ディーンの独白
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公爵令嬢の嗜み2巻が、この度発売されました。
ありがとうございますっっ。
「……ルディ。終わった」
羽ペンを放りつつ、宣言するとルディは柔らかく笑った。
「お疲れ様でした。これらは、各所に回しておきます」
「ああ、悪いな」
そう言いつつ、詰めていた息を吐く。処理すべき案件はすべて片付いた。
アルメニア公爵領に行っても問題はないだろう……そんなことを内心思いつつ。
「これで、暫くの間あちらにいても問題はないですね」
口には出していない筈なのに、内心を見事に言い当てられて思わず苦笑いだ。
「別に、良いと思いますよ。やらなきゃいけないこと以上のことやっているんですし。大体、これらなんて、どうしてこちらに回ってきているのか疑問ですよ。政務を担う者たちは一体何をやっているんでしょうね」
「……王宮内も、深刻な人材不足というやつだ」
密偵たちを、他国や各領だけでなく王宮にもそれなりに配置させて目を光らせなければならない、現状。
上は陣地取り合戦に明け暮れ、下は下で出世争い。正攻法でのそれは結構だが、いかんせん、人脈やら賄賂ありきのそれだ。真面目にやる者が馬鹿を見る……そんな構図になってしまっている。その結果、優秀な者は日の目を見ることがなく、早々に見切りをつけて王宮を去る者たちも少なくない。
彼らをそれなりに回収して、ここで働い貰ってはいるが。
「同じ人材不足でも、アルメリア公爵領は良いな。純粋に人手が足りないということなのだから。一番質が悪いのは、人手がいるというのに生産性が全くないことだ」
足の引っ張り合いで、仕事にならない。そんな状態で、だ……公僕たらんとする者がどれほど残っているというのか。頭が痛いことだ。
「少し、休む。1時間後に、起こしてくれ」
重い溜息と共に、ルディに告げた。
「お休みになられるのでしたら、寝所に……」
「いや、良い」
「……畏まりました」
ルディが退出した後、再び溜息を吐いて目を瞑る。そして、そのまま意識を手放した。
何故だか、分からない。疲れていたからなのだろうか。
……懐かしい、夢をみた。
普段は省みることのあまりない、過去。幼い日の記憶。……それは、あまり良いものではない。
一番最初にある記憶は、大人たちに囲まれた日々だった。第一王子として生を与えられた自分は、生まれた時から親の手から離され、養育係の手に寄って育てられた。
……自分でも、冷めた子どもだったと思う。でも、それで良かった。
純粋に自分に仕えようとする意思のある者もいれば、利害関係やら背景があって仕える者。様々な人物に接する機会を持てたということは、それだけ観察対象がいたということで、言葉の裏側に潜む真意や悪意、或いは人を見る目を養うという点で、有意義であったように思う。
嫉妬、強欲、虚飾、傲慢、怠惰……どのように刺激をすれば、どのようにそれら負の感情が顕われ、そしてどのような反応が返されるのか。幼子ということで、相手が油断し、面白いぐらい分かり易く反応を返してくれたおかげでもあった。
それをルディに言ったら『3歳の子が、そんなことを考えるとは思いませんよ』と呆れたように笑っていた。
エドワードが生まれて、周囲の環境はより複雑化した。
王宮内ではエルリア妃がそれまで以上に台頭し、周りにいる者たちも何割かがそちらに傾倒した。
王宮内で母はそもそも肩身の狭い思いをしていたというのに、居場所がないに等しくなっていた。
……母の記憶は、正直朧げだ。
あまり接する機会がなかったというのも、理由の一つ。
けれども何より、早くに亡くなったというのが大きなそれだろう。
今残っている記憶を繋ぎ合わせて思うことは、母は脆くも強い、摩訶不思議な人物だった。
身体が弱く、争いを好まないような穏やかな人。
王宮という欲望渦巻く場所に、おおよそ相応しくない人物だった。
だというのに、王宮に留まり続けた。
体調が芳しくないということを理由に、王太后のように離宮に引っ込むという手もあったというのに。
否、できなかったというのが正しいかもしれない。
それだけ、王は母に執着していたのだから。
幼かったからこそ、母に直接聞くという愚挙を犯したことあった。
『何故、貴女はここにいるのか』と。
