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64, 騎士の心(3)

 九条美香留が怒りを露にしていた。

 ひ弱な犬の遠吠えにも良く似た怒声だった。だが、それだけでも十分な迫力をかもしだし、ミリアを一瞬だけだが怖気づかせた。自分の歯を噛み砕いてしまうのではないかというほどの険悪さ。隣にいる由真が英雄に見えた。

 日比谷の開いた口がふさがらない。先ほど別れを告げてきた想い人が、何故ここにいるのか。時間的にはまだまだ深夜だ。起床するには早すぎだ。それも、まるで日比谷がここにいるのを知っているかのような振る舞いだった。


「何でここにいんだよ……九条」


吐血交じりにそう言うと、そのままの表情で睨みつけてきた。


「何で?なら何であんたはここで、こんな危険な奴と戦ってるわけ?」

「それは……俺が騎士だか」


 そこまで声に出した瞬間、九条の口から罵声のような叫びが飛んだ。


「騎士なんて気取ってんじゃないわよ!弱い奴は後ろに下がって見ていればいいの!いちいち自ら犠牲になるようなことしないでくれる!?」


 そう言う九条の表情は酷く見るに耐えないものだった。今にも涙腺を突き破って涙を流そうとする悲痛に歪んだ顔は、日比谷にとって一番見たくないものだった。

 あんな顔を女性にされたら、何も言い返せない。優しい言葉も反省も妥協も逆上も許されない卑怯な技にも見えた。

 それでも。


「それでも、俺は騎士でありたいから、こうして磔にされてんだよ。それを九条にどうこう言われる筋合いはねぇ」


 精一杯の強がりであり、また本音でもあった。悲しみに負けるような、自分は既に息絶えているだろうと自分を盛り上げる。そうすることで、言い争いになりたくない相手と意見をかち合わせた。


「そんなのって…ないわ。あたしは、あんたにも死んで欲しくないのに……」


 ついには由真の胸を借りて嗚咽を漏らし始めた。それを由真は無言で慰めている。

 …という光景を見ていたミリアは、場にそぐわない警戒心を剥き出しにして辺りを見回していた。視界にあるのは闇夜ばかりで、街灯の光すら届きにくいこの場所では敵策に困る。

 廃棄物も無音で佇み、影の薄い窓辺の花のように気に留められない。


(何かがいますわね、確実に)


 補食者がついに知恵を持ったようだった。なるべく周りの風景と同化し、相手に気配を悟られないようにする保護色を持ったカメレオン。粘着力のある舌がどこかに身を潜めている。

 日比谷を殺してしまうのも良いと思うが、何分相手の思考が読めない。分の悪い賭けをしているわけでもないのに、嫌に慎重になっている自分に吐き気がした。

 だが、これは賭けではない。間違いないという確信を持った警戒だ。

 九条の嗚咽すらも闇に溶け、今やミリアの全感覚が永遠の暗闇に向けられていた。


「ミリア。日比谷さんを解放してください。あなたの目的は無意味な殺戮じゃないでしょう?」


 由真が何やら話し掛けてきているが、反応する隙がない。明らかに押し殺された殺意がそこには存在していた。

 ミリアは表情を曇らせた。恐らくまともにやり合える相手ではないと判断したからだ。手に持つペンを一度振り、風の操作を破棄する。

 磔にされていた日比谷は空気抵抗を受けながら地面に落下し、激しい吐血と共に身体を折った。あまりの痛みに海老反りになって悶え、歯を噛み砕く勢いで顎に力を入れて耐えた。


「怜!!しっかりしなさい!」


 すぐさま九条が駆け寄って、自分の膝を日比谷の頭の下に置いて少しでも態勢を楽にしてやる。日比谷にとってはある意味至福のひとときだった。


「わ、わりぃな。膝に血が付いちまうからんなことやらねぇでも良いよ」

「あんたは黙ってなさい。由真さん、治療、出来る?」


言われた由真は首を縦に振るが、すぐに辛い表情になる。


「自然治癒力の激化の式は知っていますが、エンブレムが無いとどうにも……」


 それには九条もうなだれた。そしてすぐに顔を上げて、目につけたのが、ミリアの持つペンだった。しかしあれは恐らくクリエイションだ。つまり空間干渉しか出来ない。一つ舌打ちして、再びどうにかならないものかと思考を始めた。

