49, 誘拐(3)
無人の廊下を走り、理科室へと急ぐ。
教室の上にカードが張ってあるため、それを一つ一つ見ていく。視聴覚室、音楽室、美術室、職員室・・・。そして目の前に現れたのは、理科室。
扉を開けるための認識装置がついていたが、何故か破壊されており、中に入るのは容易そうだった。扉に手をかけると、力を入れる前から少しだけ隙間が出来る。
中から光は漏れてこない。
春樹は一応失礼します、と一声かけてから扉と室内の境界線を踏み越えた。
室内に入っての感想はまず暗い、だった。窓が無いのだ。コンピュータ室は機械が動いているとは言え、そこまで換気が必要かと問われればそうではないだろう。そしてコンピュータ室には窓はあった。だが、理科室は薬品を扱うため換気は必須だ。なのに、そこにはガラス細工などただの欠片もなかった。
すぐ横の壁にあった電気のスイッチを押すと、天井に設置された蛍光灯が何回か点滅した後、部屋を照らし出した。
一見しておかしいところはない。理科室特有の長い机、木材の椅子、壁に張ってある天体のポスター。このどこに調べる場所があるというのだろうかと、疑問に思った。
しかし疑う余地はある。
というのも、部屋の前に認証装置があったこと。他の部屋にはついていないというのに、この部屋だけというのはどういうことだろうか。薬品を扱うとは言っても、他の部屋だって同じように壊されたりしたら困るものはある。
それに破壊されていた点、何者かが侵入したのは確かなようだ。
春樹は室内をぐるっと見回してみるが、特筆すべき点は見当たらない。
そのまま歩き回ってみると、ある場所で春樹は立ち止まる。
「一般生徒立ち入り禁止・・・、理科実験用具室か」
簡素な張り紙が警告を促しているが、悪戯な子供は容易く入れてしまうのではないかと思う。
扉に手をかけようとした、その時だった。
ピリッと春樹の手に微弱な痛みが走った。いや、微弱と呼ぶにはあまりにはっきりとした痛みだったが、度合いは所詮静電気程度。
普段ならばそんなこと気にも留めないが、今回の春樹はそれに疑念を抱いた。
(静電気・・・。帯電するようなことあったか?)
おかしいと思ったのは、どう考えても春樹の身体が帯電していると思えないからだ。
確かにしていない確証は無いが、乾燥した気候でもあるまいし、何より今の春樹は帯電の一番の対象となる上着を着ていない。
つまり、帯電しているとしたらドアノブのほう。
だがいつこのドアノブが帯電したというのだろうか。誰か生徒がふざけて摩擦でも起こしたか。
(ってそんなの愚問すぎるな。何も気に留めることじゃないか)
春樹はそんな軽い気持ちでドアノブを回そうと、手を伸ばした。
しかし、またその行動は寸前で止められた。
物音がする。春樹は手を伸ばしたままの体制で、神経を尖らせた。次いで、扉の向こうからは何か布が擦れ合うような音がする。
(お着替え中か?ってそんなこと考えてる場合じゃねぇな)
ここは生徒立ち入り禁止。
それ以前に、襲撃を受けた学園に人がいるはずがない。と考えれば、ここにいるのは誰か。
警戒心を強め、扉から何歩か下がってナイフを後ろ手に構えた。
布擦れ音が止み、次いで扉の鍵に差し掛かったのか、ドアノブが右へ左へと行き場を探すように動き始める。
そして、扉が開いたその刹那。
「動くな」
扉から出た男と声が重なり、二人ともナイフを相手の首元に突きつけていた。
春樹は扉が開いたその直後に飛び出していたが、その向こう側からも同様に鈍色の切っ先が飛び出してきていた。
しまった、と春樹は心の中で舌打ちをする。このタイミングでのカウンター、相手が熟練者だと判断するのに数秒も必要無かった。
が、春樹はその男の顔を確認しようと視線を相手に向けると・・・。
「し、信一?」
見知った顔がそこにはあった。
「む。武藤春樹ではないか。貴様戻っているのなら報告か何かをしろ。無駄に探し回ったではないか」
どうやら春樹を探していたらしい。
とりあえず二人はナイフをそれぞれ引いて、腰にしまう。思うが、こうして信一と向き合ったのは初めてかもしれない。
信一が戦闘する姿など、記憶の中では二、三回ほどしかないが、やはり治安維持機関なだけあって良い動きをすると、春樹は感心した。
「探し回ってたって、ここでか?」
信一は扉を足で押さえたまま、その開いた扉に背を掛けた。
「そんなわけがあるまい。ここは理科実験用具室ではなく、どうやら何かの研究施設だということが分かった。それで、もしやと思ってな」
「ああ。なんだかここを調べてたらしいな。つか研究施設!?それ本当か!?」
危うく重要なワードを逃すところだったと、春樹は乗り出した。
研究施設と言えば、思い当たる場所はひとつしかないからだ。
「間違いないな。実際侵入したのは裏路地からだが、色々調べていたらこのようなところから出てきてしまったという何の変哲も無い偶然だが」
「裏路地・・・。実は言うと、俺もそこからあの研究施設に入ってたんだよ」
それに信一は、視線を春樹に集中させて神妙な面持ちになる。
「九条美香留の情報でも入ったか?」
春樹は頷いて言う。
「情報が入ったどころか、きちんと保護した。今は天宮寺さんと一緒に避難・・・ってそうだ!!まずいことが起きたんだ!」
自慢するようにニカッと笑ったかと思えば、いきなり春樹は目を見開いて焦りだした。
ふむ、と信一も耳を傾ける。
