追憶・惨劇を舞うハクチョウ(2)
更新が遅れました。
いい訳はしませんが、強いて言うならやる気の問題(ぇ
文字数ハンパ無くて途中で挫折していましたorz
目の前で一人の男が倒れる。身体が冷たくなったか否かを確認する必要は無いだろう。彼の身体は氷付けになってしまったのだから。寄って死体を介抱することも出来ず、春樹の隣で筋肉質の男は拳を震わせていた。
大きな公園のような、ベンチもあり、周りには家宅が連なっていた中央広場は今や惨状。知らぬ間に白銀の世界へと姿を変えてあるもの全てを凍らしている。その氷上に死体、死体、死体。意気揚々と豪気を震わせていた勇士は既に平和の象徴であるピースの指の数で数えられるほどになってしまった。これが平和だというのならば、ピースとは随分と皮肉なものである。
今の『冷気』程度の攻撃で、ほぼ壊滅状態に陥っていた。氷付けにされた傭兵の数は数知れず、焼き殺し、水圧死、大量出血による出血性ショック死、もはや死因と傭兵の数は比例していると言っても過言ではない。その全てがあのたった一羽の鳥に惨殺されたと認識したならば、男とて恐怖を覚えられずにはいられなかった。
壁伝いに移動しつつ、あの悪魔の動向を探っているが恐らく向こうは気付いているだろうと男は推測していた。空中高くから俯瞰すれば、少しの異変にだって気付ける。
「坊主、てめぇはさっさと逃げろ。あいつが殺られたとなっちゃぁ、もう勝ち目はねぇ。俺がここで食い止めてるから、避難所に……」
「だからうるさいって」
春樹は男の横で、射殺すように悪魔を見ていた。
「ここまで生き残ってるんだから、俺の実力は認めろって。まぁ、確かに勝てる気はしないけどな。だからと言って負ける気もしない」
「子供の我侭もそろそろ止めておけ。坊主の言いたいことは分かるがな、少しは大人の言うことも聞くもんだ。さぁ早く」
そう言って春樹の背中を押す。だが、春樹も譲らない。
「行かないって言ってんだろうが。別に死なないし、あいつを殺しもしない。お前こそ逃げろ。他人のために命を捨てるほど人情のある人間になんてならなくていいから」
「そんなものに成り下がるつもりで言ったんじゃねぇから、ほら」
「止めろって」
「早く!!」
ついに男は春樹を怒鳴りつけた。春樹の耳に鈍い音が反響し、顔をしかめた。
「わぁったよ。避難すればいいんだろ?ったく」
その言葉に男は安堵の息を漏らした。軽く毒づいた春樹はしぶしぶ路地の裏側へ回っていき、避難所へと向かおうとしたその時だった。
「『水流』」
軽やかな声が建物の間で木霊した。次いで息つく暇も無く、春樹の左手の壁が粉砕しまるで間欠泉のごとくそこから水が溢れだしてきた。とても給水機や噴水とは比較出来ない噴出量、戦闘用銃器のような確実な軌跡も無ければその光景はまさに滝。
壁すら貫いた滝は、春樹の横腹に質量を持って食い込んだ。
「かぁ……」
春樹はそのまま激流に飲み込まれ、反対側の壁に直撃した。胃に入っていないので吐き気はないが、四肢がふらついて全くと言っていいほど動かない。痛みに身を強ばらせる余裕すら無く、うずくまって嗚咽を漏らした。
男がそれに気付いた瞬間、彼の目の前に一枚の白い羽がひらひらと舞い落ちてきた。やがれそれは役目を終えたかのように地に落ちて……光り出した。
「な――に?」
あまりに唐突で予想外の事象に反応出来ず、目を見開いて固まっていた。
役目を終えたなどと馬鹿なことを考えた自分に男は嫌気がさしただろう。死んだはずの英雄は、再び『死体』として役目を負う。羽は主の翼として天空に羽ばたき、力尽きると最後の気力を振り絞って主に精一杯の奉公を行う。
「消え去れ人間。『爆発』」
声は男を我に戻す。反射的に男は広場へ大きく飛び出した。
ゴォォォン!!
