嘘つきの友達
1
こどものころから、私は嘘つきでした。嘘つきだったから、みんなにいじめられていました。ウソツキ、ウソツキって、みんな私から離れていきました。
私はひとりぼっちになりました。
大人にも嘘つきだと言われていました。私は本当のことしか言っていないのに、みんな気味悪いと、嘘つきだと私を指さして言ったものです。ただひとつ信じてもらえることは、言っていることのほとんどが嘘だということでした。
私は泣き虫になりました。
そんな友達の一人もいない、嘘つきで泣き虫な悪い子の私には、当然サンタさんが来るはずもなく、プレゼントは貰えずに一年がすぎてしまいました。
年を越して数日が経ったある日、私はカゼを引いてしまいました。おかあさんには看病してもらえましたが、あまりお話してくれませんでした。おとうさんはその日からお仕事でしばらく家に帰ってこない日が続くと知りました。
雪が降り始めた日でした。
2
ある日の夜、綿のような雪がしんしんと静かな街に降り注いでいます。女の子の「ユキ」は、暖かい暖炉で温まり、おかあさんのおいしいスープとお医者さんからもらったお薬のおかげで、カゼはだいぶ治ってきたようです。
元気になってきたユキは、ベッドで退屈そうに窓の外をみています。どうやらずんずん降り積もる雪景色の中を遊びまわりたいようでした。真っ黒な夜空に降る白い雪と積もった地面はきらきらときらめいていました。
「おともだちとあそびたいな……」
ユキはぽつりとつぶやきます。しかし、嘘つきで泣き虫のユキに、おともだちはひとりもいません。さびしい気持ちでいっぱいになり、涙をぽろりと流し、ついには泣き出してしまいました。その声は小さく、別の部屋にいるおかあさんの耳には届きません。
小さく泣き続けましたが、つかれたのでしょう、そのまま静かに眠ってしまいました。
みんなが眠りについた夜、窓から「コンコン」と音がします。その音で目を覚ましたユキは起き上がり、窓の外を見ました。
「あれ、雪だるまだ」
誰かが作ったのでしょう、窓際に青いバケツと赤いマフラーをつけた大人と同じくらいの大きさをした雪だるまが、家の中をのぞくようにおいてありました。
「誰がつくったんだろう……?」
身体は思っていたより軽く、ベッドから降りても具合は悪くなりませんでした。ユキは気になってしまい、もこもこの上着を一枚着ると、ひとり外の庭へ出てしまいました。
ドアを開けると、ひゅぅ、と冷たい風があたりました。
「つめたい……っ」
つい声が出てしまいます。外へ出たのは久しぶりです。とてもとても寒い外は、雪がちらちらと降っていました。身体をふるふるとふるわしながら、ユキは庭に入ります。
「寒そうだけど、大丈夫?」
突然声がしました。びっくりしたユキは、キョロキョロとぐるり周りを見ますが、街灯だけの街並みがみえる庭には、誰もいませんでした。
「こっちだよこっち」
ユキは雪だるまをみました。まじまじと見つめています。
「そんなにみられると、なんだかはずかしいな」
やっぱり雪だるまから声が聞こえてきます。くるくると雪だるまの周りをみますが、誰も隠れていないようです。
「雪だるまさんがしゃべっているの?」
すると、雪だるまの顔から声が聞こえてきました。ちょっと呑気な、少年に近い声です。
「あれ、僕って雪だるまさん? おかしいな」
「だって見た目が雪だるまだよ」
雪だるまは自分のことを雪だるまだと思ってはいないようでした。ちょっとだけとまどっていた雪だるまは、くるりとユキの方へと身体を向けました。
「君がそういうなら、僕は雪だるまさんだね」
「自分のこと人間だって思ってたの?」
「うーん、せめてトナカイか何かかなって思っていたけど」
雪だるまはのっそりと動き、木の枝の手で大きな頭をぽりぽりとかきました。雪だるまが勝手に話し、動き出したことにユキは驚いていました。
「雪だるまさんは精霊さん?」
もしかして、と思ったユキは雪だるまに尋ねます。
「うん、まぁそうだね。他の人からも精霊って呼ばれたことあるから、僕は精霊なんだろう」
雪だるまは曖昧な表現を使って呑気な声で答えました。感心したユキはため息をつきました。
ユキの知る中では、言い伝えとしてこの世で起きるふしぎな出来事は、すべて精霊の仕業だといわれています。家や学校から聞いた話なのでしょう。動いてしゃべる雪だるまも、精霊の仕業だと思いました。
