正体
四話目です
「……すぐに、王都に向かうわよ」
彼を見送った後、私はセバスに告げた。
セバスとターニャはそんな私に心配そうな視線を寄越す。
というのも、彼が去った後もう一度倒れかけてしまったからだ。
今は長いソファーに半ば横になるように深く座り込んで、身体を休めていた。
そんな状態で行けるのか……という無言の問いかけに、私は苦笑いを浮かべる。
「大丈夫よ。少し休めばすぐに治るから。……それにしても、喰えない方だったわ。まさか、従者のフリをしてカァディル様本人がいらっしゃるなんて」
「「は……!?」
私の呟きに、セバスとターニャは固まった。
それはそうだろう……今さっきまで会っていたのが、まさか王族の一員だなんて。
「そ……それは、確かなのですか?」
「多分ね。彼、鷹の紋様が彫られた金の指輪をしていたでしょう?」
「え、ええ……」
書状を手渡された時に目にしたセバスが、私の問いかけに肯定した。
「あの国では、王族一人一人にこの国でいう家紋のようなものが与えられていて、それを身につけるという習慣があるのよ」
「お嬢様は、王子の紋をご存じでいたと……?」
「いいえ。でも、鷹はあちらの国では特別視されている動物の一つらしいのよね。だから王子の紋様であっても何らおかしいことじゃないのよ」
代々のアルメリア公爵家当主が集めた資料や、ここ最近貿易が活発化したことによって入ってきた書物を元にレーメが作ってくれたアカシア国の資料を読んだおかげだ。
「それに、彼が言っていたでしょう? 王子は私に求婚しに来る……と。今日、正にして行ったじゃない。こうして正式な書状がある訳だし」
「あ……」
「僭越ながら……お嬢様。その申し出、受けるおつもりで……?」
ターニャが心配気に、私に問いかけた。
私は、苦笑いを浮かべる。
あの時は単に驚いてしまったけれども、今は私と彼が婚姻関係となることで得られるメリットを頭の片隅で計算をしていた。
海で隔てられているとはいえ、アカシア国はタスメリア国と同じぐらいの規模の大国。
その架け橋となるのであれば、この身の使い道としては最善だ。
国にとっても、我が家にとっても、この領地にとってもメリットがある。
叶わぬ恋に怯え悩むのであれば、打算に塗れた婚姻の方が私らしい。
いつかは、この胸の痛みも……そんなことがあったなと笑って流せるようになるはず。
「さあ……こればかりは、お父様に相談してみないと何とも言えないわ」
頭では、そう結論を出しているのに。……心が、肯定することを拒否してしまう。
もう少しでいい……あと少しだけでいいから。
芽生えた気持ちを殺すような真似をしてくれるな、と。
※※※
「カァディル様、いかがでしたか?」
そう好々爺然とした従者……本物のハフィーズに問われた俺は、笑みを浮かべた。
さっきまでの外行きの仮面を外し、ただただ思いのままに笑う。
ハフィーズとアルメリア公爵家で名乗った俺の本名は、カァディル。正真正銘アカシア王国の第三王子だ。
「目的は果たした」
そう言いつつ、ソファーに座った。
アルメニア公爵領にあったそれより幾分か低いソファーは、クッション性に優れており、身体の重みの分沈む。
「左様でございましたか。……爺は御身が心配で寿命が縮む思いでしたぞ。お戯れも、程々になさってくださいませ」
「ああ。爺がいなくなってしまっては困るからな」
「それにしても、随分早いお帰りでしたな。やはり、あちらはカァディル様に気づかず……?」
「いや、あの娘はハフィーズと名乗る俺こそが王子だということに気づいていたさ」
「なんと……!? 気づいておきながら、大したもてなしもなく帰したと?」
「父親が倒れたそうだ。仕方なかろう。『次回』には盛大な歓迎をしたいとさ……あの娘、言外に俺が本名を名乗らなかったのだから良いであろうとな。中々面白い」
ついつい可笑しくて、声に出して笑う。
あのような気骨のある女は、なかなかいない。
本当に、今思い出しても面白い女だった。
「何とまあ、肝の据わった娘でございますな」
傍に置かれていた皿から、果物を一つ手に取る。
俺らは今、船の上にいた。
既に出航しており、海風が時折窓から入っては肌を撫でる。
「面白いであろう? ……爺、俺は本気で欲しくなったぞ。あの娘が」
手に滴る果実の汁を舐めとりながら、俺は爺に宣言した。
「でしたら、あの書状は渡したのですか?」
「ああ。『次回』あの娘が『どのような立場』にいるかによって、妃として迎えるか妾として迎えるかは分からぬが……いずれにせよ、あの娘の統治能力は中々目を見張るものがある。亡国の貴族なんぞより、さぞ己の力を発揮するであろう」
「王は本気でございますか……」
「上手いこと乗せられておるからな。……父上の強欲にも困ったものだ。あの年で未だ欲に身を任せるのだから手に負えん」
とは言ったものの、爺の視線は生温かい。
困っているとはどの口が言うのか……とでも思っているのだろうか。
まあ、爺だから良いが。
「あの領地にはそれなりに猛者がいると聞いているが……果たして内憂外患で、どこまでやれるかな」
「私としては、交易相手としては中々良いので頑張っていただきたいところでございますが」
「こら、爺。間違っても敵国を応援している素ぶりを見せるでないぞ」
「見せる相手は弁えておりますよ。カァディル様はあちらが勝とうが負けようがどちらでも良いのでしょう?」
その爺の質問に、俺は答えなかった。
ただただ、笑っただけ。
その間にも俺たちを乗せた船は風に帆をはためかせ、進んで行った。




