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50, イミテーション(1)

 目指していたのはあの牢獄だった。

 白い空間を疾駆し、春樹はうろ覚えになっている道のりをとにかく前へ進んだ。

 途中、仮面の男が黄金を打ちのめした場所を見た。そのずっと先には、太い岩で壁が出来ており、これが式によって成されたものだと判断するのには数秒も要さなかった。一日以上経っているというのに、これを直さない男の考えは、やはり読めない。

 階段を駆け下りる。考えても見れば、牢獄は地下に位置するところにあったのだろう。まさか学園の地価に牢獄があっただなんて、学生は知りもしない。知る余地もない。

 春樹は降りた階段の先に、異界を見たような気がした。

 例えば、今まで住んでいた家があったとして、その中が質素なデザインと木材で建築されていたたしよう。それが、仕事から帰ってくると知らないうちに家族によって色とりどりの染色をされ、目に光る装飾を施されていたら一瞬その家が自分のものかと疑ってしまうだろう。

 つまり、今まで白かった床と壁と、それと天井が違う色に染まっていたらどうだろう。ここで真っ赤な血に染まっていたというのならば、それもまた狂気の沙汰だと認識できていたかもしれないが、その空間は所々に黒く、主に灰色に染まっていた。

 焦げ臭い臭いが春樹の鼻をついた。魚を焦がしたでは済まされないが、臭いの認識はそのような感じだ。

 ここはあの潤目に仮面の男を任せて去った場所。ならば何が起きてこうなったかは想像するに容易い。


「一体どんな戦い繰り広げてたんだか・・・」


 春樹の顔に自然と苦笑が浮かんだ。

 しかしこれでは牢獄施設は機能しないだろう。焼け跡は当然牢獄の中にも広がっている。

 見てみれば、黄金が繋がれていた部屋の内部に転がっている鎖、春樹が自ら切り落としたその戒めはどれだけの熱を浴びたのか知らないが、溶けたマシュマロのようになっていた。

 とすれば、その最中にいたあの二人はどうなってしまったのだろうか。


(死んだ・・・なら、何か遺品でも残ってておかしくないけど・・・。つかあいつが死ぬとかあんま考えられないな)


 鉄さえ変化してしまう熱量だ。死体が完全消失してもおかしくは無いが、それにしてはあまりにも焦げた部屋はあっさりしていた。机も椅子も焦げただけで残っている。

 それらを一瞥した後、春樹はさらに歩を進めた。

 目の前に立ちはだかったのは、あの頑丈な扉。九条が一体何日過ごしたのかは知らないが、とても耐え切れる場所ではなかったはずだ。

 その扉が―――固く閉ざされている。


「ま、ここしか考えられないし当然っちゃ当然か・・・」


 さっそく春樹は得意のピッキングに差し掛かる。ナイフを鍵穴に突き立て・・・た時だった。


「いったっ。・・・手首、何か巻いておけば良かったなぁ」


 腫れあがった手首が作業の邪魔をする。どちらか片方ならまだ良かったが、両手が痛みを訴えているため、打開策が無い。

 それならばまだしも、なかなか重症らしく、春樹が力を入れようとしても満足のいく力は出なかった。ナイフを突き立てても、腕がガタガタと震えて収まらない。


「くそっ。本格的に良くないねこれ」


 打撲傷は時間が経てば更に悪化するというが、まさに今その状況だった。

 このままでは埒があかないと、春樹は少しでも冷やせないかと回りに水道を探した。が、当然あるはずもなく、肩を落とした。

 一度ナイフを腰にしまって、階段を上がった。

 再び研究施設に戻ってくると、水道をまた探すがやはり無い。研究施設とはこういうものなのだろうかとも思ったが、やはりどこにも見当たらないのはおかしい。水に化学反応を起こすものでもあるのかと、無理矢理納得はしてみるものの、手を冷やせないのは痛かった。

