72, 前夜・不適合因子
更新放置すいませんです。
と、反省はしたものの、次話も遅れそうな予感。
目の前には塔。真下から見上げれば恐らくは頂上など見えないだろう。星空に同化しているほどの高さを誇るオベリスクを目の前にして、仮面の男は手に一本の剣を持っていた。
形状としては両刃の剣、グラディウスに良く似たそれは、幾人とも知れぬ血をその身に浴びて妖しく月光を刀身に光らせていた。その担い手は血を拭うことすらせずに、横で微かに息をした兵士を虫でも踏み潰すような感覚で切り殺した。
場を埋め尽くしていたのは限りの無い赤。仮面の男が一歩歩くたびにピチャリと音を立てる水たまりはどす黒く死に染まっており、刀身から流れる赤い人間の残滓が波紋を作っている。というのにも関わらず、仮面の男はその身には言って一滴たりとも返り血を浴びていない。黒いローブとフードが守っているからではなく、その服にすら何も付いていない。
鼻に付く生臭い臭いを感じたとき、少しは丁寧にするべきだったかと的違いな反省をしていた。
……予想外と言えば彼にとっても予想外であっただろう。
治安維持機関は総合区域管理機構、つまり政府の管轄下なのにも関わらず、それも反逆を警戒して知らせなかったというのにこのタイミングでの登場。研究員等がその処理に出たが、治安維持機関の勇士を戦闘経験の浅い人間では太刀打ちすることも出来ず、結局こうして彼自身が赴くことになったが……些か彼にとっては手ごたえがなかった。
そしてちらりと先ほど斬り殺した男を見る。こちらは治安維持機関の人間ではない。服装から見ても外見の年齢から見てもそうだ。これは3rdエリアの情報生命体。
(ミリアの情報操作が解かれている……。しくじったか、あの女)
情報生命体たちは、先ほどの要塞陥落の知らせを受けて動き出すはずだった。それを止めるために、仮面の男はミリアにどうにかして食い止めるように命令をしたはずなのだ。が、彼女がそれを破ったわけではないだろう。今の今まで情報生命体たちは動いていなかった。つまりは、彼女の操作を解いた、もしくは彼女自身がそうせざるを得ない状況になったということだ。
思い当たる節がある分、この夜を暗躍する人物はどうやら政府の面々だけではないようだった。
――例えばそう。
「――……何者だ。この私に気付かれずここまで接近するとは」
後方、場所的にはオベリスク入り口の前に、その殺気が佇んでいた。
振り返らなくても分かる。背中に感じる泥がへばりつくようなぬめりの感覚、殺気と呼べるようでそうではない視線が仮面の男を襲っていた。
月光の下、地を這う赤い世界と空に蔓延る黒い世界の狭間。片方を支配するは既に息絶えた肉体の残骸とかつて人を守っていた数々の無機物。片方を支配するは凶行も愚行も、そこに含まれたふとした僥倖すら闇に返すもの。狭間を支配したのは、ボロボロの服を着た男だった。
仮面の男はその姿に怪訝な顔を向けた。今感じた違和感が、果たしてこの腕も細く、栄養失調の類で今にも倒れそうな、骨をむき出しにした男から発せられているのかと。
まるで機械人形のようにカクカクと骨を鳴らしながら、その不気味な男は顎を震わせた。
「ア……ア、アア」
喉から搾り出すようにして出された声は、まるで言葉になっていない。
「言語障害……というわけではないだろうな。薬物でも使ったか」
「ア、アア、ア……ト…………トビ、ラ」
と、ボロボロの男はやっと理解できる言葉を発したかのように思えた。
「扉?先ほどから支離滅裂だな。何が言いたいのかはっきりしたまえ」
「オ、オマエガ……ヒライタ?」
「何の話だ」
男は質問しているように思えているにも関わらず、仮面の男の言葉を無視して勝手に話を進める。これではまるで、ではなくて本当に機械人形ではないのあろうかと疑ってしまう。
――ジャラ。
仮面の男の耳に金属音が飛び込んだ。これがまさか機械の擦りきる音だとは思うまい。これは、鎖だ。そこで初めて男の服の裾の隙間から、銀色に光る鎖が垂れていたことに気付いた。 その鎖には赤黒く光る文字が刻まれており、決して武器ではないことが仮面の男には分かった。あれは、紛れも無く戒めだ。
「貴様、脱獄者か」
そうと分かった瞬間、仮面の男の身体に緊張が走る。
