わたしの放課後梅雨前線
「あ、これ僕のや」
アツシくんが無邪気に言って取ったのはピンクのビニール傘で、本当はわたしのだった。だけどわたしは
「それ、わたしのやつやで」
と取り返そうとは思わなくて、むしろやった、と思った。だってわたしはちゃんと名前を書いてる。取っ手の部分に名前を書いてる。だからそれにアツシくんかアツシくんのお母さんとかが気がついて翌日にアツシがわたしに「ごめんな」って話しかけてくれるかもしれない。一瞬でそこまで考えて傘をさして校舎をでていくアツシを見届けた。
学校は突然の雨のせいで、いつもいる六年生もサッカーをしないで帰ってしまったからかすごく閑散としている。昇降口には先生もいないし、雨のざぁーと湿った空気があるだけだ。
さてさてアツシくんに傘を持っていかれてしまったわたし。目の前は雨の校庭。どうやって家に帰ろうか?
「傘、僕のちゃうかった」
心でわたしのあほー、と思ってしゃがみこんでいるとそう聞こえてきた。顔をあげるとアツシくん。目がぴったりあって、ああ、顔が熱くなってもた。
「松下さん」
「え?」
急にわたしの名前を呼ぶからわたしはまともに答えられない。口からでた「え?」は「なぁに」と聞き返すようなものではなくて「なんやそれ」とやたら驚きに満ちたものだった。
「傘、ないん?」
だけどアツシくんは気にせず続けて聞いた。よくみると右にわたしの、左にはまた違う傘を持っていた。
「傘な、今、門のとこで守衛さん貸してくれはってん。あ、でもこれで最後言うてたなぁ…」
「アツシくん二本あるやんけ」
「…これ僕のちゃうねん」
そう言うとアツシくんはわたしの傘をまたもとの場所に戻した。持ち主はここにいるのに。
「松下さん、どないするん?」
「どないもこないもそれ―…」
「二人で使こて帰る? やっぱ誰かの傘黙って借りるんは悪いで」
「わたしのや」って言う前にアツシくんが言った。言ってもた。
目眩がして落ち着くために一回小さくため息をしてから改めてアツシくんを見ると、今度は傘に名前が書いてあることがどうかバレないようにと願うわたしに気づく。
「相合い傘せなわたし、帰られへんわ。ほんまはいややけど」
「もうみんな帰ってるさかい、誰も見ぃひんて」
「ほんならアツシくん、絶対内緒やで。言うたら絶交や」
「言わんて、ほんまに」
「ほんなら指切りしよーや」
「ええで」
わたしの出せる勇気は全部出しきって、たった十秒間だけ、指の先っちょだけ、アツシくんと繋がった。
ごめんね、ピンクのビニール傘。なんて心で言って、わたしはわたしの小指をぼうっと眺めながら歩幅を合わせて雨の中を進む。
水溜りにぴったりくっついたわたしたちがぼんやり映っていた。