40, 模造品の妹
「兄さんは、人じゃない」
白銀はそう呟くように漏らした。表情は濁るなどという表現もぬるい、苦痛に歪んでいた。
話の流れを聞いていれば予想は出来る。黄金が施設にいたこと、学園へ入れない理由、親を知らないわけ。だが、それでも証明できないことはあると信一は思考をめぐらせていた。
一体彼らの関係を聞きたかっただけなのに、どうしてこういった展開に持っていかれたのかといえば、それは白銀の過去において兄の存在が大きかったことに他ならないだろう。信一としては、とりあえず金剛地兄妹がここ、3rd出身だと分かっただけでも大儲けだった。
けれども白銀の話は続く。
「兄さんは、あの研究施設で生成された情報生命体でした。それも、他の情報生命体とは違う、『模造品』の」
「イミテーション・・・。クローンかね?」
信一は白銀の言葉に耳を疑った。
情報生命体の研究が許されていたとは言え、世界条約で禁止されているクローン技術まで駆使していたという事実は認め難かった。
そも、クローンとは『個人』という名の人権の剥奪を意味し、イミテーションとは『本物』という名の価値の上昇を意味する。
二つは相容れぬ対照にありながら、ほぼ同じ意味を持っている。クローンもイミテーションも、つまり言うところの『生まれてきたものの複製品』。だが、根本的に違うのはその複製の 対象にされたものの価値の上下だ。クローンとは同じ人物を再び作り出すことであり、全く持って同じ才能を持ち合わせる。つまり『本物』との境界が無いに等しい。に対し、イミテーションはれっきとした劣化品。所詮は模造されただけの副産物に違いは無い。
ここであえて信一が問いたかったのは、『模造品』、つまりイミテーションという表現の正しさを見極めるためだ。
「クローン、とは違いますね。クローンはつまり遺伝子の問題ですが、イミテーションはそんなものは関係ありません。イミテーションは、『完成された形に最も近い完成形』としてこの世に落とされてくるのですから」
それに唸って納得する。
ここで学園長がそれに驚いたように感嘆の声を上げて言った。
「白銀君がそこまで調べがついていたとは・・・。情報生命体だということはバレても仕方がないと思っていたが、何故イミテーションだということに気付いた?」
保険医の先生もそれには驚いているようだった。
信一もそれは気になっていた。情報生命体という事実が隠蔽されていた以上、相当な隠蔽技術が使われていたに違いは無い。それを掻い潜った情報網でもあったというのだろうかと不思議になっていた。
白銀は、それは簡単なことです、と言いのけて続けた。
「私の目の前で、兄さんが二人で話していたからですよ」
「・・・何?意味が分からないのだが」
「だから言った通りです。説明すれば、『オリジナル』と『イミテーション』が会話をしていたのを目撃した。それだけのことです」
「んなっ!?」
狼狽、とは違うのだろうか。学園長は額に嫌な汗をかいていた。
が、その学園長の表情を見るやいなや白銀は言いなおす。
「冗談です」
「・・・は?」
「だから冗談です。オリジナルがイミテーションと謁見するなど有り得ないでしょうに。美術の世界でも、人の世界でも。本当は兄さんから直接聞いただけですよ」
してやられた、と学園長は奥歯を噛む。
信一も白銀の言動の意図に気付き、その巧みさに感心した。つまり、誘導尋問だったのだ。
恐らく白銀は兄がイミテーションであるからに、オリジナルの存在がどの程度のものなのか知りたかったのだろう。だから、あえてオリジナルの名前を出して学園長の反応を窺った。
そして確かにオリジナルとイミテーションが同じ場所にあることは有り得ない。ある美術品のイミテーションがオリジナルの横に飾ってあったらどうだろう。専門家はすぐに見極めて、イミテーションを否定する。それだけでイミテーションの価値は激減し、オリジナルの価値は上がる。
イミテーション側からすれば、それは不都合なこと極まりない。
さらに言うならば、これはドッペルゲンガー現象と変わりが無い。同一人物が自らの目の前に現れれば、自分の存在が混乱する。そういった事態を避けるためにも、普通は有り得ない。
だが、ある一点を除けば、の話だ。
信一はそれを問おうとした、その時だった。
ガラララ、とテンポの良い音を立てて部屋の扉が開く。
「・・・どーも、俺です」
誰だ、と誰もが言いたかっただろうが、学園長がその疑問に答えてくれた。
「日比谷君!?どうしたんだ、その格好は」
