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60, 要塞を守る者(2)

 敵に攻め込まれた要塞から出ることなど自殺に等しい。

 一度出てしまえば、たちまち軍勢の餌食になり、数秒のうちに屍と化す。

 けれどもそれは普通の要塞の話。新谷の要塞は何者をも近付けさせない意欲剥奪の式が組み込まれているため、外で待ちぼうけしている軍勢はそれ以上近付けなかった。

 二人を待ち受けていたのは百は超えるのではないかという数の殺意の眼光。闇夜に溶けるその赤い瞳は、悪魔の住みかから放たれる誘いの妖光。差し詰め弓兵の構える矢が光に反射し、今やその切っ先を放とうかという寸前の話。


「これはまたすんげぇ奇妙な侵略者だな」


 日比谷が剣を構えて、横にいる新谷に言う。


「ははっ。舐めてかかられているのか、それとも何か罠でもあるのか知らないけど、犬ごときで何をしようというんだろうね?」


 眼光の幾つかがヒタッと言う独特の音を立てて月光の当たる位置まで近づいてきた。

 犬。簡単に言えばそれだけで表せる刺客。

 だが当然送り込んできたからには普通であるはずが無かった。

 舌をぶら提げるようにして吐息を漏らし、目はありえないほど血走っている。交尾の時期でもあるまいし、何らかの手を加えられて興奮しているのは一目見て予想が付いた。


「これは珍しいね。狂犬マッドドッグか」


 それに日比谷は首をかしげた。


「狂犬?何でそんなのがここにいんだよ」

「簡単なことだろう。本物の刺客さんが飼いならしているんだろう。方法はともかくとして、動物愛護法というのを完全無視しちゃってるね、全く」

「こんなもんを飼いならしてんのかよ。ったく、狂った人間もいたもんだぜ」

「だね。一つ忠告しておくけれど、日比谷君。結界式の及ぶ範囲からの遠距離攻撃のほうがこれは効率が良さそうだ。近づいてみすみす咬まれるのは危険すぎるからね」


 そう言うと、新谷は内ポケットからペンを取り出した。

 見覚えがある紋章。アクティブエンブレムだった。


「日比谷君はこっちを」


 腰に提げていた拳銃を日比谷に渡した。ずっしりとした重みが日比谷の腕を伝い、それが武器だということを嫌でも思い知らされる。銃器の扱いは慣れてはいないが、多少の心得くらいなら日比谷にもある。ロックを外して、銃口を涎を撒き散らす狂犬に向ける。

 見ていて日比谷は吐き気を催した。あれが生物の姿なのだろうかと。

 照準を絞る。標的は一番前に踊りでる愚者。


「試し撃ちだ。おらっ!」


 ガゥンッ!

 日比谷の目の前で銃口が火を噴いた。閃光が散ったかと思えば、見えるはずの無い弾道は狂犬の頭蓋を貫いていた。鮮血を噴射させながら、狂犬は銃弾に身体ごと持っていかれて、遥か遠くで生命活動を停止させた。

 悲鳴を上げる暇すら与えてもらえず、微かな吐息だけ漏らして狂犬は動かなくなった。


「弾数は?」


 日比谷が次の獲物を射程範囲内に置いた後に、横で式を構成する新谷に問うた。


「マシンガン並みに。式で作られた特殊な拳銃だから弾には困らないよ。お金をばら撒くくらい傲慢な撃ち方しても損は無いさ」

「そりゃ心強い。なら、遠慮なくっ!」


 再び銃口が鉄の弾丸を吐き出す。

 しかし今度は試し撃ちではない。オート機能でも付いているわけでもないのに、日比谷は息つく暇も無く引き金を引く。腕に伝わる殺しの振動はどこまでも重く、そして痺れるような感触を日比谷に与える。

 狂犬たちは困惑していた。近づきたくも無い場所からの射撃。どうすることも出来ず、横で吹き飛ぶ仲間をただ見ていることしか出来ない。

 ・・・と感じるのは普通の犬だけだった。

 狂犬にはもはや感情など無い。だが、見知らぬ嫌悪感が銃弾の先から発せられており、吹き飛ぶ仲間よりもそちらをどうするか考えているようだった。

 ガゥンッ!!

