確固たる何か
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ランプの頼りない灯りの下、カリカリ筆を走らせる。
ここ数日、ずっと同じ音を聞いているような気がした。
「……んー……」
書ききったところで筆を置いて腕を上げた。ポキポキという可愛らしい音ではなく、ボキボキという音が体内で響く。
伸びをして、次の瞬間、力を抜いた。ズルズルと椅子に沈み、腕はダランと椅子の肘掛を越えて垂れる。行儀の悪い座り方だが、今は独りだから良いだろう。
視界が低くなったその体勢のまま、さっき書き上げた書類を取ってぼんやりと眺める。
……うん、これで今日の仕事も終わりね。
そういえば……と、この部屋に入ってから一歩も出ていない事実を思い出して、苦笑いを浮かべる。
ターニャに言われなければ、食事すら取っていなかったかもしれない。
集中し出すと周りが見えなくなる癖は、中々抜けない。それは前世のワタシも、記憶を思い出す前の私もそうなのだから最早魂に刻まれた性分といっても過言ではないのだろう。
「……失礼致します」
ノック音がしたかと思えば、ターニャが部屋に入ってきた。
「灯りがついているので、もしやと思いましたが……やはりまだ、仕事をしていらっしゃいましたか」
呆れたように、ターニャは溜息をつく。
その反応に、私は笑った。
王都から領地に帰る頃から、ターニャは変わったように思う。勿論、良い意味で。
角が取れたというか、張り詰めていたものが和らいだような……そんな柔らかさがあった。
「差し出がましいことを申し上げますが、そろそろお休みください。アイリス様のされていることがどれほどのものか、というのを私は完全に理解していませんでしょうが……このままではアイリス様は再び倒れられ、その結果進捗が遅くなることは分かります」
最も、その物言いはあまり変わらないけれども。
「……ふふふ。そうね、貴女の言う通りよ。そろそろ私も終いにしようかと思っていたところ」
「それは良うございました」
「でもその前に、貴女の報告を聞きたくて。そろそろ完了しているのではないかと思って、ここで待っていたのよ?」
「それは……お待たせしてしまい、申し訳ございませんでした」
「私が勝手に待っていたことだから。それよりも、報告を」
私は彼女より受け取った書類を読みつつ、そこには書かれていない彼女の私見に耳を傾ける。
「……なるほど、ね」
私は、読み終えた書類を灯りの火で燃やす。暖炉があればそこで燃やしているのだろうが、生憎常春のこの領地にそれはない。
けれども、他者に見せることのできない書類というのはあるもの。執務を行うこの書斎ではそれが特に。
だもので、机脇に置かれている先が窄まった瓶……大きな花瓶のようなそれには砂が敷かれており、そこに私は炎が揺らめく書類を投下した。
「やっぱり、傾いた者たちがいた、か……」
「……誠に残念なことながら、人というのは移ろいやすいもの。確固たる何かを持たない者たちならば、それは尚更でしょう。だからこそ、どんな清廉な組織であっても揺らぐ者がいても仕方ないことかと」
「ええ、ええ。人とは移ろい易いもの……とてもよく分かるわ。何せ、この身に染みているもの。でもねえ、ターニャ。それだけではないのでしょう?言ってくれて良いのよ?私という小娘が上だから、侮られ易いということを」
「それは……」
「まあ、良いわ。言っても栓なきことだし。さて、ターニャ。この者たちを皆、集めてちょうだい。場所は……そうねえ。あ、新しい教会なんていかがかしら?」
「承りました。ですが、全員ですか?」
「ええ。正直貴女の報告を聞いて、この者たちの今後の進退は決めているのだけれども……一回会っておきたいかな、って。全員に、ね。まあ、どうせ来ないでしょうけど」
「畏まりました」
「それにしても……ターニャ、凄いわね。ここまで事細かに調べ上げるなんて。腕、上がっているんじゃない?」
「お嬢様の為でございますから。それに、情報はあくまで情報。私が持ってきたそれらを、お嬢様が信じて用いていただけるからこそ、これらは活躍するのです」
確かに、情報というのは形のないもの。間違いがあればそれはただの流言、あるいは妄想になり果てる。玉石混交の中でそれらをふるいかけ、信じきることは難しい。
「……ねえ、ターニャ。貴女にとって、私は何?」
「私にとっての“確固たる何か”……支柱でございます」
「そう。ターニャ、貴女は揺らがない。それが感じられるからこそ、私にとって貴女はもう一つの目であり、もう一つの耳。だから、貴女の持ってくる情報は信じて利用することができる」
「身に余る光栄でございます」
「……さて、今日はもう寝ましょう。ターニャ、調整をお願いね」
「畏まりました」