後方で物凄い爆発音がし、やってきた爆風で男は足を奪われて数メートル転がった。ゴツゴツしたアスファルトが肘や膝を容赦なく傷付け、男は裂傷による痛みに耐えながら身を任せる。
やっとのことで収まったかと思いきや、男の目に飛び込んできた光景は悲劇。爆発の影響で建物が崩れ始めていた。アパート並みの高さを誇る家宅はゆっくりと支えを無くした部分から傾いていき、下でうずくまっている春樹を視界の隅にも入れていないかのように躊躇なく。そして、落ちた。
激しい土煙が上がる。分割されたブロックとなった家宅は無残に破壊され、下にいる春樹の安否は問えない。
「くそっ!」
男は激昂して地面に拳を叩きつけた。血が流れても気にも留めない。
――一陣の疾風がそこを通過した。
肉眼で捉えきれない速さで何かが視界を横切る。と、次の瞬間には形をもって男の目の前に現れた。
姿は男。がっちりとした体格だが身が細く、どこかで見たことのある暗色のスーツを着込んでいる。顔はなかなか整っていて、その若々しい肌とは対照的に昔のサラリーマンを感じさせるオールバックの黒髪に眼鏡。だが、中年男とは比較出来ない眼光を持っていた。
「治安維持機関の希信一だ。救援に来た。残った傭兵は……貴様らだけか?」
まだ変声期途中のような声で信一はそう問うた。
問わなくても半ば状況は呑み込める。外界とのリンクロードの扉からこの場所にいたるまで、路地という路地が凍りつき、家宅という家宅が破壊され、モノというモノが原型を失い、そして人が転がっていた。
最初に信一が感じたのはつかみ所のない怒りだったが、それも数を見れば悲しみに変わって最後には任務をまっとうしようという義務感へと変化する。信一にとっては生存者もとい今だ戦い続けていた傭兵がいたことに驚きであった。
男はそんな信一を見て怪訝な顔をした。
「おめぇさんみたいな子供が治安維持機関だぁ?冗談はほどほどにしろ。こちらとらお守りはもう間に合ってんだよ」
あまりに一般的過ぎる言葉に信一は一度ため息をつき、歪な造形をした篭手を男に掲げて見せた。
「治安維持機関の紋章が入ってる。これで信じないならば実力行使……と、そんなことをしている暇はない。邪魔になるから貴様は避難所にその男を連れて行け」
紋章を見た瞬間、男の目の色が変わった。
「そりゃぁ、政府のお偉いさんの紋章……。しかも音声認識の奴じゃねぇか。本気でこんな子供が治安維持機関を統べてるってのかよ」
「私がここにいることに感想を抱くのは後にしろ。早く――――っ!?」
信一の第六感が危機を告げ、勢い良く信一は拳を上にかざして言う。
「『炎上』っ!」
瞬時にして空気が張り詰めた。
遥か上空。悪魔は空という舞台に佇みながらその両手で赤子をあやすように水を撫でる。だが、その手つきは優しいものではなく、騎手が馬に鞭を打つような激しさをもっていた。そしてそれに踊らされる水流は雷の如し。激しい圧力をもって空気抵抗などまるでないように信一 目掛けて牙を剥く。
そして信一が言葉を発した瞬間だった。
男の目にはこの世のものとは思えない競り合いが展開されていた。単純思考で言えば、火は水に対して不利であることは間違いない。だが、信一が発動させたのは『炎上』だった。しかし、単純思考に惑わされてはならない。火は確かに水に対して脆弱だが、激しい炎は水をどうしてしまうのかという点を。竜巻のように渦巻き燃え上がる炎と滝のような水が対峙した。
発生したのは水蒸気。視界を覆いつくすそれは激戦を遮って不気味な音だけを男に伝えた。
「下がっていろ。ここからは貴様が足を踏み入れられる領域ではない。『風流』」
既に式を構成するという概念は彼には無く、その篭手に込められた音声認識よってのみ式を発動する。
信一を中心として風が舞い、水蒸気を晴らしていく。そして、信一は『浮いた』。
正真正銘、眼を疑うのも無理はないと誰かが諭してくれなければ有り得ない光景。『風流』とは『水流』と同じく、風を操って相手に何らかの打撃的攻撃を与えることであり、決して浮遊のために使うものではない。というのも、操作性の式と呼ばれる分類の式は、とにかく構成が難しい。物体などに意思を送り込み、自由自在に操る。特に『風流』は自らの肉眼では捉えられないものなので、『水流』と違って乱れやすい。
だが、操作性の式というのはほぼ全ての基盤に『風流』が存在する。『水流』だろうが『炎上』だろうが、空中で主の手を離れて動くものは必ず風が操作している。可視であれば操作はそこまで難題なものではない。とは言え、やはり過剰な精神力と集中力、そして式を組み立てる際の完全な精密さが必須ではあるが。
しかし良く考えてみれば、それは信一の『篭手による音声認識』だからこそ可能かとも思えた。音声認識は媒体となる何かに式を記憶させ即効発動させるものだが、故に難解な式すらも即効で組み立てが完了する。つまり、信一の篭手に認識されている式は相当なものだということだ。