 また一匹悲鳴を上げてこの世を去る。

 流石に押されていると見通したのか、狂犬たちは意を決して鈍色の凶器へと飛びかかろうと腱を伸ばした。


「犬ころごときが、要塞を攻めきれると思わないでくれ」


 狂犬たちが次いで見たのは守護者ガーディアン

 そして、その周りに渦巻く、水。

 せせらぎが確かに狂犬の耳にも聞こえる。アスファルトという完全な壁の向こう側から現れた侵入者の姿は、その壁を弄ぶようにして流れる水流。量はほんの大きな水たまり程度であったが、狂犬にとってはそれは畏怖の対象でしかない。


「『水流』。まぁ、当然の手段と言えども芸が無さ過ぎたかな」


 どんどん水量を増していき渦巻く中心にいる新谷は、狂犬たちから見てまるで尊敬と畏怖の対象である神のよう。渦巻く海流を司るポセイドンか。地下水を集めてこの水流を作っているのだというのならばまた信憑性は高まる。ポセイドンは地下水を司る神でもあるからだ。

 守護者にしては悪魔のような存在だが、これ以上狂犬たちにとって新谷を表す比喩はない。


「おいおい、それじゃあ脅すことは出来ても始末できねぇぞ」


 今だ銃口から火花は上がり、日比谷が一つ指を動かせば命が散る。だが、躊躇はしない。

 そんな殺戮を繰り返す日比谷を見て、新谷は笑う。


「ははっ。なら日比谷君が全部始末してくれよ。この『防衛線』は絶対に必要なんだ。この程度じゃ水たまり。犬は怖がっても熊は怖がらないさ」

「そんなもんかいっ!!」


 口が動いても手は止まらない。水流によって動きを封じられた狂犬たちは、召される運命だけを背負って怯えていた。

 水を怖がって、知らぬ間に頭を銃弾が通過し、痛みを伴う感情を持つことさえ許されず、死んでいく。そんな光景を、酷く哀れみながら日比谷はそれでも尚発砲を止めなかった。

 新谷がポセイドンだというのならば、日比谷はさしずめヘパイストス。自ら作り出した銃弾を、自らが司る火によって放つ。

 立ちはだかる守護神を目の前にして、狂犬は成す術もなかった。


 ―――地が激震するのを、そこにいる全てが感じ取った。


 靴裏にバイブレーターを仕掛けた覚えは無い。だが、足の底から振動が伝わってくるのが分かる。これは靴裏が揺れているのではないと理解するのに時間は食わない。元より靴裏が揺れているなどありえないから。

 新谷も日比谷も、その表情に苦笑を浮かべる。その割合は苦が八割。何故ならその振動の正体がどのようなものか、大方予想がついているからだった。

 犬は防衛本能により、自分より遥かに強い動物を相手にして逃げ惑う。果敢に立ち向かう犬もいただろうが、この場合は例外だった。

 街灯も無いこの路地に、暗闇から湧き出るようにして覗いた巨大な眼光は、先ほど見た赤い斑点のような世界とは比べ物にならない。その一つ、いや二つの眼から発せられる眼光はそれだけで事足りる。

 頭上、首を思いっきりのけぞらせてやっと見えたその姿は、あまりに巨大だった。

「これは、予想外なお客様だ。流石に僕もこんなのが来るとは思って無かったよ」

「右に同じく。でかいモンだとはなんとなく予想はついてたけどよ、これはちと冗談が過ぎるんじゃねぇの?」


 見上げた空を遮ったのは、白い牙と何が詰まっているのか予想も付かないほどでかい頭。漏らす吐息は白く荒い。

 視線を下へと辿れば、柱のように太い首があり、岩のように固そうな皮膚。建物一つ飲み込めるのではないかという巨大な図体に、鋭いツメがギラリと光る。アスファルトに食い込んだ足はその重量感を漂わせ、足元にいたはずの犬は何処へと消えてしまった。

 それが呼吸をするたびに空気が震え、新谷と日比谷の表情を曇らせる。


「古代に絶滅したはずの・・・恐竜か、これは」


 肉食動物特有の鋭い瞳が二人を捉えて離さない。やっと全貌を現した姿は、紛れも無く恐竜と呼ばれていた生物に違いは無い。


「馬鹿らしいぜ。政府は古代生物を復活させたってのか?ええ?」

「いや、恐らく化石などのサンプルから想像して『製造』したんだろう。恐らくあれも情報生命体だろうね。確信は持てないけど、復活とか有り得ない話だし」

「ふざけんなって。どこにこんなの隠し持ってたんだよ奴ら」

「さぁね。一つ言える事は・・・ちょっとまずいんじゃないかってことさ」


 人は古来から全動物、無脊椎だろうが脊椎だろうが、全ての生命を従えて食物連鎖のトップに位置してきた。自分より大きいクジラも、熊も、ライオンや像までもその手中に収めてきたのだ。

 だが、目の前で牙を剥く恐竜はどうだろう。人はこの生物を相手に出来るだろうか。

 無茶だと科学者は言うだろう。

 無謀だと格闘家は言うだろう。

 無理だと全ての人が言うだろう。

 だからこそ、それに立ち向かうのが騎士であり、迎撃するのが要塞なのだ。

 恐竜はやはり水を多少ながらも怖がっているのか、それ以上その図太い足を踏み出そうとしない。新谷はこれならば対処する方法はあるのではないかと必死に思考を巡らしていた。