 ――その瞬間だった。

 ミリアの反射神経が危機感を捉え、頭より先に身体が動いて鞭を振るった。物凄い破砕音と共に、有り得ない金属音がコンクリートの上で鳴った。

 ナイフ。銀色の切っ先は確かにミリアに向かっていた。闇夜から突如現れた異質な存在に、四肢に一気に緊張が駆け巡る。指先が震え、見えない敵に圧倒的に気を押されているようだった。

 そして狙いすましたかのように由真がそれを急いで回収した。そこにはアクティブエンブレムがきらりと光っている。

 まさか、とミリアは回る思考にある一つの結論を導いた。


(協力者、ですのね)



 コンビネーション。たまたまアクティブエンブレムが必要だった状況に出くわしたからナイフを投擲したのか、元から事態を想定していたかは分からないが、あまりにタイミングが良すぎた。

 それにあのナイフにはどこかで見覚えがあるような。


小癪こしゃくな真似をいたしますのね。さっさと出て来たらどうなんです?」


 今や絶対的確信に変わった相手に向かって、挑発気味に言い放つ。だが、答えは返ってくることはなく、まるで闇に話し掛けている変人のような気分に陥って酷く気分を損ねた。

 ふと見れば、由真は兵士顔負けのスピードと技術で式を日比谷に施していた。


(この状況が、既におかしいんですわ)


 依然警戒心は強めたまま、知らぬ間に逆転された状況を確認した。

 隙だらけどころか、まるで死にに来たと同義なあの二人。だがミリアは手を出せない。これを計画的行動と言わずしてなんと言おう。影の協力者、否こちらこそが本命だろうナイフの投擲者は間違いなくこの二人を利用しに呼びに行ったに違いない。利害は一致しているせいか、何の不満不評を漏らさず彼女らも協力している。

 刻々と時間だけが経過していき、このままでは挟み撃ちにされかねなかった。

 やむを得ないと、ミリアは撤退を考えて一歩左足を後ろに下げた、その微妙な隙間だった。


「くっ!?」


 予想はしていたが、あまりに早い攻撃のタイミングに意表を付かれて鞭を乱暴に振った。

 ギィィン!と鞭が何かを捉えるが、姿は見えない。


(透明化の式ですかっ。厄介な技術者ですわね)


 保護色なんかではなかった。そのものが周りに合わせたのではなく、自動的にそうなってしまっただけの単純な解答。だがそれに対抗する術は難しく、ミリアはペンを走らせつつ鞭を右往左往に振り回す。

 流石にこれだけ鋭い防衛をしていれば、向こうも手を出せないはずだと、慢心した。


「『地顎』」


 夜闇に声が木霊した。木霊したのは声だけでなく、先ほどから鳴り止まない地響きにプラスアルファされて脳内まで振動するほどの揺れが襲ってきた。

 突如、コンクリートが牙を剥く。


「しまっ――」


 まるで隕石でも落下したかのような音の振動が辺りに響いた。

 ミリアが言い切る前に、龍の顔面のような形で地面が破砕し盛り上がり、不器用に尖った牙の中にミリアを閉じ込めた。龍に喰われたようだった。

 僅かな隙間さえ無い空間に、更にガリガリッと岩を噛み砕くような音が内部から響く。地顎が二重にも三重にもなって発動されている。

 由真や九条はそのグロテスクな光景に息を飲んだ。少しやりすぎじゃないのかと同情すらしてしまう。


「あんなにやらなくても……」

「必ず殺すって言ってましたからね。見ている側は少し気持ち悪いですけど、確かにこれは生き残れない」


 と、ここで由真の視界に一つの異質が発生した。火であぶって文字がでる宝の地図のように一人の男が姿を現す。と言っても外見は黒ローブに包まれているために判断することは出来ないが、先ほどの声質から男だと判断出来る。

 潤目と名乗ったその男は、数分前に要塞に現れた。要件は言うより見た方が早かった。就寝前までいたはずの日比谷と新谷がそこにいず、更には建物前に巨大な光の柱が立っていた。もはやこの世のものとは思えない光景に唖然としていたが、それは由真だけだった。