「準がさらわれた。それも、政府の人間に」
瞬間、信一の表情が険しくなる。
こういう顔をすることは春樹は予想済みだった。
二人は顔を見合わせ、互いに何を言うまでも無く目で頷いた。利害の一致、いや、事情の確認といったところか。
信一は手招きするようにして、春樹を扉の中に入れて、外側、いや内側かもしれないが、とにかく鍵をかける。中側からは手動でロックがかけられるらしい。
ガチリッと音がすると、信一はそれを背にして春樹を見て言う。
「さらった人間の推測は立てているか」
真剣で突き刺すような、鋭い声が飛ぶ。だが春樹も同じく、隙を見せないといった感じで答える。
「多分仮面をつけた男だと思うけど、ミリア・ヴァンレットって女が加担した可能性が高いのが気にかかる。何しろマッドサイエンティストだからな、あいつ」
「ミリア・・・。あのクソアマめ、釘を刺しておいたというのに・・・」
「ん?何か言ったか?」
ぼそっと呟いたので、聞き直してみるが信一は特に、と言ってあしらった。
「それより、仮面の男と言っていたな。その男についてはどうだ」
話題を転換させてくる。
春樹は特に気にせずに、知っている情報を信一に与えた。
ブリューナク、狐の仮面、そして恐らくは影武者か囮か、とにかく複数いること。
信一は話を微動だにせず聞いている。本当に耳に入っているのだろうかと普通の人ならば心配になるだろうが、春樹は構わず話し続けた。
それからは、二手に別れていた信一と春樹の話を合一させ、色々と互いの情報を纏めていた。
内容はしっかりと春樹の頭にインプットされる。
まず、九条美香留をさらったのはやはり政府で間違いなく、それにダムン・デルファが加担していたこと。そして、ダムンが使用していた理科実験用具室は研究施設の入り口になっており、裏路地とそことで色々とやりくりしていた。
仮面の男はここ最近現れ、これもまた政府の人間と言っていい。だが、同政府の刺客である金剛地兄妹は捕らえられ、さらにその重要性は向こう側にとっては高いらしい。
黄金はここ、理科実験用具室から研究室に連れてこられ、同時に潤目も侵入した。そして、彼は研究施設内で春樹を救っている。やはり彼の言うとおり目的は春樹らしいが、その詳細は定かではない。
情報生命体については、同様の情報を得ていた。つまり、学園の生徒は全てそれだということ。そして情報欠落症候群と、それに要する薬が供給されていないこと。
信一が最大の疑問を示したのは、九条美香留をみすみす政府が逃がしたことだった。それは春樹も考えたが、やはり答えなど、どれだけ思考してもうっすらとした霧すら出てこない。
何よりも更に気にかかるのが、黄金がライフより政府にとって重要だったこと。
信一によれば、黄金も情報生命体であるのだが、『イミテーション』と呼ばれるどうやら特別な存在らしい。恐らくそれが絡んできているのだろうが、それでも推測は出来ない。
そして準の件。
どう考えても二人には事がいい方向には傾かないことが分かっていた。いや、むしろ最悪の場合は・・・。
「白鳥準の救出を優先すべきだな。何か異存はあるかね?」
「残念だけどある。最初捕らえられていたのは九条さん。それを救出するために俺と日比谷が侵入したけど、結局捕まった。それでもって日比谷は脱出できたが、今度は黄金が捕まっていたときた。そしてそれを救出するために白銀と日比谷がまた赴いたけど、二の舞に終わる。次いで俺と九条さんが脱出は出来たが、助けられたのは日比谷だけ。そしてそうしているうちに準が被害にあった。よって現在捕まってるのは、黄金、白銀、準の三人。けれど問題なのは数の差だ。準を今救出できたところで、また誰かが捕まってしまう可能性もあるし、何より黄金を重要視した目的が分からない以上は黄金も優先すべき対象だろ。っていうか、全員同時に助け出さないとまた同じことの繰り返しだ」
順序を並べてざっと説明した。
先ほど考えていたことだが、準を助け出すのは最優先としても黄金を放っておくわけにもいかない。何しろ数が数だ。全員手元においておかないと、人材が足り無すぎた。
「ならば二手に別れるか・・・。どちらがどちらに行く」
「黄金が捕らえられている場所ならなんとなくだけど思い当たりがある。まぁ、準も閉じ込められてるかもしれないけど、恐らく『アレ』が目的ならもっと特殊な場所だろうし、難しいほうは信一に任せるとするよ」
「思い当たりとは・・・以前に捕らえられていたという牢獄か。ふむ、ならば問題あるまい。では私は白鳥準を探すとしよう」
「任せる」
「任された」
呼応するように、二人は確認しあった。
その頼もしい返答に、春樹は微笑した。そしてまた、目付きを変える。
信一は来るべき場合に備え、武装用の服のポケットからナックルを取り出して、拳にはめた。
「この状況、前と何にも変わらないな」
春樹がその姿を見て言った。それに信一がふっと笑みを漏らすと、そうだな、と同意した。
惨劇は回避できる。以前のように手遅れになることはないだろう。
春樹は過去の惨状をしっかりと頭に焼付け、事の重要さを再認識する。
白鳥―――ハクチョウと呼ばれていた時代、春樹は初めて信一に出会い、そして共に戦った。
だが同じことはそれだけ。それだけにしなくてはならない。
研究施設への扉が、ゆっくりと喜劇の幕をあけるかのごとく、光を隙間から放って開いた。