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説得

2/5

新たに建設された教会は、それはそれは立派なものだった。領地の力を表すような、豪奢な装飾……それは穿ち過ぎか、と内心その男は毒づいて笑う。


彼にとって、ここに訪れることは初めてのことだった。それというのも、ここが建立された由縁に起因する。教会を取り壊したという領主代行の行動に抗議するために、彼は仕事を放棄して自ら蟄居した。志を同じくする者と共に。


彼らのその時の心情を表現するならば、義憤。アイリスは、教会という人のふみ行うべき正しき筋道を示す場に背いた行為をしたのだ……正義は自分たちに有ると思って信じての行動だった。


代わりにこの新たな教会が建ったと知っても、取り繕う為であろうと反発して訪れなかった。


……それは、件の領主代行が無実だと発表された後も。

否、発表された後だからこそ、来ることに抵抗を感じた。何を今更、と。


あの時、領主代行の役職を持つ彼女を貶めたことには変わらない。例え教会の……彼女を糾弾した面々のような直接の加害者でなくても、彼女を貶めた側の一人なのだ、と。


否……彼女側にいながら、彼女を見捨てたのだからよりタチが悪いと彼は自身でそう思った。


あの破門騒動の時、彼女を糾弾するならば、蟄居するのではなく彼女に諫言するべきだったのだ……と。


例え怒りを買ったとしても、言葉が届かないと初めから何もかもを諦めるよりも、彼女に自ら言葉をぶつかるべきだったのだ……と。


けれども、全てはもう遅い。


だからこそ、自分は蟄居したまま。やがては退職願を出さなければならないだろう、否、そんな行動をしなくともそう見做されているだろう……そう、思っていた。


そんな中、届いた招待状。差出人は、件の領主代行……アイリス・ラーナ・アルメニア。招待状というよりも、招集状だろう、と初めてそれを見た時に彼は苦々しく思いつつも笑った。


恐らく、自身の進退に関わることであろうことは、書かれていなくても容易に察することができる。一つ疑問を挙げるとするならば、何故場所が教会で指定されているか、ということぐらいだ。


ケジメを、つけなければならない。


そう、自身を奮い立たせて、今日この場に来た。


見れば、ポツリポツリと礼拝堂には自身と同じく職務を放棄した面々が佇んでいる。


見知った顔もあったけれども、互いに重い空気を背負っていて話かけることはない。それが更に、重々しい雰囲気で周りを包み込んでいる。


「……今日は来てくれて、ありがとう」


それを切り裂くように、彼女……アイリスは、現れた。

彼女は和かに微笑みながら、辺りを見回す。


「来ていない人もいるけれども、約束の時間がきたので始めさせて貰うわ」


彼女の言葉は、礼拝堂の壁や天井に反響して身体の中で響く。


「ここにいる貴方たちは、私の破門騒動の時に領官の仕事を放棄をした方たち。今日、私は貴方たちとお話をしたくて呼んだのだけど……誰か、私に何か言いたいことはない?」


誰の口からも、言葉は出なかった。かく言う自分も、ここで退職を宣言すべきなのか迷って、けれどもこの重苦しい雰囲気に口を閉じた。


「では、私が貴方たちに問いましょう。領官とは、何か」


彼女の表情は、変わらない。笑顔のままだ。けれども、逆にそれがプレッシャーを感じささせる。


「そこの、貴方」


誰も口を開かない面々に業を煮やしたのか、彼女の方から指名が入った。


「はい。領官とは領主の方の手となり足となり、職務をこなすことです」


その人物は、待ってましたと言わんばかりの笑顔で模範的だと思える回答を口にした。


「そう……では、貴方は?」


彼女はそれに対し、けれども眉を顰めてその隣の人物を指した。


指された彼は、ピクリと一瞬肩を揺らす。


「わ……私も、そうだと思います」


「貴方たちの言葉通りだとすると、此度の騒動で貴方たちは既に領官ではなくなったということね」


彼女は、クスクスと声をあげて笑った。貴族の女性らしく扇で口元を隠しながら。


「だって、そうでしょう?貴方たちは、頭である私に逆らって領官の仕事を勝手に放棄したのだもの。頭の言うことだけを聞くのが職務ならば、言うことを聞かぬ貴方たちは不要でなくて?」


その言葉に、彼らの顔から血の気が失せた。


「質問を変えましょう。何故、貴方たちは此度の騒動の最中、職務を放棄し蟄居をしたのか。……そこの貴方、答えてくれるかしら?」


ついに彼女から、自分に指名が入った。視線を逸らすことなど許されない……そう思いながらも、彼女から放たれるプレッシャーに、そうしたいと思ってしまう自分がいる。


「……僭越ながら、私から貴女様に問い返させていただきたい。領主とは、何かを」


何とか奮い立たせ、答えようとした矢先……当たり障りのない一言を答えようとしたのにも関わらず、自分の口から出た言葉は、質問だった。自分自身、そんな大胆なことをするとは思わず、内心驚く。


「質問に質問で返されるのは好きじゃないわ」


「ですが、私の答えにとって貴女のその問いの答えが重要なのです」


もう、どうとでもなれという思いが強かったのかもしれない。


既に誇りも何もない。彼女の言う通り、領官の仕事を放棄した時点でそれすら失せた。あるのは自棄っぱちにも似た諦めだけ。


「……領主の仕事とは誇りを持たせること。民を守り、慈しみ、そして豊かに発展させる。民の生活を保障することで、領への帰属意識を持たせ、領民たちを統治する……それが、領主の役割だと私は思っています」


