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57, 隔離された要塞(1)

 それは数時間前の出来事だった。

 新谷がいるという情報課は、学園からそこまで遠くは無かった。実際由真は九条を担いでおり、遠距離の移動は体力的に無理だと思っていたが、これならば問題は無い。

 しかし、由真はその建物を前にして凍り付いていた。

 外見、酷くこざっぱりしたトタンの屋根と壁。比喩するならば、三匹の子豚に登場する長男の小屋といったところか。狼の吐く息で倒壊するかと聞かれれば、それは否定するだろうが、大袈裟に言えばそれでも倒壊しそうな造り。

 ここが情報課かと言われても、正直確信は持てない。というよりも違うと答えそうだった。

 だが、問題はそんな所には無かった。

 由真とて王家の人間であり、戦場を幾多も見てきている。式の種類やその見分け方なども、一般兵士と比べたら高いほうでもある。

 その由真が、足を踏み入れた瞬間に感じた違和感が、彼女の足を地に張り付かせていた。

 海から陸地へ、陸地から海へ。圧倒的な重力感覚の違いがそこには存在し、誰もがそれを認識することが出来るだろう。

 そしてここには微弱だがそれが感じられた。明らかさまな風景の変貌と、体感する違和感の正体。

 それを由真は知っている。

『結界式』と呼ばれる、カイツの家でも使っていた特殊な式。空間をその空間から一時的に離脱させることが出来る式だが、その原理は今だ不明。ただ法則にしたがって構成している使用者が多い。もっとも、空間を離脱させられる原理など分かってしまったら、その人はフェルマーの最終定理も理解できてしまうのではないかと思う。いや、もはやアインシュタインの相対性理論だって・・・。

 なんてわけのわからない皮肉を言う相手もいず、由真はその結界内に完全に足を踏み入れた。


 ―――刹那。湧き上がる衝動。


 それは本当に『刹那』としか言い様のない寸劇の出来事。ほんの一瞬の違和感だけがその時に流れ、呼吸を一回するその間には既に風景と同化していた。


(意欲剥奪の結界式、でしょうか)