空を翔る信一の背中には羽が生えているようには見えないので、まるで漫画の世界にでも入り込んでしまったかのような錯覚を覚えた。
「さて、少しばかり痛い目を見てもらうぞ。私はこんな状況で手加減できるほど出来上がった屑ではないのでな」
誰に言ったまでもなく、信一は飛翔して悪魔に突っ込んでいく。
「来るか、愚図めが」
声は男だった。容貌とは似ても似つかない声に信一は苦笑いを浮かべるが、すぐに険を取り戻す。
「その愚図に今から殺されるのだ。後悔して死ね」
ためらいは無い。信一はほぼ直線で悪魔に突っ込む。
「行くぞ。『炎上』」
先ほどと同様に西洋の言葉で式を発動させる。だが、悪魔とて意味が分からないわけではない。それに対応して、数秒も取らずに式を構成する。こちらもほとんど無構成に近い。
信一と悪魔の眼前で、再び炎と水がぶつかり合った。どちらともなく相殺され、蒸気によって視界が遮断される。信一は一度距離を置いて、連打する形で炎上を放った。今度は単発性のある火球であった。重火器から飛び出す銃弾のように煙を噴かせ、霧の中に叩き込んでいく。水蒸気となった空気中の水分を全て焼き尽くし、それは音を伴って手ごたえを信一に伝える。
……だが、それで信一は慢心したりはしない。
この程度で斃れる敵ならば、治安維持機関など存在する意義がない。傭兵で手に負えないレベルの敵こそが、信一の相手なのだ。
畳み掛けるようにして、さらに炎上を放つ。もはや一瞬の油断も隙も与えない。まさに灰を燃やすほど不毛で無意味な行為にも見えるほどだった。
(……そろそろ、殺ったか?)
篭手が燃え尽きるのではないかと思えるほど連打をかました信一は攻撃の手を休め、今や水蒸気から白煙に変わった空を見る。空と言っても現在位置からすれば真正面なのだが。
うっすらと塵は地面に落ち、煙は遥か空中に上っていく。やっとのことで視界が開けたかと思えば、信一はそこにあるはずの光景に顔をしかめた。
悪魔はそこにはいなかった。代わりに、鉄の球体が水玉と同様に浮いている。
(変わり身か。にしても、鉄の球体を知らぬ間に生成して浮かせているとは……実力が計り知れんな)
周りを見渡すが、悪魔の姿は無い。下を見てみれば、まだ男と若い同年代ほどの子供が立ち往生していた。子供のほうは未だ目を覚ましていないようだが、先ほど助けた時に確認したが肋骨が何本か逝っているように思える。あれでは歩行すらも難しいだろう。
信一は一度風流を操って地面に足をつけた。無論、警戒心は強めたまま。
「何をしている。私は早く避難しろと言ったはずだが?死にたいのならば今ここで首を掻き切って死ね。私は自殺志願者を助けてやれるほど暇な人間ではない。邪魔になる」
「お、お前本気で治安維持機関の奴だったのか。あれだけ『炎上』を連打出来る奴は始めてみたぞ。しかも西洋発音でなんて、な」
西洋発音は特異である。が、それはここサークルエリアにおいての話だ。当然西洋出身の人間はこの発音で正しいことになる。国から北東、古来において北米大陸と呼ばれていた地域から発足した世界共通の言語であるのだが、それを使用している人物は少ない。今や標準語は『標準語』であり、西洋発音ではなくなってしまった。
つまり、現代において西洋発音をするということは、その武具自体が西洋で作られたことになる。アイズ・フォン・アザーアイズ等の国は西洋に位置し、無論音声認識の武器も多く生産されている。信一はそれを使用しているということだ。
信一は男と春樹を背中に、空中を見上げた。信一の視界に不自然な光景が写る。浮く鉄の球体も既に常軌を逸脱しているが、その横側に空間が陽炎のように歪んでいる部分があった。炎上による副産物ではない。炎上は熱量は確かに炎なので恐ろしいほどにあるが、それがあのような残り香みたいにいつまでも漂うわけが無いのだ。
「……『透過』か。巧みだな、全く。休む暇など与えてはくれないか」
「暇、だと?」
「――っ!?」
声は眼前。信一は大きく飛びのいて状況を見渡す。
姿は無い。だが、気配はある。
「お前は強い。だから、雑魚は邪魔だ」
「くそっ!どこにいる」
見渡せど見渡せど虚空が写るのみ。左を向けば凍りついた建物。傷痕は深い。右を向けば破壊された建物。傷痕は深い。
後ろを向けば……。
「んなっ……」
まずい、とその瞬間信一の身体は凍りつく。
悪魔は男の首を掴んで上に持ち上げ、その白い羽を惜しげもなく広げて壁を作っていた。その壁の隙間から、横目に信一を睨みつける黒髪の男。
「ぐぁぁぁ……」
苦しむ男の嗚咽が痛々しい。人質を取ったかと、信一は迂闊に動き出せなくなった。
「覚えろ男。我が名は白鳥。ヒトを滅ぼす者だ」
ゴキュ。
骨。が、折れ。た……?
