014 退場
やわらかな、心地いい声が聞こえた。
「私の言葉を、聞こえていますか?」
はっきりとわかる。
そしてたぶん、この声は、玲亜には聞こえていない。
「きちんと話を聞けるが出来ている、そうだと思う話をします」
布まみれの人の口のあたりが、もごもごと動く。
「彼の言葉は、飾りがたくさんある。 たくさんの言葉が難しい、でも、嘘は言ってはいない」
一言ずつ、区切るように言っている。
言葉を選んでいる、のかな?
と言うよりは、語彙が少ないようなそんなしゃべり方にも聞こえる。
「神はいる。 神は人類が必要、でも、神は人類を重要には思っていない」
言葉が少ないせいか、何を言いたいのかがわからない。
「人も神が必要。 でも大切にしていない」
・・・。
「そして、エンジェルは神の手足であり、道具」
道具。
エンジェルが道具というなら、僕は神の道具ということ?
「でも道具にも心がある。 神は心を大事に思っていない。 だから我々は堕天使、心があるを訴える」
一言ずつの言葉が耳だけでなくあちこちから脳にしみてくるような感覚に、こそばゆく気持ちのいい恐ろしさを感じる。
なんで恐ろしいんだろう。
ただの言葉なのに。
「だが、神はどこにいる? いないものを恐れるのは臆病なだけだ」
隣にいたミッチェさんが反論する。
「神の居場所はわからない。 ただ、天災のように備える必要はある。 アキラはそれを理解できる」
布まみれの隙間からのぞく目でこちらを見つめる。
どう返事をしよう。
天災にたとえたのは、ようは神という存在がいつあらわれるのがわからない、地震や竜巻なんかのように予測もできないあらわれ方をするって言いたいんだろうか。
「・・・ぁ」
返事をしようとして口ごもる。
いま、自分たちは何語で会話しているんだろうか。
さっきからの話は、エノク語で会話しているんだということはわかる。
でもわかるだけで、エノク語での会話や文法、発音とかは全く分からない。
マンガみたいに自動翻訳されるんだろうか。
「僕は・・・」
日本語で発音したのか、エノク語で発音したのかはわからないけれど、とにかく口に出してみる。
「神様なんて、いてもいなくてもどっちでもいい。 別に困った人を助けてくれるわけでもなく、ただそこにいるだけとかなら置物や人形なんかと一緒だよ。 辛かったりいやなことがあった時に助けてくれるのでもなく、こんな体でいやなことがあっても、それでもただ道具のように使おうとするならそんな神様はいないほうがいい」
そうだ。
こんなエンジェルの体も、好きでなったわけじゃない。
遺伝子疾患なんて言ってるけど、世の中には生まれつきひどい病気をもって生まれてきた人だってたくさんいる。
神様がもしも何でもできるようなら、こんな風に病気や何かで苦しむ人はもっと少なくなっていいはずだ。
戦争とかだって、なんで起こるんだよ。
聖書の研究をしている人が挙げた調査だったかでは、神と悪魔とでは、神のほうが圧倒的に多くの人類を殺しているって言っていた。
何もしない、何にもできないのに神を名乗り、多くの人を殺すなんて、それっていったい何の役に立つんだよ。
「神は何もできない。 それがルシフェルの考え」
再び話をしてくる。
「神には意志がある。 でも手段がない。 我々エンジェルは神の手として手段を行う。 それが道具ということであると言います」
そこまで言って、判ずる者と呼ばれる人は姿勢を改める。
「神に言いたいことがある。 私たちは神を望まない。 あなたも同じ考えているなら私たちと来るがよいこと」
立った姿勢で僕とミッチェさんとを交互に見る。
一分くらいか、あるいはもっとかはわからないけれど、お互いが黙ったまま、そのまま動かずにいた。
「そろそろよろしいですかな?」
サルバトーレさんが口を挟んできた。
「繰り返しになりますが、我々は脅迫や誘拐という手段をもって協力をお願いしようとは思っておりません。 あくまでも自発的に我らルシフェルに協力していただきたいと思っています」
わざとらしく足音を響かせながら、目の前に割り込んで来る。
