仕事
「……災害対策は大分進んでいるようね。お祖父様のおかげだわ」
工事を請け負う商人からの報告を聞きつつ、手元の資料を読む。
海に面し、領内には幾つかの川が流れるアルメリア公爵領にとって水害対策は重要なこと。
お祖父様は早くから水害の被害をどうにか最小限に抑えようと施策を打たれている。
どうすれば自領がより豊かになるのか発展するのか……そのための施策を考えられる方はいらっしゃるが、起こりうるかもしれない、けれども何十年・何百年先まで起こらないかもしれない、そんなリスクに対して対策を取ることは、この世界であまり聞かない。
特に自然災害は、起こってしまったら『仕方ない』という考え方が罷り通っている。
自然という大きな力を前に、人の力ではどうしようもないだろうと。
起こらないかもしれない、否、起こるということが考えられない事象に対して問題を先送りしているというか。
……早くから何とかできないかと対策を練られていたお祖父様は、本当に民を想い、領を愛していたのだろう。
そしてお父様がそれを引き継ぎ、私が今それに手を加えているのだ。
「……以上で、報告は終了です」
「そう、ありがとう。審議をしてから、また指示を出すわ」
「……アイリス様。一つ、お聞きして宜しいでしょうか?」
「なにかしら?」
「仕事を頂いている身からすれば、大変愚かな質問ですが……本当に、この工事は必要なのでしょうか?」
「どういう意味かしら」
「今現在工事を行なっている川二つは、氾濫したということを聞いたことがありません。そんな川の工事を行うよりも、例えば北部の開墾への補助金を出すとか、港の拡充に資金を充てるだとか、そうした方が良いのではないでしょうか?その方が、よりこの領地は豊かになると思うのですが」
彼が言葉を発していたタイミングでノック音がしたかと思えば、レーメが入って来ていた。
「氾濫は起きたことがありますよぅ。百五十年前と百年前にそれぞれ一度ずつ」
現れた第三者からの言葉に、その商人は驚いたようにレーメに目を向ける。
「失礼しました。お嬢様、会議の場が整いましたのでお知らせに参った次第ですぅ」
「あら、ありがとう。レーメ」
「……レーメさん、ですか?失礼ですが、先ほどの事はどこでお知りになったのですか?」
「歴代当主の手記と当時の報告書ですよお?特に報告書には、当時どれぐらいの被害が出たとか、その救助策について書かれているので中々読み応えがあるんですぅ」
「……百五十年も前の報告書を、お読みになったと?百年前も合わせて一体どれだけの量になるのか……」
「いいえ、それだけではないですよ?初代アルメリア公爵様がこの領地を賜ってからの残っている資料は全て読みました」
「まさか……」
彼が驚くのも無理はないことだ。
なにせ、現存している分だけといっても、数百年分の資料を読んだということだ。
想像しただけでも気の遠くなるような量を、嬉々として読むのはレーメぐらいなものだ。
「特に被害の大きかった百五十年前の氾濫では、村二つ分が水の底に沈みましたぁ。作物も当然全てダメになりましたので、国や他領より援助をしてもらって、なんとか凌いだ……とのことです」
「確かに貴方の言う通り資金を開発に回せば、より領地は豊かになるかもしれないわ。けれども、これから先災害が起きない保証はあるのかしら」
「それは……」
私の問いかけに、彼は言葉を詰まらせる。
「貴方の代では、確かに起きないかもしれない。けれども、貴方の子どもの代では?貴方の孫の代では?……起きてしまってからは、防ぐことはできない。あの時『ああすれば良かった』『こうすれば良かった』なんて、後悔を私はしたくない。貴方は、貴方が今動けば守ることができるかもしれないのに、それを放っておいて良いの?」
「……将来起こり得るリスクを減らす、ですか。なるほど、よく分かりました。領官でもないのに領分を侵すような質問をしてしまい、大変失礼致しました」
「良いのよ。……咎められるべきは、私ね。私がしっかりと、今行っている事業の真意を伝え切れていないということに他ならないもの。是非、今後も気になったことは質問してね」
「はい」