願い
四話目です
「……ダン。こんなところに呼び出して、一体何なの? 私、早く彼の元に戻らないといけないのだけど?」
「ああ、やっぱり貴女は連れない方だ……」
口調も違うし、名を明言していないが……その声は、ユーリだった。
そして、ダンと呼ばれた男の声は……さっき、舞踏会の会場で聞いたミモザの婚約者のそれに相似していた。
まさか……と疑いが私の頭に過ぎり、血の気が引く。
「貴女が無理をしているのは分かっているのですよ。あの方の側にいるときは、己を偽っていらっしゃるのですから。せめて、ここで心を休めていただければ……と」
「余計なお世話よ。もう戻らないと」
「ああ、お待ちください。ユーリ様」
……やっぱり、と彼女の名が出た瞬間溜息を吐く。
それにしても、彼女が己を偽っている? ……ダンは、彼女の正体を知っているということかしら?
「……くだらぬ言い訳をしてしまいました。本当は……私が貴女に恋い焦がれ、こうして二人でお会いしたかっただけだというのに」
ちらりと、扉の隙間から中の様子を伺う。ダンが跪き、彼女の手を取り口づけをしていた。
「貴方には敵わないわね。……私も、貴方にこうして会いたかったわ」
「ああ、ユーリ様……!」
感極まったようにダンは彼女に抱きついた。それを、彼女は受け入れる。
「……私はしがない男爵家の令嬢。だというのに、父は私に良い殿方を自身で見つけて来いとせっついたわ。彼に見初められたのは幸運だったけれども、そのために私は私を捨てたわ。貴方は、そんな私の本当の私を見つけ出してくれたわ。だから、貴方の側では楽に息ができる」
……彼女の物言いに、彼は彼女の正体を知らないのではないか? と、思い始めた。
単純に、普段の彼女は演技で、今の物言いだとか性格が本当の彼女だということを信じ切っているだけなのでは……と。
「……でも、貴方はもう別の女性のものになってしまうのよね」
憂いを帯びた彼女の声に、彼は慌てて口を開く。
「そんな……。私の心は永久に貴女だけのものです」.
後で彼と彼女の関係性だとか、彼と彼の家とトワイル国との関係性をターニャに探らせようと冷静に考えていたそれまでの自分が、吹っ飛んだ。
目が覚めた、というか……思い至ったいう表現が的確か。
ダンは……ミモザの婚約者なのだ。
それまで単純に彼女の手駒が一つ増えたのだという側面しか考えていなかったけれども……彼は、私の大切な友人の婚約者なのだ。
それも、嬉しそうに手紙で報告するほど愛し愛された関係だと思っていたのに。
この事実に、見知らぬ誰かが苦しむのではない。
私の友人が……私と同じように婚約者から裏切られるのだ。
その未来を想像して、私は目の前が真っ暗になった。
すぐさま踵を返すと、ミモザを探すべくホールに戻る。今はとにかく、ミモザと話さなければということ以外何も考えられなかった。
「……ミモザ様」
一人壁際で佇む彼女を見つけたのは、戻ってすぐのことだった。
「どうかされましたか?アイリス様」
「あちらで、少しお話しさせていただきたいことがありますの。宜しいでしょうか?」
「申し訳ございませんが……」
「少しだけですから」
断ろうとした彼女に、私は尚も願う。
私の願いが届いたのか、彼女は少し思案した後、『少しだけならば』と了承してくれた。
そんな彼女を引っ張り出し、私は適当な空き部屋に彼女を連れ込んだ。
「ミモザ……貴方の婚約者は今どこにいるの?」
「さあ? ……少し控え室で休んでくると言っていたわ。今日は挨拶回りばかりだったから疲れたのかもしれないわね」
やっぱり、彼はユーリと共にいたのだ。
……いや、ミモザに聞かなくてもさっき姿を見たのだから確信していたのだけれども。
それでも彼女にこうして聞いたのは、違っていて欲しいと心の底から願っているからだ。
私が見間違えたのだ、と。
今でさえ、そうであって欲しいという思いが私の中にある。
「……ミモザ。言い難いのだけど……彼との結婚は、止めておいた方が良いのじゃないかしら?」
「急にどうしたの? ……こうして公言している以上、後には引けないことぐらい分かっているでしょう?」
「まだ、間に合うわよ! ……彼、貴女とはやっぱり合わないと思うの」
明言したいけど、できない。
