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43, 大脱走劇と狐(1)

 ガンッガンッガンッ!!

 ここはどこかの鍛冶屋であろうか、鉄を打つ音が酷く五月蝿い。とは言え、その作業を止めるわけにもいかないので黙ってそれを見守る。

 こうして何時間経っただろうか。目の前にいる男の根気を表彰してやりたい気分に駆られてくる。終わったら何か褒美でもやろうか、だんなて考えているのは、自らが暇だからという理由の他にはなかった。

 しかし実際その光景には心を動かされるものがあるのも事実だった。なんというか、飛び散る男の汗というのは青春だ。努力する姿というのはここまで格好の良いものなのだろうかと、自分の過ごしてきた青春時代を振り返っていた。

 九条の見た目は悪くは無い、いや、性格がこれで無ければ髪さえ下ろせば大和撫子なんて言葉が使えてもおかしくはないほどの容姿。しかし彼女はあえて元気っ子の印象が強いポニーテールを選んでいる。だが、それでも男は寄ってくるものだ。

 出会った男どもは、どれもこれもが九条のことを良く知りもしないで声をかけてくる軽いやつだった。純粋に思ってくれた人間も中にはいるのだろうが、どうせライフがどうのこうのとか言って同情してくる。それが彼女は嫌いだった。

 偏見というのだろうかこれは。だが、仕方ないことだと彼女も割り切れる。これが区別か差別かなんて分からないが、自分が相手だったら、そりゃ多少は遠慮や拒否の体制をとってしまう。何にせよ完全に心を許せる相手などいないのだ。

 思ってもみれば、こうして自分が捕らえられてなかなかの日にちが経つというのに、友人や追っかけなどが動いた形跡は無い。学園長は義務や身の上の心配でもして、目の前の男を雇ったのだろうし、結局の所、ライフであることで起きた事件については誰も干渉などしないのだ。


(悲しくなんか、ないんだから・・・)


 そうでも思わなければ、耐え切れないこともある。

 九条は春樹に目を移した。

 先ほどからうざったいまでに拘束具をベッドに叩きつけ、なんと数分前には足かせの破壊にまで成功していた。今は手かせのほうの破壊に挑んでいるが、打ちつける度に鎖が食い込んで痛みを伴うらしく、休憩を挟みながらの作業となっていた。当然手がそうなのだから足も酷いことになっている。青痣が足の付け根に広がっており、直視が出来ないまでに痛々しい光景になっていた。


「ふんっ!!って痛ったぁぁぁぁ!?」


 悲惨な思いも一瞬にして吹き飛ぶ春樹の転がり様。笑ってはいけないと思うが、九条は吹き出してしまった。


「あははっ。何回目よこれで」

「うっさいなぁ。俺だって痛いの我慢してんだよ。きっと気力と根性が俺に無かったら既に千回はのた打ち回ってるわ!」


 そう言いながら強く打ち付けてしまった腕をさする。

 痛みというのは、一撃二撃目は新鮮純粋な痛みだが、腫れてくるとその痛みが段々と鈍痛に変わってきて、耐え難いものになってくる。

 春樹は涙腺から溢れ出しそうになる苦痛の涙を必死に抑えながら、手かせの破壊作業に戻る。

 と、その時だった。

 九条が急に神妙な顔をして、春樹に目で合図を送る。その合図を受け取った春樹は、無言で頷いて足かせをつけて転がる。

 それと同時に扉が開き、政府の兵士が入ってきた。


「起きろ、食事の時間だ」


 そう言ってトレイに乗せられた飯を投げ捨てるように置いた。きちんと二人分用意されている点、政府もなかなか抜け目が無い。


「あいよ。お勤めご苦労さん」


 わざと足が動きづらいように見せながら、胡坐あぐらをかいた。兵士の服装は、一番最初に1stエリアで見たものと酷似している。やはり政府の兵士だと思って間違いは無いだろう。

 時間的にはまだここに叩き込まれてから数時間しか経っていないが、夜中だ。九条はさぞかし空腹に悩まされているところだろうが、春樹も春樹だった。

 考えてもみれば、カイツ宅で過ごした一日以外では食事をまともに取っていない。いや、違う。

 違和感を感じた。食事を取っていない?違う。食事を取るほど、時間が経っていないのだ。


(え・・・?たった二日?今までがたった二日?)


 おかしい。これほどの事件と戦いがあった最中、時間はたったの四十八時間?

