005 幕間
「なかなかいい動きをしますな。 人も戦車も」
白髪ばかりで、時々地肌がみえるほどに薄くなってきている頭に手をやりながら、アンドレイ・ブロコビッチ中将が日本側の武官に向かってつぶやく。
「うちのボンボンも独特の動きを見せよるが、こと軍事に関して言うならそちらのお嬢さんの運用の仕方の方が理にかなっておりますな」
それを受けた上原雄介中将は固い顔をしたままモニターを見つめ、特に喜んだ様子も見せずに、ブロコビッチ中将に顔を向けて答える。
「そのように言っていただけるのはうれしいのですが、私は今回の評価演習を違った意味でとらえておりますので、素直に喜ぶことは憚られます」
通訳を介さずに上原中将はゆっくりとしたロシア語で会話を続ける。
「私は社交界のことに明るくはありませんが、この一件が酒の席でのいざこざが発端であるとの噂を耳にして以来、いわゆる新貴族の軍をも動かすその影響力に、個人として不快と嫌悪の情を発露させまいと表情を取り繕うことがより多くなりました」
心底不快であるといったことを吐露する。
ただ、ブロコビッチの方は上原の不快感を和らげるでもなく、会話をこなすこと自体が趣味であるのかのように再度、上原中将に顔を向けて口を動かす。
「貴官がそのような感情を抱くのは理解できんでもないが、すでに彼らの影響力は各方面に及んでおる。 ある意味、あきらめつつ従属することも必要であるよ」
座る位置を直しつつ、今度はモニターに顔を向けて会話を再開する。
「特に昨今の軍事は、大軍を前提にした行動自体が無駄とされておる。 我々のようないつもどこかでテロなり暴動なりが起きているようならまだしも、多国間での大規模な戦闘などここ数十年起こっておらん」
座り心地が悪いのか、パイプ椅子に載せた尻を、再度ずらして会話を続ける。
「あっても新貴族やらの我儘で起こされる戦争ごっこがほとんどだ。 しかも今ではテレビの前の大衆に向かって、その戦争ごっこの様子を、面白おかしく見せてやらにゃ給料すらもらえんと来ては容易に士気もあがらん」
「古き良き日よもう一度、とは少なからず口の端に乗せはするものの、『いつ』を良き日とするかというわけですかな」
ため息をひとつ吐き出し上原は言葉を返す。
「現在の国際条約に基づく競技戦争の運用は、人的被害の軽減という恩恵をもたらしましたが、同時に失われてしまったものも多い。 過去の記録を見るにつれそのようなことばかりを考えてしまいます」
いつしか上原の仕草は遠くを見つめるものになっていく。
「まあ、失われるものが人やモノならまだしも、技術や戦術のノウハウが失われるのは痛い。 それに頭を痛めるのはヨーク帝国も同じではあるがな。 奴さんらも過去の栄光が忘れられんようで未だに我々の頭の上で衛星を飛ばしよる。 こっちはかつての航空機メーカーが戦車を作るはめになっておるというのにな」
そう言ってブロコビッチは、天幕の向こうにある、はるか彼方を飛び回っているであろう衛星に向かって忌々しげな視線を向けると、上原もつられて空に視線を向けた。
「間に挟まれる我々はいい迷惑ですよ。 台湾と華南共和国と帝政ロシアとの間でよい関係が出来上がっているからこそ、こうして合同演習を続けていられますが、フフホトや大連あたりで資源問題に火の手が上がったら、またぞろ旧来の戦に駆り出されることになりますからね。 空軍力の衰えた現在の体制でそうした馬鹿げた戦争は起きてほしくないものです」
実際にそのようなことが起これば、口うるさい反戦主義団体の勢力を抑える口実にならないかと上原は思案する。
軍の予算を減らして自分たちの分け前を増やせとは、前時代から彼らがスローガンにしていることだが近年の主張は昔より露骨になってきている。
これには戦争の規模が小さくなったことと、主に化石燃料の不足による戦闘の在り方が変化したこととがその原因でもあるのだが、凄惨な戦争が全くと言っていいほど無くなったのは、反戦団体の主張が受け入れられ、競技戦争とも呼ばれる判りやすいルールの下で行われる紛争解決の手段が導入されたからでもあるのに、彼らは依然として戦争根絶を訴える。
過去にはただ悲惨な戦争をなくせというスローガンで戦ってきた反戦団体は、その悲惨な戦争がなくなると今度は無駄な武器と軍隊を放棄しろと大きな声を上げるようになったが、さすがにこの主張にまで賛同する団体は多くなかった。
何が無駄であるかを反戦団体が一向に定義できないでいることも理由ではあるが、現時点においての戦争とは、少数の戦術士官が決められた範囲内で一定の装備で勝敗を争うスポーツのような形態に落ち着いているからでもある。
無差別な爆撃や高高度からの攻撃は国際条約で禁止され、砲弾についても特殊な場合を除き、専用のペイント弾が用いられているために戦闘中での死者はほぼゼロになった。
そのような環境が出来上がったにもかかわらず、反戦団体は十分ではないと訴える。
さてどのような世界になれば、彼らは満足するのだろうか?
いっそどこかに独立国家でも作り、そこで好きなだけ自分たちの言葉で遊んでくれと、上原は仕官する前から考えている。
彼らの主張は、隣の家の犬の鳴き声がうるさいから犬を捨ててくれという身勝手な訴えを起こす、我儘な住民のそれと大差ない。
あるいはゴネ得を狙って小銭をかすめようとしているのか、何らかの思想団体に踊らされて今もなお反戦を訴えているのか。
そこまで考えてから上原は意識を目の前のモニターに戻す。
今回、合同演習に急遽加えられた特別評価試験演習も、言ってみれば規模の小さい競技戦争に他ならない。
新貴族のお坊ちゃん嬢ちゃんが昔の決闘よろしく、大きなおもちゃを振り回してドンパチやっているというわけだ。
ただし大々的に戦争するには名目が弱すぎるうえ、どちらの国家にもうまみはない。
資源の争奪も、思想上の対立も、経済上の問題を抱えていない両国にとって、新貴族の都合だけで国家間戦争を起こされてはたまらないというわけだ。
それゆえの落とし所がこの特別評価試験演習なのだろう。
そう考えれば上之宮のお嬢さんが演習で指揮を執ることも理解できると、この演習が始まる数週間前からその線で自身を納得させてきた。
しかしながらそれでも解らないのは、大隊指揮で演習を行わせるように注釈がついたことだ。
何のために大隊での演習を行うのか?
本来ならば上之宮玲奈は大隊指揮を行えるだけの階級ではない。
小隊運用がようやく見れるようになってきた駆け出しの中尉どのである。
いくらコネがあり、頭の回転が速く、座学でも優秀な成績を収めていると聞いてはいても、そのあたりの複雑な感情を容易に腹の中へと納められるものではない。
やはり新貴族の我儘による横槍なのか?
どうにか自身を納得させようと思案している上原に向い、ブロコビッチ中将は脱力する一言をつぶやいた。
「ところでいつ頃になったらロボットに変形する戦車がロールアウトするのですかな?」
上原は前世紀の先人の行為を改めて呪った。