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63, 騎士の心(2)

何を血迷ったか、9000文字あります。

 火蓋は切って落とされた。

 穏便そうに見えたミリアの動きは一気に活発になり、猛威を振るう化け物のように鞭を右往左往と振り回す。だが、それは全て威嚇だった。


「さて、少しは楽しませて欲しいものですわね」


 依然としてあの不敵な笑みは崩さず、それでも恐ろしいほどに殺意の篭もった瞳。攻めに回っていた日比谷は思わずたじろいでいられなかった。半ば鞭から遠ざかるように、日比谷は大きく一歩後ろに跳んだ。

 近付けない、というのが本音だった。苦い顔をして、相手の歩に合わせて後退していく。

 それを見てミリアはニタリ、と不気味な表情を浮かべ、鞭を持っていないほうの手を振り上げて言った。


「Longinus.」


 聞きなれない言語だった。しかし、日比谷はその言霊に含まれる脅威を察し、神経を尖らせる。鞭がアスファルトを砕く音がつんざくような音と化し、鋭利化された神経に直に感覚を伝える。

 依然後退しながらも、剣を構えなおしていつでも切裂ける様にと心の準備をしておく。

 一秒、二秒、三秒。

 短い時間が酷く長く感じる。おかしい。あの言語は確実に何かを発動させるような含みがあったはずなのに……。


 ――後ろだ。


 自分以外の誰かが呼びかけるように、そう直感した。それからは速く、剣を薙ぎながら横に跳んで後方の不審な気配を視界に捉える。


「んなっ…!?」


 その光景には狼狽を隠せなかった。いや、焦燥とも言うべきだろうか。

 現れたのは再び闇に沈めたはずの甲冑だった。鈍色の光を反射させながらカタカタと音を立てて地を踏む鎧の何か。重量感のあるそれは、砂塵を踏み砕いていた。

 だがその存在に戸惑ったのではなく、槍だ。あれが最も日比谷が恐れていた再現。伸縮自在に日比谷を翻弄した謎の槍が再び甲冑たちの手に握られていた。


「な、何で…。さっき潰したのが全部じゃなかったのか?」


 鎧には傷一つ見当たらず、それが先ほど叩き潰した甲冑ではないことを物語っている。

 後ろで絶え間なく鳴っていたアスファルトの破砕音が止んだ。ミリアが鞭をコンパクトに掌にしまいこんで立ち止まる。


「それがただの動く甲冑だとお思いで?動く時点で普通ではないことは分かりきっているでしょうに」


 分かりきっていたとしても、それとこれとは別問題だ。一体、どこから現れた?

 答えはミリアの口から吐かれた。


「名前は『ロンギヌス』。まぁ、槍の名前ですけど。一度くらいは聞いたことがおありでしょう?」


 その槍を観察するように凝視する。

 良く見ても、それが槍だという以上感想を持つことが出来ない。例えば、ブリューナクだったら五本の穂先に黒い形態と言った禍々しいものがあったが、このロンギヌスという槍にはそういった異常性が見られない。

 それにこの生産数はどうだ。甲冑は既に十は叩いたはずなのにも関わらず、まだロンギヌスを持つ手甲が現れるではないか。つまり、数が無限大。

「ロンギヌスは、貴方が見たブリューナクと違って神々の持つような槍ではありませんことよ。ただの一般兵の槍。何の変哲も無い市販の槍ですわ。……形と、伝説上は」

「どういうことだ…?」


 含みのある言い切りに、日比谷は問いを投げかけた。


「貴方、これが本物のロンギヌスだなんて思ってはいないでしょう?聖槍…でしたかしら。そんなものが現存していて使用できる状態にあったのならば、それは大金に成り下がるだけの『モノ』ですわ。それに一つしかありませんし。それがここにこれだけ存在するということは……」


