3, 政府襲撃(3)
昨日、由真の歓迎パーティー的な催しが開かれたため、絶大な疲労感を感じていた春樹は、朝という時間の喪失に不本意ながらも成功していた。睡眠時間はいつもとほぼ変わらないはずなのに瞼の重さが半端ではない。
本来ならば学校に行く時間帯ではあるが、昨日あのような話を聞かされたからには、学校どころの騒ぎではない。とりあえず長期休暇ということを学校に伝え、こちらは問題のほうに専念できるようにと信一が昨日行動したためだ。
そう、今日の朝は普段の朝とは違う、緊張感に満ち満ちた朝になるのである。
春樹も目が覚めた瞬間から感じていた、この何ともいえない圧迫感は、その予兆であると思っている。下の階にに降り、リビングにつけば重苦しい雰囲気が立ち込み、最悪な朝を過ごすことは間違いなかった。
春樹は階段を一段一段踏みしめるように降りる。
そして、リビングの扉にたどり着く。
何やら、準と由真の会話が少し漏れてきているので、二人ともいると思われる。
この扉を開ければ、重苦しい雰囲気が・・・。
「あ、春樹おはよぉ〜」
重苦しい雰囲気が・・・
「おはようございます、武藤さん」
重苦しい・・・
「そうだ、昨日買ってこなかった果物ナイフ、今から買ってきてくれないかなぁ?」
重苦・・・
「昨日料理作るときとか、大変でしたしねぇ」
重・・・
「ちょっと春樹?聞いてるのぉ?」
・・・・・・
すごいほがらかな雰囲気で、普段通り話す準と、有り得ないくらい溶け込んだ由真が、すごく楽しそうに話していた。
それはそれは、近所のおばさんたちが賑やかに騒いでいるのと同じくらいのテンションで。
一体何を疑問に思ったのか、春樹の顔をじっとのぞいてくる準。
その俺をじっと見つめてくる瞳は、あまりに可愛くて、惚れ惚れしちゃうよな・・・・・・
「って違う!なんでそんなお気楽になれるわけ!?」
自らの思考回路に突っ込んで、叫ぶ。
すると、問われた準は顎に手を置いて、考えたようにうーん、とうなり、
「そんな今すぐ滅びるわけでもないし、緊張するだけ無駄ってやつだよ〜」
よし妥協しよう。
準は元からこういうキャラなので、緊張感を望んだ自分が馬鹿だったと、春樹は諦めることにした。
だが、由真は違うだろうと思い、同じように視線だけ移して問いを持ちかける。
「私は、希さんが帰ってこなければ、どちらにせよ何も出来ないので、こういうのもよいかと思いまして」
なんとなく同意できないこともないが、きっとこいつもお気楽だ、と意外な由真を悟った春樹。
「まぁそれはいいから、早く果物ナイフぅ〜」
「え?あ、あぁ分かったよ」
春樹は、相変わらずにこにこしている準を見て、つられて笑ってしまう。
でもそれに助けられたかもしれないと思う。こうやって、こんな状況でも笑えるのは彼女のおかげだから。と、思う自分は変ではないのだろうかと不安になる春樹であった。
「でさぁ〜、春樹の呼び方は『はるぴょん』がいいと思うんだけど、どうユマユマ?」
「えぇ!?そんなメルヘンチックな呼び方はどうかと・・・」
(どんな話題で話してんだよ・・・)
行ってくる、とだけ伝えて、春樹は自宅を後にした。
「あの、失礼ですがお尋ねしてもよろしいでしょうか?」
突然、レジの店員から質問を受ける春樹。
だが、春樹は予想していた事態のように悠然とこたえる。
「何か?」
「えぇと、果物ナイフ10本も買って何をするおつもりで?」
ふ、予想通りだ。
昨日と全く同じ質問をされた春樹は、いつものように言い訳する。
「いえ、友達がナイフ集めに凝ってるものでして」
ちなみに友達というのは、この場合準のことである。
昨日と同じく、はたから聞けば危険すぎる回答も、春樹にとっては最高の言い訳として扱われていた。
「あのー」
再び店員が声をかけてくる。
「まだ何か?」
「殺人未遂の容疑で、捕まらないでくださいね」
「・・・・・・」
昨日よりはるかにたちの悪い心配を受ける。
「最近、変質者が出没しているということで、危ないんですよー」
(それが俺だと思ったのか)
「ほら、そこの店の扉のそばに腰掛けてる人とか、とっても怪しいですよねー」
「あぁー、そうですね。・・・・・・ってマジ怪しいな」
店員が指差した所を見てみれば、確かに怪しい黒ローブに、フードをがぶった、恐らく身長などから男だと思われる人が腰掛けているのが分かる。
「でしょー。気をつけてくださいね」
(・・・って、入る時あんなやついったっけか?)
