乙女の戦準備
それから二日後の朝に、ディーンは慌ただしく去って行った。
彼を見送ることは、叶わなかった。
というのも、商業ギルドと保険制度導入の件についての話し合いがあったからだ。
ディーンに付いて来て貰えたら心強かったんだけれども、忙しいと言っていた彼にそんなお願いはできなかった。
……まあ、意外とあっさりと通ったけれども。
そのまま、学園長と相談。
学園長から色々アイディアをいただけた上、有識者に声をかけて集めてくれるとのことだった。
まず、医療ギルドの設立。
……これについては、領地の医者の数の把握と品質の向上を狙うという意味もある。
また、現在市場原理に任せている治療費のうち、最低限の範囲のものを統一させる。
というのも、治療費が高ければ早々に保険制度は破綻してしまうからだ。
富裕層が望むサービスだとか、より高額な治療を受けたい場合は流石に自己負担として貰う。
この地で医療活動に従事する医者は、全員医療ギルドに加入しなければならないことにし、医者は治療した内容とカルテを医療ギルドに送り、医療ギルドはその内容を確認して患者が払った分を差し引いた残りの分を支払う。
医療ギルドでは、一年に一度話し合いの場を設け、どこまでの治療や薬を保険の適用とするのかを話し合って貰う。
……医療は日進月歩進化しているからね。
そして医者たちも医療ギルドの講習会に年に数度参加することを義務付け、保険適用の治療とそうでないものの違いを把握させ、どちらを選ぶかは患者次第という形にしてもらう。
……というのが、大枠。
あとは実際に学園長が集めてくれた有識者との話し合い等々で修正していくつもりだ。
とりあえず方々との話し合いを終わらせたところで一安心、屋敷に戻った。
そしてそのまま、積みあげられた仕事と向き合う、
自分で自分の仕事を増やしているので、仕方ない。……私が仕事を増やすことで被害を被るのは、領官たちだ。
特に財と民の面々は、どちらも忙殺されている。
とはいえ、財の面々は目をギラギラ輝かせていたが。キラキラという可愛らしい擬音語ではなく、ギラギラ。
……正直、少し怖かった。
書類が追加になった場面をそっと覗きに行ってみたが、手を高速で動かしながらケタケタ笑っていたり、負けるものかと叫んでいたり。
勿論その時は、その光景を見なかったことにして、立ち去った。
財の皆は、本当に立派な仕事中毒と化しているというかなんというか……。
その感想を漏らしたら、『お嬢様も似たようなものですよ』と、ターニャにはバッサリ切り捨てられてしまった。
「……失礼致します」
ノック音と共に入ってきたのは、セバスだった。
「お嬢様、今よろしいでしょうか?」
「どうしたの、セバス」
「お嬢様の元に、続々と招待状が届いておりまして」
「ああ……そういえば、そろそろ社交シーズンね。もう、そんな時期なのね」
すっかり忘れていた。
仕事に熱中して、『社交』という二文字が頭から消え去ってしまっていたようだ。
……貴族の令嬢として、それはいかがなものかとは自分でも思うけれども。
「社交……社交、ねえ」
「いかがいたしましたか?」
「こんな情勢下で、よくもまあどの家もパーティーを開くわね」
王は病に倒れ、王宮では第一王子派と第二王子派で派閥争いが繰り広げられている今、大人しく領地に引きこもっている方が良いのではと考えてしまう。
……決して仕事と天秤に賭けて、面倒だと思ってしまったというわけではない。
「逆ですよ、お嬢様」
セバスがニコリと笑った。
その笑みは、有無を言わさない迫力が備わっている。
「こんな状況下だからこそ、どの家も情勢を見極めるために人を集めるのですよ。また、宅の催し物はそれ即ちその家の財力・人脈を見せつける絶好の機会。皆様催し物を通して、他家を推し量っているのですよ」
「……重要な家には、お母様が伺うわ。それでは、駄目かしら」
「何を仰いますか。デビューされたお嬢様がどこにも出席されないのは、お嬢様のお名前ひいてはアルメニア公爵家の名にも傷がついてしまいますよ。……特に、今の王都は何やらきな臭いですから、伺われた方が得策かと。……知らぬ間に陥れられることなど、ないように」
「言ってみただけよ、言ってみただけ」
社交会の重要性は、理解できている。
お母様が戦場だと称するあの場は、確かに貴族同士が腹の探り合いを行い、牽制し合う場所。
領地を預かる者として、他家の動きを把握するのは必要なことだし、アルメニア公爵家の力をアピールすることも重要なことだ。
……ただ、ほんの少し……本当にほんの少し、行かなくて済む方法はないかなあと思ってしまっただけだ。
「という訳で、明後日スケジュールを空けさせていただきました。マダム・クレジュールに採寸の依頼とドレス作製の依頼を致しましたので」
「ああ、マダムのところに。よく呼び出せたわね。ここ最近、マダムは忙しいと風の噂で聞いているけれども?」
初めて絹を発見してから時が随分経ったけれども、やっと絹の売り出しに漕ぎ着けた。
絹の生産過程を産出国は秘匿扱いにしていたみたいだが、私は原材料は知っていた。シルクロードに関する物語だとか逸話、歴史の授業で興味を持ったのが、キッカケで。
……何が役に立つのか分からないものだと、遠い目をしたものだ。
試行錯誤の上、生産方法も確立することができた。
問題は一定数の原材料の確保だったのだけれども……絹の生産国は蚕も輸出制限をかけていたみたいだが、絹が何からできているのか知らない国からしてみれば、ただの虫。というわけで、絹の産出国ではないところから購入し、養殖し、ある程度数を増やさせてから絹の生産に割くようにし始めている。
ただ、まだまだ数は少ないので、アルメリア公爵領に本店を構える店にしか売っていないが。
マダムのところも取り揃えており、それに加えて流行の最先端をいくような斬新なドレスを作ってくれるというのが話題となって、彼女はかなり大忙しのようだった。
「忙しいのはお嬢様が新しいドレスの型のアイディアやら材料を色々持ち込まれるからでしょう。お嬢様のご要望とあっては、最優先で伺うと申しておりましたよ。……最近、またもやアイディアが煮詰まっているとのことでしたので」
「そ……そう」
……その二日後には予定通り、マダムが来て採寸をした。
服飾は詳しくないので、私自身は幾つか注文をつけただけなのだが……控えていたターニャが『お嬢様を最高に引き立たせる服を!』とそれはもう気合が入っていて、マダムと白熱した議論を交わしていた。色に始まり、刺繍の柄、装飾等々……。
私もオシャレは大好きだけれども、いかんせん半日立ち続けて、ああでもないこうでもないと二人の終わりの見えない話し合いを眺めていたのだ。
最後の方は、どうとでもなれと思ってしまっても仕方ないだろう。
マダムも普段は仕事ができるオーラを滲ませる淑やかな方なのだけれども……一度服飾のことを語らせると、ガラリと人格が変わる。
今回は特にターニャの気迫に当てられて、凄まじいものだった。
……いや、これ以上思い出すのは止そう。
とにかく、採寸と依頼は完了した。
製作には勿論時間がかかるので、大丈夫かな……と若干心配だったけれども、マダムの工房の人員全員で取り掛かればなんとか間に合うとのことだった。
セバスもその辺りは抜かりなく予定を立てていたのでしょうけれども。
デスクワークとはまた違った意味で肩がこったな……と思いつつ、仕事に戻った。