 それを遮って日比谷が言う。


「――贋物だろ?んなこたぁ分かってんだよ。俺が知りたいのは、何で潰したはずのこいつらが、またここにいるかってことだよ」


 ミリアから視線を外して、再び十はいようかという無様な兵士に目を向けた。やはり無機質。人が中に入っているとは到底思えなかった。

 ……と、ここでミリアの方からゴトリ、と何か重いものを地面に置いたような鈍い音がした。せわしくもそちらに視線を戻すと、ミリアは甲冑のかぶとの部分を剥ぎ取り、中身を見せ付けるようにして首を掴んで引き上げる。


「……じょ、冗談だろ?」


 中に人は入っていた。日比谷の剣に殴られた部分から鮮血が滴り落ちており、顔面が真っ赤に染まっている。唇は青く、その人が死んでいることは言わずもがなだった。

 男、ではなく、男児だった。まだ幼さの残る顔は無残に叩き潰されているが、なんとか外見を保っている。それが、まさか自分のした行為だとは思うまい。…という現実逃避は日比谷には出来なかった。


「うっ」


 急激な嘔吐感が喉元から押し寄せてきた。

 殺人を犯した、という認識が体内を駆け巡り、細胞という細胞がそれに対して拒否反応を示している。手足がガクガクと震え始め、明らかに意識が混雑し始めている。ということを認識することすら難しい意識状態に陥った。

 そんな光景を滑稽だとでも言いたいようにミリアが笑い、顔面を叩き潰すような勢いでその男児をコンクリートの上に叩き付けた。

 その地面の衝撃が日比谷にもかすかに伝わってきて、さらに死の現実を強めた。


「肉体だけじゃなくて、精神も脆いんですわね。男の子がそんなんじゃ頼りが無いですわ」


 その言葉に我を取り戻し、精一杯の憎悪の意を込めてミリアを睨みつける。

 まるで玩具でも扱うように男児を叩き付けたミリアに対して、許しがたい何かが湧き上がってくる。地面を一発殴りつけ、その痛みで自分の罪を再認識し、日比谷の中でそれを許した。

 都合が良いかもしれないが、日比谷にとって今罪を請うている暇は無いのだ。


「脆い、ってのは自分でも分かるけどな、あんたみたいに何の罪悪感も持ち合わせねぇよりはましだっての」

「罪悪感?……ぷっ、あっはっはっはっは!!!」


 突然、今までの微笑とは完全に類が異なった爆笑を暗闇に響かせた。

 そのおぞましい姿に言葉も出ず、剣を杖にして立ち上がると、そのタイミングを待っていたかのようにミリアの笑いが忽然と止まった。


「行きなさい、『ロンギヌス』」


 命令の言葉に反応したのは、日比谷も同じだった。

 ミリアを無視すると心に決め、槍を持つ無機質な人形に対峙する。だが、先ほどとは心境が異なる。人が入っているといないとでは攻撃に躊躇いが生まれてしまう。

 そう考えた日比谷は、一度深呼吸をした。吸った息を肺に染み込ませ、十分な時間を取った後に、ゆっくりと吐き出す。


(割り切れ、日比谷怜!こいつらは人形だ。この女に使われる、駒だと思えっ!!)


 自分自身の迷いに激を入れ、無情になって殺意をむき出しにする。

 まるでゾンビが多数登場するゲームの世界にでも迷い込んだような光景。倒しても倒しても次々と現れるそれを倒す手段は皆無に等しく、クリアの条件はゾンビを生み出している現況を倒すこと。だが、優先順位を見誤ってはいけない。こういったゲームを最速でクリアするには、レベルの問題もあるが、普通の進み方をするならば雑魚を片付けてからではないと厳しい展開になる。