 ならばせめて氷はどうだろうかと、冷蔵庫のような長方形の箱を手前に引いて開けてみる。


「なっ・・・!?」


 視界に飛び込んできたのは、透明なビーカー。いや、それは外見上の話であって、今やその中にある赤黒い何かに色を陣取られていた。

 それはずらりとその体を並べ、冷蔵庫の中をそれこそ陣取っていた。数は一見しても百はあろうかというその奇妙な光景。

 流石にそこに手を突っ込んで冷やそうなどという考えは浮かばず、それを封印するかのようにゆっくりと蓋を閉じる。

 一瞬吐き気がしたが、それを唾を飲み込んで制する。


「血だよな、あれ・・・」


 研究に必要だったから、と聞かされれば、そのものの存在意義はそこに在るが、実際に見てしまうと感想は違う。『何故こんなものがあるのか』と疑ってしまう。

 血液が隙間を作らぬように箱の中に詰めてあれば、誰もがそれを嫌悪の対象として見てしまうだろう。例えそれが、必要なものだと知っていても。

 気持ちを入れ替えて他の冷蔵庫を当たってみるが、内容は同じだった。流石にここまで来ると春樹も一体何に使うのかを気にしてしまう。数は総数、既に五百は越えたのではないだろうか。


(血が・・・どうしてこんなに血が必要だったんだ?)


 まさか輸血のためとは言わないだろうと、春樹は思う。

 血液を輸血する際は必ず血液型を合わせなければならない。五百という数のビーカー全てが同じ血液型とは思えない。

 もう一度春樹は冷蔵庫を開けた。すぐに赤黒い世界が目に入るが、今度は逸らさない。

 色に違いがあるか見てみてたが、それはそうだ。血の色に全く変化が無いわけでもなく、あっさり下らない考えを切り捨てる。

 献血。

 このワードが頭に浮かぶ最も有効な血液収集手段。

 だがそれにも春樹には解せない点があった。


(じゃあ何のために保管を・・・?やっぱ輸血か?それにしたってこの数、3rdエリアにはそんなに必要な人間がいるとも思えないし)


 それに研究施設に保管されている時点で、輸血なんて慈善事業に使われるわけも無い。

 考えても堂々巡りの思考は変わらないため、春樹は諦めて氷詮索を再開した。

 しかしやはりどこを探しても氷は無く、変わりにビーカーの数だけが増えていく。もはや数の想定をするのも面倒くさくなって、はぁ、とため息を漏らした。

 と、そんな作業を中止した春樹の目に吸い込まれるように飛び込んできた物があった。

 それは開けてはならないブラックボックスと呼ばれ、知っている人には『パンドラの箱』とも呼ばれただろう。そんな雰囲気がそれからは漂っていた。

 他の冷蔵庫とは違い、かなり簡素な造りをしているのに、施錠の度合いが恐ろしい。外付けの鍵がいくつもついており、傍から誰が見ても重要なものが保管されていると分かる。

 女性パンドラは、世に災いをもたらす為に作られた人と言っても過言ではない。

 美を与えられ、才能を与えられ、感情を与えられた彼女に渡されたのは『好奇心』だった。その感情に負けた彼女は、結局箱を開けてしまうのだが、最後に未来が見えるというものを残したおかげで人類には希望が与えられたという。

 しかしそれは、『パンドラの箱』の場合に限る。

 現代に潜むパンドラを相手にしてはいけない。


「が、それに負けちまうのが、神が創った人間って奴なんだよな。全く、ここまで考えておきながら結局手を出すのかよ俺」


 知らないうちではないが、春樹はその箱の前に立っていた。

 ナイフを抜き、大きく振りかぶってその鍵に直撃させる。威力は上々、鍵は鎖ごと千切れて落ちた。

 纏わり付く鎖を外して、最後の開錠に取り掛かる。が、やはり鍵穴にナイフを突き立てようとすると手が震える。先ほどの一撃で痛みが再発していた。

 汗が額ににじみ、春樹は奥歯に力を入れてそれに耐える。

 思いっきり力を込めて鍵を破壊しにかかると、ガチッという音が合図となり、春樹の表情に笑みが浮かんだ。こんな力があれば、最初から扉の開錠をしていればよかったと後悔したのは胸に秘めることにする。

