密会
「……結構詰めることができたわね」
私は手元の紙を見て、満足げに呟く。
会議を終えて領政の通常業務が終わった後、私はディーンと共にずっと先ほどの案を詰めていたのだ。
時刻は、真夜中。
窓から外の景色を眺めても、きっともう明かりが灯る家や店はないだろう……そんな時間だ。
「ええ。後は領官と商業ギルドを通して各商会それと医者たちへの根回しですね」
「そのことなんだけど、ディーン。彼らへの根回しは当然のことなんだけれども、領民たちにも根回しをしたいのよね」
「領民たちに、ですか?」
「ええ。今この領地では治水工事を行なっているのだけれども、その必要性について十分説明ができていなかったの。その件を通して思ったのだけれども、やっぱり領民の皆には、何故それが必要なのか、どうしてその制度を稼働させるのかというのをしっかり説明した方が良いと思うのよね。納得できないという人もいるかもしれないけれども、何も話さず知らないままよりも、不満は少なくなると思うの」
「なるほど。非常にお嬢様らしいですね」
ニコリと笑った彼に、私の心の蓋は一瞬開きかける。
考えてみれば、こんな夜中に彼と二人きりなのよね。
よく、前までの私は大丈夫だったものだ。
「私らしいって……?」
その気持ちを振り払うよう、彼との会話に集中する。
「貴女は、代行とはいえ領主です。命令をしてしまえばそれまでだと言うのに。貴女は本当に愛していらっしゃるのですね、この地に住む民たちを」
そう言った彼の表情は、一瞬翳りがあったような気がした。
「ディーン……?」
「失礼致しました。それならば、皆に知らせれば良いと思います。口頭ではなく、何らかの方法で文章を広めた方が良いかと。口頭では全ての者に集まって知らせるのは現実的に無理がありますし、伝言では間に挟む者の印象で如何様にもその言葉の意味を歪めてしまいますから。何よりこの地の識字率は学園があるために高い。子のいる家庭であれば、確実に文字が読めます」
「そうよね。いっそのこと、全ての家庭にその旨を記したものを行き渡るようにしましょうか。情報誌のようにね」
「そうですね。王都では上流階級のみが紳士淑女の嗜みとして情報誌を読みますが……この領地では、民が発信する民のための情報誌ができそうですね。いえ、きっといつかはできるでしょう。それだけ、この領地は教育を推し進めていますから」
「そうね。そうなったら、どんなに良いでしょう」
「それを良いと言えるのは、お嬢様と領民たちの関係が良好だからですよ。殆どの貴族は恐れます。民に力がつくのは」
私の声が弾むのとは対照的に、彼の声は真剣を通り越して怖い。
「あら、それはどうしてかしら?」
「以前、お嬢様は仰られていましたね。知識とは、力だと。正しくそうです。知識は一種の特権というのが、この国の今の有り様です。知識を持つ者たちが、民を抑えつけ支配している。つまり、お嬢様は国の身分制度の一端を崩しにかかったのですよ」
「まあ……ふふふ」
笑った私に、ディーンは真意を問うようにジッと私を見た。
私はすぐに答えず、窓を開け放ってベランダに出た。
真っ暗で、何も見えない。
けれども、目を閉じれば私は街並みを瞼の裏に思い浮かべることができる。
「確かに……何も知らない者たちを抑えつける方が、楽よね。だって、私が何をしても知らないから分からないのだもの。でもね、そうでなけば抑えつけられないなら、そんなの失くなってしまえば良い。私が間違えた時には……いつかベルンが継いで、ベルンが、ベルンの子孫が大きな間違いを犯した時には、民たちに選択してもらいたい。この地に住むのなら、その権利が彼らにはある」
そう思うのは、前世の知識があるからかしら。
ディーンが言ったことを、承知の上で推し進めてきた。
それは、きっとこの世界に於いては異端なのだろう。
「一番怖いのは、分からないからこそ間違った憶測で民たちが動いてしまうこと。分からないからこそ不安に思って、それが不満になって、どこかにぶつけてしまえば良いと暴力となってしまうこと。彼ら自身も考え判断し、その意見を取捨選択し反映させ、そうして領政が整っていく。それが、一番の理想ね」
彼の方を振り向けば、彼は驚いたように目を見開いていた。
その表情に、私は思わず笑いがこみ上げてくる。
「そもそも、無理よ。人の探究心を抑えつけることは完全にできない。そう、私は思う。知識は特権?いいえ、人は考える生き物なのだから、全ての者にある権利よ。だから、私が何をしなかったとしても、いずれ民たちが台頭する時はくる」
そう言い切ると、彼は笑った。
静まり返った空間に、彼の声はよく響いた。
彼が声をあげて笑うのが珍しいだけに、今度は私の方が驚いてしまう。
「確かに、そうですね。いずれ、民たちは台頭する……ですか」
「あくまで、私の憶測よ?」
「いいえ。何だか、私もそんな気がしますよ。そう考えると、王都での王位争いが馬鹿馬鹿しいものに思えますね。……百年先、力をつけた民に王家が恨まれて消えるか、それとも尊敬されているかは今後の王次第といったところですかね。どちらが王になるかではなく、王がどのようなことをするか。その良し悪しの判断を、民がする。思ってもみなかったことです。私も随分狭量だったということでしょうか。」
「ディーン……流石に、それは言い過ぎだと思うの」
私はそう言うが、ディーンは何故か嬉しそうというか……吹っ切れたようだった。
「失礼致しました。……お嬢様、ここだけの話にしてください」
「ふふふ……共犯っていうことで、私の発言もここだけの話にしてね」
何だか嬉しそうな彼に、釣られて私も笑ってしまう。
「ええ、勿論です」
「ふふふ……なら、共犯者として一献どうかしら?口止め料ってやつね」
「この場合、私がお出ししなければならないような気がしますが……是非」