男の首は有り得ない方向に傾き、口からは不気味に泡吹いた唾液が零れ落ちる。肉付きのいい身体は見っとも無く白鳥と名乗った男の手にぶらさがり、五体を脱力した。
白鳥はゴミでも扱うように男を投げ捨て、男はゴミにでも成り下がったかのように壁にぶつかって路地に体を横たえた。
だが、これで終わらない。白鳥は次いで春樹の首根っこを掴む。
「貴様、子供にまで手を出すか」
信一が流石に痺れを切らし、篭手のはめられた拳を前に突き出す。
「お前とて同じ。今更躊躇いなど無い」
「躊躇いがあろうがなかろうが、それだけは止めるっ!『炎上』」
至近距離からの全くの迷いの無い攻撃。距離にして三歩半。
発射。発射。発射。発射。
僅か数メートルの距離で鳴る破砕音と爆風にも微動だにせず、信一は炎上を放つ。髪の毛が発射された際の煤で汚れようと、腕に伝わる確かな熱量に我慢が効かなくなりそうになっても放ち、相手が死ぬ死なないに限らず、防御する全ての手段を灰燼と化すために焼き尽くす。
が、それは翼により払われる。爆発する風とは違う爆風、全てをなぎ倒す翼からの強風で炎は払われ、白鳥は春樹を掴んだまま手をかざす。
「無為だ、そんなもの。『水流』」
「貴様こそ馬鹿の一つ覚えか?いつまでもそれでしのげると思うな。『炎上』」
三度目の対峙。だが、今度は両者一歩前に出る。
「『雷光』」
発生した水蒸気。中に穿つは、雷。
二人は同時に舌打ちをした。この距離とこの範囲ならば感電は免れないと先手を打つつもりだったが、考えたことが同様だったためか二人とも一気に範囲外へと跳躍する。春樹はその際に壁に投げられ、これもまた範囲外だった。
信一の目の前で雷光がほとばしり、耳の鼓膜を破りそうな勢いで空間が痛み出す。無駄の無い動きといえども半不可視かつ無規則の動きをする雷相手では確実性が無かったせいか、少々帯電したようだった。心臓付近と耳奥が痛い。
が、ここで信一はその最中に飛び込んだ。
「死にに来たか……!」
「――殺しに、来たのだ!」
信一は拳を振り上げ、霧中を掻き分けるようにして白鳥に接近し、白鳥は翼を前に広げ、防御の体制を取った。
拳が翼を抉る。白き羽は何重にも重なって白鳥を守り、信一はその一枚一枚を属性付与した炎の拳で破壊していく。
「撃ち破れぇぇぇぇぇ!!」
「ぐぅぅ!!」
赤い世界が二人の間だけに存在する。頬を掠める炎の厚さなど路傍の石。逆巻く爆炎は、そこにある全てを飲み込んで敵を滅する。燃え盛る翼、残りは何百枚か。
白鳥は表情をゆがめ、身の危険を感じた。
「『爆発』!」
白鳥は苦肉の策にそう叫んだ。
「自縛する気か、貴様ぁっ!」
それでも信一は突撃をやめない。もう一息、もう後数センチの領域なのだ。
炎の熱さと赤さは度合いを激しく増し……突然光を上げた。視界を飲み込み、光景を飲み込み、炎を飲み込み、二人を……。
「――――」
凍てついた世界はものの数秒にして灼熱の地獄へと変わっていった。
……にも関わらず、二人が立っているその理由は何か。
信一は息を切らし、自分の拳が通らなかったことに腹を立ててアスファルトを殴りつけるつもりだった。だが、今やその思考は消え去って、間抜けに口を開けて瞬きもせずに『そこ』を見る。
白鳥はてっきり爆発による離脱が間に合わなかったと思い、覚悟を決め腕の一本や二本は諦めるつもりだった。だが、目の前で起きた咄嗟の事件によってその思いや掻き消され、代わりに驚きと恐怖だけが蔓延っている。
「ぐだぐだぐだぐだぐだぐだぐだぐだっ!!そろそろ展開を考えろっての。炎上と水流、冷気に雷光?馬鹿にしてんのか?本物の式ってのは、こうするんだよっ!」
春樹だった。
赤い、先ほどの炎が『オレンジ』としか表現できなくなるほど赤い眼を二人に交互に向ける。持ってたナイフを地面に突き立て、異常な速さで刻む。
「『氷結』っ!」
「ひょ、氷結だと?貴様、何を血迷って」
