52, イミテーション(3)
プロローグ前書きに諸事情を掲載しました。
特に目に留めなくてもよろしいですが、一応報告ということで。
戦慄がそこを走り抜けた。
眼前に迫る仮面の男を無視するというのはほぼ不可能に近い。上手くかわせなければその槍で一突き、それで勝負は決してしまう。最大の注意を払いならがら、春樹は最初の賭けに出る。
「受けろっ!!」
至近距離からのナイフの投擲。武器を手放すのはあまりに痛かったが、これは賭けだ。
「ちぃ」
至近距離が災いしたのか、槍を構えることが出来ずに首筋を狙う脅威は呆気なく仮面の男の後ろへ飛んで行った。だが、これこそが狙い。
本来はこういう場合は歩数などを気にして適度に足を速めるが、春樹はその瞬間全力疾走をとった。その急なタイミングに男は対応できない。脇の下をくぐり、春樹は第一線を突破する。
仮面の男は軽く舌打ちし、春樹にはもはや追いつけないと悟ったのか、その歩を緩めないで白銀へと突っ込んでいった。
空気を切り裂くナイフは、その刃をダムンへと向ける。
「またか。二度も同じ手を取られるとはな」
式を中断し、ダムンは白衣の中から警棒のようなものを取り出してそれを叩き落した。瞬時、春樹の拳がダムンの顔面を襲った。
手ごたえは上々、腕を振りぬいてダムンを壁に叩きつけた。急速にダムンの口から息が吐かれたのを確認すると、即座にナイフを手にして追撃をかける。
「くぅ!?」
判断は我武者羅により下されたものだった。警棒で反射的にナイフを押さえ込む。同時に、懐から拳銃を抜いた。
それを見た春樹は余裕を失う。一気に体内が冷めたような感覚に襲われ、そこからの反応もまた反射的だった。自己保身、それが第一の判断だった。
銃口は顔面をむいていた。本気で撃ち殺すつもりなのだろう。
ドンッ!!
重く響き渡るような音が鳴った。瞬間、春樹は音より早く顔をそらしていた。
「あっぶな・・・!?」
頬を掠めたのは直径十センチにも満たない凶器。だがその恐怖感は身体に電撃を走らせた。擦過傷によって発生した痛みは春樹の片目を閉じさせるには十分だった。
ダムンはその隙を逃さず警棒で牽制するようにして春樹に振る。それを難なく後ろに飛んでかわした。それはダムンが体制を整えるのにお釣が来るほどの時間を作る。
釣りは、拳銃を春樹に向けることに他ならなかった。
矛先は自分に向けられた。それは予定通り。思いの他、春樹はあっさりと眼前で槍を構える男を出し抜いてくれた。これは予定外だが、それによって支障は何らない。
手を振り上げ、白銀は合図を送る。
「行きなさい!」
命を受けた千の武器は、一気に降り注ぐ雨となる。視界すらも埋め尽くすその串にかわす手段などありはしない・・・はずだった。
仮面の男はそれを見通していたように歩を止め、槍を薙いだ。
「魔槍が普通ではないことなど、知っているだろうが!!」
対峙したのは流星群と、それを覆う黒い風。薙いだ槍からは家一軒は吹き飛ばそうかという爆風が放たれ、串の雨を次々と吹き飛ばしていった。
(思った以上に威力がありますね。・・・いえ、分かりきっていた事です)
圧倒されるわけにはいかなかった。白銀は一歩だけ後ろに下がり、落とされた分の串を再構成する。冷静さを欠くにはまだ程遠かった。
一度横で寝ている黄金を抱きかかえ、大きく後ろに跳ぶ。それと同時に今度は四方八方、立体にして三百六十度全ての角度から槍の雨を一斉に男に降らせる。
(流石にこの数、何十本か刺さってもおかしくは)
その考えが甘かった。白銀はその行動に目を疑う。
仮面の男は投擲の構えを取り、地面に向かって大きく槍を投げつけた。
槍に纏わり付いた黒い風はその中心を台風の目とし、まさに小さな台風を作り出して襲い掛かる串を叩き飛ばしていく。突き刺した床は大きくひび割れ、同時に床の残骸が宙を舞っていた。
