしょ。だからね、僕からヒントをあげるよ」
「情報……ではなく、ヒントですか」
「別に直接情報をあげても良いけどさあ、君は信じないでしょ?」
まあ、確かに……と内心同意する。
「私にヒントをくださることで、貴方にとってのメリットは?」
「ん? さっきも言ったじゃん。彼女の周りをうろちょろされなければ良いと」
「それだけとは到底思えません」
ぐっと、私は暗器を近づける。
マイロは彼女の反応に、困ったように笑っていた。
「いやはや、ホントだよ。まあ……ちょっとばかし、君の主人を応援しているっていうのもあるけどね」
「……は?」
「僕……というより僕の主人が、君の主人のことを心配しているんだ。彼女、何故か君の主人を目の敵にして動いてるしさあ。一番の被害を被ってるのはこの国だけど、それは身から出た錆というか……まあ、割と原因が国そのものにある訳だ。ところがどっこい、君の主人は違う。元々嗾けてきたのは彼女だし、以後も君の主人に何かと嫌がらせしてきているもんね。一番損な役回りにいるのは、間違いなく君の主人だよ」
彼は、私の主人が分かっているというのを暗示していた。
……そのことに、更に警戒心を強める。
ただ、軽口を叩く目の前の男には隙が全く見当たらない。
何気ない動きから見ても、強さが伺える。
……もしも戦うのであれば、相討ちをも覚悟しなければならない、と。
「で、僕としては君の主人を心配している僕の主人が心配なわけだ。陣営的にも敵側ではないから、それならヒントぐらいあげちゃっても良いかなあっと。だから出血大サービス。それにこれからのこと、君の主人に関係の無いことではないしね」
……この場で、彼に挑んだとしても勝率は五分五分かそれ以下。
それならば、貰えるものを貰って帰還することを優先すべきだと結論付けた。
「ならば、さっさとそのヒントとやらをください」
「因みに、死ぬリスクの高い難易度最高の情報と、ある程度の危険で得られるそこそこの内容の情報とどっちが良い?」
「どっちも詳しく教えなさい」
「どっちも、ねえ。まあ……確かに、先に両方の詳細を聞いてからどっちを調べるのか考えるのも、慎重で良いかもね」
先輩風を吹かせるかのように言った彼の忠告に、けれども私はその意味が分からず首を傾げる。
「何を言っているのですか。どちらも、調べるに決まっています」
その宣言に、マイロは一瞬驚いたように目を丸めていたが……やがて、吹き出して笑い始めた。
「やっぱり欲しいなぁ。本当に、ウチに来て貰いたい。貪欲こそ成長の秘訣ってところかな? ……良いよ、君の度胸を買って二つとも教えてあげる」
笑い続けるマイロを、ターニャは無言で急かす。
「……っと、その前に。ルーベンス公爵家の説明は必要?」
彼の問いかけに、肯定も否定もしない。
彼を相手にして、何か一言でも漏らせばそこから別の情報を取っていかれそうな……そんな気がしたからだ。
「顔に出てるよー。ちゃんと調べたみたいだね」
ニマニマと笑って断じる姿に、内心私は彼の得体の知れなさに冷や汗をかいていた。
……もっとも、カマをかけられていることも考慮して表情にはださないが。
「なーんてね、冗談。君が彼女とその背後関係を調べていた時に、君の行動の足跡から調べていた内容を確認させて貰ってたんだよ。だから、君がルーベンス公爵家のことを知ってるのも、当然掴んでたって訳。今から渡すヒントは、それを知っているということが前提じゃないと、意味が無いからさ。いやー……君があんまりにも無表情だから、からかおうと思ったんだけど……君、本当表情変わらないねって、やめて!!」
容赦なく、マイロとかいう男に暗器を投げた。
それを、彼は紙一重で躱す……どころか、軽々と暗器を掴み取ってポイと下に投げ捨てていた。
「……毒が仕込んでいるとは思わなかったのですか?」
「僕、大抵の毒には耐性があるから。それに君は賢いんだから、ここで命賭けるような真似はしないでしょ? 現に、今だって全力で投げてなかったし?」
マイロの言葉に、私は僅かながら苦笑した。
彼の言葉通り、私も本気で仕掛けた訳ではなかった。
彼なら簡単に、躱せるだろう……目測で想定した力量を確認しただけ。
まさか、避けずに掴むとは思っていなかったが。
「まあ、それは置いといて。まず、一個めの危険な方ね。もう一度、ディヴァンの足取りを追うと良いよ。特に、彼が持つアイラー商会の直近の動向は要確認。それと合わせて、とある男爵を追うと良い。何故、シーズン中ですら王都にいないのかを……ね」
彼の言葉に、無言で頷く。
「で、簡単な方。単純に彼女の後見の家を突けば良い。特に、正妻をね。あの女とあの女の周りはガードが緩いから、割とすぐ探れると思うよ」
「……分かりました。もう、良いですよ」
手に持つ暗器を下げた。
マイロは、ニコリと笑った。
「話の分かる子で良かったよ。僕も主人の手前さ、無駄に争いたくないから」
「ええ、そうでしょうね。……因みに、貴方のご主人様は、今、国内にいらっしゃるのでしょうか」
私の問いかけに、マイロは笑みを深める。
けれども、その目は笑っていない。
むしろ、見る人の背筋が凍るような……そんな、光を帯びていた。
「……。それは、君が知らなくて良いことだよ」
「そうですか。そちらのヒントもいただけたら嬉しいのですけど。……まあ、良いです。もう貴方に用はないので、これにて失礼致します」
「んじゃ、僕も失礼させてもらうよ」
二人は、一斉に地面を蹴った。
背を見せないように、互いに見つめ合うような形で足早に後退する。
そして一定の距離を置いた後……互いが互いの行く方へと向いて走って行った。
人通りの多い道に戻った。
その瞬間、張り詰めていたモノが切れたように脱力した。
第一王子は、随分と良い駒を手中に収めている……そう、思いつつ。
それは、憶測でしかない。
けれどもマイロの言動から考えると、一番可能性が高いと思えた。
話した情報は、全て偽りかもしれない。
もしかしたら、敵側が自身を惑わすために取った策なのかもしれない。
それらの可能性も、十分あり得た。
けれども、彼が語った内容は調べるに十分値する。
何故なら、彼が明言した『ディヴァン』『アイラー商会』……それらのキーワードは、ユーリに繋がるものとして調べていたからだ。
ユーリの動きのみに注視するのではなく、影で動く彼をもう一度洗い直すのは確かに有益である。
……何より、マイロはあの場で一度も攻撃をして来なかった。
私が勘付いていたことに気づいた時点で撤退すれば良いものを、態々追い続けていたというのに。
まるで初めから、あそこで私と会話をする為だけに追って来たとでも言いたいような行動だった。
とはいえ、全ては憶測の域を出ない。
癪ではあるが、まずはディヴァン関連を洗い直すことから始めようと、私は決めた。