サークルエリアは都市化はされたものの、それまでの監獄施設というのは当然のように残っている。言ってしまえば4thエリアこそそれなのだが、問題はそこにある。監獄施設のシステムは1stから6thの順に段々と犯罪レベルが上がっていく。更正段階とも言うべきだろう。その中でも3rd以上となってくると、薬物犯などといった精神に異常を持っている罪人が多く存在している。都市化と共に、1stエリアの簡易式の牢獄にそれ以下の犯罪者は詰め込まれたが、4th以上の住民は違う。彼らは更正の見込みは無いと、暗い部屋で『鎖に繋がれていた』のだ。
その鎖が、絞め殺された蛇のように男に撒きついているそれだ。思わずため息が出るほどに役割を果たしていない。
懸念すべき点は二つ。まず言うまでも無くその鎖を引きちぎった相手の抵抗力の強さ。つまりは実力。ほとんど隔離結界式と変わらぬ束縛性を持つというのにも関わらず破られたということは、相手には結界式を打ち破るほどの力があるということ。間違えてもそうは見えないのが、仮面の男にとっては恐怖を増す要因になっていた。
そして何よりも危険なのは、あの妖しく光る鎖の式。あれが戒めの力なのだが、千切られたならばその効力は失せるはず。失せたならば、式は光らないはず。
「オレ、ニガシタ……ノハ、オレ、ジャナイ。シ、オマエ……ジャナイ。サンカ、ヨンケ。……デモ、トビラ、ヒライタ…………ノハ、オマエ、二、ニテル」
「傘下、四家だと?」
聞きなれた言葉を耳にする。
自力で逃げたのではなく、傘下四家によって逃がされたと男は言った。
傘下四家とは、天宮寺、神堂、唯家の三大貴族の傘下に入る中でも最も有力な貴族の総称である。
天宮寺家傘下、宝城。
神堂毛傘下、那賀広。
唯家傘下、秋月。
そしてそれを統べる傘下四家の最高権力家が……いや、これは既に滅びている。
もしも男の言うとおり傘下四家の一人が脱獄を促したというのならば一体誰がするのか。
宝城は常に守る者としての命を全うし、攻撃や行動面においてはあまり目立った点がない。名前の通り彼らは『宝を守る城』であり、城は動きもしないし人に害を成すこともない。頑固一徹としても名の通る守り手であり、天宮寺一家には絶対の忠誠を誓っている。由真が反逆をしたいまでも恐らくはそうだろう。
那賀広は『正す者』であり、常に世界にとって、自らにとって正しい道を選び主を導く存在である。だが、他でもない神堂家の傘下であってその忠誠心は宝城に引けを取らない。考えを実行に移すタイプであるため可能性が無いとは言い切れないが、那賀広は現在宝城と共に別任を得て行動しているはずであり、まさか4thエリアにいるなんていう確立は有り得ない。
ならば消去法から秋月が残る。
しかしこれもまた悩ましいところである。というのも、秋月は『斬り伏せる者』であるにも関わらず支配欲というものがほぼ皆無に等しい一家だ。現当主もそうであったはずである。しかし、唯家は現在三大貴族の方針に反逆して身をくらましている。秋月が同時に消えたわけではないが、その接点が完全に断たれたかといえばそうではないのだろう。
そして何よりも秋月がこの件に関連していないだろうと思う決定的なものがある。
秋月家には『ある人物』を預けている。その人物は政府、いや仮面の男に絶対の忠誠を誓っているのだ。その人物が彼にとって不都合である自体を招くとは考え難い。
だとすれば一番確立的に有り得るのは、考えたくも無かったが那賀広である。
「貴様を救ったのは、那賀広か?」
仮面の男は試しにそう男に問うた。
「……ナガ、ヒロ。チガウ。……マチガイ。オレノ、シラナイサンカ。――……イヤ、ワカル。デモ、オモイ、ダセナイ」
「思い出せないときたか。だが、那賀広でないとするならば、選択肢は残り二つしかないが……やはり唯家が秋月に何かを命令したか」
「アキヅキ、タシカニ……フオン。ヤツ、ナガヒロト、チガウ。ケド、ソンナコトヨリ……トビラ、ヒライタノハ、オマエ……カ?」
「要点を言え。扉とは、どの扉だ」
「アアアアア……!!ナゼダ、ナゼキンキヲ!!――ホロビル。滅びる!!」
瞬間、男の裾の鎖が脈動する。
見えない何かに誘導されるように空中に投げ出されたかと思えば、そのまま直滑降で仮面の男目掛けて落下した。
仮面の男はそれに素早く反応し、両刃の剣を鎖にわざと絡めて防御を取る。ブラックホールにでも誘われそうな引力が相手から発せられ、これが鎖に施された強烈な束縛式だと自ら設計したにも関わらずそれを呪った。