「ふーん」とユキは雪だるまの話を聞いています。
「雪だるまさんは何をしにここに来たの?」
雪だるまは答えました。
「君がさびしそうに外を見ていたのを見ていたんだ。どうしたのかなって気になったんだよ」
ユキはちょっとだけ目を丸くして雪だるまを見ました。そして、なやんでいたことを雪だるまに打ち明けました。
「みんなと遊びたいの。でも、おともだちひとりもいないから、さびしいの」
ぽろりとナミダを流したとたんに、しくしくと泣き始めてしまいました。雪だるまは木の枝の指でぽりぽりと頭をかいて、ちょっと困った様子です。
しかし、雪だるまはすぐに明るい顔にもどり、こう言いました。
「じゃあ僕とおともだちになろうよ。一緒に遊んでくれないかな?」
「えっ?」
ナミダをぽろぽろ流しながら、ユキは驚きました。おともだちはほしいとは願っていましたが、こんなにいきなりだと、さすがにとまどってしまったようです。
「いいの?」
「もちろん、僕でいいなら!」
雪だるまはにっこりと笑みを返しました。その笑顔に、ユキも泣き止み、とてもうれしそうな顔になりました。
「うん! あそぼ、雪だるまさん! 私、ユキっていうの、よろしくね!」
「うん、よろしくユキちゃん。だけど、いまはみんな眠っている時間だから、ユキちゃんもおうちに帰って寝ないと、朝起きれなくなっちゃうよ」
「わかった! じゃあ明日遊ぼうね、雪だるまさん!」
ユキは雪だるまに手を振り、家に帰りました。雪だるまはドアが閉まる音が聞こえるまで、手を振りつづけました。
3
次の日からユキは、ふしぎな雪だるまとあそぶようになりました。カゼもすっかり治り、お日さまが登っている間は、雪の積もった庭や公園ではしゃぎまわりました。かまくら作り、雪合戦、雪だるま作りなど、たくさんの遊びをした疲れで、夜もぐっすりと早く眠るようにもなりました。
こんなに誰かとあそんだのは久しぶりでした。こんなに笑ったのは久しぶりでした。雪の降る夜に出会った、たったひとりの特別なおともだち。人間じゃなくても、ユキにとっては大事なおともだちでした。
ユキは、いつまでも、こんな日が続いていてほしいと思うようになりました。
4
「ユキ、最近遊びにいっているけど、誰と遊んでいるの?」
ある日、お母さんが夕食の時にユキに聞きました。
「雪だるまさんとだよ!」
ユキは元気な声でいいました。とても嬉しそうな顔でした。
「雪だるま? あの雪だるまのこと?」
お母さんは首をかしげました。
「うん! 青いバケツをかぶっててね、赤いマフラーをしているの! 雪でできているからさわるととっても冷たいの! でもね、雪合戦したり、鬼ごっこしたりして、とっても楽しかったんだ!」
おかあさんは「はぁ」とためいきをつきます。またこの子ったら、と言い出しそうな顔でした。
「ユキ、ウソはダメよ。作り話をあたりまえのように話しちゃダメってこの間も言ったでしょ?」
ウソはダメだと言われるのは数えきれないくらいありました。しかし、ユキは全部本当のことだと思って言っていることです。ユキはムッとしました。
「本当だもん! だって、おうちの庭にいるよ!」
「雪だるまが?」
おかあさんはあきれた様子です。またウソをついていると思いながら、カーテンを開け、窓ガラスに映る家の庭を見ました。
うす暗い空からとても寒そうな強い風が窓を叩きます。家の庭にあったのは、ユキが遊んだ跡が残っているだけで、雪だるまはユキが作った小さな、形の悪い雪だるまがふたつ置いてあるぐらいでした。ユキの見てほしい大きな雪だるまはどこにもいませんでした。
「え……なんで? なんで雪だるまさんいないの?」
ユキはふしぎでなりませんでした。今日遊んだばかりなのに、夜も窓の傍に居るのにと思いながら、窓にかけ寄り、必死に見回しましたが、やはりどこにもいません。
「ほらいないじゃない。いい加減なことを言ったらダメよ」
「違うもん! さっきまでちゃんといたもん! いっしょに遊んだもん!」
「いい加減にしなさい! いつまでウソをつけば気がすむの」
おかあさんはおこりました。ユキはびくりと身体を強張らせ、泣いてしまいました。
「だって……だって……」
「言い訳しないの。いないならいないって、最初からそう言えばいいのに、どうしてわざわざウソの話を作るのかしら」
おかあさんはいつものように説教をしました。ユキの泣き顔も見慣れています。ユキはただ泣いて、おかあさんの話を聞くだけでした。
