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ターニャ、お嬢様を案じる

「ふう………」


私は、下ろした髪のブラッシングを終えて、溜息を吐いた。


時刻は日付が変わろうとしている頃。


お嬢様の就寝前の細々とした支度を整えて、私も眠ろうとしていた。


よく、私は『本当に眠っているのか?』だなんて冗談半分で方々から聞かれることがあるが、私だって人間だ。勿論、睡眠は必要。


それに、私なんかよりセバスさんにこそ、その疑問はぴったりだ。それでいて疲れなんて見せずに、常に穏やかな表情を浮かべているのだから凄い。……私も見習って精進しなければ。


そんな取り留めのないことを考えつつ、ふと、私は机の上に置いてあるリボンを手に取る。レーメ、メリダそしてお嬢様とお揃いのそれ。


……いつだったか。あれはまだ、私が侍女の見習いとして学ぶ前のことだった気がする。


旦那様が出入りの商人が来た時に、お嬢様に欲しい物はないかと聞いた時に選ばれたものだった。


『コレで良いのかしら?こっちの宝石の方が良いのではなくて?』


煌びやかで、高価なものが並ぶ中あえてこのリボンを選んだお嬢様に、旦那様は不思議そうな顔をして……奥様は、他の物を勧めていらっしゃった。


『はい、コレが良いのです。その代わり、コレを4つください』


そうして手に入れたリボンを、お嬢様は私たち3人にくださったのだ。


『皆でお揃いよ』


そう、微笑まれながら。


私たちにとっては高価な……けれども公爵令嬢たるお嬢様が身につけるには安価なそれ。


けれどもお嬢様はそれを宝物だと言う。


『趣味に合わなかったら、ごめんね。でも、皆でお揃いのものが欲しかったの。貰ってくれると嬉しいな』


私にとっても、宝物になったのは言うまでもない。お嬢様の御心が詰まったものなのだから。


……本当に、幸せだと思う。あの日あの場所で、お嬢様に拾っていただけて。


多分、お嬢様が私を拾ってくださらなければ、私は何処かでのたれ死んでいた。


いつからそこにいたのかは、分からない。けれども、恐らく親に棄てられたのだろう。


気がついたら、私は領都の中でも特に貧しい民が集まる場所に独りでいた。


幼く要領も悪かった私には、食事にありつけないなんてことザラにあって。そうして、段々弱っていった。


ボンヤリと、路地に座り込んで空を見上げる毎日。


たまに、親子で手を繋いで歩く姿を見かければ、何故だか無性に泣きたくなった。


このまま、独り死んでいくのだろう……そう自分の生に諦めるのも、時間はかからなかった。……むしろ早く消え去ってしまいたいとすら、思っていた。


そんなある日、見知らぬ二人組の男が私に声を掛けてきた。


どんな内容だったのか、覚えていない。


けれども下卑びた笑みに、“良くない”人間だということだけは、本能で分かった。


生に諦めた私も、けれども目の前に差し迫った危険に身体が反応して。私は逃げようと、走った。


走って、走って、けれども体力のない幼子が逃げれる訳もなく……私は、捕まりそうになって。


その時、助けてくれたのがお嬢様だった。


無我夢中だったけれども、私が逃げた先はたまたま運良く大通りで、お嬢様の乗った馬車の前に飛び出していたのだ。


『怪我は、ない?』


止まった馬車から現れたお嬢様を初めて見た瞬間、自分とは何て住む世界が違うのだろう……そう思いつつ、私は首を横に振った。


『良かった。……ねえ、貴女。行くところはあるの?』


その問いにも、私は再び首を横に振る。


『そう。……なら、私と共に来ない?』


その後、お付きの人に止められてもお嬢様は頑として私を連れて行くと主張して……結局、私は助かった。


『なんだか、追われていたみたいだし。あの人たちは、お父様に言っておいたから』


後々知ったことだったが、彼らは身寄りのない子ども達を捕まえて安価な値段で売り捌く生業をしていたようで。


お嬢様とお付きの人たちに拾われるところを見て、私のことを諦めたらしい。


そして、お嬢様の申し出とお付きの人たちの報告によって、その面々も捕縛されたとのこと。


『これから、ここで一緒に暮らしましょう。貴女、名前は?』


『……分からない』


『そう。……なら、ターニャという名前はどうかしら?お伽話に出てくる、賢いお姫様の名前よ』


陽だまりの中で、笑顔でお嬢様は私の手を握りつつそう言ってくださった。


その手の温もりに、路地で見かけた親子を思い出して。……私は、ポロポロと流れる涙を止めることができなかった。


『い、嫌だった?じゃあ、違う名前……』


私のそんな様子に、お嬢様はオロオロと慌てていらっしゃって。それが可笑しくて、けれども涙は止まらなかった。


私は二重の意味で、救われたのだ。


あの場での危機に救われただけでなく、生をを諦めた私に、生きる目的を与えてくれたのだから。


だからこそ、お嬢様の御心を煩わせたくない。煩わせるもの全てから、守りたいと思う。


そしてそれ故に今、お嬢様には早く領地に帰っていただきたいと願う。


お嬢様は王都に来られてから、一度も本当の意味で笑っていない。いつも、疲れたような表情。


勿論、王都に来て最初の頃は破門騒ぎを静めるためで、それどころではなかったし、その後も諸々の事後処理のため交渉していたのだから、気を張っていたのも仕方ないのかもしれない。


仕方ないのかもしれないが……私的な時ですら、表情が(かげ)っていた。


『……お嬢様、何か変わったことはありましたか?』


忌々しいことに、妹と現れたディーンにも見送りの際、そう聞かれた。


たまにしか現れない、あの男ですら気づくのだ。勿論、私を含め館でお仕えする面々はお嬢様のその変化に気付いている。


気付いていても、何もできない。それが、歯痒かった。何故なのか、その原因すら分からなかったのだから。


けれども、何となくなのだが……恐らく、お嬢様の御心を蝕んでいるのはこの地なのではないかと、私はそう思う。


お嬢様にとって、忌まわしき事件のあった地。今回もまた、お嬢様の御心を苛むような事件が起きて……この地を、厭うのも仕方ないことだろう。


けれども、根本的に……何故だかお嬢様はこの地では、お嬢様らしく在られない。


上手くは表せられないが……自身を、悪く見せようとしているかのような。


公爵令嬢の令嬢として、お嬢様は幼き頃の陽だまりが良く似合うだけの方ではない。

成長されたのだ……それは、仕方のないこと。


権謀渦巻く上流階級の中で、むしろ昔のままでいれば、そんなお嬢様を利用せんとする輩が、うようよと集まってくることぐらい、使用人の私にですら察しがつく。


冷静かつ、自身の御心を押し込めて厳しい判断を下す姿もまた、お嬢様にとって必要なことだ。


けれども、何故だか王都ではそれが顕著だった。


あの陽だまりの笑みはなく、冷たく感情を隠された笑みを浮かべることが多くて。


まるで、自分を悪く見せるかのように振舞っているようにすら感じられた。


そして多分、無意識にお嬢様もそれを感じていらっしゃる。


(しき)りに、領地に帰りたいと願うのは、何も仕事が溜まっているから……というだけではなさそうだった。


早く帰りたいと。待ち遠しいと。


そう願うお嬢様は、まるでその振る舞いに疲れているようで。


私もまた、早く帰って欲しいと願うばかりだった。


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