4, 赤髪の刺客(1)
闇って、こんなにも怖いものだと知らなかった。
死ぬことって、こんなにも怖いものだと知らなかった。
終わってしまうって、こんなにも虚しいものだと、知らなかったんだ・・・。
だから、あんな軽率な行為に走ってしまったんだ。
自分に絶対の自信があったからさ。
だって負けたことなんてなかったんだぜ?いつだって勝ってた。
だから、負けた相手の事なんて、考えもしなかったんだ。
こんなにも悔しいなんて、こんなにも恐ろしいなんて、こんなにも・・・。
心が、空っぽになったような感じだ。
何も無い、そう、終わってしまった事への虚無感。
それが支配するんだ。
ある意味、それで心がいっぱいと言ってもいいかもしれない。
なぁ、本当に終わったのか?
もう戻れないのか?
戻れるんだったら、早く戻してくれよ。こんなところになんかいたくない。
光の当たる場所で、皆と一緒にいたい。
「違う。お前がいた場所は、そんな場所じゃない」
誰だ?
「お前がいた場所は、虚実と真実が交錯した、ひどい場所だ」
何を言ってる、あそこはとても居心地が良くて、光に満ちてた。
「その光は、偽りという色で塗り替えられた闇だ」
そんなの、信じられるわけないだろう。
「分かっている。だからお前は一度終わったのだ」
どういうことだ?お前が俺を終わらせたのか?
「お前は強くならなければならない。自分のためにも、俺のためにも」
俺のため?お前のため?一体何のことなんだ。
「お前は戻っても、時は戻らない。それを覚えておけ」
おい、なんだよ、どこに行くんだよ。
待てってば、何が言いたいんだよ。俺はどうすればいいんだよ。
俺は、どうすればいいんだよ・・・。
――――――
「・・・樹?」
声が聞こえる。そう、澄み切った川のように、綺麗な声が聞こえる。
「・・・る樹?」
また聞こえる。
澄み切った声だが、どこか悲しみに染まった声。
「春樹?目が覚めたの?」
春樹・・・。
春樹は、自らの名前を呼ばれ、嫌でも現実へと引き戻された。
「ん・・・ぁ」
光景が霞んで見えるが、天井があるということは分かった。
真っ白な天井。それはあまりに白く、潔癖というか清楚な感じでは無く、そう、何か先ほど見た闇のように、虚無感に包まれるような白だった。
怖い。
率直な感想、そう思った。
だが、その視界に女の子の顔が突如進入した。
「春樹!春樹、目が覚めたんだね!」
「・・・・・・準か?」
やっとのことで、春樹は声の主に意識を向ける。
声の主の顔は、何故か悲惨なまでに涙でぐちゃぐちゃになっていた。
「よかった、よかったよぉ・・・」
そんな顔で、泣きながら抱きついてくる。
「お、おい。そんな泣くなって・・・」
どうしていいか分からず、とりあえずなだめようとする春樹。
だが、一向に準は離れてくれる気は無いらしく、むしろ強く抱いてくる。
「うぅ・・・・・」
どうにもやりきれない気持ちになる。
準は相変わらず泣きじゃくっている。春樹はそれをちらりと見るように、視線をやるが、どうにもそういうのは苦手であった。
「う、うぁぁ・・・・・・」
「お、おい。頼むから泣き止めって」
すると、準は何か溜め込んでいたものを放出するように、
「うわぁぁぁっぁぁぁん!!!」
大声で泣き始めた。
「ちょ、ちょっと!?」
春樹は一生懸命準をなだめようとするも、全く泣き止む傾向は見られない。
それどころか、ひどくなるばかりで・・・。
「どうした!?」
突然、病院のドアが開いた。
そこから人が入ってき、春樹と目を合わせた。
「・・・・・・ふむ」
信一だった。
だが、信一はその光景を見て、何か勝手に理解したようにうなずく。
「貴様、ついに手を出したか」
「ちげぇよ!?」
すかさず高速スピードで突っ込む。
それに信一は笑みをごぼす。
「ふむ、とりあえず無事で何よりだ」
「あ、そうか・・・」
信一の言葉で、ようやく全てを理解する。身体に何重にも巻かれた包帯などが、それを確定的なものへと変えていった。
