53, イミテーション(4)
素手で十分、なわけがない。
だが相手と対峙するだけならば、それで十分事足りる。睨みつける目は、やはり限りなく赤い。
「さてと、とりあえずお前のその仮面くらいは砕かせてもらうぞ」
言われた仮面の男はその言動に恐怖を感じた。
先ほどの春樹という男と目の前にいる赤い目の男は別人、そう考えでもしなければこの殺気と相手の余裕の説明が付かない。左腕右肩と負傷しているにも関わらず、その腕は何も無かったかのように動いている。これもどう説明しようか。
痛む腹部を押さえながら、槍を構える仮面の男。
「ふん。なかなか話しになる男だったようだ。今までのは手加減でもしてたつもりか、貴様」
「知るかよ。俺は俺のままだ」
どこがだ、と突っ込みたくもなったが、そんな余興など愉しんでいる暇は無い。
男の思考は凍り付いていた。恐怖、焦燥、そして不可解な現状に対しての不満。それが全て原因として脳内を混乱させていく。
素手で槍に立ち向かう傷だらけの男を目の当たりにして、仮面の男は明らかにそんな感情を渦巻かせていた。
(だが、奴も腐っても人間のはず。あの出血量でそう長くは立てまい)
勝機はまだある。いや、元からこちらが有利なはずなのだ。
仮面の男は一度槍を頭上で回し、地を蹴った。
春樹の表情は戦いのものになる。これは今までと同じ。だが、その動きが明らかに違う。
男は最速で出せる軌道で突きを放つ。薙ぎを払う。稲妻を落とす。しかし、春樹はそれを見て全て紙一重で無為に帰す。時に血だらけの腕でそれを受け止めてもいた。
明らかにおかしいと、仮面の男は最中で感じ取っていた。痛みが無いわけが無いし、体力の消耗はもはや限界のはず。だが、空元気か何か知らないが春樹の額には汗一つ浮かばない。散らしていく血液は、それをさらに不気味に思わせる。
思考は、槍の鋭さを失わせる。
「はぁ!!」
春樹が放ったのは掌底。槍を肩に置きながら、その隙を見逃さなかった。
鳩尾にもろに入った男は呼吸困難に陥る。背中を意思とは関係なく丸めてしまい、更に春樹の蹴りを腹部に浴びる。吐いた酸素は既に肺には無く、これ以上は男の口から空気は漏れてこない。変わりに仮面の中に唾液を吐き出した。
「お・・・ぁぇ」
怒涛の攻撃は止まらない。背中に肘うちを浴びると、仮面の男は無様に地に伏した。だが、それすらも春樹には許されない。首襟を持ち上げられ、横方の壁に投げつけられた。
もはや男には立ち上がる気力すら起きなかった。ただ、呼吸を落ち着けるまでの間に生き残れるのだろうかという不安だけがある。
春樹は無表情な顔で倒れている男の襟を掴んで引き寄せた。
「その仮面、剥がさせてもらうよ」
顔と仮面の間に指を差し込み、力一杯引き始めた。後頭部の方に支えがあるのか首が前に引かれる。次第に鉄が軋むような音が鳴り始め、仮面が顔面から離れていく。
それに伴う痛みがあるのか、仮面の男は苦悶の声を絶えず漏らしているが、春樹はお構い無しに腕に力を込めた。
そして、仮面は男から完全に離れた。
勢いで後ろに投げ捨ててしまい、鉄が床に落ちる音が耳に響いた。
春樹はその光景から決して目を離さなかった。目の前にいた男に、見覚えがあるからだ。いや、見覚えがあるというのはそれでも生易しい。今、そこにいるのではないかと。
整った顔立ちと、その特徴的な金髪はあまりに酷似している。
「おい、お前・・・」
言葉は薙いだ槍によって遮られた。男は底力で立ち上がり、震える腕で槍を持つ。
「ハッ!何を見たか知らないが、貴様の言葉を借りればオレはオレだ。そこにいる屑と一緒にするな」
そう。
指差したのは白銀の持つナイフが突き立てられている人物。黄金。
春樹が見た仮面の男の顔立ちは、それに酷似していた。酷似だ。似ているでは済まされない、遺伝子的な問題。
悪寒が春樹の身体を駆け上がった。今までは相手を殴り倒すことだけに集中していたが、さすがに冷静ではいられない。恐らく腕をさわったら、鳥肌が立っているのがすぐに分かるだろう。
白銀もまた、男の顔を見てしまっていた。
春樹にはそれは酷なことかと思ったが、白銀の反応は予想外のものだった。
「・・・もしやとは思っていましたが、やはり貴方でしたか」
知っているような口ぶり。春樹はその二人の間に挟まれて、言葉を失っていた。
「穿つ魔弾はオレにしか使えないと知っているのは、貴様ら兄妹くらいだからな。あの時はオレも無用心だった」
どうやら黄金に似ている男も同様に白銀たちを知っているようだ。
白銀は男を見据える。
「何が目的ですか、黄金」
黄金と白銀はそうその男に向かって言った。聞き間違えなんじゃないかと春樹は思ったが、その声に答えたのは他でもない金髪の男。
「聞くまでも無いだろう。オレは『黄金の槍騎士の意思』を奪いに来た。それだけだ」
「貴方にはそのブリューナクがあるでしょう。あの槍は貴方には扱えませんよ」
「戯言を。屑に扱えてオレに扱えないわけがなかろうが」