このまま均衡状態を続けていては腕が引きちぎられるだろうと判断した仮面の男は、たまらずそれを投げる。
「欲しいのならばくれてやる!!」
ヒュッ、と風を切る音を立てて真っ直ぐに男に飛ぶ。
「アアアアァァァァァア!!!」
胸に無情にも突き刺さったそれは、鮮血を浴びて誰も見間違えない赤へと染まっていく。この世の負を全て詰め込んだような激しい咆哮は闇に消え、ゴプゴプと嫌な音を立てて血生臭い空間に男は沈んでいく。だが、それでも膝を付いただけだった。
「――……オァ……。コ、この程度の苦しみ、我らが受けた制裁に比べれば水鉄砲にも適わん。最強を名乗り、神でも気取るつもりかこの下郎が」
しっかりとしたかつぜつで男は剣の投擲主を睨みつける。その目に渦巻いていたおぞましい感情に、仮面の男は気味悪さを覚えた。
剣を胸に刺したまま、男は大きく後ろへ跳んで立ち上がる。
「正しき道は常に我らが前に在り。ここで死を得て真の神と成るのも良しと考えたが、些か俺にはそれまでの余命が包含されていないようだ。何、すぐに気付けない間違いだからこそ、すぐに間違いを犯す貴様らだからこそ我らが在り、そして真がある。しばし待たれよ、舗装工事くらいはしておいてやる」
血を絶え間なく噴出しながら、それでもどこから見ても死にそうに無い雰囲気をかもし出している。だが、それで仮面の男はこの廃れた男の正体を察した。
そんな男を値踏みするように見下した後、仮面の男は小さく言う。
「貴様、彼の一族は剣の系統か。よくぞ腐敗した魂で現世に姿を現した。……いや、元より魂は腐ろうと肉は腐臭を知らんものであったな。今更何を求めにここに来た」
「求める?ほざくでないわ下郎が。我が一族は常に導く者であり、決して与えられる立場に無い。ならば俺がこの場で地に足をついていることがどういう意味か理解できないお前では無いだろう」
「ふむ。あの混在した意識の中ここまで来たということは、よっぽどの間違いを犯しているようだな、私を含む全ての舞台が」
「分かっているのならば話は早い。今ならまだ過ち程度で事が済む。だが、このままこの身も凍りつくような面子でお前の望む未来を目指すというのならば、その過ちの度合いは既に計り知れないものとなるだろう。既にこれはお前の願望云々の問題に留まらず。
誰かが望みをかなえるために用意した十の手駒があったとして、その十の手駒が全て己が願望を持ったとする。すると、誰かが用意した思惑通りには事は進まなくなる。駒はレールの上を走ることを拒み、自立した精神は自らレールを敷くことを覚える。そして敷かれた十本のレールは、いつしかたった一点に交わり衝突する。そうなれば、全ての望みは塵へ帰るどころか、二次、三次と災害を広げ、ふと気付いたときには取り返しの付かない現実を目の当たりにするだろう。お前が取ろうとしている道はそんな顛末を迎えることになるのだ。……言っておく、これは忠告でも無ければ警告でもない。告知とは全く接点を持たない、強いて言うならば命令に近い」
男は眼を見開いて、厳しい面持ちで仮面の男を叱りつけるように、それでもあえて静かにそう言った。もはや先ほどまでの狂気じみた面影も失せ、目の前にいるのは紛れも無い、『先代の人間』なのだと仮面の男は認識した。
それゆえに、今更男に危機感を感じた。仮面の男はこれ以上長引かせることを嫌い、決して見えない向こう側からの視線を送って、小さく漏らすように言う。
「……殺れ、黄金」
消えていった声の行方は、その名の持ち主。
刹那だった。黒い旋風が地に、空に巻き起こる。さながら黒いスポットライトのようなものだった。それを一身に浴びる、否それを発生させている役目を負った黄金が空中から降りてきた。
「遅いんだよ命令が。穿つ魔弾、放つ!!」
そのまま落下の体制で投擲の形を作り、歪な形をしたブリューナクを投擲する。
一閃、閃光とは呼べない黒い禍々しい一撃が飛翔する。だが、それにも男は動じない。まるでそれが止まって見えているんじゃないかと錯覚するほどの微動だにせず、――そして貫かれた。
「なっ……!?」
撃った当の黄金が一番驚いていた。そして、対するに受けた男が一番冷静だった。穿たれた胸は間違いなく孔を開け、穢れた囚人服はみるみるうちに赤に染まっていくというのにそれに対して不思議とも不快とも思わずに男は坦々と語る。
