48, 誘拐(2)
第六感とは、つまり直感。直感とは、何の根拠も無い不安。体を走り抜けるは、行き場の無い苛つき。
扉を開ける。いない。
扉を開ける。いない。
扉を開ける。いない。
一体何度この作業を繰り返したかは分からないが、いないと認識するたびに期待が増し、落胆が大きくなる。
ノックなどするはずもなく、準と由真と信一の姿を探していたが、全く見当たらない。いや、強いて言えばもう一つ探しているものがある。襲撃者の姿が見えない。
ミリアではなかったのかと言われればそれで終わりだが、春樹にはどうにも彼女の仕業とは思えなかった。ミリアはもっと陰湿な行動をする人間だと踏んでいるからだ
。
『それよか、貴方のお友達は一体どこに?』
そんな奴がこんな言葉を吐いたらどうだろう。
春樹は背中の重みをもろともせず、次の教室の扉を開ける。
「信一!いるか!?」
わざと五月蝿いくらいに大きく音を立てて、そう叫んだ。だが、やはり返答は無い。虚しく叫びが反響して、自分の耳に入る。
もう舌打ちをする気も起きない。
扉を開けたままその場を走りぬけ、隣の教室に差し掛かった時だった。
春樹が扉に手をかけようとすると、その扉からうっすらと白い気体が漏れていた。上を見上げてその教室を確認すると、そこには『コンピュータ室』と記されたカードが張ってある。
それが何を意味するのかは分かる。あの白銀の持っていた物が沢山設置されている場所だと理解するのに時間はかからなかったが、このドライアイスから発せられるような気体をどう説明してくれよう。
「これは、一体何だ・・・?」
触れてみると、それは確信に変わった。
ドライアイスで無いにしろ、冷気だ。クーラーに手を当てたようなひんやりとした感覚が手に残る。
ひんやりとした感覚は手だけでなく、その背筋にも走った。どうやったらパソコンから冷気が出るというのだ。それも、色のついた気体で。
春樹は先ほどと同じく扉を開けようとしたが、それはピクリとも動かない。
「誰かいるのか!?ここを開けてくれ!!」
ガンガンッと拳を叩きつけるが、望む返答など返ってくるはずも無く、拳に痛みだけが残る。
春樹はそれも無駄だと諦めた後、九条を一度廊下の壁にもたらせかけると、後ろに後ずさって勢いをつけてから、床を蹴った。
「こんのっ!」
扉を全体重をかけて蹴り飛ばす。流石にそれには耐え切れなかったのか、引き戸式の扉が開き戸式の扉のように吹っ飛んだ。
そしてそこから漏れる気体が一気に春樹に降りかかる。
内部を見ると、もはや濃霧の森林などぬるい。手を目の前にかざしてみても視界に捉えることが出来ないほどの冷気が充満していた。これでは中に人がいたとしても、非常にまずい。
掻きだす様に手を振りながら前に進む。椅子などに足が当たり、邪魔臭いと思って乱暴に押し倒した。
とりあえず窓がありそうなところまで行って、手で探ると、凍てついたガラスが手の平の感覚であることを知る。長く触っていると、春樹の手まで凍りつきそうだった。
鍵を探して、凍ったその部分を全力の拳で叩き落して、窓を開ける。
すると、火災現場のように煙がもくもくと空に上がり、次第に視界が広がっていく。
そこに見つけたのは、少女の倒れる姿。
「・・・え。て、天宮寺さん!?」
そこに倒れていたのは由真だった。駆け寄ると身体は異常に冷たくなっており、危険だということがすぐに思い知らされる。緊急措置のため、来ていた服を脱いで、包めるように由真に被せておく。
が、シャツ一枚はここでは寒い。身体をぶるっと震わせた後、由真を抱えて教室の外に出る。
九条の横に寝かせると、その安否を確かめるために脈を計ると、どうやらまだ時間は経っていないらしい。鼓動は問題なく伝わった。
それにホッとすると、すぐに表情を険しくしてもう一度教室に入る。
「何が、起きてたんだよこれ」
氷の世界。パソコンや椅子、机は既に氷の彫刻と化し、氷室の中に佇む一つのアートとしてそこに立っている。床は路上凍結と呼ばれるには相応しくないアイスバーン。しっかりとその足を踏んでいなければすぐにでも転んでしまいそうだ。摩擦の度合いは限りなく低い。
そして何より不自然なのが、所々に天を目指して立つ柱状の氷。これは既に科学でどうにか出きるものではない。
(式での戦いが、ここで行われていた、と?)