 空間が左右されていたのではなかった。そこに近づくものの意欲を剥奪する、雰囲気的なもの。

 由真はもう一度建物を見上げた。相変わらずドアノブに手をかけるのも迷いが生じる薄汚さが漂っているが、これが情報課の敷いた防衛システムだというのならば、これは要塞。

 意を決して、由真は手の甲で扉を二、三回叩いた。

 数秒の静寂が流れる。緊張感は増すばかりだが、あえてそこから一歩も動かなかった。


「はいはい〜」


 軽々しい男の声が扉の向こうから聞こえた。

 ドアノブが回るのを見る。そして、由真は意気込んで身体を乗り出し・・・。


「どちら様ですか・・・ってうわっ!?」


 ゴツリ。


「はぅっ!?」


 開いた扉に額がクリティカルヒット。被ダメージは上々、由真は涙目になりながら頭を手で押さえようとしたが、非情なことに九条を背負っているせいで手が開いていなかった。


「大丈夫かい?」

「ご、ごめんなさい。ここって、新谷さんのお宅で良いんでしょうか?」

「ああ。それは僕のことだね。えと、どちらさ・・・」


 由真の背にぐったりともたれかかっている九条を見て、新谷の表情が一変した。


「そうか。九条さん助かったんだね。中に日比谷君もいるから、入って入って」


 エスコートするような手つきで中を指し、由真を入れた。

 由真はひとつお辞儀して、踏み入った。

 内部は外部とそこまで変わらなかったが、やはり情報課なだけあって機器が多数設置されている。工具のようなものも多く、一見すると作業場、というのが似合いそうだった。

 そしてそこに、初対面となる日比谷怜がソファーに横たわっていた。その瞼は閉じられていて、どうやら寝ているようだった。

 新谷は扉を閉めると、いつもそこにいるかのような流れでデスクトップのパソコンの前に座る。


「さて、君は一体どちら様かな?九条さんを連れてきたということは、多分政府の人ではないんだろうけど」


 由真は指定もされていないが、とりあえず日比谷と同じソファーに九条を寝かせて、新谷に向き直って答える。


「天宮寺由真です。と言えば、大体私が何者かはわかりますか?」

「・・・・・・三大貴族のかい?」


 恐る恐るといった感じで新谷は問い返した。それに由真は神妙な面持ちで頷いた。


「ははっ。これは笑いものだね。王女様自らご足労してるんですか、この騒ぎは」

「そうですね。実際の目的は微妙なところにありますけど、九条さんが誘拐された事件はこちらも重く見ていましたし」

「ふぅん。で、それを実行したの政府でしょ?君の過失じゃないのかい?」

「―――っ」


 言い返せない。これは確かに外界の誰かによる独断ではあるが、それを許したのは他でもない三大貴族最高階級を司どる天宮寺家ではないのか。

 悔しさが口内に広がった。

 しかしそんな由真を見て、新谷は微笑した。


「冗談だよ。僕にだって君に過失が無かったのは分かっているさ。こうして九条さんを連れ戻してくれたんだし、むしろ感謝すべきだろう」

「そう言ってもらえると楽になります・・・」


 申し訳ない気分でいっぱいだった。

 だが、ここで由真は自分から下がるようなことをしてはならない。自分を卑下に扱ってはならない。それは王家としての、ちっぽけな義務だった。

 だから新谷も、由真の人間性的にここは『私が悪いんです』と引き下がらないのかと思っていた。しかし、彼女はそのねぎらいの言葉を受け止めただけで、それ以上は無かった。それが新谷にとって一番彼女を王家と信用する火種となった。


「十分だね」

「えと、何がですか?」

「いやこっちの話さ。それで・・・君も武藤君、とかの仲間かい?」


 春樹の名前が出たことに由真は安堵した。


「はい。九条さんを救出したあと、ここに来るように言われて・・・」


 ああ、と納得の声を漏らして新谷は言う。


「正しい判断だね。ここには結界式も張ってあるし、そう簡単に部外者には見つけられない」


 新谷の表情は依然として、笑顔。

 それはいかにもそうあることが当然であるように、自慢の意も込めての笑顔。

 しかし由真には腑に落ちない部分が多々あった。


「どうしてこんな式を?そんなにまずいものでも隠し持ってるんですか?」


 意欲剥奪。

 それは度合いの強い『空間離脱』とは異なった物理干渉混合の式。その場所は、人の認識下からかけ離れ、ただ孤立した要塞となる。

 孤立とは、それ以外に何も無くなることだが、要塞の孤立は人の孤立と同様。その存在を知っていたとしても、自ら係わり合いになろうとしない無関心の対象。

 だから新谷はこう答えた。


「実は・・・対人恐怖症なんだ、僕」


 にこやかな顔が、一瞬にして暗闇に染まった。

 その場にやりきれない雰囲気が流れ始め、由真は聞いてしまったことを後悔した。

 新谷の触れてはならない傷が痛み、それを気遣う由真の心が痛む。過去に触れることは、そういうことなのだと由真は知った。


「というのは嘘だけど」

「へっ?」

「いやそんな真面目な顔されても困るんだけど・・・」


 すると由真は急に顔を真っ赤にさせて叫ぶ。


「だ、騙しましたねっ!?弄びましたねっ!?辱めまし」

「ちょっと待ってよ!?最後のはおかしいよ多分」

「男性は皆こう言うと責任を感じるらしいですよ」

「誰から教わったんだい、それ」

「独学です」

「王女様が何やってるんだい!?」

「お年頃ですので」


 非情に言い返せない決め文句で殺された。

 しかも自分で言って由真は赤面していた。


(王女って言っても、やっぱり他の人と変わらないんだね)


 そんな由真を見て微笑む新谷。

 王女や王子、そうでなくても貴族類の地位の高い人間は、敬われると同時に、軽蔑の視線を浴びることも多い。それは権力の行使や、町民の生活を理解できない傲慢さから来る誤解。

 だが、見るからには由真にはそういうものは感じられなかった。けれども感じる王家の風貌。それが新谷を圧巻させていた。


「う・・・あぁ」


 突然うめくような声が耳に入った。


「おや、日比谷君が起きたみたいだね」


 新谷は声の主のもとへ行って、ゆさゆさと身体を揺らした。整髪剤でツンツンになっている髪が、寝ていたせいで変な形になっている。


「や、やめろ・・・。そういうのは幼なじみにやってもらうもので」

「ちなみに言うと僕も幼なじみなんだけどね」


 ピタリと日比谷の動きが止まり、のろのろとその身体を起こした。

 日比谷が起床後、最初に見たのは新谷のにやにやした苛立たしい顔だった。目覚めはよって最悪。更には身体の節々が痛んで仕方が無い。

 記憶をめぐらせた。


(仮面の野郎と戦って・・・負けて。それで運ばれてきたのか・・・)


 胸のうちから悔しさがこみ上げてくるのを感じた。我慢が効かなければ喉から滝のように溢れ出していたかも知れない情けなさと、不甲斐無さ。

 ふと、日比谷は膝の上を見た。そこには推定スイカ一個分くらいの重量がのしかかっており、膝を曲げようとしたらそれが邪魔になった。


「何だこれ・・・ってうぉっぉぉぉっぉっぉい!!」


 スイカの正体は女の子だった。

 そこからの動きはまるで氷上を駆け抜けるスケーターのように、九条の頭に衝撃を与えないように膝を抜き取り、頭を手でキャッチしたかと思いきや地上一センチほどの所で手放し、ソファーから這い出る蜘蛛のように手足を使って後退し、体制を整えずにそのまま新谷の首へとキャッチアンドホールドアンドクラッシュ。リリースは狩人の辞書には無い。