 そして、ゆっくりとそのパンドラの箱に手をかける。震える指先が視界に入り、春樹は自分が緊張していることに気付いた。だが、それよりも神の与えた好奇心が前を行く。

 手が触れた瞬間、その冷たさに身体を硬直させた。

 冷たい、というのは温度の問題ではない。それから感じる『何か』の問題。それは単なる妄想かもしれないし、大袈裟な反応かもしれない。


「なるようになれだ!!」


 春樹は覚悟を決めて、腕を手前に思いっきり引いた。


 ―――蓋は、開けられた。


 中から出てきたのは疫病でも悪意でも災いでもない。白い煙だ。

 閉じ込められていた気体は、逃げ道を確保すると一気に流れ出す。春樹は万軍の馬に巻き込まれるように煙に包まれた。

 その瞬間、春樹は眼球に強烈な痛みを覚える。手で覆い隠すも遅し、次いで頭痛と眩暈が同時に襲ってきた。


「これ、はっ、罠!?」


 催涙、否、催眠ガス。

 目を開けるのもままならないどころか、急激な眠気。

 パンドラの箱の話を思い出した。

 女性パンドラを妻とした男は、何も知らされず彼女と結婚した。しかし、パンドラは世に災いをもたらす存在として神が想像したもの。

 兄に神から与えられたものに手を出すなと言いつけられていたにも関わらず、神から与えられた才と美貌に負けて彼女を妻としてしまった。

 結局は神の策略にはまり、反乱を期した兄の罪をも被せられ煮え湯を飲まされた。

 彼の名は『後で知る』という意味を持ち、後の解釈で『後悔』という完全な意味を持った。

 つまりは、パンドラを相手にしてはいけないということ。


「く・・・そぉ、が。こんな所で・・・時間を食うわけにはいか・・・な」


 意識がブラックアウトされるかと思った、その瞬間だった。

 葉が中を舞うように、空を滑って一枚の写真が春樹の視界に留まった。恐らく箱の中から出てきてしまったのだろう。それに、春樹は目を見開いた。意識がどうのこうのなど全てを超越して、思考がクリアになっていく。

 誰かがこれを見たところで、ただの写真でしかないだろう。隠す必要など無いんじゃないかと、隠した人の考えを馬鹿にするだろう。

 だが、事情を知っている者が見ればそれは一瞬にして重要参考物に成り果てる。


「ハッ、なんだよ。そういうことかよ。情報生命体って、そういうことかよ」


 ナイフで一閃、腕を裂いた。痛みによって意識を覚ますためだった。

 あふれ出す血と共に、裂創特有の鋭い痛みが脳を動かす。もはや眠気など無い。

 いや本当は眠いのかもしれないと春樹は思った。だが、そうする暇が無いのだ。一体自分は何をしにここに侵入した。何を目的に今ここにいる。

 春樹は軽くなった足を速めて、固い扉に向かった。

 信一と交わした言葉を思い出しながら。


『惨劇を舞う渡り鳥の翼の羽は、二度と紅く染めてはならない』


 今この扉の前に立つ目的は違えど、その意味は同じ。

 春樹は扉の鍵穴にナイフを叩き込み、手首の痛みも忘れてその腕を振るった。


「この、さっさと開けろってんだ!!」


 我武者羅になり、春樹は扉を蹴飛ばした。


「・・・お」


 すさまじい勢いで、その扉は開かれた。鍵の支えになっていたコンクリートのほうが破壊されたようだった。

 見えた光景は限りなく白い。

 靡いた髪の毛は、たった一色だった。


「白銀・・・」


 長い髪の毛は、地に付いてある一色の髪の毛と混じっていた。

 その色を人はこう言うだろう。

 黄金色、と。


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