 ゾンビのようなうめき声もグロテスクさも無いが、甲冑は動きだけはゾンビでやっていける。

 一斉に槍が振り上げられ、投擲の構えにゆっくりと入っていっていた。


 ――先手を取らせたらダメだ。


 一瞬の判断で日比谷は今にもその刃を手放そうかという甲冑に突撃していく。剣の切っ先を向け、出来るだけ身を低くして相手の懐にもぐりこむ。


「とろいんだよっ!」


 斬撃を叩き込むのにはやはり抵抗があり、先ほどと同じくして腹で顔面を殴打する。鉄と鉄がぶつかり合う甲高くも鈍い音が鳴り響き、再び日比谷に死の重さを振動で伝える。苦虫を噛み殺したような表情になり、やはり嘔吐感は襲ってきたが、もう立ち止まらない。


「許せよ……っ」


 かつて同僚だった生徒を撲殺していく許容しきれない罪悪感とも戦いながら、日比谷は甲冑を沈めていく。

 そしてその光景を後方で、観客のようにして見つめているミリアは、左手にペンを持ち、空中に走らせていた。

 式だ。そう認識したのが……元凶。

 一瞬だけ視線を外したその隙に、日比谷の眼前に槍が牙を剥いていた。頭蓋骨を破砕しようとする勢いは風の抵抗などまるで無いように迫ってくる。舌打ちする暇も無く、無理な態勢で槍を弾き飛ばし、腕にのしかかる重量感に足場を崩した。

 無様にもしりもちをついた日比谷は、急いで態勢を立て直すために冷たい地面に手を突くが、そこに異常を感じた。

 冷たい地面に、手を突くが……?

 日比谷の掌に伝わったのは温度ではなく、空を切る感覚だけ。有り得ないその感覚に、脳内が激しく動揺し始める。再認識してみれば、しりもちをついたのに痛みも何も無い。


「おいおい。冗談は無しだぜ」

 

 一気にそれは現象として体を現した。

 浮遊感。そう、先ほど投げつけられたときと同じ身体の底が引き上げられるような痺れる感覚が襲ってきた。しりもちをつけなかったのはこのせいか、と冷静に納得してみるが、内心では恐怖が先行している。

 下を見るな、と自分の中の何かが伝えるが、日比谷は好奇心に似たものに負け、視線だけ下ろしてみる。

 地面からの距離、推定三メートルだろうか。


「『風流』。さぁ、遊んでらっしゃい」


 纏わり付いていたのは風だった。空飛ぶ絨毯も脱帽の光景。

 日比谷は風の座布団に乗せられて空中を走っていた。いや、自発的な走るではなく、スライドするエスカレーターのような移動。ただ、速さは完全に規制に反するであろう。


「うぉっ!マジかよ!」


 まるで台風に飛ばされる家畜のように不規則に空中を舞い、無摩擦の空間を掴み所も無いまま翻弄されていく。

 すぐ横に現れたのは壁。当然の光景だが、それでも日比谷は身を強張らせた。


「ふふっ。どこまで意識が持つかしらね」


 オーケストラの指揮者でも気取っているようにペンを走らせ、風を操る。それに踊らされ、ピンボールの球のように壁に叩きつけられていく日比谷。


「がぁ……」


 破砕する音が鳴る度に肩、腕、腰、頭と身体の機能が一つ一つ奪われていくのが分かる。ぶつかった衝撃で口内を噛んで、頬を血が伝った。熱い血が体内をヒートアップさせ、段々とその熱のせいで意識が朦朧としてくる。