「いだだだだだっ!?お、落ち着こう日比谷君!!」

「て、てめぇ。謀りやがったな!?騙しやがったな!?辱め」

「だからおかしいって!!しかもさっきよりも大分有り得ない!」

「うるせぇぇぇぇ!!」


 ゴキュ。

 なんて音は鳴らず、なんとか新谷は日比谷の魔の手から難を逃れた。

 激戦を終えた二人は、息を切らしながら距離を置いた。そして日比谷は九条を指差して問い詰めた。


「なななな、何で九条が俺の膝の上にいんだよ?マジで陰謀じゃねぇだろうな」

「落ち着こう。まず彼女が戻ってきたことを喜ぶべきだと僕は君にお勧めする」


 時間が止まった。日比谷は必死に状況を確認する。

 時計の針の音だけが世界に響き渡る音楽としてそこに在り、残念ながら木魚の音は聞こえてこなかった。

 だが、日比谷の表情は次第に優しいものになっていった。九条の寝顔が、寝息が、その安心しきった顔が酷く愛しい。撫でてやりたい衝動に駆られたが、横でにやにやしている新谷と、何だか良く分からない蒼い髪の女の子が眺めている中でそれは出来なかった。


「ふふふふふ。どうぞお構いなくやっちゃっていいよ」

「ヤる!?は、破廉恥は許しませんよっ!?」


 とんでもないことを口走っていた。というか誰だよという突っ込みを入れたい気分に駆られる。だから欲求に従い、息を大きく吸い込んだ。


「誰だよあんたっ!?」


 そう。

 そこに訪れたのは放置という二つ名を持つ枯れた靡風。静寂がライト一つで照らされた部屋に満ち、空気の重量を増していった。新谷は苦虫をかみ殺したような、失念した顔。由真は由真でポカンとしていた。


「あ、え、わ、私ですか?」


 由真が慌てて日比谷に言った。

 だが、それを制して新谷が代わりに答えた。


「ははっ。驚くなよ日比谷君。彼女はかの有名な三大貴族の天宮寺由真さんだそうだ」


 が、驚くばかりか日比谷の問いはそこで凍った。


「王家だと?てめぇ政府の人間じゃねぇだろうな」


 明らかな嫌悪と憎悪の対象。

 向けられた由真を新谷は見ると、そこには先ほどの天然少女の姿は無かった。毅然とした態度でその視線を受ける王女がそこにはいた。


「政府の人間ではありませんが・・・管下に政府を置いているのは確かです」


 その変貌振りに日比谷も押されていた。

 そこには確かに威厳尊厳を持った人間がいるのだ。それは、自分たちなんかよりもずっと強い意志と力を持つ支配者特有の威圧。本人が望んで出そうとしていなくても感じる差。

 脅したつもりが逆に脅され、日比谷は嫌な汗をかいていた。

 由真の話は続いた。


「責任を他の貴族や政府を管轄かんかつする者に押し付ける気はありませんが・・・私もこの件をいち早く聞きつけて駆けつけたものですので、敵であるとは誤解しないで下さい。まあ、最初は私情のついででもありましたが・・・」

「つまり、あんたは九条を救おうとしてくれたってか?」

「一応は。実際に救出したのは武藤さんですが」


 春樹の名前が出たことによって、日比谷もそれに納得した。

 もう一度九条の寝顔を見た。確かに、彼女はここにいる。

 日比谷はため息をついて、九条が寝るソファーの背掛部分に腰掛けた。


「信じる。春樹の知り合いだっていうなら信用できるからな」


 由真はその言葉に安心を覚えると共に、何か自分の情けなさを感じた。

 春樹の存在を通してでしか、新谷も日比谷も信用してはくれない。むしろ、春樹に人望があるということなのだろうかと、羨ましくも思ったりした。


「で、その当の春樹はどこへいるんだ?」


 日比谷が唐突に問うてきた。


「えと、私の仲間にはもう一人女性がいまして、その人を助けに・・・」


 そこにすかさず新谷が割り込んでくる。


「良くさらわれるなぁ。いたちごっこじゃあるまいし」

「だから今回は、全部まとめて終わらしてくるそうです」


 日比谷がそれに驚いて反応する。


「したら春樹たちが帰ってきたら全部終わりか。なんかすげぇ慌しかったな」


 名残惜しいとでも言うように、天井を見上げた。

 天井は思いのほか高かった。

 高い天井・・・。

 ふと、日比谷の表情が濁る。それは恐ろしい結末を予想したからに他ならない。

 九条への想いは本物だった。だからこそ守護を自ら打って出たのだ。

 それ故に、バッドエンドを迎える恐怖がある。


(オベリスクっつぅ、恐怖が)


 高い天井とは塔。

 あの姿を拝むわけにはいかないな、と日比谷と新谷は思った。



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