そして最後の一言。
「正直な子になりなさい」
嘘はいけない。嘘つきのユキは、鼻をすすり、こくりと返事をしました。
本当のことを言っているのに、と思いながら。
5
雪の降らないくもり空、ユキはなんだか浮かない様子でした。
「雪だるまさん」
ぽつりと小さな声で雪だるまに話しかけます。雪だるまは相変わらずの呑気な声で返事をしました。
「どうしたの?」
「雪だるまさんは、精霊さんだから、みんなには見えないの?」
「うーん、そうだね、精霊は特別な人以外には見えないんだよ」
「そうなんだ……」
少し落ち込んでいるユキは、うつむき、ちらちらと雪だるまを見ました。雪だるまは首をかしげます。
「他の人たちやおかあさんに、僕のこと知ってほしかったの?」
「それもそうだけど……」
目をうるおしているユキに、雪だるまは「うーん」と頭をポリポリとかきました。
「また、ウソツキって言われたの?」
「……うん」
「でも、ウソじゃないって思っているんだよね」
「……うん」
ユキの返事は、かすれているほど、小さな声でした。
雪だるまは家の軒下まで跳ねて動きました。ユキもとぼとぼとついていきます。
「でも、みんながウソツキっていうから……」
泣き出しそうな顔に、雪だるまは困った顔をしました。
「ウソは悪いことだから、みんなウソツキの私を嫌うんだよね……」
しくしくと泣き始めました。雪がちらちらと降ってきました。しっとりとした雪です。
「ねぇユキちゃん」
雪だるまのやさしい声に、ユキは顔を上げます。
「知ってるかな。ウソってね、人を幸せにできるんだよ」
ユキは目を丸くしました。それこそ、雪だるまの言っていることがウソだと思ってしまうほどでした。
「決してウソは悪いことじゃないんだ。自分を守る方法でもあるし、人を笑顔にする方法でもあるんだよ」
ずっとウソはよくない、正直者になれと教わり続けたユキにとっては信じられない言葉でした。
「そんなのウソだよ……だって、ウソは人を傷つけるっておかあさんが……」
「ウソはひとつだけじゃないんだ。ついて良いウソと悪いウソがあるんだよ」
「いいウソとわるいウソ……?」
ユキがつぶやくと、雪だるまはうなずきました。
「そう。悪いウソはダメだけど、いいウソも、実はあまり使ってはいけない。いざというときに使うんだ」
「それって、どんなときなの?」
「それは人それぞれさ。ユキちゃんの場合はそうだね、泣きそうになる時、かな」
ユキは首をかしげました。あまりよくわかっていないと見て取れた雪だるまは話し続けます。
「今の自分にウソをつくんだ。『私は泣き虫なんかじゃないって』。ウソでもいいから、笑ってみようよ。ほら、ニッと笑ってみて」
ウソ泣きではなく、ウソ笑い。そう考えると、あまりいいことではないようにもユキは感じてしまいました。
「それって、本当のことをねじ曲げるんだよね? 楽しくもなんともないのに、笑うの?」
そんなのおかしい、と笑わなかったユキは言いました。
「まぁ、そうだよね。確かにユキちゃんの言う通りだ。でも、自分の大事な何かを傷つけられて生きていくより、嘘偽りを作ってウソを吐いた方が、為になるときもあるんだ。正直者のユキちゃんには辛いことかもしれないけど」
「……?」
ユキは思いました。ウソツキの自分を、この雪だるまはどうして正直者だと言ったのか。
「私が、正直者?」
そう聞くと、雪だるまはこくりとうなずきました。
「ユキちゃんは正直者だよ。この町の中でいちばん。その口からウソなんてついたことがない。そうでしょ?」
どうしてそんなことが言えるのか、ふしぎでなりませんでした。もしかして産まれるときからずっと、精霊の姿として見守っていたかのように聞き取れました。
「でも、たったひとつだけ、ウソをついている」
「……ひとつだけ?」
たくさんウソをついているはずだったのに、ウソは一つだけだと雪だるまは主張しました。そして、じっとユキの黒い瞳を見つめました。
「その目が、ウソツキなんだ」
「私の目が?」
雪だるまは話を続けます。関心を持ったユキは、その言葉を真に受けるようになりました。
「みんながユキちゃんのことウソツキだっていう理由。それと一緒だよ。傷ついちゃうかもしれないけど、どうしてもその理由を知りたかったら、教えるよ」
「うん、知りたい。教えて雪だるまさん」