そう考えると、そろそろ真面目な話になってきた。
とりあえず、果物ナイフを全部袋に詰め終わった春樹は、その怪しい人物に声をかけられないことを祈りながら、店を出る。
「・・・おい」
失敗した。
不安は完全的中し、黒ローブの男に声をかけられてしまった。
「・・・・・・何か用?」
こうなってしまったからには仕方が無い。春樹は相手に背を向けたまま、返事をする。
黒ローブの男は、腰掛けていた窓から背を離し、ゆっくりと近づいてくる。
その距離を感じ、春樹も振り返る。
ちょうど後一歩ほどの距離に迫った時、黒ローブの男は立ち止まる。
「抜け」
ふと、男が口にしたのはそんな言葉だった。
「・・・は?」
当然春樹にその言葉の真意が理解できるわけも無く、顔をしかめる。
「聞こえなったのか?その腰のナイフを抜けと言ってるんだ」
「意味が分からねぇ」
相手にする必要はなさそうだと、帰ろうとした時だった。
「・・・っ!?」
春樹の左頬を、何かが高速で駆けていったのが分かった。
そして、後から微かな痛みが走り、冷たい、いや生暖かい何かが頬を伝う。
春樹はそれを恐る恐る拭ってみる。
「・・・てめぇ、何のつもりだよ」
手は、インクをこぼしたかのように、真紅に染まっていた。
「抜け、という意味が分からないか。戦えと言っているんだ」
振り返って春樹が男を見ると、男の手は鈍色に光る鋭利物を握っていた。先ほど頬を通過していったのも、同様の物と春樹は解釈する。
「ふざけやがって。何の説明も無しか?」
「説明など不要だ。お前はただそのナイフを抜き、俺と戦えばいいんだ」
「ふざけんな。こっちにはお前の相手をする理由がねぇ」
「こちらにその理由がある。それだけだ」
無茶苦茶だ、と春樹は落胆するも、すぐに表情は厳しくなる。
春樹は、これ以上の交渉は無駄と逃げることを諦め、果物ナイフが入った袋を自らの横に置く。そこから三本ほど取り出し、二本はポケットに入れ、一本は右手に握る。
ようやくか、というように男はナイフを構える。
「マジでやるってんなら、殺すつもりでやるぞ?」
脅しをかけるともりで、春樹はドスの聞いた声で言うが、
「当然だ、そうでなくては困る」
全く脅しは効いていない様子だ。
一体何がどういう経路でこういうことになったのかは知らないが、恐らく過去に潰した不評集団の一つが復習でもしにきたのだろうと仮定して、現状を打開することを諦めた。
(もう、腹くくるしかねぇか)
春樹は、ゆっくりと腰のナイフに手を忍ばせる。
数秒の静寂が流れる。
何故か都民たちは、そこに誰もいないかのように歩みを止めない。
だがそんなことはどうでもよかった。ただ、目の前に立ちはだかる男に集中する。
春樹は、その時感じた男の殺気によって、あることが確信となる。
この男は、本気で殺し合いをしようとしているのだと。
「マジで、マジでやんの?」
最後の確認。
「問答無用だ、戦え」
まともな答えは返ってこなかった。春樹は、大きくため息をついて、
「あぁもう、かったるすぎるわ!」
最初の一撃を放った。
一直線に果物ナイフは、寸分の狂い無く男に向かう。
「・・・・・・」
男はそれを見て、ナイフで叩き落した。が、そのナイフが地に着く前に、春樹は脚力に全精力を込め、距離を詰める。
最低限の動きでサバイバルナイフを抜き、渾身の突きを放つ。
「速いな、だがそれでは捉えきることは出来ない」
男も、春樹の突きを腹部寸前で止め、はじき返す。
だが春樹は止まらない。はじかれた反動ももろともせず、男に向かってナイフを振るう。
3合ほど打ち合い、春樹は相手の実力を計った。
(多分、俺と同じくらいか。厳しいな)
男は、春樹の止まらぬ連打を止めるべく、強打を放ち距離を取る。
距離をとられた春樹は、それを逆手にとってポケットから果物ナイフを取り出し、投刀する。
心臓部分に飛ぶナイフだが、男はそれを受け止める。
「んな!?」
動揺する春樹。まさか自分が投刀したナイフを受け止めるとは思わなかった。
そして、果物ナイフを我が物とした男は、二刀となって突っ込んでくる。
「く、くそ!」
明らかに動揺する春樹は、焦りから最後の果物ナイフを投刀する。しかし当然の様に男はかわし、ナイフは蛇足に終わる。
そのままの勢いで、完全に射程範囲内に春樹を置いた男は、ナイフを構える。
眼前に迫る危機を目の前に、一瞬恐怖した春樹は、半ばやけくそになってナイフを振った。
「終わりだな」
男は、迫るナイフを蹴飛ばして、果物ナイフを超近距離から投刀する。春樹にその距離からかわせるはずもなく、ナイフは迷いなく左の肩部に突き刺さった。
「・・・っつぅ」
痛みに顔をゆがめる。と、一瞬の気の緩みからナイフを落とした。
(しまった!?)
それを拾おうとするがその瞬間、最後の一手が春樹を襲う。
ドッ、という音が、自らの胸部からする。同時に強烈な圧迫感と、疲労感がにじみ出る。
肩部の痛みに集中していた意識が、全てそっちに向けられる。
鈍色の鋭利物。
そして血が、見える。
「安心しろ、心臓は貫いていない。処置が早ければ助かるかもな」
しかし、そんな言葉は春樹の耳には入らない。
血が。
血が。
止め処なくあふれる血に、恐怖する。
恐怖によって体が震える。
震えによって自らの危機が、痛いくらいに分かる。
しかし、男は留めというようにそのナイフを抜き取った。
その瞬間、初めて春樹に痛みが襲う。それも、体の肉が引き裂かれるがごとく、とんでもない痛みが。
「は、・・が」
嘘だ。
こんな、こんなことって・・・。
有り得ていいはずが・・・。
ふざけるんじゃねぇよ・・・。
声にならない叫びを上げるも虚しく、意識は朦朧としていった。
「お前は・・・・・・に・・・ない」
意識がはっきりしていないため、よく聞き取れない。
「な・・・にを言って・・・」
そこまでだった。
急速に体の力が抜け、意識を保てていない春樹自身にも倒れる事は分かった。
そして、最後に地に伏せる感覚だけ覚えて。
春樹の意識は、遠い闇に消えていった。
男が、春樹を見下して言う。
「弱いままじゃ、ダメなんだ」
何故か悲しみにゆがんだ顔で言った。
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