自分は敗北したのだと。それも完膚なきまでに、絶対的な敗北の仕方で。
たった一撃すら加えられず、逆に自分は焦りから自らを失い、負けた。
屈辱的な負け方に、春樹は今頃悔しい表情になる。
「俺、負けたんだよな・・・」
「うむ。だが、貴様の負傷の仕方から、相当な熟練者と戦闘したと思われる」
その言葉に、顔をしかめる春樹。
「貴様の傷は、肩部も心臓部も、完全に貫かれてはおらず、さらに臓器には一切の傷が加わっていなかった。どれも治療すればすぐ治る程度だが、戦闘した時点では致命傷となる傷だ」
つまり、春樹は相手に生かされたのだった。
そう思えば、悔しさは増すばかりである。
思ってみれば、黒ローブの男に関する情報は皆無。実力は計り知れなかったのだ。
それに対して向こうは、声をかけてきたからには春樹の事は何かしら知っていたと思われる。
『説明など不要だ。お前はただそのナイフを抜き、俺と戦えばいいんだ』
男の言葉を思い出す。
(あんな唐突な戦い、何か事情があったに違いねぇじゃん)
事情について考えてみたものの、全く思い当たる節は無い。
「それよりも、その男の情報が少し欲しいのだが、状況を説明してくれないかね?」
「そう!次出てきたらただじゃおかないんだから」
いつの間にやら準が泣き止んで、信一に同意する。
「え?あ、あぁ分かった」
考え事を中断され、不満ながらも、了解する。
「・・・・・・と、こんな感じなわけだ」
説明したのは、準にお使いを頼まれてから意識を失うまでの一部始終である。
準は途中で「ボクのせいだ」とか言って泣き叫ぶわ、信一はそれを気にも留めず、ただただ話を聞くのみで、やりにくいことこの上なかった。
「つまりは、いきなり男に襲われたということか」
「なんか取り方によっては誤解するような言い方だけど、まぁそうだな」
ふむ、と一回うなる信一。
信一が考えていることは春樹にも分かった。
つまりは、政府とやらとの関連性があるかどうかなのだ。それによっては、状況がまた違ってくるだろう。
政府であるならば、それは敵が思った以上に進入してきているという事実と、相手も容赦なく戦いを挑んでくるということが分かる。そうなれば、ノロノロと行動しているわけにはいかなくなるのだ。
だが、この点において、信一も春樹もどうにも引っかかる点があった。
「なぜ―――」
「俺を狙ってきたか、だろ?」
信一の言葉を取って、春樹が言う。
それに、信一は少し顔をしかめながらもうなずく。
「我々の集団であれば、一番の美女といえば外見だけなら白鳥準のはず。なのになぜ・・・」
真剣な顔で考え始める。
「もぉ〜、褒めても何もでないよ!」
それに赤面して信一をはたく準。
「いや、論点違うだろそれ」
ため息ひとつ。この状況においても冗談が言えることに感嘆でもあるが。
「まぁ冗談はさておき、貴様を狙ってきたということは、少なくとも武藤春樹という存在を知っていたということだ。しかし、政府の一員、つまりは外界から来た人間が武藤春樹を知っているはずがないのだ」
春樹は、物心がついたころには既にこのサークルエリアにいた。なので、外界の人間が知っているというのは有り得ない話であった。
「でも、こういうのはどうなのかな〜?」
準がふと思ったことを口にする。
「春樹の記憶の無い幼少期時代の関係者、とか有り得るかもじゃない?」
それに春樹は納得したようにうなる。
だが、信一は相変わらずの仏頂面で何かに疑問を持ったように、考えていた。
「信ちゃんは、どう考えてるの?」
準がそれに後押しするように聞いた。
「ふむ。有り得ない話ではないが、そうすると、今まで春樹に攻撃してこなかった理由が必要となる。そして、今の時期、つまり政府の計画が始まったのと同時期での春樹への攻撃。あまりにタイミングが不自然だと思うのだ。」
「確かに、今までそんなことなかったなぁ」
「急に人気が出たのかもよ?」