その返事はすぐに出ました。思い返してみれば、本当のことしか言っていないのに、どうしてみんなはそれを嘘だと否定するのか、そんなときがたくさんありました。気になって仕方がありませんでした。
雪だるまは、ひとつ息を吸って、話し始めました。
「ユキちゃんには、この町がどのように見えているのか、僕にはわかるよ。でも、他の子どもたちや大人には、ユキちゃんの見えている世界とは違うんだ」
予想していた答えとは違っていたようです。ユキの目は意外そうに雪だるまを見ていました。
「ユキちゃんの目から見れば、この世界がユキちゃんにウソをついているっていえばわかるかな?」
それでもユキはポカンとしています。
「よくわからないよ、どういうことなの?」
あまりユキは理解していない様子です。雪だるまは淡々と答えました。
「まずねユキちゃん。君は人間じゃない」
「……?」
それは、とても衝撃的でした。その言葉を疑いました。
その言葉の意味を整理する時間を与えることもなく、雪だるまは話を続けます。
「本当の景色は、雪の降っている町並みなんかじゃなくて、誰もいない灰のかぶった、ゴミ山だらけのボロボロの町なんだ。町の人もみんな、ロボットでできている。昔のおともだちも、お父さんもお母さんもね。町も草木もみんな石や機械でできているんだよ」
「……? ?」
「ユキちゃんはロボットじゃないけど、お母さんの身体から産まれた人間じゃない。機械で作られた人間にとてもよく似ている生き物なんだ」
次々と出てくる信じられない言葉は、ユキの頭の中をくしゃくしゃにしました。綺麗な水にいろんな絵の具を入れられて、かき混ぜられるかのようでした。
晴れの日に見た太陽の赤色も。
雨の日の水たまりの青色も。
雪の日の粉雪の白色も。
今までの思い出も。
ウソをつくなと言われたことすべてが無かったことだとしたら。
自分の見て、触れて、感じたものが、偽りのものだとしたら。
まだ幼いユキでも、そのような考えは頭に巡り回りました。
しかし、それを受け止めるはずもありません。大きな声で雪だるまに言い返しました。
「ウソ! そんなのウソに決まってる!」
顔を真っ赤にしてユキは怒ります。そのことを十分に把握していた雪だるまの態度は冷たいほど冷静でした。冷たい雪が降り続き、屋根から落ちたつららの上に積もります。
「嘘か本当かは、ユキちゃんが決めて。でも、もうすぐでこの町が……ガラクタ置き場が無くなっちゃうんだ」
一瞬だけ、疑問に浮かびました。これも信じられない言葉です。すぐに言い返します。
「それもウソなんでしょ! そんなの絶対信じない!」
雪だるまはこれは言うべきじゃなかったなと少し後悔しています。それでも、諦めることはありませんでした。
「信じられないことかもしれないけど、とりあえず最後まで聞いてほしいんだ。ここから聞いてほしいところなんだよ」
ユキは顔を赤くしながらも、なんとか堪えています。
「ユキちゃんの見え……この町に軍隊さんとかいるかな」
ユキは少しだけ落ち着いたようです。その質問にはちゃんと答えてくれました。
「……うん、いるよ。お国を他の国から守ってる強い人たちでしょ」
「そう。ということは、他の国にも軍隊さんがいるってことだよね。その人たちがもうすぐこの町を壊そうとしている。それを僕の姿が見える君に伝えたかったんだ」
また思いがけない、嘘のような言葉を出しました。しかし、これはさすがに気になったのでしょう、ユキは聞いてみました。
「どうしてこの町を襲うの? みんな、なんにもしていないよ?」
雪だるまは少しだけためらいました。しかし、信じてもらえるために、口をつぐむのをやめました。
「それは……ここが要らない場所だから。ここにあるもの全部壊して、埋め立てるんだよ。ここにその人たちの新しい町がつくられるんだ」
次々と悲劇ともいえる言葉が、可愛らしい雪だるまから告げられていきます。信じたくない気持ちでいっぱいになり、もう考えるのが嫌になりました。とうとうユキは言葉すべてを否定しました。
「そんなの信じない! 絶対にそんなはずないもん! 雪だるまさんの嘘つき!」
ユキは顔を真っ赤にして庭から出ていき、家の中に入ってしまいました。引き止める言葉も出ず、雪だるまはバタンと閉まる玄関をただ見つめることしかできませんでした。コツコツと当たるあられが、とても痛く感じました。
6
二日後の朝のことでした。
おかあさんが見当たりませんでした。
「おかあさん、どこ?」