 骨が折れた。腕だろうか。

 肉が千切れた。足だろうか。

 身体が壊れた。全てだろう。


「―――」


 悲鳴もうめきも無く、日比谷はそのうちぐったりとうなだれた。

 風がダンスを中止した。

 空に磔にされた日比谷は、既に機能しない両手両足を広げられ、十字架にて罪を償う男のような格好をさせられた。そして、それをロンギヌスたちが射抜こうと狙う。

 ゴルゴダの丘にて処刑されたイエス・キリスト。冤罪とも言えた罪を償った時の処刑方法が十字架での磔だった。今と違うのは、隣に二人の罪人がいないところだけだろうか。

 そのキリストの死後、それを確かめるためにとどめとして彼の胸を貫いた男がいた。軍団の百卒長ガイウス・カシウス。そして彼の呼称が、『ロンギヌス』。

 聖人とはかけ離れた甲冑の槍騎士たちがそれだというのならば、日比谷はキリストだろうか。それこそ神とはかけ離れた人間の姿。役者としてはあまりに不似合いだろう。

 うっすらと目を開ける。

 あれだけの槍が投擲されれば、間違いなく死ぬだろう。五臓六腑、一つだけ残して他全部貫かれるかもしれない。きっと想像を絶する痛みがあるのだろうな、と微笑してすぐ鬱になる。

 もはや見えない拘束具を取り払う力も無く、そのまま首を再びうなだれた。


「あら。諦めましたのね。それならさっさと……」


 光が、宿った。

 日比谷が首をうなだれたのは諦めではなく、必要な息を吸い込むための前戯。胸を大きく前に突き出して、腹の底から叫んだ。


「おいっ、忘れたかこのクソどもが!!俺らの仕事は何だ!?あの光の柱は何だ!?解き放てよ、守護騎士の意思を!!そんな野郎の手駒になんて成り下がってんじゃねぇぇぇ!!!」


 突如、甲冑の動きがそのままの態勢で止まる。日比谷の演説に耳を傾け、その死んだはずの頭の中で何度も同じ言葉を呟くように。


「要塞は落ちたんだよっ!?知ってんだろ!?なぁ、てめぇらはそんな槍握って何してんだよっ!?俺らが守るのはそんなものじゃなくて、絶対不可侵にしなければならねぇ城だろが!!」


 叫ぶたびに日比谷の口から漏れる赤い吐息。もう口の中がぐちゃぐちゃで、唾液に似た何かを飲み込む隙間すらない。それでも尚、日比谷は語りかけるように叫んだ。


「俺は姫を守ると誓った。騎士になりきってやると誓った。てめぇらは何だ。それが俺ら『情報生命体』の末路でいいのかって言ってんだよっ!!」


 言葉を紡ぐたびに強くなる言の葉についに甲冑たちは、その頭を包む頑丈な鉄の塊を地面に落とした。

 ――泣いていた。

 双眸から零れ落ちた涙は頬を伝い、まるで自分の犯した罪を許してもらった時の愚かな罪人。その感無量余って流した雫は、槍を持つ力になった。

 一部始終を呆気に取られて見ていたミリアは、槍の矛先が自分に向けられたことに気付いて驚いた。そんなことが有り得て良いはずがないと、呪詛でも撒き散らすようにぶつぶつ呟いている。


「有り得ない!な、何故わたくしが施した精神操作の式が、こんなわけもわからないことで打ち破られなければなりませんの!?」


 狼狽した手からはペンが落ちる。カランと軽快な音を立てて風を操るタクトは機能をなくした。

 風に磔にされていた日比谷は、ゆっくりと重力を身体に感じると、すぐに落下していく。下はコンクリート直撃したらば結果は同じかもしれない。手を前に突き出すも、骨折は免れないだろうとと覚悟を決めた、その時だった。

