覚悟を問う
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彼らが立ち去った後も、私はぼんやりと教会を眺めていた。
「……随分、苛烈なことを仰られましたね。お嬢様らしく、ありません」
ターニャの言葉に、私は微笑む。
「私“らしい”って、何かしら……?」
私の問いかけに、ターニャは言葉を詰まらせた。
「お嬢様。僭越ながら、王都にいらっしゃる時からお嬢様は随分変わられたと思っていました。無理をして、御自身を悪く見せようとしているような……そんな気がしてならなかったのです」
ターニャの言葉に、私は驚いて目を瞬かせる。
「確かに、王都での駆け引きで私は随分と変わったかもしれないわね。……いいえ、正確にはディダから私の覚悟を問われた時からかもしれない」
あの問いかけは、私の甘い考えを打ち砕いた。……前だけを、見ていた。理想を追いかけて、ただただ前進して。平和な世界で、一従業員として働いていた“ワタシ”の感覚が私の行動の指針だった。
それを、否定するつもりはない。けれども、どこか夢の中にいたような気もする。転生という非現実を前に、夢を見ているような自身の感覚。その隔たりを見ないようにして。
けれども、あの問いかけは正にそれを打ち砕いた。
ここは、確かに現実だと。領主代行という地位は良い意味でも民の命と責を負うのと同時に、悪い意味でもそれを負うのだと。
それを理解した瞬間、“私”は美しいもののみに囲まれていた少女時代にお別れを。“ワタシ”は日本という優しい国に本当の意味でのお別れをした。
私はもう、他者に喰われるような隙を見せてはならない。断罪の場や破門騒動のような事件はもう、ゴメンだ。
「……大丈夫よ。私が間違った道に進もうとしたならば、私の側にいてくれる人たちが止めてくれる。そう、信じることができる」
「先のディダのようにですか?」
「ええ、そうね」
皆、私の言う事を叶えようと動いてくれる。けれども、本当に間違った時には意見をしてくれる……そう、信じることができる。
今の、私なら。
セバス然り、ディダ、ライル、レーメそしてセイとメリダ……それからディーンも。
ターニャだけは、何だか全てを肯定してしまいそうな気がするけど。それは、それで良い。
「もう一つだけ、宜しいでしょうか?」
彼女の問いに、私は無言で首を縦に振った。
「今更ですが、何故この教会に彼らを集めたのでしょうか?」
「ああ、それはね……」
私は、小さく吹き出して笑う。
「彼らに、相応しいと思ったの」
その答えに、ターニャは首を傾げた。
「この教会は、あの時の騒動の象徴。そして、ダリル教の未来の進む道の象徴といっても過言ではない」
実際、ラフシモンズ司祭もそう言ってたしね。
この教会は、管理する司祭の意向で貧しき民たちへ無償で往診に赴いていた。それに、親のいないための院も併設されている。その志に沿うための手助けを領都の民たちも積極的に行っている人たちも徐々に増えてきているらしい。そしてそれは、ラフシモンズ司祭が口にしていた、古き良き教会の形そのものである。
「私はね、別に教会と積極的に対立しようなんて思っていないわ。割が合わないもの」
スッと、私は祭壇に視線を向けた。この場で演説を行っていたことが、今では遠い昔に思える。
「……神様が本当に存在するのか。それは、分からない。分からないけれども、私は神を信じている。けれども、私が信じているのは神様の存在であって、ダリル教ではない」
「……お嬢様、それは……」
私の過激な発言に、ターニャは一瞬顔から血の気が引いていた。
「神の代理人を謳う彼らが何をしたのか、貴女は忘れたの?……ありもしない事実をでっち上げ、私を糾弾したわ。それも、権力闘争に肩入れをしてまで」
嘲笑しつつ紡いだその言葉は、自分の頭の中で考えていたそれよりも過激で棘がある。
「結局……神の代理人を謳っても、その組織を運営するのが人である以上、結局人の思惑や思想が混じり合い、元の形から歪んで、変形する。それは、仕方のないことだわ。けれども、だからこそ私は教会に信を置かない……いいえ、置けない」
私がすべきことは、神に祈ることではない。
神を盾に、自らの考えを押し通そうとする輩がいるなら、それはなおさら。
「前にも、言ったでしょう?ここは、私の覚悟の現れだと。ダリル教の全てを、私は否定するつもりはない。人民をまとめるには、宗教というのも有効だというのは分かるから。けれども、今回のことで証明された通り、ダリル教という組織は清いだけの組織ではない。王国の権力闘争にすら関与する、とても属人的なもの。だから、彼らが民たちの側に立つとは信じてはならない。それが民のためにならないと考えたのなら、私は戦わなければならない。ダリル教に阿ることなく、従うこともなく、あくまで対等に……それが、私の出した結論。そして、彼らにもそんな矜持を持って欲しいと思ったの。神に委ねるのではなく、組織に阿るのではなく、自らの手で民を守るのだと」
ターニャに向けていた視線を、そのまま再び祭壇の方に向けた。
「……私はね、あの古い教会を取り壊したことを後悔していないわ。あの騒動を引き起こした原因であり、周りから教会を破壊したと誹りを受けても。私が後悔したのは、もっと別のこと……あの、騒動が起こると予測できなかった私の至らなさだけ」
「……あれを予測するのは、難しいことでしょう。現に、御当主様もそう仰られていたではないですか」
「そう、かもしれないわね」
私は、小さく笑った。その瞬間、側面の扉が開いた。……そこから現れたのは、この教会に併設されている院に在籍している子どもたち。
「あ、アリス姉ちゃんだ!!」
「ほんとだー!!なんでいるの?」
「先生のとこ、一緒にいこう!!」
元気な声が、聖堂に響く。ドタドタと走り寄った子どもたちは、私の周りを囲んだ。
「良いわね。でも、私が突然行ったらミナさんが驚いちゃうわ。だから、先に行ってミナさんに私が来てること、伝えてくれない?」
私は彼らと目線が合うようにしゃがんで、伝えた。
「……本当に、来てくれる?」
「勿論よ。約束」
そう言って微笑むと、子どもたちも納得したのか再び扉の方へと走って行った。
「……彼らの未来を、守れたのだから。後悔しようが、ないわ」
「お嬢様……」
「ねえ、ターニャ。あの子たちは、小さな貴女なの」
私の言葉に、ターニャは首を傾げる。
「小さな頃の、貴女と同じ。いいえ、貴女の方が大変な境遇だったかもしれないけれども。……あの時の私は、目についた貴女しか拾い上げることができなかった。貴女のような、子どもたちを守りたい……そう思って、仕事をしてきたのだもの。後悔しようが、ないわ」
「……彼らは、幸せですね」
「あら、ターニャは今、幸せではない?」
「勿論、幸せですよ。私が、幸せだからこそ……彼らも、幸せになれる。そう、思えるのです。何せ、彼らは小さな私、なのでしよう?」
その言葉に、私は吹き出してしまった。
ターニャから、まさかそんな言葉を聞けるなんて。
「さ、彼らが首を長くして待っていると思います。お嬢様、行きましょう」
「ええ、そうね」
そうして、私はターニャと共に扉にむかった。