昨日の夜にお仕事から帰ってきたはずのおとうさんもいません。
「おとうさん?」
ユキは家中を歩き、おかあさんとおとうさんを呼び続けます。しかし、しん、とするだけで、ひとつも返事がありません。
不安になったユキはパジャマから暖かい服に着替え、赤い手袋ともこもこのコートを着てから外に出てみました。
いつもなら、道路には車が走り、人が歩いているはず。それなのに、誰もいませんでした。
毎朝聞こえるスズメの鳴き声やお隣で飼っている犬の吠える声さえも聞こえない。変わらないのは、さらさらと降っている白銀色の粉雪と寒い風が吹くだけでした。
さすがにおかしいと思ったユキはますます不安になりました。
「みんなどこにいっちゃったの……?」
ユキの顔は今にも泣きだしそうです。このとき、あの雪だるまの言葉が思い浮かびました。ウソだと信じてた、あのときの言葉が、頭の中で流れました。
もしかして、他の国の軍隊さんに襲われたのかもしれない、と。
そう考えたとき、ユキはとうとう涙をこぼし始めました。誰もいない町中、車一つ通らない凍りかけた道路の真ん中で大声を出して泣こうとしたときでした。
「ユキちゃん!」
突然腕を引っ張られ、家の前まで連れ戻されました。聞いたことのある声にユキはぽろぽろと涙をこぼしました。
その手を握っていたのは雪だるまでした。枝でできた指は角張っていまいたが、手袋のおかげで少しも痛く感じませんでした。
「雪だるまさん! おかあさんはどこにいるの? おとうさんは? みんなは?」
ぽろぽろ泣きながら訴えかけます。雪だるまはなだめるように、やさしい声で答えました。
「落ち着いてユキちゃん。みんなは安全な場所に避難したんだ。おかあさんも、おとうさんも、みんなそこにいるよ」
「安全な場所? みんなはどこにいるの?」
すると、雪だるまは「シッ」と人差し指をユキの口元に軽く当てました。しかし、静かにしても、何も起きることも、誰か来る足音も、何も起きません。
「いいかい、落ち着いて、よく聞くんだよ」
こくり、とユキは素直にうなずきました。雪だるまの声が、いつものようなのんきな声ではなかったからです。
「一昨日に僕の言ったこと覚えてる? 他の軍隊さんがこの町を自分たちのものにしようとするって」
「うん」
しかし、それはウソだと思っていたことです。覚えていても、信じているわけではありませんでした。
「それが今日なんだ。今この町に残っているのはユキちゃんだけ。だから助けに来たんだ」
とても頼もしく聞こえましたが、周りを見ても、ただ人がいないだけで、とても襲われているとは思えませんでした。しかし、両親も誰もいないので、雪だるまを頼るほかありませんでした。
「今の内にこの町から出るんだ」
手を握られ、ユキは一緒に走ります。積もった雪に深い足跡をつけ、息を切らしながら、それでも雪だるまの手を握り、走りつづけました。雪だるまは跳ねながらユキの走る速さに合わせます。
町の景色はいつもと変わりありません。しかし、誰一人見かけることはありませんでした。ここまで静かなのも、ふしぎ以上に不気味にユキは感じてしまいました。ただ一つ、違っているものがあるとすれば、通りかかった十字交差路で見かけた遠くに見える広場に、あるはずのない何かの山ができていたことぐらいでした。積もった雪ではないようでした。
「雪だるまさん、あそこの広場に積もってるのって……」
「前だけを見て走って。転んじゃうよ」
雪だるまはその遠くにある何かの山を見ることなく、ユキに注意しました。しかしユキは素直に雪だるまの言うことを聞きませんでした。雪だるまの握った手を振り払い、好奇心でそちらへと走っていきました。
「ユキちゃん! そっちはダメだ!」
雪だるまは追いかけます。やっとのことで捕まえましたが、その時点で、ユキはその山が何なのかを知ってしまいました。
「……おかあさん?」
その山に積まれていたのは、みんなユキの知っている町の人でした。町の人に埋もれて、眠っていたおかあさんを見てしまったユキは、もはや周囲の景色は失い、その一点にだけ釘づけでした。
「ユキちゃん! 軍隊さんがいる!」
「おかあさん! おかあさんだよね!?」
「ダメだユキちゃん! あそこにいっちゃダメだ!」
雪だるまはユキを両腕で担ぎ、その場から急いで離れます。ユキは暴れながら、なんとかそこへいこうと必死に叫びました。
「おかあさん! おかあさぁんっ!」
どうしてそこで眠っているの?