「言ったはずだ。魔槍は普通ではないと。これが例え模造品であろうとも、オレが貴様を殺すのには十分すぎる」
「確かに。威力が尋常ではないことは分かっていましたが・・・まさかそこまで出来るとは。甘く見ていました」
余裕を見せてはいるが、白銀は内心焦っていた。拳に力を込め、無理矢理それを抑える。
裏路地での出来事を思い出した。
『穿つ魔弾』こと『タスラム』と言ったか。黄金が一撃にして敗れたあの投擲法。あれを出されれば終わり。あの威圧感は止める止めないに関わらず、動けない。
覚悟を決める。
千で処すことが出来ぬのならば、その数を増やすのみ。二千、三千でも事足りないなら、万。万でもしとめられないのならばと、堂々巡りの戦略だけが頭を支配した。
仮面の男が見た白銀の行動は、あまりに突発的で無様で、非常に危機感を催すものだった。
次々と増え続ける串の数は、数えるよりも直感で答えたほうが既に確実になる。おぞましい殺意の星空は、既に空を支配するようにして視界を埋める。
だが、男とて武士。戦うものには一瞬の畏怖すら許されない。許されるのはただ、状況を以下に打開するかという策の思考だけ。否、思考すらも必要ないのかもしれない。
仮面の男の周りに黒い霧が発生し始める。これは、先ほどの風とは比にならない威圧感の象徴。
「ふん。数は質に勝ると?確かにそうかもしれないが・・・それは今において例外だっ!!穿つ魔弾、受けろ!」
「例外かどうかは、その目で見て判断して下さい。行きなさい!」
再び対峙する星と風。だが今度は先ほどの比にならない数と質。ぶつかり合ったその場に発生したのは意識すらもがれそうになるほどの爆風。互いの力の競り合い。もはやここに第三者が介入することは不可能。
両者の表情が歪む。競り合いはほぼ互角。どちらも譲り合う気は無いし、譲れるほどんほ余裕すらも無い。
ただあるのは、相手を射殺そうという確かな殺意のみ。
風が吹き荒れ、串が飛び散る。が、それも長くは続かなかった。
串は無尽蔵でも、白銀の体力は無尽蔵ではなかった。構成しようとしても、集中力が途切れ、不完全な串しか構成できない。ついには、数はゼロになった。
槍は立ち向かう相手を無くして空中にその身を投げ出した。が、仮面の男は大きく跳躍し、それを掴む。
標的はただ一点。
「まさか・・・!?」
白銀はその投擲の対象が自分に向いていないことを悟る。横目に見たのは、この戦闘を知りもしないで気絶している黄金。
矛先は、放たれた。
「・・・っ!?」
後方で大きな風が起こる。後ろ髪が前に持っていかれ、邪魔になるのを春樹はその瞬間嫌った。
だがそれは転じて好機をもたらす。ダムンはその風に目をやられたのか、瞼を閉じて腕で顔を隠してしまっている。対する自分は背中に風を浴びるだけ。黒い霧がダムンの視界を奪っていた。
「いける!」
構えたナイフはどこまでも鋭い。
が、次の瞬間には春樹の手からその凶器は失われていた。
「え・・・?」
そんな間抜けな声を漏らす。ナイフを握っていたはずの右手に、それはない。後方で金属音がしたかと思えば、ナイフは床に転がっていた。
何が起きたか一瞬理解できなかったが、正面でダムンが向ける銃口からは煙が立っていた。それを見た瞬間に理解する。
冷や汗が首筋を伝った。ダムンは視界の無い状態から、引き金を引いたのだ。運良くナイフに当たってくれたが、次は無いだろう。
―――次が無いのは、春樹の運だけ。
二発目の引き金は引かれた。
「あ・・・かぁ」
痛みや衝撃に気付くのに数秒かかった。右肩、見ればそこから鮮血があふれ出していた。肺は通ってないだろうが、明らかに重症。
春樹の乾いた悲鳴を聞いたダムンが笑ったのを春樹が見た。その瞬間、意識が全てその笑みを漏らした男に注がれる。
左腕に刺し傷。右肩に銃弾。動くのは―――脚。
「くそがぁぁぁ!!」
まだ黒い霧はある。視界を奪われているダムンに直撃し、膝を顎に見舞ってやった。