「然り。正にそれが領主であるからこそ、私は職務を放棄しました」


「言葉が足りないわ」


彼女は不満そうに、彼女は眉を顰めた。


「失礼しました。私も……領主は、領民たちを守り導くものだと思っています。そして、だからこそ私は此度の騒動で職務を放棄しました。教会という私たちにとって心の拠り所の一つである場から罪を問われる方ならば、民たちを導くなどできはしない。改革を行うこと、それは結構。けれども、あの事件は領民たちにとって領主への……ひいては貴女の行う改革に対しても不信感を覚えさせるには十分過ぎるほどのものでした。夢を見せるべき領主がその夢を壊すなどあってはならない。だから、私は貴女に抗議すべく蟄居致しました」


「それらしい言葉を口にするのが、お上手ね」


彼女の言葉に、カッと自分の中で熱が灯る。抗弁しようとした自分の言葉を口にする前に、彼女が続けて言葉を口にした。


「私のような小娘が上に立ち、わけ知り顔で指示をするのが気に食わなかったという気持ちが貴方の中にあったのではなくて?」


けれども、続けられたその言葉に内心灯っていた怒りの熱も急速に冷める。


自分でも気づかなかった自身の心の内……否、気づこうとしないで蓋をしていた気持ちを、彼女に暴かれた……そう、思って。


確かに、彼女の言うことは否定できない。


そもそも、彼女が領主代行の地位に就くことすら自分は反対だった。王家に睨まれた彼女を、それもその為の教育を受けてこなかった女性を、何故わざわざ領主代行として据えるのか……と。所詮領主様の気まぐれ、お飾りの地位を与えたのだと思ったのだが。


彼女は次々と領政に口を出し始めた。始めはそれを苦々しく思っていたが、やがて領地が活気付き、そして彼女が王太后様より御言葉を賜ったことを知り、彼女の存在を苦々しく思う気持ちに蓋をしたのだ。


そしてその蓋が教会の破門騒動により再び開き、蟄居するという行動を後押しした。


……でも。


「確かに、そのような思いがあったことは否定できません。ですが、先ほど申し上げたことも紛れもなく私の本心です」


「そう……ならば、貴方にとって領官とは?」


「領民たちの生活を守り、領地を豊かに発展させるために、領主の手となり足となることです」


ほう、と彼女は溜息を吐いた。その反応に、ピクリと肩が揺れた気がする。


恐る恐る彼女の表情を見た。


何の感情を示さない、無表情。それが次の瞬間、この会の最中で一番の笑みを浮かべた。


整った彼女の浮かべるその笑みは、本来であれば美しいと見惚れるものなのだろう。けれども、その時自分は美しいと思うよりも壮絶だと……ただただ戦慄してしまった。


「なるほど、なるほど。ならば、貴方はその処刑を待つ者のような恐れを顔に浮かべる必要はないじゃない」


彼女の指摘に、自分がその表情を浮かべていたことを始めて知った。


「領官とは、手足。手足が頭である領主に逆らうことは許されない。けれども、それ以上に民たちのことを省みないことこそが、罪。なれば、貴方は私に抗議したことは誇りを持ちこそすれ、恥じる必要はない。むしろ、今貴方たちが騒動が終息した今も仕事を放棄し、結果領政が滞ることこそ民のためにならない。民のための領官であるなるば、それこそ罪」


「ですが……私は、無実の貴女様を……」


「今更私を糾弾したことを後悔するような、無駄な感傷を持つのはお止めなさい。事ここにきて今更そのような情を持たれても、迷惑よ。私は、初めから貴方たちに味方になってもらいたいと思ったことなど、一度もないのだから」


「それは……」


彼女の言葉に、衝撃を受けた。


「私はね、貴方たちに忠も義も求めていないの。私が求めるのは、貴方たちの仕事の成果だけ」


彼女は、歌うように囁く。


「領民のために、仕事をなさい。私を滅し、公に仕えるように。貴方たちは、ただの守られるだけの立場に既にいない。守る立場にいるのだから。それを、誇りに思いなさい」


彼女の言葉が、徐々に力強いものとなっていた。


まるで、躍動するその前のように。


心が、熱い。先ほどとは、違う熱さが灯っていた。


否、彼女の背後にもその熱が見えた気がする。


吹けば飛びそうなか細い彼女が、どこにそのような熱量を隠し持っていたのか……思わず、そう思った。


「私は、忠義を求めない。だから、今回の件も不問にするわ。早く、仕事に戻りなさい」


「……つまり、我々を許してくださると?」


別の男が、恭しく問い掛ける。その問いは、無意味だと何故わからないのか自分にはそちらの方こそが疑問だった。


「許すも許さないも……私は、貴方たちに忠義を求めていないのだから、その問いも無意味ね。私に対して憤りを感じて行動した者、ただ流されて行動した者……どのような思いを持って行動していたとしても、良い。ただ一つ、領地とそして領民を裏切っていなければ、それで良い。今ここにいる貴方たちは、前者だった……だから、私は貴方たちに戻るように誘っているの。でなければ……」


「……でなければ?」


その言葉に、彼女は笑みを深めた。


聞きたい、けれども聞きたくないという相反した気持ちが湧き出る。


「貴方たちは知る必要はないわ。それとも、そうなる予定でもあるのかしら?」


誰もが、間髪を入れずに首を横に振った。


「そう、それならば良かった。ならば、早く仕事に戻りましょう。時は、有限よ」






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― 新着の感想 ―
ひえっ!この領主怖っ! 忠も義も求めないってことは、今後も信頼関係は培わないってことだよね。ただロボットのように領民に尽くせと。結果を残しても当たり前だから感謝もしないと。結果オンリーで、失敗した時に…
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