彼女が傷つかないようにと考えると、どうしてもさっきのことが言えない。
……言わなければどちらにせよ傷つくというのが分かっているのに。
「止めて。私に誰が合うかなんて、私が一番分かっているわ。そういう話なら、私は失礼させていただくわ」
背を向けた彼女の手を、私は慌てて掴む。
「待って! ……あの、実は彼の女性関係であまり良くない話を知っているの。だから、ミモザ……」
そう言った私の腕を、彼女が振り払った。その反応に、私の思考は止まる。
「……別に、良いわよ。彼が私の下に最後に戻ってきてくれるのならば」
彼女の瞳を見て、私は気づく。
「まさか……貴女、知っていたの?」
私の問いかけに、彼女の瞳は僅かに揺れた。
「もう、良いでしょう? 私が良いって言っているのだからそれで」
「良くないわよ! 大切な親友なのよ……貴女が幸せになれない婚姻を、私は祝福できない」
「『幸せの価値は私が決めるものよ。彼の側にいることが私の幸せなの』……エドワード王子とのことで苦言を呈した私に言った貴女の言葉よ。私は、彼の側にいることができれば幸せ。だからこれ以上、彼とのことを何も言わないでちょうだい」
「エド様のことで失敗したからこそ、よ!」
私は叫ぶように、心に湧き上がる衝動のままに言った。
「エド様と幸せになりたい! ……あの事件が起きるまで、私は本気でそう思っていたの。たとえエド様が私を見ていなくても、それで良いとすら思っていた。私は、私の血は彼の力になる……そう自分で彼の側にいる意義を見出して、彼の側に居続けた。……でも、虚しいだけなのよ」
ツウ、と私の頰に涙が伝う。感情が昂り、私自身私のそれをコントロールすることができない。
「いつしか、私の心はどす黒いもので埋め尽くされた。そんな自分が嫌で、ますますその深みに嵌っていった。……ミモザ、貴女にはそんな思いをして欲しくないの」
「アイリス……貴女、貴族らしくないわね」
そう言ったミモザは、無表情だった。
「側にいるだけで幸せ? ……本当は、そんなこと思っていなかっただけでしょう。言葉を、心を返して欲しいと思ってしまったのでしょう? ……本当に、貴族らしくない」
淡々と、彼女は言葉を発する。
「この身に流れる青い血は、綿々と受け継ぎこれからも守るべきもの。……だからこそ、お母様もお祖母様もその前の顔も見たこともない祖先たちはずっと政略結婚を繰り返してきた。それが、貴族というものでしょう?」
問われた言葉に、返すことができなかった。
あまりにも、正論過ぎて。
「だから、私は彼が私以外の女を作っても最後に戻ってきてくれるのならば、それで良い。政略結婚で必要なのは、その身に流れる血。それで私は家のためになるのだから、それ以上の幸せはないわ。そういう意味では、アイリス。あの時、貴女は結婚の意味を履き違えたのよ」
言葉が刃となって、私の身に降りかかる。
「ミモザは、本当にそれで良いの……?」
震える唇から漏れたその言葉は、まるで幼子のような問いかけだった。
「……っ。ええ。叶わぬ夢に恋い焦がれるよりも、私は地に足をつけて生きていく。……そう、決めたのよ」
彼女の決意の篭った言葉に、私の頭は冷えた。
「そう……ごめんなさい。余計なことを言ってしまったわ。貴女に覚悟があるのならば、私はこれ以上とやかく言わない」
私がそう返すと、彼女は微笑んだ。
……けれども、その瞳は笑っていない。
どちらかというと、悲壮感を漂わせているようにすら感じられた。
「じゃあ、彼を待たせているといけないから。ここで失礼するわ」
けれども、それを追求する前に彼女は去って行った。
彼女自身、そうされたくなかったのだろう。
「全然、覚悟なんて決まっていないじゃない……」
ポツリ、彼女の姿が見えなくなったところで呟いた。
家の為の婚姻……それは貴族として生まれたからには当たり前のことであり、義務だ。
私自身、今尚この身を駒としてアカシア国の王子と婚姻を結んでもらおうと考えているのだから。
だから、これが私のエゴだと言うのは分かっている。 けれども、それでも……。
「家の為じゃない、貴女自身の幸せを願っていたいの……」
一緒に過ごした時に見てきた、彼女の本当の笑顔を未来にも望んでしまうのだ。