「そんな…どうして」と声を漏らした九条の表情は悲痛に歪み、膝をがくりと落として呆然としていた。

 新谷が死んだのだと、潤目が伝えた。一部始終を見ていたという彼に九条は激怒したが、潤目がたたみかけるように言葉を呟く。

「もう一人の男も危ない」と。

 ミリア・ヴァンレットの名前が飛び出し、自分がそれを殺すから由真と九条に油断を作れど潤目は提案してきたのだった。

 見事成功万々歳とも言うべきか、潤目は自分のナイフを腰にしまってこちらに歩み寄ってきた。


「要塞に戻れ。ミリアは死んじゃいない」

「それってどういう……」

「言った通りだ。奴は不死身に近い身体を自らの研究で手に入れている。恐らく今も死んだふりでもして、どこかで揚々とほくそえんでいるに違いない」


 冗談では無さそうだった。語る潤目の瞳はいたって真剣で、こちらにも多大な危機感を伝えてくる。


「決して要塞から外に出るな。恐らく、戦争にでもなるだろう。お前たちが入り込んだところで邪魔になるだけだ」

それに九条が激しく反応を見せた。

「戦争って……どういうことよ!?」

「いちいち問い返すな、馬鹿でもあるまいし。名前の通り、恐らく政府とこの3rdエリアとの全面戦争になる可能性がある。何せあの馬鹿が余計な工作をするから…」

「工作って、狐の仕掛けのこと?」

「お前は当事者だから、どういうことは一番良く分かっているはずだ。何も責めはしないが、下らん逃げ場を作ったところで結果は同じだというのにな」


 由真には二人が話している内容が全く理解できない。だが、戦争が起きる、というワードは聞き捨てならなかった。

 王家に属する由真にとって戦争は見飽きたと言っても過言ではない事象。首都大紛争から始まり、その後もほぼ絶えることの無かった戦争は今でも冷戦状態にある。

 それには政府が事細かに関わってきたパターンが多く、そして現状でも政府が関係してきているという面から、正直ただ事ではすまないような気がした。


「私たちには、何も出来ないんですか?」


由真が祈るような気持ちでそう尋ねる。


「出来ない」


 祈りも一蹴。それが当然こと普遍の真理だとでも言いたいくらい気持ちよくきっぱりとそう答えられた。うつむいて、現実を受け止める。


「何かをしたい気持ちは理解してやるが、状況をわきまえろ。男は戦場に躍り出て、女はそれを家で待つ。それが決まりだ」

「最近は女性が職に出ることも多いんですよ?」

「そんな屁理屈はいらん。デスクワークと戦を同等に見るな。死ぬだけだ」

「でも……」


 そこで潤目が苛立って、言葉を強めに吐いた。


「良いか?明後日だ。恐らく今日中はお前たちの仲間も休養に入るはず。そこで十分に話し合え。そうしたら納得するだろう」


 つまり、春樹と信一に決断をゆだねろと言っている。

 それには言い返す言葉も無く、ただ黙って奥歯を噛んでいた。

 日比谷はいつの間にか披露で寝息を立てており、九条が髪の毛をゆっくりと撫でていた。それが微笑ましくて、少しだけ気分が落ち着いた。

 夜が刻々と明けていき、天に刺さった光はうっすらと姿を無くしていく。後光を浴びた建物は次第にその輝きを失わせ、あるべき姿に帰っていく。

 だから、由真はその輝きが全て無くならないうちに決心した。


「あなたは、一体誰なんです?」


 由真が無意識のうちにそう問うた。潤目はそれに無言で空を見上げ、何を見たわけでもなく再び首を下ろし、ローブを翻して背中を向けた。


「何度も言わせるな。俺は、潤目冬夜だ」


 去り行く背中に、誰かの面影を感じたのは気のせいだったのだろう。






―――





 ガンッ!

 ガンッ!

 ガンッ!

 アスファルトを叩きつける痛々しい怒りが聞こえる。手に滲んだ血も気にしないで、ミリアは溢れ出す感情をそうして発散していた。

 ガンッ!

 ガンッ!

 ガンッ!

 負けた。負けたのだ。左肩を牙で打ち抜かれ、滴るどす黒い血が水たまりを作っていく。鼻に付く腐臭にも気付かず、血たまりを叩いて破壊する。

 右肩には酷い火傷を負っている。これは深緑の森にてアイツァーに付けられた傷。


「もう、もう許しませんわあの男。絶っ対に殺してやるんですから……」


 何より普通に戦闘を繰り広げていて、戦略でこちらが負けたのだ。

 両肩の傷が疼く。

 この痛みが、ミリアを動かす糧となるだろう。

 夜は、明けていく……。

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