『ここは、貴女には相応しくない』とも。
それは、心配しての言葉だった。
どこかで、心安らかにいて欲しかった。
それだけの悪意が、日常的に彼女には降りかかっていたのだから。
けれども直接的な言葉は、今思えば傷ついた彼女に塩を塗るような愚かな行為だったと自分でも思う。
けれども、彼女は柔らかに笑って応えた。
『あの人を、愛しているから』と。
理解できない、そう言って笑いたかった。
けれども、できなかった。
逆に、ある種の尊敬の念を抱いてしまったから。
あの人には、それしかなかった。
王宮での拠り所は、王の愛……ただ、それだけ。
目に見えぬそれを信じ、そして逃げずにそこに留まり続ける。
それを、純粋に凄いと思ってしまった。
正しいだとか、賢しいとか、そういうことを抜きにして。
それを成し得てしまう彼女に、ある種の強さを感じたのだ。
けれども、同時に王を責める想いが強まった。
王は一人の人間であるが、同時に一つの装置だ。
国家という巨大なモノを動かすのに必要な、象徴的な装置。
だからこそ、儘ならないことがあるというのも理解できる。
エルリア妃を娶ったことも、政務に追われて母の保護を十全にできなかったことも。
けれども、ならば始めから装置に徹するべきだったのだ。
母を王妃にするなどという、あの男の私情を優先させた結果生まれた歪みという悪意を、何故母が受けなければならなかったのか。
もし、母が王に見初めなれなければ。
母が別の誰かを愛していたのなら。
母は、穏やかに暮らすことができただろう。
心を苛まれることもなく、身に危険を及ばすことなく。
平凡な、けれども彼女に哀しげな笑みを浮かべさせることのないような。
レティシアを産んだ後、母は益々弱った。
そして、そんな母に王は益々執着を見せた。
それを、エルリア妃は当然面白く思わない。
故に、エルリア妃は行動に移した。
母を亡き者にするための、それ。
既に、エルリア妃は奥……他国でいうところの後宮・王族の私的な空間を、そこにいる者たちを掌握していた。
母は、どこまでその状況を理解していたのかは分からない。
けれども、悟っていたのだろう。
母は王がいない間に『レティシアを守って』と、自分に願った。
……断れなかった。
肉親への情、確かにそれもあったかもしれない。
けれどもそれ以上に、弱り切った彼女の言葉と目のその力強さに。
それを叶えるべく、すぐに行動に移した。
王太后に会えるよう、ルディを通してアンダーソン侯爵に取り計らってもらいる間に、レティシアの周囲に気を配り、綺麗にした。
そして、約束に日。
王宮を抜け出し、初めてに等しい祖母にレティの保護を願った。
その対価として、自身の自由を差し出して。
王太后は、祖母として心の底から母と自身そしてレティシアを心配してくれた。
けれども、同時にかつての治世者としての一面も見せられた。
|自分【第一王子】が王宮内に残ったら、王座の争いの火種は燻り続ける。
それと同時に幼い自分が勢力に飲み込まれ、担ぎ上げられ、そして傀儡となるのをひどく恐れていたようだった。
たとえ彼女の手元で庇護されたとしても、いずれは王位争いは勃発するであろう……そう、王太后は言った。
王位継承権を放棄しても、その身に王家の血が流れ、第一王子という肩書きはかつてのものとなっても事実として残る。
そうであれば、エルリア妃はいつまでも命を狙ってくるだろう、と。
だからこそ、力をつけろと。
付け入られることのないように、自ら物事の判断を下せるようになってみせろと。
そうして自身を守る地盤という盾を、自ら作り出してみろとも。
『王は、権力の象徴。だからこそ、付け入られてはならぬのです。欲深き貴族にとって、王という存在は甘露。隙を見せれば喰われ、国にすら傷を残します。……だからこそ、現時点ではエドワードにこそ、一番王になって欲しくないのです。彼が王になれば、第一王子がいようとも貴族の権勢によって、いかようにも次代の王は変えられると、思わせてしまう。一度それを許せば、王宮内の腐敗は進むでしょう』
王太后は、困ったように溜息を吐いた。
彼女にとっても、王位争いは悩みの種だったのだろう。
『だから、貴方は力をつけなさい。そして、マエリア侯爵家の助長を食い止めるのです。それが、私の条件』
是非も無かった。