 甲冑の一人が日比谷の下に回りこんできて、物凄い速さで落ちてくる日比谷を受け止めた。ぐぅ、と痛々しい嗚咽を漏らし、日比谷に対して笑みを浮かべる。


「お、おい。大丈夫かよ」

「それはこっちの台詞だ。サンキューな、記憶が無いけど、俺たちはとんでもないことをしてたんだろ?」

「い、いや、別にそういうわけじゃ……」

「隠さなくても良い。でなければ俺がこんなわけのわからない状況にいるわけもないしな」


 それに他の甲冑の生徒たちも頷いた。

 その目に見えない結束が、日比谷には嬉しかった。流血以外での熱さが身体にこみ上げてくるのが分かった。自分には無かったものを、手に入れたような気がした。

 甲冑を着込んだ生徒たちは、一斉に振り返ってミリアに槍の矛先を向けた。その銀色の輝きには、明らかな殺意が満ちている。

 生徒の中の一人が言った。


「全責任をあんたになすりつけるのはお門違いかもしれない。俺たちがそんな下らない精神操作に引っかかっちまったのにも一割くらいは原因がある。けれどな、俺たちは城を守るもの。自分に罪があろうがなかろうが、そこに侵入しようとする奴を叩きのめすのが仕事なんだ、数少ないな。だから黙って引いてくれないか?こっちもあんたとやり合って勝てる自信なんぞさらさら無いんだ」


 それには満場一致した。日比谷も若干不服ではあったが、圧倒的戦力を目の前にみすみす仲間を殺すわけにもいかないと妥協する。

 ミリアはそんな話は全く耳に入れてないのか、先ほどからぶつぶつと自分の失態を許せない、認められないと言った言語を繰り返していた。

 その異常性に生徒たちはどうするべきか戸惑い始めた。輪が乱れていく。


「なんなんだあいつ」

「今のうちに殺っちまおうぜ」

「まだ様子を見た方が良いんじゃないか?」


 など、各個自分の意見を主張し始めた。それを見ていた日比谷はまずい、と直感し、支えてもらっていた身体を無理矢理起こそうとする…が、やはりダメージは大きく動かすのにはもはや傷つきすぎたようだった。


「何か言いたいことがあるのか?」


 支えている生徒が日比谷に問う。それに痛みを我慢して頷いた。


「逃げてくれ。あいつは『狐の仕掛け』にまんまと騙されてやがるから、放っておいても大丈夫だ。始末は治安維持機関の奴らに任せた方がいい。後俺はここに残してくれ。あいつと話したいことがある」

「なら俺たちも」

「間違えんなよ。てめぇらが守るものは城だ。俺が守るものは姫だ。もう俺たちの目的は相違してんだよ。だからてめぇらは全力で政府を撹乱しろ」

「……」


 ごもっともだとも言いたげに黙り込んだが、納得もいっていない様子だった。だが、そんな生徒に日比谷は笑いかけて言う。


「安心しな。俺は死なねぇし、姫にも手を出させねぇ。……だから、城を頼む。あいつは騙されていても、他の奴は気付いてるかもしれねぇから、さ」


 生徒は口を結んで考えていたが、最終的には納得したのか日比谷をアスファルトの上に寝かせて他の生徒に声をかけはじめた。

 次第に生徒が慌ただしく走り去っていき、最後にあの生徒と日比谷とミリアだけが残った。彼は日比谷の側に寄って言う。


「お前、結構感じ悪いって評判だったけど、実は熱い奴だったんだな」


 馬鹿にするような優しい笑顔で言った。それにそれはどうも、と適当に返して追っ払った。


「死ぬなよ」


 最後にかけられた言葉は、とても温かかった。


 ――頬を緩めている暇などない。


 心機一転、日比谷の表情に険が走る。寝かされた四肢は全く昨日しなかったが、横目にミリアを視界に捉えることが出来た。苦悩するように頭を抱えていた。そんなにも精神操作を打ち破られたことが悔しいのか、気持ちは分からないが、一見すれば相当なことだったのだろうと察すれる。


「有り得ない有り得ない有り得ない有り得ない有り得ない有り得ない有り得ない」


 ミリアは錯乱していた。科学者にとって神頼みや奇跡、理論や根拠に基づかない事象は納得するに値しない。

 以前、春樹にも黄金の精神操作を破られたが、あれは向こう側の実力が勝ったと結論付けることが出来た。それ自体は確かに悔しいものだったが、相手が悪かったのだ。

 それに比べて今は何だ。

 心?そんなもので精神操作を破られた?

 有り得ない。

 確かに人間には科学では証明しきれていない点はまだまだ見当たるが、それでも有り得ない。

 何故ならば……。


(あの子たちは、死んでいたはずなのよ!?)