そういわれて信一も彼の服装を見てみる。
一見全裸なわけでもなく、普通に見えないことも無いが、所々泥土や埃で汚れ、何故か袖部分などが擦り切れたようになっていた。つまりボロボロだ。
「下水を旅してきたんだよ、ったく。ってそうじゃなくて、大急ぎで来て欲しい」
気だるげに話していたのに、急に慌てて催促するように言い出す。
「一体どうしたんだ。落ち着くんだ」
「落ち着いてるって。とりあえずここでグダグダと事情説明してる暇はねぇんだ。さっさと・・・」
突然日比谷の言葉が止まった。
彼の視線の先には白銀があり、それを凝視するように視界に捉える。だが、すぐには解せなかったのか不可解な表情をして彼女を見つめていた。
その視線に気付いて白銀が問うた。
「何か?」
だがそれには答えず、自分で勝手に納得したように、ああ、と漏らす。
「金剛地か。そういうことかよ。白銀だろ?あんた」
「ええ、そうですが・・・」
「あんたの兄・・・だったかが捕まってるんだ」
室内の雰囲気が一変した。
白銀は詰め寄るようにして日比谷の肩を掴んで、鬼の形相ならぬ勢いで問う。
「それはっ、本当ですか!?」
「あ、ああ。俺がこうして逃げてこられたのもあいつのおかげで」
と、ここで今度は信一が怪訝な顔して白銀を日比谷から剥がして言う。
「逃げてきた?」
今になって信一は彼の違和感に気付く。
いや、彼自身に違和感があるわけではない。ただ、そこにあるべきものがない。
「武藤春樹は、どうした?」
半ば脅すような低い声で言った。
そう、確か学園長の話によれば春樹はこの日比谷と共に九条美香留を探しに行ったはず。なら何故ここに一人で日比谷がいるのか。
胸騒ぎがする。
「あ、あいつは・・・多分同じ牢屋のどこかにいる、と思う。何しろ仮面の男にやられた後から見てないから」
仮面の男。
そのワードに白銀は凍りつき、信一はますます表情を険しくさせた。学園長は慌てふためき、何を思ったのか保健室を恐ろしい勢いで出て行った。
仮面の男が危険、だということが分かったからだろう。
「救出を要請しにきた、のだろう?」
去っていった学園長を一瞥すると、日比谷に向き直って確かめるように言う。
「兄さんが捕らえられているというのなら話は早いです。要請などされなくても自ら行きますよ」
白銀が信一を横目に便乗した。
「んなら来てくれ。裏路地に扉があるんだ」
白銀が言葉に従って日比谷の後を追っていった。
信一もその後を追おうとしたが、一度立ち止まる。胸に手を当てる。動悸は早くない、緊張も焦りも無い。ただ、指先が震えるだけ。
理由は明確かつ単純。春樹が捕らえられた、ただそれだけ。
だから信一は振り返って、彼女に向かって言った。
「何をする気か知らんが、邪魔はさせんぞ」
立っていたのは保険医。
金髪の頭を後ろで丸く結い、お団子頭のようにしている碧眼の女。組んだ足から覗かせる艶やかな太股になど目に入らない。
眼鏡の向こうに見た姿は、紛れも無く保険医である。が故に、彼女であった。
「あら、気付いていたなら最初から言って下されば良かったのに。無視されたと思ってなかなか寂しかったのですわよ?」
先ほどの保険医とは口調がまるで違う。いや、違うのは外見もだ。
彼女は日比谷と白銀が去ると、一目散に流していた髪の毛を結い始めたのだ。
彼女はそれに、と付け加えて、妖艶な笑みを浮かべた。
「邪魔をしようとしているのは、貴方ではなくて?」
自信ありげに、信一の目を直視して言い放った。
「私は童だ。童は黙って神に従うのみ。ただそれだけだが、何か?」
「随分と悪戯好きな童ね。まぁ、それも仕方ないわね」
「一つ言っておくが」
信一は彼女から目を離し、日比谷の後を追おうと一歩踏み出す。
「私の友に手を出すなよ。この下衆が」
そう吐き捨てた。
―――
「ふふふ。本当に変わりませんわね、あなたの童は」
椅子に背を掛けて、後ろにもたれる。
金髪碧眼の女は一枚の写真を取り出した。
そこには親子が写っており、父親のほうは満面の笑みを浮かべ、横で母親が優しく微笑みかけている。なのに、子は笑みどころか表情一つ崩しておらず、無愛想な顔を向けていた。
確か、昔はもっと笑っていた子だったか、と思いに耽る。
「希信一。良い言葉遊びだわ」
ゆっくりと女は立ち上がる。
目指す場所など決まっている。何故自分がここに来たのか、結果を出すため。
だがまだだ。
喜劇は楽しんでこそ喜劇。
山場は最後に取っておかなくてはならない。
さて、それまでどんな暇つぶしをしようか・・・。