レティを保護してもらった後の自身の身の振り方を考えたときに、それが一番効率的かつ安全だったからだ。
そうでなくとも刺客が差し向けられることは想像に難くないというのに、表立って力をつけようとすれば危険性は跳ね上がる。
かといってボンクラを装ったとしたら、それはそれで王宮内からそれを理由をつけて放逐されるだろう。
そんな綱渡りをせずとも、王太后の下にいれば少なくとも数年間の身の安全は確保されつつ、研鑽することができる。
そう考えれば、これ以上ない環境だ。
すぐに了承すると、王太后は楽しそうに目を細めた。
『私は厳しいですよ』
そう、言いながら。
だからこそ、自分も笑った。
そんなこと、その場で十分に分かっていたからだ。
『頑張りますよ。……貴女 に見切りをつけられないように』
そう言った瞬間、王太后は嬉しそうに笑った。
意趣返しのつもりだったが、彼女にとっては何らダメージもなかったらしい。
『聡い子だこと。………面白いですね。そのまま、私が手放しては惜しいと思えるような存在になりなさい』
それどころか逆に肯定され、煽られた。
逃げ道を、塞ぐように。
『あまり老骨に鞭は打ちたくないですからね』
コロコロ笑って言った言葉に、いけしゃあしゃあと……と、内心愚痴った。
つまり、そういうことなのだ。
確かに、現時点では第一王子が王位に就くべき……そう言った王太后の言葉に偽りはない。
けれども、互いに大きくなったその時、王位争いの土俵にすら立てぬようであれば、素直に負けろと。
そんな状態で王位に就いたとしても、国内を纏め上げることなど夢のまた夢。
それであれば、王太后は自ら強権を発動して第一王子を排し、第二王子を王位に就けるつもりなのだ。
第一王子を自ら排したという実績をもって第二王子派に貸しを作り、そしてそのまま第二王子派に近づいて掌握。第二王子を傀儡として、自身が実権を握るつもりだったのだ。
『ええ。お祖母様。貴女がそのまま大人しく引っ込んでいられるように、せいぜい頑張りますよ』
そうしてレティは秘かに離宮に移された。
そして、自分も。
そうこうしている間に、母は殺された。
エルリア妃の手の者に。
後に分かったことだが母の主治医も、エルリア妃の手の内の者だった。
そして毒に侵されて死んだのだ。
幼さを言い訳にするつもりはないが、あまりにも自分は無力だった。
仮にその時点で主治医が、あちら側だと分かっていてもきれる手札はないに等しい。
覆すだけの発言力はなかったし、よしんばそれができたとしても、エルリア妃の息のかかっていない者を見つけることができなかっただろう。
正直、レティを守るという約束を守るので精一杯だった。
自身の無力さに、初めて挫折を味わった。
慎ましやかに、母の葬儀は行われた。
葬儀の後、明らかに王は憔悴していた。
それを見ても、何の気持ちも湧き上がらない。
けれども、エルリア妃の荒れようには興味を抱いた。
母が亡き者になったその時、王の心は自身に向くと信じていたのだ。
それが否定され、夢が壊れた瞬間……エルリア妃も、壊れた。
なんて事はない、彼女もまた得られぬ愛に狂った哀れな女だったのだ。
同情することは決してない。
彼女の行動原理が今更ながらも判明して良かったな、ぐらいの気持ちだった。
『……そういえば、我が最愛の妃は娘を産んでおったな』
そんなある日、いきなり王と会ったかと思えば、開口一番にそう言った。
今更何を言っているんだと、怒りにも似た苛立ちが心を支配した。
母が生きていた時には自分も含めて、子どものことに何ぞなんら関心を抱かなかったというのに。
『さぞや、妃に似た美しい子なのだろう。是非、会いたいものだ』
けれどもその言葉を聞いた瞬間、苛立ちはどこかに吹っ飛んで、代わりにぞわりと寒気が襲った。
危うい……そう、思った。
母によく似たレティに会ったら最後、王は彼女を溺愛するだろう。
最愛の母を失ってあいた穴を、埋めるように。
そうなれば、エルリア妃に今度はレティが目をつけられる。
王の血をひく娘だと分かっていようが、哀れな狂女が、母と瓜二つのレティが王に溺愛されるのを見て、何もしないはずがない。
『レティシアは、王太后に引き取られていますよ。父上そっくりだと、王太后は懐かしそうにされていました』
幸いなことに母に似ていないと聞いて興味を失った王は、それ以降決してレティと会いたいとは言わなかった。