 理解出来ない。

 死人が歩き回った時点で向こうとしては驚きに値しただろうが、こちらにはその原理が理解出来ている。

 ならば今回はその逆だというのか?

 ミリアには理解出来なくて、向こうには理解出来ている。だからミリアはこれほどにも焦燥している。

 腹の底から何かが込み上げてきた。

 悔しさ、憤慨、悲しさ、もどかしさ、どれも違う。

 自嘲。自らを嘲笑っていた。同時に好奇心の眼差しが日比谷に向けられた。だがそれは、あどけない子供のような童心に満ちたものではなく、まさにそれこそ科学者が悶え苦しむモルモットを観察するような汚らしい好奇心。

 日比谷は凍り付いた。畏怖にも似た感情が押し寄せ、あっという間に動かない四肢をさらに支配した。


「貴方たち、わたくしが目を離していた隙に一体何をしてらしたのかしら?死人が動き回れる機能なんてつけた覚えは全くありませんのよ」

「さぁな。作られた側の奴がそんなことを知る由も無いって」

「……それもそうですわね」


 日比谷の背中に感じていた無機質な冷たさが突如無くなった。また浮遊を始めたのだ。

 ミリアは再び先ほどと同様に磔にして、下から見下すような視線で日比谷を捉える。


「騎士やら姫やら、一体何のことですの?要塞と『狐の仕掛け』は分かりますが、その点が不快で仕方がありません」


 創生者が焦っていた。

 箱庭、シュレーディンガーの猫とも言うべきか。中身の見えない箱に詰められた猫は、知らぬ間に帝国を築き上げて創生者の度肝を抜かした。弱いものは長い時間をかけて、支配者をどう出し抜こうかと必死に試行錯誤した。

 箱の中に毒ガスを注入された猫は、悶え苦しむふりをして密かに耐性をつけていた。

 盲点をつかれた創生者は慌てふためき、急いで箱の処理をしようとしたが、時既に遅し。


「あんたらに対抗すべく打ち立てられた、『新狐の仕掛け』とも言うべきかねぇ」


 ミリアが自嘲するならば、日比谷はミリアを嘲笑する。出し抜いてやったと満足げな笑みを浮かべて馬鹿にする。


「そう。間違っても教える気にはならないみたいですわね」


 風流。

 趣があるとか、そういった風流ではなく、風の流れ。時に暴風、時に靡風、時にそよ風、時に真空。それを操作するミリアは風の申し子か。

 拘束された日比谷は依然として笑みを浮かべたままで、自らの行く末をまるで傍観者にでもなったかのように無抵抗のまま見守っている。


「もう貴方に用はありませんわ。さっさと天国へお帰り」


 強烈な圧迫感が胴体に襲ってきた。もはや四肢の感覚は無かったので、違和感を感じたのは胸から腹、首から背中にかけての小さな部分だけ。呼吸困難に陥って、心臓がばくばくと鳴りだす。

 窒息死か、圧迫死か。別段どちらでも良かったが、あまり名誉のある死に方じゃないな、と最後の最後で冗談を口ずさみながら、日比谷は圧力に身を任せた。

 

 ――最後に、あの人の声が……。


 聞きたかった、という願いが、星空に昇った。

 天駆ける流星は、落ち行く間に三度口にしなくとも願いを受け入れる。それは、散って行った新谷の意思でもあり、またそれを巷では奇跡とも呼ぶだろう。


「止めなさいっ!!!」


 夜闇に似合わない澄んだ声がその場に反響した。じんじんと鳴る耳奥で、日比谷はその声を判断する。

 ふと見下ろしたその場所に、『姫』の姿があった。息を切らせて、膝に手を付いていた。横には由真がいて、険悪な表情でミリアを見据えている。


「あたしの『騎士ナイト』に、なんてことしてくれてんのよ」


 九条美香留は、怒っていた。

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