「……が…ぁはっ――。……もはや話す事など無いと判断したか。だが、殺そうとする意思など俺には無為。肉体の破壊は魂の破壊に繋がらず。俺の魂は全て我が剣に秘めたれし。打ち砕こうとするならば、肉を打たずに鉄を斬れ。――……しかし、些か俺も人の身体でな、傷は癒さねば広がるばかり。再び合間見えるまでその首を洗って待っているが良い」
これも刺さっていることに気付いていないような振る舞いで二本の武器を自らから引き抜き、その場にほうり捨てる。とめどなく流れる血は確かに人としての機能を奪うはずなのに、男は最初とは全く違う足取りでオベリスクの前から掻き消えた。それは既に早いという概念を超越して、消えた、とでも言うべきか。
「クソがっ、逃がすか!」
「追うな!!」
走り出そうとした黄金の足が杭で穿たれたように止まる。そして、金色の瞳を闇に輝かせながら仮面の男の方に振り向いた。
「良いのか。話を聞く限りじゃ、あのクソ脱獄犯は……」
「構わん。それに、奴の言うとおりあの男を殺すには肉ではなく剣を断たなければ何ら意味を成さないのは貴様を分かっているだろう」
「だがアイツ、剣なんて持ってなかったじゃねぇか。どこに置き忘れたか知らんが、剣の一家が聞いて呆れる。現当主も気骨の無い野郎か?」
「そう言ってやるな。時代は進み、人は老いてゆくものだ。剣もまた、手入れを施さずに暗闇に放置していれば錆びよう。そして安心しろ。現当主は骨のある人間だ。それも、異常なまでにな」
「はっ、どうだか。オレに任しておけば、ヤツの息の根なぞ一秒で仕留められたってのに」
黄金は心底機嫌悪そうに毒づくと、槍を待機に戻してオベリスクの入り口へ向かった。
……が、仮面の男はくくっ、と腹の底から湧き出る笑いを抑えるように声をくぐもらせた。黄金の言った言葉に身体の芯から激情が浸透する。
「冗談を。貴様ごとき『贋物も超えられない劣等品』に、あの男を殺せるだと?はははっ!笑わせてくれるな黄金よ。貴様では、奴との戦闘中に蟻を一匹踏み潰す暇すら与えられないだろう」
黄金は背を向けながら、仮面の男の罵倒に似た笑いに激怒するのを堪えていた。無論、黄金がイミテーションである黄金に劣っているとは微塵も思っていないし、それは傍から見ても事実であることは間違いない。
それでも黄金が言い返せないのは、武器の話だ。
三種の神槍は、上位から言って『ガングニール』、『ブリューナク』、『ロンギヌス』である。神話の有名さや、その担い手の伝承などを比べればガングニールとブリューナクに然程違いは見られないように思えるが、それも伝承での話だ。実際に同じ人物が二本の槍でやり合ったら、間違いなくブリューナクが引けを取る。
だがそれは不可能なこと。というのも、ガングニールやブリューナクといったどこから見ても普通でない槍は、担い手を選ぶのだ。血統、実力といった面も関係してくるのだが、金剛地が作り上げた槍は担い手を『武具との相性』で選ぶ。
つまり、黄金は最強であるガングニールに選ばれず、贋物であるはずの黄金がそれを手に入れた。それこそが決定的な敗北の象徴であった。
『駆ける死神の天馬』、『穿つ魔弾』。
今だ垣間見ない前者に恐れを成しているのは紛れも無い事実であり、それもまた黄金にとっての敗北だった。見てもいない敵を恐れ戦き、そうではないと鼓舞しているにも関わらず仮面の男に言い返せない。
そんな黄金に暴力をぶつけるように、強い口調で仮面の男が言い放つ。
「頭を覚ませ。貴様の槍は魔を穿つものであり、神とはすなわち悪魔だ。滅することしか能の無い最高神の一撃など目もくれるな。勝てるものにすら勝てないと思い込めば、あの男は勿論のこと、贋物にすら敗北を期するぞ」
「余計な世話だ」
そう仮面の男の言葉を切り捨てると、黄金はオベリスクの中に入っていった。
その背中を見送り、仮面の男はふと月を見上げた。
「くくっ。知っているかね導く者よ。増えすぎた登場人物は確かに危険だが、その存在ゆえに消しやすいということを」
return。
消えたのは血塗られた『グラディウス』。零したのは、『エレメント』。
遠く、消え入りそうな闇の中に薄っすらと光さす朝焼け。
冷たく湿った血の空間にはどう着飾ってもそぐわないそれは、手をかざしても眩しく見えた。盲目の戦士に光を与えるがごとく、朝日は全ての人間に降り注ぐ。
だが男は知っている。
朝日とは始まりを意味し、暁光に良く似たそれは終わりも同時に指し示すと。