どうしてみんな物みたいに積まれているの?
どうしてみんな動かないの?
「――ぅあああああああっ!!」
涙と共に思いを込めた叫びは、ふたつの銃声にかき消され、ただ小さく響くだけでした。
随分と時間が経ったような気がします。
風が強くなり、雪が顔に吹き付けてきました。
町のアーチ状の石橋の前に着き、雪だるまは走るのをやめます。雪だるまは担いでいたユキを降ろします。息が荒く、白い息がたくさん出ていますが、その表情は虚ろでした。石橋にも雪が積もっていました。足跡一つありません。下に流れる川は半ば凍りかけていました。
「……」
雪だるまは口を開きませんでした。ただ、ユキの様子を窺っているだけです。しかし、いつになってもユキは話そうとも、動こうともしなかったので、話しかけることを決意しました。
「ユキちゃん。……ごめん。僕、ウソをついていたよ」
「……」
「本当は、みんなもう軍隊さんに襲われたんだ」
「……」
「この町に生き残っているのは、君だけなんだ」
「……」
「……ユキちゃん、聞いてくれるかな」
そう聞けども、一度も返事は聞こえてきませんでした。降る雪が冷たいだけ。雪だるまは話を続けます。
「僕がついていけるのはここまでなんだ。あとはユキちゃん一人だけで行くんだ」
「え?」とユキは初めて反応をみせました。信じがたいことだったのか、頓狂な声を漏らしました。
「どうして? いっしょにいこうよ」
泣き出しそうな声。目の周りは赤く、そのうるうるとした瞳には雪だるまの姿しか映っていませんでした。
「僕はこの町の精霊。外には出られない。この橋を渡れば、この雪だるまの身体もすぐにとけちゃうんだ」
申し訳なさそうに雪だるまは言います。同時に、被っていた青いバケツの中から何かの紙切れを取り出しました。インクで簡単に書かれているようで、地図にも見えました。
「この地図にインクで書いてある道筋に従って、この印のついた町に行って、赤い十字架のついた白い建物に行くんだ。この橋を渡ってまっすぐ進んで、川にたどり着いたら、川に沿って右にずっと向かうんだ。そしたらその町にいける。あとはこの紙に書いていることの通りに動いて。君のそのウソツキの目を治してくれる人がいる」
「私のウソツキを?」
「うん、必ず治してくれる」
「そこまでいっしょにいけないの?」
「……ごめんね。ここから先は、君一人でいかなければならないんだ」
「いっしょに来てよ雪だるまさん……っ、ひとりじゃなにもできないよぉ……!」
雪だるまはユキを見ます。やっぱりユキは今にも泣きだしそうな顔をしていました。目がとても潤んでいます。
雪だるまはごつごつした木の枝の手をぽんとユキの頭に乗せて、やさしくなでました。
「大丈夫だよ、その町に行けば助けてくれる人が必ずいる。いじめてくる人はいないはずだよ」
「いや! 雪だるまさんといっしょがいい! 会えなくなるなんて絶対にいや!」
ぼろぼろ涙をこぼすユキは雪だるまを潤んだ目で強く見ます。宝石のような瞳は、悲哀の色に輝いていました。
「大丈夫、また会えるさ」
「本当に? ひくっ、……いつ? いつ会えるの?」
雪だるまは小さく笑います。
「やさしい雪が降る夜に。初めて会った夜のときみたいな、粉雪の降る日に会えるよ」
「……ほんとうに? ウソじゃないよね……っ?」
ひくつきながら、ぽろぽろと泣き出しているユキを見、雪だるまは自分のつけていた赤いマフラーを取り、ユキに巻き付けました。
「泣かないで、ユキちゃん」
そのマフラーは冷たいはずなのに、温かく感じました。自分の知っている、人肌の温もりに似た温かさです。ふしぎなマフラーでした。
「僕にだって、どうしようもなくて泣きたいときがあったんだよ。今もいっしょさ。でもね、僕は自分で決めて、『泣き虫』をやめたんだ」
「でも……っ、でも……!」
雪だるまはユキをやさしく抱きしめました。ユキも力いっぱい抱きしめました。
「なにも言わないで。泣かないで。君が泣いていると、僕も泣きたくなるから……笑っていてよ」
粉雪が降ります。それは、時間が遅くなったかのようにゆっくりと、ゆっくりと町に降り注ぎます。
雪だるまの身体は冷たい。冷たいはずなのに、温かい。とてもふしぎな温かさでした。
「嘘をついてもいいんだよ。決して悪いことじゃないんだ。笑顔にするためのウソなら、ついてもいいんだ」
聞いて、ユキちゃん。雪だるまはやさしく耳に語りかけます。
「いいかい、つらいときや、苦しいときは、笑えばいいんだ。悲しい目を伏せて、笑えばほら、自然と涙も出なくなるよ」