「そして返事は今すぐでなくともかまいません。 というより無理でしょう。 ミッチェ君などは軍の仕事などあるでしょうし、今回の件を報告していかなければならない。 未成年のアキラくんも、このまま連れて帰ったら大騒ぎになってしまいますからね」
ゆっくりと首を振ってこちらを見てくる。
「名刺を渡しておきます。 その気になったら連絡をいただけますか? ああ、もちろん直接アクセスしようとしても、我々にすぐ繋がるわけではありませんので、その点はご了承いただきたい」
上着の左ポケットから出した、金属製のカードケースから二枚の名刺を取り出し、近くにあった長椅子の上に無造作に置く。
「そちらの御嬢さんは、お土産について言われていましたね? 日を改めて我々から何らかの代替物送らせていただきます。 よろしいですね? 判ずる者ももうお話はよろしいですか?」
窓から差し込む景色に、うっすらと赤みの混じった金色が増えていく。
古い教会のような建物の中には、ミッチェ、アキラ、零亜が縛られたまま転がされている。
「むー。 放置プレイとは外道ではないですかー 銃突きつけられてほとんどしゃべれなかったしー」
零亜にめげた様子は認められない。
もぞもぞと動いてはいるものの、縛られた縄を解こうとかそういった目的で体を動かしているわけではなさそうだ。
単に動けないのがもどかしい、というか退屈なので体を動かしているだけようだ。
反対にミッチェは積極的に、戒めから逃れようと体を動かしている。
アキラは長椅子に座ったまま動かない。
そんなアキラの目の前の少し開けた場所に、零亜は腹這いになっているのだが、「いーもーむーしー、ずーりずりー」と言って尺取虫のように少しづつ前進している。
「いしょっと」
体を起こして長椅子の上にアゴを乗せる。
「あ、さかさまでやんの」
長椅子の上に置かれている名刺の文字を読み上げる。
「えす、えー、あ、このスペルがサルバトーレか。 えぬいーじーおー・・・ねごしえいたー あとこりはスキャンコードかー、シンプルすぎて逆に何にも情報がないわさ」
首を左右に動かし、息を吹きかけて名刺をひっくり返そうとする。
「うわちゃいきすぎたー!」
息が強すぎたらしく、名刺が飛んで行ってしまったようだ。
サルバトーレたちルシフェルのメンバーがいなくなってからすでに二十分はたっただろうか。
彼らは何もせずにここから去って行った。
もっとも追跡を封じるためか、手足は縛られたままだしミッチェは武器になりそうなものをすべて取り上げられている。
どうにかして縄を解いて自力で脱出するか、第三者にこの場所を見つけてもらうぐらいしか、解放される手段はない。
が、現在のところどちらも困難なまま時間だけが過ぎている。
「解けた!」
どうにか抜け出そうとあがいていたミッチェの右手が自由になる。
「でかしたミっちゃん! あちしの縄も解いてくりー!」
「先にアキラだ。 君はそのあと」
「んもー! ここへきて焦らしプレイでぃすかー!!」
途端ににぎやかになる。
宣言通りにミッチェはアキラの縄を解き、そのあとに零亜の縄を解いた。
建物の中から、別室にまとめられていた荷物を見つけ、中身を確認する。
特別いじられている様子はない。
カバンの中に入れておいたPDA(Personal Database Accesser)などは電源が切られていたが、何か変なデータやアプリなんかが入れられているなどされている様子は特に無いようだ。
詳しく調べなければ、何とも言えないけれど、今そんなことをしている暇はないだろう。
ミッチェのほうも荷物の中から拳銃を取り出して、異常がないか確認している。
零亜だけが「んのー!」と叫んでいる。
荷物の何かが無くなっているかとんでもない状態になっていたんだろう。
とにかく、荷物も確認できて、気分も上向いてきた。
ルシフェルの人たちはいなくなったようだけれども、警戒しながら基地へ戻ろう。
ミッチェを先頭に、建物の玄関だろう扉を開ける。
杉の森の間にタイヤの跡の残る泥道とが目の前に広がっていた。