「うふふ。さぁ、どうするのかしらね、守護者様?」


 ―――その声が、聞こえなかったら良かったのに。


 踏み出されない足の隙間から現れたのは金髪の女だった。お団子のように髪を結い、服装は露出度の激しい黒い服。誰が見てもそれが普通の人間だとは考えにくい。

 赤い眼光とは違う、碧眼がそこに覗く。


「ごきげんよう。折角痛みを伴わないように夜襲をかけたっていうのに、人の親切を無駄にしてくれましたわね」


 その姿を見て、日比谷は戸惑い、新谷は奥歯を噛んだ。


「ミリア・ヴァンレット。ちなみに言うと、『ごきげんよう』っていうのは別れの言葉なんだけれど、まぁ意図は読めるさ」


 皮肉をこめて言うが、ええそうね、と適当っぽく納得しただけで話を聞きもしない。

 対する日比谷はその姿に見覚えがあり、驚愕を隠せない様子だった。


「あんた・・・保険医の人じゃねぇか?」


 白衣を着た金髪の良く知る女性とその姿が被ったのだ。


「あらご名答。日比谷君だったかしら?」

「クソがっ!あんたも政府の人間だったのかよ」

「ええ。彼の言うとおりのミリアって名前。ちなみに言うと」


 そこで新谷が遮って言う。


「僕らの生みの親でもある・・・だろう?」

「・・・あら」


 瞬間、日比谷の身体に衝撃が走った。

 機械のような動きで新谷のほうを向き、絶望しきったような酷い顔で聞く。


「な、何だって?こいつが、生みの親?情報生命体を作った張本人だってのか?」

「巷でマッドサイエンティストって呼ばれてるくらいだからね。人一人作るくらい造作も無いことなんだろうね」


 口調は軽いが、新谷も正直唇の渇きが異常をきたしている。同じく喉も渇いているのが分かり、自分が極度の緊張に陥っていると悟った。

 なんと言っても相手は、ミリアなのだから。警戒云々の問題ではなく、手加減されても死ぬ覚悟で挑まなければならない。みすみす捕まって実験体にでもされたらたまらないからだ。

 しかし、疑問に思う点が一つだけあった。


「タブーかもしれないけど、聞いてもいいかな?」


 意を決して声をかけた。


「何かしら?」


 承諾されたものの、聞こうかどうか迷いが生じる。冷や汗が首筋を伝って、唾を飲み込んだ。そして、目一杯無理して作った笑顔で言う。


「貴女、何歳かな?」

「・・・・・・」


 ミリアの額に青筋が浮かばなかったのには胸が軽くなる。が、沈黙が痛い。

 とは言え、新谷の仕入れた情報とミリアの外見があまりに一致しない。研究日誌とやらによれば、確かミリアはもう三十路を超えたいい年のはずなのだが、今目の前にいる女性はどう見てももっと若い。同年代とまではいかないが、街中を歩けばナンパはされるだろうという若さを肌に持っている。

 まさか美容液で保たれている、だなんて下らない理由で返されることは期待しない。


「確かにタブーですわね。まぁ、貴方の思う年齢だと思っておいてくださらない?女性は年齢を口に出すのを嫌がるどうしようもない生き物ですの」

「らしいね。まぁ年齢よりも若く見えてるってことさ。怒らないで欲しい」

「それは有難うございます。で、そろそろ良くて?」


 突如、恐竜が唸り声を上げる。目の前の肉を食べたくて仕方が無いといった感じだ。

 とっさに二人は身構える。恐らく拳銃は皮膚を貫き通せないと判断した日比谷は、腰に拳銃をしまって銅の剣の切っ先を向ける。


「ふふ、ではわたくしは退場させてもらいますわ。では」


 そう言うと、ミリアは手を振って闇の中へ溶けていった。

 ・・・だが、それを新谷は許さなかった。

 動く手は素早く、見極める目は揺るがない。新谷は狂ったような雰囲気を漂わせて式を構成し始める。その光景に一瞬息を呑んだ日比谷だったが、すぐに目の前の敵に集中した。

「日比谷君は、ミリアを追って」

 無機質な声が突然耳に響く。それ以上新谷は何かを言うつもりも無いらしく、心配になるほどの驚異的集中力を見せている。反応するのも躊躇われたが、機械のように固まって、手だけ計画的に動かしている新谷を見て小さく頷いた。

 日比谷が足を踏み出すと同時に、水流が追って動き出す。飼い主に付き従う知恵を持った蛇のように蠢き、恐竜と日比谷を遠ざける。いつの間にやら水量は質量を持っており、足を突っ込めば水しぶきで膝まで濡れそうな溜まり場を作っている。

 それに誘導されるようにして、日比谷は暗闇の地を蹴った。


「新谷も片付けたらすぐ来いよ!」


 決意を胸に秘めた親友に向かって、日比谷はそう言い放った。

 答えも無く、新谷の視界から次第に日比谷が消えていった。

 これは決別。

 それは覚悟。


「大丈夫、僕が先に行って君を待っててあげるよ、日比谷君」


 月の女神は作り物に微笑まない。

 恐竜の図体が、淡い光を遮ったままだった。


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