そう考えるのが一番納得がいった。
「うぅ、つか寒い・・・」
長居は出来ないと、春樹は腕をさすりながら教室を出た。
考えられるこことはいくつかあるが、最も有力なのが、信一と準がここで襲撃者と戦闘を繰り広げ、その後を追ったか。由真を放置していったことがそれだと話のネックになるが、そうでなければなんだと言うのだろうか。
悩んでいると、由真が突如唸り声を漏らした。
「ん・・・うぅ」
「天宮寺さん、意識はあるか?」
寄って、そう聞いてみると、うっすらと由真は目を開けて春樹を捉えた。
「あ、武藤さん。おはようござ・・・ってあああああああああああ!!」
「うおっ!?ど、どうした!?」
「ぼ、ボケてる場合じゃないですよ!準さんが、準さんがさらわれました!」
恐ろしい形相と勢いで春樹の肩を掴んだ。
いつもならそれに驚く場面ではあるが、由真の言葉を聞いて、春樹は言葉を失う。と同時にある疑問が持ち上がってきた。
「信一はどうした?」
肩を掴み返してそう問う。
「希さんは、えと、侵入者を探しに理科室に向かったはずですが?」
春樹はそれに首をかしげた。
「理科室?何でそんなところに」
「情報強奪の式・・・は知りませんよね。えとですね、とにかくそこにダムン・デルファと思われる人物が出入りしていると踏んで調べてたんですが・・・変わりに黄金さんと、あと・・・」
そこまで言葉にしたのに、由真は急に言いよどんだ。視線を逸らして何かを迷っているように見えた。
だがそれに気付かず、春樹は思う。
これはやはり、何かの策略かと。信一が不在の学園に強襲し、何をしていった?準をさらっていった。どうして?
考えても何か答えが出るわけでもない。ただ、準がどこに連れ去られていったかなどは容易に想定できる。
「襲ってきたのは、どんな奴だ?」
由真は視線を天井に向けてから、答えた。
「狐の仮面をつけて、槍を持った男でした」
聞き飽きたというように、はぁ、と春樹は大きくため息を吐く。
だがこれで確信を持てた。準はあの研究施設に連れて行かれたのだと。やはりレースはこちらが圧倒的に不利。誰かを犠牲にして何かを取ろうとすれば、何かをさらに失っている。
戦は数が質を勝るというが、今そんな状況だろう。
「けれど、何で天宮寺さんは助かったんだ?」
由真はうつむいてそれに同意する。
「私もそれはおかしいと思いました。誘拐されるなら、一国の王女である私がされるものだというのに、狙ってきたのは一般市民の準さんです。どうして・・・」
「いやそういうことじゃない。天宮寺さんが連れ去られなかった理由が分からないんだ」
「・・・えと、何が違うんです?」
「つまり、準だけが誘拐されたのが分からない。ぶっちゃけて言うと俺はあいつが誘拐される理由に思い当たりがあるんでな」
思い当たるではない。これもまた確信。
先ほどミリアがいたのも恐らくそれの裏づけとなるだろう。彼女は最初から準を目当てとしてここにやってきて、ついでに仮面の男たちに協力していたに過ぎない。そして先ほど目の前に現れたのは・・・。
(時間稼ぎか、クソッ!)
床を殴りつけたくなる衝動に駆られるが、由真の前でするのも悪いと抑えた。
「準さんをさらう理由なんてどこにも・・・」
由真には思い当たらないらしく、必死に探っているようだが無理もない。
「信一を探してくる。今黄金たちも捕らえられてるんだ。三人同時に助け出さないと二の舞になっちまう」
「戦力差は、圧倒的ですか・・・」
「ああ。こっちは準を助け出さなきゃいけない、黄金と白銀を助け出さなきゃいけない、信一を探さなきゃいけない、九条を守らなきゃいけない。でも相手はただ、必要な人材を必要な時にさらえばいいだけ。状況が不利すぎる」
「私はどうしたらいいですか?」
「天宮寺さんはそこの彼女を連れて、新谷って奴のところに行って欲しい。多分そこに日比谷もいるだろうし」
それに由真は頷いて、九条の方をみた。
「新谷さんですね。分かりました。・・・ところで聞くのを忘れてましたが、この子は?」
それに春樹は、親指を立てて、成功を意味させた。
「九条美香留だ」
「ああ、彼女が・・・。分かりました」
すると由真はそれに優しい目で九条を見て、そっと肩を貸した。よいしょ、と声を上げて立ち上がるからに軽くは無いらしい。が、ここは我慢してもらおうと春樹も特に声はかけなかった。
九条を引きずりながら廊下の向こうに由真が消えると、春樹は逆側に走る。
向かう場所は理科室とやらだ。
そういえば上着を返してもらうのを忘れたと気付いたが、今から由真を呼びにいくのも面倒だと思い、そのまま走り出していった。