 思い返してみる。

 事の始まりは、1stエリアで由真と出会ったことだ。そこから自分の家へ招きいれ、外界の政府とかいう組織がサークルエリアを崩壊させようとしている。それを彼女から聞いたときに春樹達の行動は開始されたのだ。

 その後、潤目と刃を交わし、呆気なく敗北。さらにはこの時期に病院送りにされ、一週間あたり入院生活を強いられるようになる。その間にも、式のことを聞いたり、由真の思い出を語ってもらったりと様々なことがあった。

 退院。ここからだ。

 次の日の早朝には2ndエリアに向かうため、リンクロードの前まで来る。そこで対峙したのが、赤髪の男。確かアイツァーといったか。結果は同じく、彼の炎の前に膝を折ることとなる。最終的には信一が助けてくれたが、なんとも思い出せば惨めな話しだ。

 リンクロード内にて、金剛地兄妹との戦闘。空間歪曲による強制転移が発動し、黄金と共に2ndエリアに飛ばされてしまう。あの五臓六腑がうねりだすような感覚は忘れられない。その後、白銀を探すといい始めた黄金に付いていけば、赤い眼光を放つ恐竜という生物との死闘。そしてカイツとの出会い。

 夜。ここだ。

 確かにあの日、カイツの家で一泊した。その前に、ミリアの謀りであった狂犬病に感染したり、月夜の下で潤目との謎の会話を繰り広げたりしたが、あの日はきちんと就寝した。

 あれで1stエリアを出て、やっと二十四時間。信じがたいが、事実だ。

 朝。時刻にして『今日』。

 ライフの回収に成功した春樹たちの前に立ちふさがったのは、由真の婚約者だと名乗るアイズ。話は案外簡単に通ったが、アイズの由真に寄せる思い、というのはひしひしと伝わったものだ。

 3rdエリア侵入。つまり、今だ。

 ここまで並べてみて、思った。


(・・・そこまで非日常的な内容でも無かった、か?)


 改めて考えてみれば、確かに若干スムーズに行き過ぎているような気はするが、さほど特筆すべき不可解な点は見当たらない。

 二日という時間は妥当なのだろうかと考えたところで、こんな遠出をしたことが無い春樹にとっては比較する対象が見当たらなかった。


「ねぇ、食べないわけ?」


 春樹が思い耽っていた間、九条は差し出された夜食を平らげていた。なんというスピード、と突っ込みたくなったが、実際自分が止まっていた時間が分からないのでよしておいた。

 しかし九条の顔には、飯を食い終わった後の満足感というのは感じられなかった。食べ盛りの年頃だ。白米をあわせて二品しかない囚人食のような食事では、育つのも育たない。ましてや満腹感など得られるはずが無かった。


「お前食べな。俺はなんだか食欲が欠落したらしい」

「えぇ、別に気を使わないでいいわよ。ご飯の一膳や二膳増えたところで変わらないわ」

「いや遠慮すんなマジで。俺今食ったら吐くよ?ここで吐くよ?この世のものとは思えない嗚咽を撒き散らしながら吐くよ?」

「止めて。分かったから、食べればいいんでしょ、食べれば」


 しぶしぶといった感じで、九条はもう一膳に手を伸ばした。言葉とは裏腹に、嫌がる様子も無く、空腹に耐える春樹の目の前であっさりと腹に収めた。


「拒食症の男がルームシェアだと不便だろ」

「そういう冗談が言えるなら、まだいけそうね」


 そろそろ厳しいんだぜ、という言葉は胸にしまっておいた。

 九条が箸をおき、食べ終えたことを確認すると、兵士はトレイを持って扉の向こうに消えた。

 そういえば、春樹がここに着てから、九条には鎖が付けられなくなった。意図的に、だ。捕縛されてからここに連れて来られて、昼飯に一度ありつけているが、その時に九条の鎖は外され、今になってもそのままだ。何の意図があるかは知らないが、春樹としてはどちらでも良かった。

 というのも、女手一つでは春樹の手かせを破壊も出来ないし、扉をこじ開けることも出来ない。つまり、意味も無くそこに体育すわりをしているだけなのだ。特別文句を言うつもりは無いが、向こう側、九条の方がやりきれない感情をむき出しにしていた。


「さて、始めるかな」


 兵士が完全に去ったことを確認すると、春樹は立ち上がって手かせをガチャガチャと動かし始めた。叩きつける時に一番負担が少ない向きに調節していた。

 しかし正直な話、手首の痛みは耐えがたいレベルまで悪化している。折れているんじゃないかと思うが、動かせるだけまだ無事だということだ。後何発耐えられるか、などと数えられるほどなのであれば、破壊は不可能だろう。


