039 ヒョードル・二コラエフ・セルゲイビッチ
「よし、これで終了である」
キーボードを叩き終えて、首を左右にごきごき鳴らす。
およそ三か月ほどこもりきりで作業させられてきたが、その仕事もようやく目途がついた。
とはいうものの、解らないことが解ったというものである。
ババルスタンのルシフェルと自称する団体の一人、サルバトーレ・フレッチェンが置いていった名刺。
名前とスキャンコードだけが記載された名刺。
結局、こちらから接触はできず、何の変哲もないホームページが表示されるだけであったが、後日別のところから進展があったことが伝えられる。
クレムリン付の情報局から第八管区宛の、海外サーバーからの接続が急増したことが確認され、それが八月以降に急増していると。
慌ててサーバーと接続履歴、どのラインから相手が何を見ているのかを確認すると、ピンポイントでアレクセイ・ナボコフとヒョードル、元エンジェルのミッチェの特別評価演習に参加した三人の動向を中心に、PDAの使用状況を覗き見られていた。
切断もブロックも不可能で、普通の一般回線に軍用回線、その他PDAを通して私用されたWifiも無線LANも含めたすべての回線から動向を見張られ筒抜けになっており、衛星回線からも動向追跡されていることが発覚。
情報局は上を下への大騒ぎに、一時的ではあるがなりかけた。
だがそうならなかったのは、動向追跡されていたのがナボコフとヒョードル、ミッチェの三人の動向のみを追跡しているとみられたからであり、スパイ疑惑がかけられた三人が拘束されると、相手は第八管区の他のPDA動作動向を一時的に探り、結果としてそれ以外の重要機密事項を閲覧、奪取するなど行為が全くなかったことが明らかになったからだった。
相手はアレクセイたち三人の動向のみを探っている。
どのルートからででも、ネット上の侵入は防げず、その侵入手段もどんな目的で接続してきているかも不明。
PDAの情報を更新しても侵入は防げず、三人を監禁していてもその効果は上がらなかったため、三人はそろってそれまでの部署から閑職へと回された。
アレクセイは怒髪天を衝く勢いで荒れに荒れ、ミッチェは不満をため込みつつ日々の軍務をこなすこととなった。
ヒョードルのみは飄々と、今の環境を受け入れている。
上昇志向がないわけではない。
退役までに階級を二つか三つ上がり、多少なりとも安定した収入を確保して老後に備えたいとは思っている。
その過程で楽ができるならそれに越したことは無い。
そんな彼からすれば、今の状況は多少変わった形になるものの、おおむね満足のいく立場に落ち着いたというところだ。
これまでも訓練や国境警備、演習に座学、書類の取りまとめといろいろやってきた。
軍務の上でも、それ以外でもやらなければならない仕事はいくらでもある。
花形から裏方まで数ある部署の中で、彼らが飛ばされた部署はPX。
いわゆる購買関連の部署だ。
戦車に乗って大軍を指揮し、貴族としての務めを果たしたいアレクセイにとってこの配置転換は、屈辱以外の何物でもない。
ミッチェにしても、新聞や各種の雑誌を大量に読めて、場合によっては翻訳を求められる意外に、ひたすら暇を持て余すこの場での作業は、内心に不満をため込むのにうってつけだ。
そんな二人をしり目に、ヒョードルは自身が担当する在庫整理の入力作業を終えて、倉庫へと足を向ける。
今日も今日とて、足元の寒い倉庫の中で、PDAを操作する。
『本日入荷:シャツ二十着。 パンツ三十枚
本日出荷:2193年ウォッカ一瓶』
通常の在庫入力画面ではなく、テキストファイルに入力した文章を保存して電源を切る。
倉庫内の在庫整理を終えるとちょうどいい時間になっていたので、業務の引継ぎを終えて家路につく。
冬が近くなって、車の暖房も考えなければと考えつつ三十分ほど車を走らせると、そこそこ年の行った独身の軍人が多く居を構えるアパート群に到着する。