ダムンの焦点がぐらぐらと揺らいで、ついには昏倒した。
(まずったなぁ。出血が若干酷いって・・・)
撃たれた場所を抑えることも出来ず、振り向いた、その時だった。
春樹が視線を動かしたのは、白銀から遥か上空。式による身体能力の向上でもしていなければ人には到達できない跳躍の至り。そこから仮面の男は、槍を投げようとしていた。
視線は移りその標的。白銀は、何故か身体を黄金に覆いかぶさるようにして防御の体制をとっている。
嫌な予感が春樹の思考を支配した。あれは、防御なんかじゃない。きっと巷では、人の盾、なんて呼ばれているだろう。
盾は防ぐためのみにあり、反撃、無傷とは無縁。ただ敵の攻撃をその身に受けるためだけにあり。
「し、白銀っ!!」
知らないうちに春樹は叫んでいたが、白銀の耳には届いていなかった。
矛先は、放たれた。
ズシュッ・・・。
その音を聞いた春樹は、人を刺した時に音が鳴るなんて初めて聞いたな、だなんておかしなことを考えていた。
白銀の背中を綺麗に槍は貫いていた。口からどす黒い血が吐き出され、黄金の髪を汚していく。変わりに矛先は黄金の眼前で止まっていた。
「あが、ごほっ!!」
吐血する白銀の声が聞こえる。
血が血を支配する。
眼球に、血が張り付いた。紅い、紅い、とてつもなく紅い。白を奪い取り、黒すら支配する。
血流が細胞すらも傷つけているのではないかと思うほどの心臓の高鳴り。音は耳の鼓膜に響き渡り、その意識を次第に奪っていく。
ふいに・・・左手が動いた。
手にしたのはその血を相手に浴びさせるための、武器。
「Forward.」
仮面の男がそう言うと、男の手に槍が戻ってくる。元あった場所では、血が堤防を無くして更に出血を激しくしていた。
何をすべきか。
何をすべきか。
何をすべきか。
脳裏によぎったのは、2ndエリアリンクロード内で準が春樹にした行為。ペンを胸に突き立てて何をした。
(自然治癒力の激化・・・)
ふいに・・・右手が動いた。
手にしたのはその血を相手に浴びさせるための、武器。
春樹の視点は一点に収縮され、右手に持った警棒を仮面の男に投げつけた。
「むっ!?」
仮面の男はその行動に気付く。後ろを振り返り、その予感の正体を捉えようと。
首に、手が伸びていた。
「何!?は、速・・・」
言葉を言いきる前に、警棒が男に届く前に春樹は首を掴んでいた。
「油断しやがったな。このクソ野郎が」
男はその仮面の奥から春樹を見た。
目が、目がとにかく赤かった。怒りなどで充血したかとも考えたが、その度合いがそんなもので収まるとは思えない。赤いのだ、正真正銘に。
首を掴むと、そのまま一瞬だけ気道を潰すほどの力を込め、後方のダムンに向かって後ろ手に投げた。その投げた手は恐ろしい勢いで飛ぶ警棒を掴み、仮面の男に追撃を仕掛ける。
空中に投げ出された男に防ぐ手段など無く、先ほど投げてきた速さとは比にするのも馬鹿馬鹿しいほどキレの良い投擲を腹部に受けて、嗚咽を吐いた。
男がうずくまるのを確認すると、春樹は白銀の元へ行って、そのナイフを白銀の背中に突き立てた。
「はぁはぁ・・・。は、春樹さん。何、を」
「じっとしてろ。今助ける」
覚えている。準の指から流れるように出たあの式を。
見えている。白銀の損傷した場所の具合が。
そこからの春樹の手は、何か別人のような手つきだった。動く早さは並み以上、その目は一度の瞬きも許さず、そのうち白銀の傷跡から出血が収まっていくのを見ていった。
「あ、貴方。式が使えたのなら・・・」
そこまで言ったとき、白銀は事情を理解した。
「これを使って、黄金を治療してやれ。俺はあいつを抑える」
そう言って、最後の武器であるナイフを渡した。
それを無意識で受け取った白銀が春樹に返そうとしたときには既に遅く、春樹は素手のままで仮面の男へと歩み寄っていた。