「心頭滅却っ!!」


 大きく振りかぶり、ベッドの鉄部分に勢い良く振り下ろしたが・・・。

 鉄のぶつかり合う音が鳴った後、春樹は硬直した。


「だ、大丈夫・・・?」


 九条が春樹を見上げる。

 そのウルウルとした瞳で見られたからに、ちょっとときめいたり。


「しねぇよ!!いてぇよ馬鹿!!」


 と大声で叫んだせいで、九条が身をビクッと震わせて後ずさる。


「ああああ、悪い悪い。あまりの痛みを我を忘れて危うく妄想世界の破綻までいくところだった」

「そ、そう。忙しいのね」

「いやフォローはいらな・・・って、おっ」


 春樹は自分の手首が急激に軽くなるのを感じた。同時に、コンクリートの床の上に、手かせが落ちたのを見た。

 まるで音叉を叩いたような振動が耳に響き、呆然とする。

 手かせは割れた一点を除いては、ほぼ無傷であり、どれだけ春樹が的確に打ち付けていたかが嫌でも分かる。見事に割れた鉄片は、砕け散ってあちらこちらに残骸を残していた。

 嬉しい、と表現するのが一番良いのだろうが、今の春樹にそんな暇は無かった。するりと手かせが抜けたのは良いが、逆にそのせいで手首を切った。命名したらリストカットにならないだろうかとか思ったりする。


「何この仕打ち。しかも安心しちまったせいで手首動かないんですけど」


 血が皮膚に滲んで気持ち悪かったため、ぬぐおうかと思ったが、動かすととてつもなく痛い。

 傷というのは、種類に分けて切創、裂創、刺創、咬創、挫傷、擦過傷などになるが、切創は相当痛いほうに入る。

 すべって転んで出来た傷より、紙でスパッといった傷のほうが痛いということだ。


「どれ、見せてみて」


 九条が春樹の手を取る。


「いったっ!?」

「あ、ごめんなさい。でもちょっと我慢してて」


 その手に九条は顔を近付けていって、傷口を舐めた。


「・・・ん、れろ」

「ななななななななななな何をしておやがりますんでありますか!?」


 その生暖かい感触に腕を引こうとするが、一体どういうわけか九条の馬力でまった動かない。いや、恐らくただ痛いから動かせないだけだが、そう思いたかった。

 九条はそのまま舌を這わしたままで、上目遣いになって言う。


「はにって、はへへんじゃはいお」

「いやそんなことは我らが祖先アウストラロピテクス様でもご理解いただけましてというか現代ホモサピエンスにおいてそのような行為は非常に不純かつ羞恥に駆られるって舌を動かさないでくれると恐悦至極歓喜に打ちひしがれってあぁぁぁぁ!!」


 もはや自分でも何を言っているのか何一つ分からないほど羞恥によって言葉を連呼する春樹だが、当の九条は至って冷静だった。

 もはや放心状態に陥ろうとしている春樹を、にこやかに見つめながら九条は顔を離した。見ると、春樹は赤面度最高潮まで上り詰めており、まさに茹だこである。


「全く、このくらいで騒いでんじゃないわよ。傷は舐めれば治るって言うでしょ?」

「他人に舐められると口内の細菌が傷口から繁殖して死に至る可能性も否定できない」


 驚くほどの饒舌になっていた。が、九条は特別気にすることも無く胸を張っている。


「有り得ないわ。このあたしに舐められて治らない傷は無いから」

「どっからその自信が!?」

「女の勘よ」


 なんとも便利な言葉で片付けたものである。

 不服に思いながらも、春樹は自分の腕を見る。血が上手くぬぐられており、残った唾液がなんともいえない。直視していては何か間違いを起こしそうなので、さっさと服で拭いておいた。するとまた血が滲んできて、まさに無為。

 思いの他、痛みが引いているような気がしたのは、恐らく羞恥心が痛みを先行したからだろう。


「で、今から脱出するわけ?」


 ベッドに腰掛けた九条がそう聞いてくる。頼むから今この状態で足を組まないで欲しいと思った。

 とりあえず首を二三回振って、邪念を取り払ってから答えた。


「いや、多分扉は力づくでは開けられないから、明日の朝食の時に襲撃をかける」


 実際体調が良好であれば、扉を開けるのを挑戦しても良かったが、何度も確かめるように手首が異常なのだ。これで扉に手をかけてみろ、その時こそ春樹の世界が破綻しそうだった。


「そう。なら今日はここまでね」


 ごろんと九条は横になった。体力的には何もしていないが、春樹の姿を見ていたら酷く疲れたようだった。いつ打ち間違えて手首を折るか、ひやひやしていたのだ。


(なんでこんな男のために、いちいち心配なんてしなきゃいけないのかしらね)


 笑える話である、とふふっと思っていただけなのに声に出てしまった。

 どうやら春樹は気付いていない・・・というか、床で大の字になって爆睡していた。

 何故だろうか。春樹を見ていると、九条は自らの中に何か暖かいものを感じていた。これは母性をくすぐられるとでも表現すれば正しいのか否か、良く分からないが、見ていて頬が自然と笑みの形を作ってしまうのを止められない。

 寝顔が可愛い、だなんて思ったのは、これが初めてかもしれない。無邪気に寝息を立てるその姿が愛しいだなんて。


(馬鹿ね、あたし)


 下らないことを考えるのは止めよう。そう自らの想いを断ち切って、目を閉じた。


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