「黙って見てろよ軍人さん」
春樹はニヤリと笑みを漏らすと、さらに式を刻む。
「『霜降』」
瞬間、白鳥の足元が凍りついた。それは侵食するように足を、膝を、太股を、ついには腰まで覆いつくす。純透明な氷の檻が白鳥を捕縛した。
氷結。それはつまり冷気と部類的には変わらないものだが、こちらは大規模かつ即効性のあるもので、空気中の水分を固形化させる冷気とは違い、完全なる『液体である水』を要する。
だが、それは『霜降』という名も無いような式によってまかなわれた。霜降は空気中の凍結した冷気を地面に降ろし、アイスバーンを作り上げる。だがそれは氷ではなく粉雪のようなものだ。それは瞬時にして地面の熱で溶け、そして再び固形化した。
『水を凍らせる』のではなく、『凍らせられる環境に水を放り込む』ということだ。これは絶対に予測することが出来ないと、信一は目の前の同年代と思われる男に感服した。
「この餓鬼がっ!人間の子のくせして、俺に仇成すとは。死んで詫びろっ!」
白鳥が即効で式を構成しようと、まだ動く手に力を入れた。が、
「遅せぇよ、雑魚が」
「――は」
声すら出す余裕無く、春樹がナイフを首筋に突き立てる。
「首筋を、狩る」
思いっきり、横に引き抜いた。
――ピキリ。
白鳥の頭の中で何かが音を立てた。首筋を触ってみれば、血が出ていない。刺された、引き抜かれたのに、血が出ていない。だが痛い。頭痛がする。腹痛がする。痛い。
視界が揺らいできた。足元が凍りつく。目の前の少年が笑う。赤い眼で笑う。
「言っただろ?殺しはしないって。花畑から摘み取るのは雑草だけで良いんだよ。綺麗な花弁をむしりとる必要なんて無い。お前は、それでいいじゃねぇか」
春樹は意識が既に朦朧としている白鳥の近くに行き、ナイフを腰にしまう。そして、手刀の構えを取って、首裏に狙いを定めて言う。
「お前、女に生まれてくればよかったのにな」
ストンッと軽快な音を立てて、白鳥の意識は落ちた。
―――
「希隊長!!」
隊員の一人が扉の前で駆け寄ってきた。他の隊員たちも、後に続いて隊列を整える。本当に無駄に良く出来た部隊だと信一は改めて感心し、笑みを漏らした。
「その、背中に抱えているのは……当事者ですか」
「ああ。一人は最後に生き残った傭兵、でいいのか良く分からんが、少々手助けを貰った。保護してやってくれ。当事者、白鳥というらしいが、この男は治安維持機関で精神操作を施して保護する。科学班に以下の内容を伝えてくれ」
そう言って信一はいつ書いたかも分からない紙を隊員に手渡す。その内容をざっと隊員が読むと、不思議そうな顔を上げた。
「本気ですか?こんなことは前例には……」
「前例前例とうるさいな貴様は。これは私の案だ。逆らうことは許さん。ただちに実行しろ。それだけだ」
「……了解しました」
不服ながらも隊員は他の隊員を呼んで、春樹と白鳥を連れて行かせた。信一の肩の荷がやった降り、ため息を吐いて壁に背中を掛ける。気を利かせた隊員がペットボトルを信一に手渡し、信一はそれに一礼して喉に流し込んだ。胃袋に染み渡る水が、今はありがたかった。
「花畑から摘み取るのは雑草だけで良い。綺麗な花弁までむしりとる必要は無い、か」
異常な男。黒髪を持ちながら赤い眼。いや、髪の毛の色など関係ない。あれは途中で赤くなったのだ。つまりは、そういうこと。
あの男は確かにあの瞬間、爆発の式が完成する間際に『干渉』した。今まで寝ていたのは演義だったのか、それともその瞬間に目を覚ましたのかは定かではないがあの『コンマ数秒』の間に干渉したのだ。それは人間の成せる業かと問われれば、奇跡なら、とでも答えられるほどだ。
ペットボトルの蓋を占め、隊員に手渡す。
と、そこで信一は悪戯っ子のような不気味な笑みを浮かべて、その隊員に言い放った。
「追加で良いかね?あの白鳥、少しだけいじってみたいのだが」