雪だるまは「あはは」と笑います。
「ほら、涙を拭いて、笑ってみて」
ユキは鼻をすすり、ひくつきながらも、不器用に笑いました。歯を二カッと見せて、涙と鼻水でくしゃくしゃに歪んだ笑顔を見せました。
「そう、かわいい笑顔だ」
雪だるまはユキの頭をなでます。ユキはくしゃくしゃに笑いながらも、悲しそうな涙を再びこぼし始めました。
「ゆきだるまさぁん……っ、えぐっ……ひぐっ……」
「大丈夫、僕がいなくても、ちゃんと生きていける。泣き虫のユキちゃんは今日でお別れだよ。自分を信じて正直に生きてきたなら、この先も大丈夫。今は泣いちゃダメ。笑顔をなくしたらダメだよ、いいね」
ユキは強くうなずきました。涙を必死にこらえ、何とか笑おうとしていますが、なかなかできないようでした。それでも、雪だるまはそのくしゃくしゃになった顔を見て、微笑みました。
「精一杯の笑顔で、強く生きるんだよ、ユキちゃん」
さぁ、行くんだ。その一言でユキは走って石橋を渡り、道のない白銀の中へと行ってしまいました。
雪だるまはその小さな姿が見えなくなるまで、見つめ続けました。
「ごめんね……もうひとつ、ウソをついていたよ」
雪だるまはぽつりと言葉を置きました。石橋を背に振り返り、町……だとあの少女が信じてきたガラクタ置き場の荒れ果てた景色を見つめます。ガラクタと機械と石でできたゴミ置き場。そこに住んでいたロボットはみんな片づけられてしまったようです。
灰が降り積もり、オイルが道路に流れています。風は弱く、とても静かな朝の終わりでした。
「さようなら、ユキちゃん」
フードを深く被り、雪のような真っ白な髪をみせ、暖炉の火のような暖かい色の瞳を女の子に向けていた白い肌の若者は、雪だるまの声ととてもよく似ていました。その若者は旅人の着ているようなコートを揺らし、けたたましい物音がする方へと、肌寒い風とは裏腹に吹き込んでくる熱風が流れてくる方へと歩き始めました。その姿はしんしんとやさしく降り続ける灰の中へと進んでは消えゆき、まるで雪がとけるように、やがて見えなくなりました。
ダン、とひとつの乾いた銃声が空に響き渡り、それは前へと走るユキの耳にも届いていました。
『――いいかい、つらいときは笑えばいいんだ』
真っ白な、何もない白銀の大地にひとり、少女が歩いています。降り続ける雪は収まる気配をみせず、その幼く、小さな体が埋もれてしまいそうでした。積もった雪原を足取り悪くも、歩き続けます。
「……ふふ、あはは……あははははっ……ははは」
少女は身体を震わし、ひとりで笑っていました。とても、さびしい笑顔でした。
『嘘をついたっていいんだ。悲しい目を伏せて、笑えばほら、自然と涙も出なくなるよ』
雪が降り、冷たい風が吹き付けます。冷たいほど、今までの日々が浮かび出てくるようでした。
「……あははは、はは……げほっ、けほ……!」
涙が出てきます。拭いても拭いても、ぽろぽろと、ぽろぽろと、涙は止まりません。
『僕がいなくても、ちゃんと生きていける。泣き虫のユキちゃんは今日でお別れだよ』
「……ぅう……ひぐっ……ぁああぅ……っ」
『精一杯の笑顔で、強く生きるんだよ、ユキちゃん』
「――うわああああああああああああああん!!!」
7
それからのこと、私は無事に隣町の病院までたどり着くことができ、しばらくの入院生活を送りました。ウソツキの目のこともお医者さんに聞いてみたら、シャルルボネという病気だったらしいのです。ええ、私は物心ついた時から病気を患っていたのです。それはきちんと治してくれましたが、以前よりも目が悪くなったので、慣れるまでは幻覚でもいいから、ちゃんと見えるようになりたいと思ったものです。今はすっかり盲目に近い位、目が悪くなってしまいましたけどね。え? 盲目? 目が見えなくなる病気という意味ですよ。
あのときを最後に、嘘つきはなくなりました。もちろん、泣き虫もです。めったなことでは泣かないようになりましたし、強く生きてきた自信はあります。くじけそうになっても、あの雪だるまさんの言葉を思い出しては元気をもらったものです。ちゃんと笑顔で生き続けてきたから、こうやって健康に長生きできて、あなたという大切な宝物も手に入ったのですよ。だから、あなたも笑って生きていける人になりなさいな。笑顔は、幸せのおまじないですから。
……え? さっきお話に出てきた雪だるまを見かけたのですか? 青いバケツに赤いマフラーの、ですか?