自室に帰る前に過度のコンビニに入って雑誌とウォッカと食料品を買い込む。
明日から三日間、連続した休みが久しぶりに取れたため、家の中に篭って掃除や色々なことをかたずけようという魂胆だ。
久しぶりにゲームにもログインするつもりで、食べやすいものを中心にそろえてある。
自身の部屋のあるアパートにたどり着くと、両手に袋を抱えて三階まで上がり、鍵を開けて中に入る。
あまり物は置かないようにしているが、それでも足元に何本も転がるウォッカの瓶を軽く蹴飛ばして奥に進む。
荷物を置きつつ時計を確認すると、時計の針は夜七時四十五分を指していた。
コンビニで買ってきた食料品をいくつか口に放り込み、ゲームの起動準備をする。
ベアリングボードの位置を確認。
電源確認。
スクリーンと照明を確認。
一通り問題の無いことを確認し、時計の針が八時二十五分になったころにベアリングボードの上に乗る。
「準備はすべて終わっている。 忘れていることは無いので、このままゲームを起動する。 そして彼らと合流する」
これから行う作業を確認して、一度肩を軽く回す。
八時三十分に合わせてゲームを起動させて、ログインした。
「お久しぶりですウォッカ2193さん」
ログインしつ、行きつけのショップに足を運ぶと、髭面のバイキングという形容詞がピッタリの男が声をかけてきた。
「ここで会うのも久しぶりなのだが、変わりがないようで何よりである」
ここではウォッカ2193という名前のヒョードルが返事をする。
「変わりがないとかいうが、実際のところはそうでもない。 細かいところや、参加するプレイヤーの質やモチベーションは、全く一緒のことは無いからな」
かっかっかっ、と笑い飛ばしながら言ってのける。
そんな会話をしながら、二人は建物の奥へ行く。
ポリゴンとテクスチャーに囲まれた画面の中を壁沿いに歩き、ある地点まで来たところでバイキング風の男がまず壁の中に消える。
続いてヒョードルも、周囲に誰もいないことを視覚とセンサーで確認しながら、壁の中に入る。
「よく来たな。 奥の部屋ですでに待ってるぞ」
先ほどのバイキング風の男とは別の男が、奥に行くように促す。
薄暗い通路の奥には、頑丈な木の扉に水晶が嵌め込まれたオブジェクトが、アイテム使用を促している。
左手のカーソルを動かしてアイテムストレージから、割り符を選択。
扉からアイテムを選択してくださいという、メッセージが消えてギィーという音をたてながら扉が開いた。
扉を潜った先には二人の人物がいた。
一人は先ほどのバイキング風の男。
もう一人は中世の十字軍が使っていたような、鎖鎧に白のサーコートを着た若い女性だった。
「十日ぶりくらいになるでしょうか? ともかく無事に会えて何よりですヒョードルさん」
「こちらこそ、急な申し出に答えて頂き、感謝していまする。 ビクトリア卿」
「その呼び名をしていただくのは有難いのですが、今日ではただ滑稽なだけです。 なんならこちらからも、ヒョードル卿とお呼びしましょうか?」
「いいえ、これは私の無礼をお詫びする」
「はっはっは。 両名ともそれくらいにいたしましょう。 たしかにそれぞれ敬称を使わなければならない立場ではありますが、あんまりこだわると堅苦しくなっちまう。 他のメンバーも追々集まるだろうから、ゆっくり待つといい。 酒とかの用意ができんのが残念だがな」
そう言ってバイキング風の男は再度笑う。
「ともあれ、急な集まりな訳だが、議題を持ち込んだステファンはどうしている?」
「彼ならもうすぐ来るはずよ。 私のところと時差は一時間も無いから、時計を見間違えていない限りはね」
そう話した直後に扉が開く音が響き、一人の男が入ってきた。
「やあやあ皆、今日もまた急な呼び出しにも関わらず、旧貴族会の会合に集まってくれてありがとう! このステファン、心から感謝する!」
このステファンという男の入場とともに、旧貴族の会合が始まった。




