ドルッセンの旅 壱
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アルメニア公爵領に辿り着いた。
王都と比べても何ら遜色のない街並みと活気に、驚いた。
いや……驚いたといえば、公爵領に入ったその時からか。
公爵領に入る時の関所では長蛇の列ができていたこともそうだし、入った後には整った街道にも驚いたものだった。
特に、後者。
他領では街中の街道は整備するにしても、主要都市間の街道以外はあまり手を加えていない。
けれどもこの領地は、村と村の間の道すら整備されていて、移動が楽だった。
時々交番という公爵家の護衛たちが常駐している建物があるせいか、都市間の治安も良い。
流石は歴代宰相を輩出している家だ……と感心したものだった。
領都に着いて宿を取り、ひとまず街中をぶらりと歩く。
ふと、何人もの人たちが一際大きな建物に入っていくのが気になった。
「……あれは、何の店なんだ?」
通りがかった男に、声をかけてみる。
「お店?……ああ、貴方は旅人ですか?」
「そうだが……」
「あそこは、領立の学園の初等部です。領に住む子供たちは全員、無償で文字の読み書きや算術を学ぶことができるんですよ」
「へえ……凄いな」
凄いことだが、果たして必要なことなのだろうか。
内心、そう首を傾げる。
読み書きや計算は、貴族や商人の子弟たちには求められるものだ。
けれども、平民にまでそれを求めるのには一体何か意味があるのだろうか。
「そうなんですよ!アイリス様が領主代行の地位に就いてから始まった制度なんですよ。……知識は力だと、私たちが私たち自身の足で生きていくのに杖となるからって。最初は何を言っているのかと思いましたが、実際学んでみると、その言葉が身に沁みましたね。将来就ける職の幅が増えますし、日常生活でも使えますから」
俺の凄いという感想に気分を良くしたのか、興奮したように男は言った。
「アイリス様……?令嬢が、領主代行の地位に就いたのか?」
「ええ、そうですよ。彼女が着任されてから、病院が増設されたり、税の見直しがあったり、それはそれは我々にとって生活し易いようになりました」
あのご令嬢が、領主の仕事をしている……全くもって想像もつかなかった。
「お前も学園の生徒なのか?」
「ええ。私は今、高等部に入りたくて勉強中なんです」
男に礼を言って、他でも聞き込みをする。
方々で聞きまわったが、女性が上にいることに嫌悪感を出すこともなく、むしろそれが当然と言わんばかりの反応ばかりだった。
彼らの反応は概ね肯定的で、先ほどの男のように嬉々として語りだす者もいる。
アイリス様は、どうやらこの領地で好かれているらしい。
あまりに好意的な反応が多くて、逆にモヤっと自分の心内で黒い感情が沸き上がる。
聖人君主のように言われているが、彼女はユーリを虐めていたのだ。
それなのに、何故。
「……なあ、店主。彼女の功績は分かったが、何故、アイリス様は皆に好かれているのだろう?」
街中の食堂の店主にアイリス様の印象を聞いたら、例に漏れずアイリス様を褒め称えていたので、そう聞いてみた。
「変な質問をするなあ。俺たちのことを考えて行動してくれている方をどうして嫌いになれるっつうんだ?」
「だが、俺は王都で彼女が次期王妃を虐めて学園から退学処分を受けたと聞いたが?そんな人が、果たしてそのような民のことを考えて政策を進めるだろうか?彼女の側近たちがそうしているだけではないか?」
そう問いかけると、店主は笑い出した。
「そりゃ、何かの間違いだ。大方、教会の騒ぎの時みたいにあの方を害そうと誰かがしたんだろうよ。それであの方が領主代行の地位に就いたのだから、俺たちにとっちゃラッキーだけどな」
「何故、そうまで彼女を信じることができる?」
「兄ちゃんが何と言おうが、俺はあの方の今までの行動を見てきたからさ。領地のために働き詰め、忙しい合間を縫って孤児院に慰問したり、街を視察したり。あの方ほど俺たち民のことを考えて働く方はいらっしゃらないと思うよ」
「だが……」
「兄ちゃんこそ、あの方の何を知っているんだい?……それと、言葉には気をつけた方が良い。ここの住人は、あの方をそれはそれは慕っているんだ。ほら、他の客も兄ちゃんを睨んでいるよ」
確かに店主との会話の間、幾つもの視線を感じていた。
それは決して好意的なものではく、刺々しい敵意に近いものが込もったそれ。
「……失言だった」
「おう、気をつけろよ」
店主は、そう言い残して自分のもとから離れた。
……彼女は、この地の民に愛されている。
学園を退学した後、彼女なりに改心したということなのだろうか。
会計を済ませて、店を出る。
陽が沈むというのに、相変わらず街中には人が行き交っていた。
それだけ、街中も治安が良いということなのだろう。
ここまで街のことを、民のことを考える彼女が果たして本当に、ユーリを虐めたのだろうか。
街を眺めながら、ふと、そんな疑問を持った。
けれどもすぐに、その考えを否定する。
……それは、ユーリを疑うことに他ならないからだ。
ユーリが嘘をつくことなど、ありえない。
やはり、彼女は改心したということなのだろう。
ならばあの事件は、むしろ起こって良かったのではないだろうか。
宿に戻り、エールを飲みつつ窓から領都の景色を眺める。
……そもそも、自分は何故ここに来たのだっけか。
それは、彼女を知るためだ。
……ならば、知ってどうするつもりだったのか。
今思えば、何をしたかったのか正直なところ分からない。
ケジメをつける?
何故、そうしたかったのか……それを考えてみれば、結局のところ、自分は単に流されていただけなのだ。
父親に、母親に責められて。王太后様の覚えめでたい彼女と対立したという事実をなくしたくて。
それで、ケジメをつけて体面を整えたかっただけだ。
自分は謝罪をした、ケジメをつけたという免罪符を得たいと思って。
『さっきから言っているだろ?お前は上っ面な謝罪を述べて、自分がしでかしたことの清算したいだけ。申し訳なく思っているんじゃなく、単に周りに流されて。……考えろ、お前自身で。もっと深く。もっと、広い視点で。どうしたいのか、何ができるのか』
先輩の言葉が、頭の中に蘇る。
ああ、確かにそうだ。
自分は、考えていなかった。
彼女のことなど、何一つ。
謝罪をしようとしていた相手に対して。
何が、謝罪だ。
何が、ケジメだ。
……ふうっと、溜息を吐きながら窓から視線を外す。
グラスを見れば、中身は既になくなっていた。