「勘違いしていますね。貴方にしか『タスラム』が放てないように、『槍騎士の意思』も持ち主を選ぶということです。そして、貴方が屑と呼ぶ私の兄と貴方とではまるで人が違う。それが理由ですよ」
何の話か春樹には全く分からなかったが、一つだけ分かったことがある。今話している黄金は、黄金でない黄金。誰なのかは知らないが、あれもまた別の黄金だということだ。
ならばあの黄金は黄金の何なのか。
その答えは間もなくしてやってきた。
「イミテーションとオリジナルは、確かに別のものだが本質的には同じ。それでも使えない理由がオレには分からない」
イミテーションとオリジナル。つまりは、そういうことだったのだ。
白銀の兄である黄金は情報生命体だ。だから、そちらの黄金のほうがイミテーションということで納得して良いだろう。
何故だろうか、その響きにどこか覚えがあるような気がす・・・。
「言っているでしょう。同じなのは遺伝子だけです。それでは確かに人間の構造としては同じでも、人間としては異なるものだと」
―――ドクンッ。
春樹の中で何かが脈を打った。心臓というポンプから必要以上の血液を送り込まれたような異常な感覚。血管がおかげで膨張しているような気がした。
「まぁどうでもいい話だ・・・」
―――ドクンッ。
視界が埋め尽くされていく。
これは記号、これは文字、これは情報、これは形。人が、床が、天井が、ものというものが、空気が、酸素が、二酸化炭素が、全ての目に見えるものが、全ての目に見えないものが、見えていく。
「それよりも貴様だ、そこの男。春樹、と言ったか。何者だ」
―――ドクンッ。
ああそうか、俺は春樹というのか。おかげで自分まで見えてしまった。
見えているものは何だ。人か?槍か?衣類か?
ほう、なかなか興味深い構造をしている。特殊な暗幕用の霧か。防火機能がついた黒衣。
身体の損傷が激しいな。これでは、狩っても味気ない。
「貴様、余裕をこいているのならば・・・」
「うるさいなお前。少し黙ってろって」
それは威圧だった。
その時になって、オリジナルの黄金は言葉を選び間違えたと思った。先ほども確認したはずではないかと。この男は、既に春樹と認識してはいけないのだと。
「イミテーションとオリジナルか。面白いものを見せてもらった。・・・で」
白銀はその眼に恐怖した。
殺気だ。それも、そこらの殺し屋とか、目の前にいるオリジナルの黄金など比にならない。一体何が起きたらここまでの殺気を出せるのか、不思議に思うことすら出来ないほどの恐怖。
何が起きたのか。殺気云々の問題ではなく、春樹自身に何が起きたのか。
これは他でなくても同じく春樹だと認識するに難しい。
「狩っていいのは、どっちの黄金だ?」
あれはもう、殺戮者の眼だった。
だが、殺戮者となったの『眼』だけである。他、喋り方、雰囲気、仕草は春樹と何も変わらないし、二重人格に入れ替わったような事もなかった。
ならばあれは春樹だ。だが、春樹ではない。
それはまるで、今目の前にいる黄金と、仮面をつけていた黄金を一人の中に見るような感覚。
「あぁ、返答が無いってのは迷ってんのか?そりゃまぁ一人の命がかかってるんだ。十分に迷えば良いとは思うけれど、・・・殺すぜ?世界に二人同じ人間はいらないからな」
言葉に威圧感は無かった。それは春樹のものだ。
白銀もオリジナルの黄金も、汗をびっしょりとかいていた。
ふいに白銀が言葉を口にする。
「貴方は、武藤春樹ですか?」
「何だそりゃ?そんなに俺が俺以外の人間に見えるわけ?」
「いえ、そういうわけでは・・・」
おかしいと思う、発言の全てが。
これは春樹が言っていることなのか、それとも別の春樹が言っていることなのか。そう、言うなれば一貫性があまりにあり過ぎ、そして無さ過ぎるのだ。
人が変わったように殺すとか、狩るとか言っておきながら、今の自分が今までの自分以外の何であるかを問う。つまり、違和感を感じていないのだ、春樹自身が。
「あ・・・?」
突然、春樹がそんな声を漏らした。
「あ、あ゛あぁぁっぁ!!」
頭を抱え込み、地獄のような唸り声を上げて座り込む。
「な、何なんだこの男は?情緒が不安定すぎるぞ」
オリジナルの黄金が身じろぐ。白銀も同様に、その異常な光景に身を引いていた。
涎を撒き散らし、笑っているような苦しんでいるような、狂気に歪んだ表情で嗚咽を漏らす。時折首を上げ嘲笑するように声を上げる。そして、眼は赤い。
ここは魔界。
正気である人間など一瞬にして飲み込む狂喜の世界。魔王がその雄たけびを上げた時、誰がそれに対抗する手段を持ち得ようか。止められるわけの無い暴走に、人々は怯えるのみ。
だがもし、その場にもう一人の魔王がいたとしたらどうだろうか。
その魔王がもし、狂う魔王に対抗するだけの力を持っていたとしたら。
「これは素晴らしき狂喜の宴。私も参加させてもらっていいかね?」
その姿は、狐の顔をした黒ローブの男だった。