「ありえねぇから」
「むぅ〜〜」
素早い春樹の突っ込みに、準はスネる。
そんな準をなだめながら、春樹は信一との会話を続行する。
「まさかさ、俺らがやろうとしてることがバレてるってことは、無いよな?」
信一に、確認するように言う。
「本当にまさかの話だな。相当事前に進入し、私に盗聴器でもつけていれば出来なくも無いが、有り得ん話だ」
あっさり否定した。
事実、信一が属する「治安維持機関」は、名前のごとく治安を維持する機関なのだから、盗聴器など仕掛けられるほど甘い人間が属してはいないのだ。その難しさは、赤外線センサーが張り巡らされた場所に、盗品しに行くよりもはるかに難易度は高い。
だが、絶対にという保証は無いため、春樹は猛一度確認するように言う。
「本当に、絶対だな?」
ふむ、と信一は一置きおいて、
「そんなに疑うのなら、私の衣服類雑貨類日用品全てを燃やしてもいいぞ。ついでに体の内部に埋め込まれてないか、内臓検査も必要か。肌に埋め込まれたか?ならば手術でもして検査しようではないか」
「ごめんやっぱいい」
この分ならば恐らく大丈夫であろう。
準や由真という可能性もあるが、準は恐らく無いだろうし、由真はいないため調べようがない。
「そういや、SAMO本部には聞いてきたのか?」
ふと、春樹は昨日の会話を思い出して聞いてみる。
「あぁ、そのことだが、ここでは天宮寺由真もいないからな。また明日、話をしよう」
「ん、そうか。『ライフ』ってのを集めるってのは変わってないのか?」
「うむ。向こうの思惑は分かっていないが、集めるに越したことは無い」
そうか、と春樹は言い終える。
「じゃぁ、とりあえず今日は解散しよっか」
準が突然提案する。
だが、突然の提案でも二人はそれにうなずいた。というのも、春樹の場合は、そろそろ退場して欲しかった限りだし、信一においてはどうせ明日話すのだ、という感じだ。
「それじゃ、ユマユマも待ってることだし、いこっか」
「そうだな。では、失礼させてもらうぞ」
「あいよ、またな」
そう言って、二人は病室を後にした。
残された春樹は、その後、じっと月夜に照らされていた。
それはあまりに美しく、この月下で起きていることなど、知る由も無かったのだ。
そして、それを取り巻く人間達の思惑さえも・・・。
―――
「ねぇ・・・」
ふと、準が口を開いた。
「む?なんだね」
信一はそれに答える。が、準の何か悲しそうな表情を見た瞬間、何が言いたいのかは大体想像がついてしまった。
「・・・・・・・」
しかし、予想する問いをなかなか口に出そうとしない準。
言いたく無いのは信一にも分かる。だが、それを自らは許さない。
「我々は、正しいと思うことをすれば良いのだ」
「・・・・・・」
「結果がどうあれ、何事にも犠牲は必要」
「・・・・・・」
「それが例え、失いたくないものだとしても、それが正しいと思うならば、実行するのみ、ということだ」
「・・・本当に」
黙っていた準の言葉が突如つむがれる。
「本当に、それが正しいと思ってるの?」
悲しみに満ちた瞳で、信一を見てくる。
だが、信一は全く動じるつもりはないらしく、自らの意見を通す。
「それが、正しく無かったのであれば、私は喜んで悪を勤めよう」
何故か、微笑する。
もしかしたら、信一は自らがすることが間違っていると分かっているのではないだろうかと、準は思うが、口には出さない。
信一は、それだけ言うと準をおいてさっさと行ってしまった。
その背中はいつもの信一とは間違いなく違う、そう思う。
「大丈夫・・・」
自らに言い聞かす。
例え間違っていたとしても、なんて仮定は無い。
「ボクは正しいよ、うん」
例え目の前に立ちはだかったとしても、後悔はしない。
「大丈夫だから」
そう言った準のほほに、涙が一筋。
ぬぐって、信一を後を追う。
つぶやいた頃の空は、淡い月の光に満ちていた。
月下に、それぞれの思惑が走る。
そんなある、満月の夜。