ふふ、もしかしたら、雪だるまの精霊さんかもしれませんね。まだ大人になっていないあなたなら、お話しできるかもしれませんね。私も老いていなかったら、今すぐにでも会いにいって、改めてお礼を告げたいです。
あら、大きなあくび。それじゃあ、今日のお話はこれでおしまい。もう寝ましょうか。長いお話を聞いてくれてありがとう。それじゃあ、おやすみなさい。
誰もいなくなってしまいましたね。あのときの夜を思い出します。
なんだか寂しくなってきました。このさびしい気持ちも、懐かしいです。
「……」
今日の降る雪は静かですね。冷たいはずなのに、見ていて温かく感じます。
そんなふしぎな感覚。ああ、まだ覚えています。冷たくて、だけど温かい、ただの雪とは思えないような温もり。
どうしましょう、また、あの精霊さんに会いたくなってきました。とても、とても、会いたい気持ちでいっぱいです。そういえば、最後に約束してくれました。『また会えるさ』って。
また会える。それはいつのことでしょうか。まだ、その約束は果たされていません。
しかし、ここまでの歳月を過ごしてきた私は心の隅で分かり切っているのです。あの雪だるまも、幼い自分の見ていた幻覚なのだと。あれは、私が作り上げた――。
「泣かないで、ユキちゃん」
「……っ」
この声は、どこからでしょう。
とても懐かしい声。何十年も時間がすぎても、忘れることのなかった声です。
しかし、信じられませんでした。あのときの病がまた出てきたのでしょうか。思い返したから、また妄想がはたらいたのでしょうか。
「ほら、こっちだよ」
また聞こえました。間違いありません、あの雪だるまの声です。
この声が、私の命を救い、私の生き方を変えてくれたのです。
窓の方から。私はベッドから出て、ふらつく足で一歩、一歩と窓の方へと歩み進めます。
コンコン、と聞こえてくる窓を、私はギィィ、とゆっくり開けてみます。
寒い風が入ってきます。とても寒いです。
「……!」
ほとんど見えないこの目でも、その姿はふしぎなほどはっきりと見えました。まるであのときまでさかのぼっているかのようです。それか、夢でも見ているのでしょうか。
窓のそばにいた青いバケツを被っているけど、赤いマフラーがない大きな雪だるま。手は相変わらず木の枝でできています。今になっても仕組みがわからなかった、何かの黒い種でできたつぶらな両目はぱちぱちと瞬きしているようにも見えます。
「……雪だるまさん……!」
私の目が急にぼやけてしまいました。もう一度、その姿をみたいのに、歪んでしまって何も見えません。
「ユキちゃん、まだ泣き虫が治ってないね」
ええ、そうですね。どうやらまだ、泣き虫が治っていなかったようです。こういうときに、笑わないといけないですね。
私は濡れている目を指で小さく拭い、雪だるまさんに微笑みかけました。すると、雪だるまさんも微笑みました。とてもやさしい笑みでした。
「いままでのなかで、いちばんきれいな笑顔だよ」
綿のようにやさしい雪が降る夜。それはとても温かいひとときだったことを、私は眠りにつく今でも覚えています。
あの赤いマフラーは、今でも大切に持っています。